路上ライブを初めて半年以上が過ぎ、ライブ配信を見て興味を持ってくれたお客さんも足を運んでくれるようになった。
僕らはバーチャルシンガーのつもりはなかったけれど、ライブ配信しているバンドがリアルで、しかも路上でライブをしているとなると、一度見てみようかとなるらしい。
「リアルも上手いんですねー! 配信シングルとかないんですか?」
「あー、そういうのはまだ全然……曲もまだ数曲しかないし」
「もったいなーい。あたし絶対買うのにぃ」
「ははは、ありがとうございまーす」
営業トークは主にナギに任せているのだけれど、僕に対するような俺様な感じじゃないので、結構会話が弾んでいる。最近じゃサインが欲しいなんて言われることも出てきて、二人して有名人気取りなことをしている。
ナギが馴染みのお客さんと喋っている時、「キミ、葉一君?」と、声をかけられた。
振り返ると、そこにはどこか見覚えのある男の人が立っている。若いようなおじさんのような……
「ええ、はい、そうですけど……」
「いつもライブ観させてもらってるよ。配信も、路上も。オリジナル曲が増えてきたんだね。良い感じだね」
「あ、ありがとうございます! えっとあの、配信見てくれてるってことは、あの……」
「ああ、“ウッディ”と言えばわかるかな?」
「え! ああ! いつもありがとうございます!」
まさかのウッディさんの登場に、僕の声が思わず大きくなり、ナギも、ナギと話していたお客さんもこちらに振り替える。
僕がどれほどウッディさんのコメントを有難く思っているか、伝えようと思えば思うほど言葉が上滑りし、あわあわしてしまう。
泡喰っている僕の隣にナギが歩み寄ってきて、「どうした?」と、訊いてくる。
「こ、この人、あの、う、ウッディさん……」
「え? マジで?」
ナギは日頃ウッディさんのコメントに懐疑的なので、突然のご本人登場に気まずそうな顔をしている。
しかし、ウッディさんはろくに話もできない僕と、バツが悪そうな顔をしているナギの様子を意に介することもなく、ジャケットのポケットからなんかを差し出してきた。
「“株式会社 ムジカレコード マネージャー 木暮直樹”」
「……え? ムジカレコードって、あの、ムジカ?」
差し出された小さな紙切れのようなものは、ウッディさん改め、木暮さんの名刺で、差し出されるまま手に取った僕は、ぼうっとした声でそれを読み上げた。
ナギもまた、懐疑的に見ていた相手の正体が、まさか自分が焦がれていたメジャーのレコード会社の人だとは思わなかったのだろう。ぽかんと口を半開きにしたまま僕と揃って木暮さんを見ている。
木暮さんは、そういうリアクションには慣れているのか、苦笑して、「どうも、いつも楽しませてもらってるよ」と言った。
レコード会社の人だから、バレットの曲とか、ライブのやり方にアドバイスをくれることが多かったんだろう。しかもそれらはいつも的確で、「もっと声を張って、曲に込めた思いを伝えないと」とか、「配信ではカメラの向こうにお客さんがいると思って喋ってみて」とか、具体的なコメント……いまにして思えば、僕らの曲やパフォーマンスが良くなるアドバイスをしてくれていたのだ。
僕らの曲が、メジャーシーンの人に届いていた……それは大きな驚きであり、同時の大きな成果とも言える。
僕とナギは顔を見合わせるも、その表情は全く違っていた。僕はどうしよう、という戸惑いの色で、メジャーを目指しているナギは、当然期待に満ちた輝く目をしている。
「どうだろう。キミたち、バレットは、メジャーシーンで音楽活動をやっていくことに興味はないかな?」
「あります! 大ありです!」
木暮さんの言葉に食いつかんばかりにナギは答え、受け取った名刺を宝物のように大切そうに自分のパスケースに仕舞う。
ナギにしてみれば、自分を切り捨てたかつての仲間にも先を越され、焦りを覚えていた矢先の木暮さんというメジャーにいる人の登場だ。地獄に仏とさえ思っているかもしれない気がする。
勢いの良いナギの反応に木暮さんは、そうかそうかと言うようにうなずきつつ、僕の方を見て、「キミは、どう?」と、声をかけてくる。
「え、や、えっと、僕は……」
「葉一、メジャーでやってくっていうのが俺らの目標だろ?」
「あ、う、うん、えっと……」
イエスなのかノーなのかもはっきりしない僕の返事に、ナギはイライラしたように溜め息をついたものの、木暮さんは特に気が急いている様子もなく、穏やかにこう言ってくれた。
「葉一君、だっけ? 突然でびっくりしているんだよね? 今日のところは連絡先を教えておくから、いつでも返事をくれないかな」
「あ、はい……」
「じゃあ、また次のライブも楽しみにしているよ」
木暮さんは僕にいますぐ返事を出すことを急かさず、それと連絡先の記された僕の分の名刺を手渡して、駅の方に歩いて行ってしまった。
「あざーっす!」と、元気よくナギは言って頭を深く下げていたけれど、僕は名刺を手にしたままぼんやりと立ち尽くしていた。
僕はただ、楽しく唄えたらそれでいい。そりゃ、歌で食べていければいいんだろうけれど、メジャーでやっていくって大変だと言うし、そもそも僕にそんな自信なんてない。ナギみたいに自信たっぷりなら違うのだろうけれど……そんなものが僕にあるなら、そもそもナギと組んだりなんてしていないだろう。
