バイト終わりにそんなことをナギから言われた帰り道、どうやって家までたどり着いたのか、それからどうしたのかが思い出せない。気づいたら僕は、自分の部屋のベッドの上に寝ころびぼうっと天井を見上げていた。

「葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」

 ナギから投げかけられた言葉と、それを覆うように膨らんでいくナギへの想いが、胸の奥に食い込むように刺さって、すごく痛い。
 僕とならやれる、最強だと思う――そう、ナギは言っていた。それは、ナギにとっての僕の存在の大きさとか重要性がかなり大きいことを意味していると、そんな期待を持つようなことを考えてもいいのだろうか。
 その上で、バレットのメンバーを変えてしまうことを、僕が納得できるのか、というのだろうか。
 僕のことを好きとかどうとかではなく、自分がかつて似たようなことをされたから、ナギは親身になっているんじゃないだろうか。だから、僕の存在の大きさが彼にとってどうであるかはあまり関係がないんだ。好きだどうとかなんてもっと関係ない。

「じゃあなんで、僕に、納得できるのか? とか、一緒にやれると思う、なんて言うんだろう……僕じゃない人の方が、上手くいくかもしれない可能性は考えないのかな」

 呟く自分の言葉が、ずっしりと圧し掛かる。ナギにとっての僕と、僕にとってのナギ。ただ単に一緒に音楽をやって来た、それだけの仲……と、切り捨てるように断じてしまうには、音楽という、いままで誰とも分かち合えなかったものを本気で分かち合った初めての相手であり、そして、ようやく好きでいたいと思える大切な相手でもある。その存在の希少さは、僕にだってわかっている。まだたった一年にも満たない関係だけれど、家族よりも濃い時間を過ごし、心を許してきたのは明らかだから。
 そんな相手を、ただ思い描くものが違うから、というだけで離れてしまっていいのだろうか。この先、僕にそんな人が現れる保障はないし、もう二度といないかもしれない。それを、いま手放すか否かという瀬戸際に立たされている。

「でもだからって……僕に、メジャーでやっていけるほどの実力があるなんて思えないし……そもそも、ナギは僕を好きなわけがないし……」

 メジャーに行ければ、あのバカにしたやつらを見返すには絶好の機会になるだろう。これ以上にない成果だろう。
 だけど、それだけの想いだけで乗り切れるほど、メジャーシーンが甘くないことも僕なりに知っているつもりだ。その一つが、実力であり、自信だ。それが、僕には壊滅的にない。その上失恋までしてしまったら、いよいよ僕は生きていける気がしない。
 そもそも、いくらバレットとしてそこそこの知名度や評価を得始めていても、僕は所詮は趣味の延長上。そのつもりでプロの世界に入ってしまったら、きっと痛い目を見るどころでは済まない。そこに恋情が絡んでしまっていたら、ちゃんとまともに音楽やっていけるんだろうか。それが、僕は怖くて仕方ない。

「……ナギは、そういうの考えたりして怖くならないのかな」

 ナギが僕を好きかどうかがわからないから、立ち位置が違いすぎるか……聞きたいけれど聞けない、答えがわからない疑問は、白く見慣れた天井に昇って吸い込まれていった。


 ナギと会った日から三日後、木暮さんから連絡が入り、都内のファミレスで会おうと言われた。
 地元から小一時間ほどかけてムジカレコードの近くらしいファミレスに行くと、既に木暮さんが来ていて、その向かいにはナギが座っている。
 まさかあれから会う羽目になるなんて考えてもいなかったから、お互いにバツが悪い顔をして思わず背ける。
 しかし木暮さんは気にしていないのか、にこにこと手招きをする。

「葉一君、こっちだよ」

 あからさまに気まずい顔をして佇んでいると、「まあ、気まずいだろうけれど、いまだけは隣同士で座ってくれないかな」と言われてしまったので、軽くうなずいて僕はナギの隣に座ってちらりと横目でナギの方を窺う。ナギは頬杖をついて、先に頼んでいたらしいドリンクバーのメロンソーダをストローでかき混ぜていた。
 どうやら僕が来るまでに僕らの間で何があったのかをナギが話したらしく、それはそれで恥ずかしくなる。
 「じゃあ、揃ったから本題を早速話させてもらうよ」と、木暮さんは切り出し、取り出したタブレットに何かを表示する。

「“(仮)バレット初ワンマンライブ inメロディア”……ワンマンライブ? 俺らがっすか?」

 タブレット画面をナギと覗き込み、そこに映し出されている文字をナギが読み上げて問うと、木暮さんは大きくうなずいて涼し気な笑みを浮かべて更にこう言った。

「動員数は100人。もちろんできるならそれ以上でもいいけれど、最低でも、100人」
「ひゃ、100人?! 僕らだけでですか?!」
「そうだよ。ワンマンライブなんだから」
「で、でも……正直、路上でも50くらいが最高で……」
「でも、配信なら100は軽く行くようになっただろう?」
「そう、ですけど……」

 その配信も、路上ライブでさえも、ここ数カ月近くほとんどできていない。もしかしたら今はもっとファンや視聴者数が減っているかもしれない。そんな中で、100人を動員するワンマンライブをやろうと言うのだ。
 無理ですよ、と僕が言い返そうとした時、「あの、」と、それまで黙っていたナギが口を開いた。

「あの、いま、バレットにワンマンをさせるってことは、木暮さんたちなりに何か考えがあるからってことなんすか?」

 確かにそうだ。活動が停滞しているいま、これまでにやったことがない大きなことを仕掛けようと言うのは、ただの思いつきだけではないだろう。
 ナギの指摘に木暮さんはまたしてもうなずき、それまで浮かべていた柔和な笑みから、真剣な面持ちに切り替わる。その鋭い視線に、僕らは背筋を伸ばす。

「僕はね、バレットの音楽を世の中に届けたいと思っている。二人の飾らない歌詞とメロディがきっと世間の、特に同世代にウケると思うんだ。その魅力をより知ってもらうためにも、じっくり二人のライブをたくさんの人たちに見てもらおうかと思ってね」
「それって、あの、ライブにかかるお金って、どうなるんですか?」
「こちらが企画したことではあるから、こちらが持つことになる。だからこそ、キミたちには頑張ってお客さんを集めてもらいたい」

 要するに、先行投資みたいなものだろう。無名の新人のワンマンライブを企画してお金を出す代わりに、この先売れなくてはいけないというやつだ。
 これがメジャーの洗礼なのか……と、僕がさっそく怖気づきそうになり、「……できるかな」と、呟いてしまった。それに、木暮さんは耳ざとく反応し、こう言葉を続ける。

「最近、バレットは活動が停滞しているようだね。それも、二人の方向性の違いで」
「……それは、その……」

 既にナギから先日の件を聞いているらしい木暮さんは、困ったように苦笑している。大事な時に何やっているんだ、と言いたげだ。

(でもまさか、この上僕がナギのことを好きで悶々としている……なんて知ったら、ナギはもとより、木暮さん、なんて言うだろう……)

 額に背中に冷や汗が浮かび、血の気が引く思いで僕はうつむいて木暮さんの言葉を待った。

「まあ、人と人が組んでやるんだ。そういうぶつかり合いは、多かれ少なかれあるもんだよ。ただね、キミたちだけの都合でバレットの音楽をなし崩しにしてしまうのは、あまりにもったいない」
「でも、僕は……メジャーでやっていけるかなんて、全然……」
「だからだよ」
「え?」

 木暮さんの言葉に思わず俯きかけていた顔をあげると、まるでわがままを言う小さな子どもを諭すような顔をしていて、僕は口をつぐんでしまう。

「メジャーで最初からやっていけるってわかっているような人は誰もいない。やっていけるって思って意気揚々と乗り込んでくる人だって挫けることだって充分にある。だからこそ、こうやって規模の小さなイベントをやってみて、現状を知ることから始めるんだ」
「現状……それって、どれだけバレットを見に来てくれる人がいるか、っていう、実力を知るみたいなもんすか?」
「それもあるけれど、いまのキミたちには、いま自分たちがどういう状況に置かれているのかを知る必要もある。そのための企画でもある、と僕は思っている」
「バレットの、現状……」
「このライブの成果を見てから、バレットをこの先どうしていくかを決めてもいいんじゃないかな? どうだろう」

 メロディアは地元でも老舗のライブハウスで、路上ライブで集客が多くなった人の多くが、初めてワンマンをやる登竜門的な場所でもある。きっと、ナギが所属していたマネキアも、ここでライブをやってからデビューしたと考えられる。
 ナギとしては、ここでライブをやる、の一択しかないのだろう。食い入るようにタブレットの画面を見つめ、鼻息が荒くなっているから。
 対する僕は……正直、迷っていた。こんな今までにない規模のライブをやろうとして、失敗したらどうしよう、とか、成功したとして、その先をどうしよう、とか、想像の及ばないことに不安いなって言葉が出ない。何より、ナギに対して気持ちや考えをどう言えばいいのだろう。
 だけど、と、考える。いっそこれを最初で最後のバレットのライブにして、ナギには別の人と組んでもらうように決めてもらう判断材料にしてもらってもいいんじゃないかとも思えた。よりメジャーに行くために、中途半端な考えの僕なんかより、ずっといい人が必要だと気付かせるいい機会かもしれない。ああ、こいつはやっぱり駄目だ、ってナギが思ったなら、それでいいんじゃないか、と。
 そうすれば、この恋もきっと諦めることができる――そうでないといけないんだ。

「どうする? やりたいなら明後日の企画会議に出してみるんだけれど」

 念を押すように木暮さんに言われ、僕とナギは顔をあげ、そして申し合わせたかのように互いを見てうなずき、揃って口を開いた。

「ワンマン、やります。やらせてください」

 声まで揃った僕らの返事に木暮さんは目を丸くして、やがて吹き出して笑い、「わかったよ」と言った。
 タブレットを指して、木暮さんは改まった調子で僕らに確認を取る。

「じゃあ、バレットの100人ワンマンライブの企画、会議に掛けさせてもらうね」
「はい、よろしくお願いします!」

 二人そろって頭を下げた僕らは、きっとそれぞれ違う考えのもと、最初で最後になるかもしれない、自分たちのワンマンライブを開催と、ナギへの想いの行方をどうするかを決めたのだった。