好きな歌を楽しく歌って、投稿して、ほんの時々バズるくらいでいい――それが、僕にとっての“成功の形”だ。
だけど、それは決して僕の相方であるナギには受け入れられるものではない。
「なぁんではっきり、“俺もメジャー行きたいんです!”とか言わねえんだよ、葉一。折角のチャンスだぞ? お前まさかムジカレコードがどれだけすごいのか知らねえのか?」
「あのシャリンバイの後輩分のバンド、セラータを輩出したところでしょ? それくらい僕だって知ってるよ」
「じゃあ何であんな煮え切らない態度取ってんだよ。木暮さん、呆れてたぞ」
「そうとも限らないじゃん。返事はいつでもいいって言ってくれたんだし」
「そんなの社交辞令に決まってるだろ! こういうのは、つかんだもの勝ちなんだよ! 目の前にチャンスがあるのに、葉一みたいにグズグズしてたら、ものになるものもならねーぞ」
薄々自分でも感じていたことをズバリ言われてしまうと、ヒトはかなりカチンとくるものだ。しかもナギは言葉を選ぶということをしないので、より角が立つし、腹も立つ。要するに、図星を指されたのだ。
僕もまたあからさまにムッとした顔で見返すと、ナギはストローを咥えた姿で頬杖をついて僕を呆れた目で見ている。
深夜に近いファストフードは僕らのような路上ライブ帰りのやつらが多く、あちこちで音楽談議が盛り上がっている。
だけど、僕らのテーブルだけは気まずい雰囲気に包まれていた。
「バレットで唄ってるのは僕だ」
「曲を作ってるのは俺だけどな。それに、葉一が唄えてるのは俺のギターあってのことだろ」
「それはそうだけど……でも、僕は別に、メジャーとか……」
「どうでもいい、とか言うなよ。この名刺をもらえて、声をかけられることがどれだけすごいことで大変なことか、葉一はわかってるのか?」
わかっているつもりだ。この街だけでも、数えきれないほどの路上ライブをするアーティストの卵たちがいて、僕らはその中でも新参者の部類と言えるだろう。何年も路上ライブをしていて、固定客もいるのに、スカウトの目にかからない人なんてざらにいる。そういう話はナギからいやというほど聴かされてきた。
だからこそ余計に、なんで僕らなんかに声がかかったのかが、僕にはわからないのだ。
ナギは、それは自分のギターの腕が確かだからだ、と言えるのかもしれない。だって彼には確固たる自信があるのだから。
じゃあ、僕は? ただ昔バカにされたことを見返したいだけで、それも、ただ好きに歌いながらそうしたいだけで、特にこの路上ライブのステージよりさらに大きな所へ行こうなんて考えたこともない。配信にしても、動画投稿にしても、毎回バズるほどのヒットするわけがない。そんな奇跡が、自分に起こるわけがないと思っているからだ。良くも悪くも、僕は身の程をわきまえて生きていくしかない。ナギにはそれがわかってもらえない。
それなのに、いま、その奇跡の光が僕にも当たろうとしている。ナギのようになにがなんでもと渇望していたわけじゃない、僕に。
それって、許されるんだろうか? そんな、生半可さでメジャーという舞台に立つ権利を得てしまって、いいのだろうか? 僕より強く望むナギだけに声がかかるならまだしも、大した向上心のない僕にまでなんて、虫が好すぎやしないだろうか?
「わかってるよ……でも、僕にはできるかわからない」
だから僕の中にある気持ちを、精一杯の言葉で伝えてみたのだけれど、ナギは呆れたように「あー、そうかよ」溜め息をついて、自分の分のトレイを持って立ち上がる。
「わからない、じゃなくて、考えたくない、の間違いなんじゃないのか、葉一。ぬるま湯に浸かったまま、美味しいとこだけ味わえてりゃいいっていう。そういう事だろ」
ナギはそう言い、ギターを背負ったまま席を立って去って行く。
ひとり残された僕は、まさに言われたくない言葉を探り当てられて、言い返すことができないままうつむいていた。
僕は確かに、メジャーでやっていく自信もないし、評価されたり、成果を数字で突きつけられたりするのが怖くて仕方ない。
だけどそれは、ナギから見たらぬるま湯に浸かっているように見えるだろうし、実際ナギのすご腕のギターに頼り切っての活動をしているのは事実だ。
(だから……そうじゃないようにするにはどうしたらいいんだろうって……相談できたら良かったんだけど……)
僕の懸念が解消されて、且つ、ナギの夢がかなう方法。そんな相反することを叶えてしまえる魔法なんて存在するんだろうか?
「僕が子どもで知らないだけで、世の中にはあるのかな……それとも、僕の考えが甘いだけなのかな……」
騒がしい夜のファストフードの中、僕の席だけ切り取られたように空気が重く沈んでいく。
答えのない問いかけは、騒がしい店内BGMと客の声に消えていった。
木暮さんに名刺をもらって、その日の帰りにナギと言い合いみたいになって以降、バレットの動画の更新は止まったままだ。
一応、あの日の前に収録した動画が数本あるのだけれど、僕が編集する気になれていない。バレットの動画――特にナギのギターの音や彼の姿を見聞きしているだけで、胸がどうしようもなく苦しくて痛くて、とても編集なんて出来ないからだ。
病気かと一瞬思いもしたけれど、心当たりはばっちりあるので、その線は違う。
「お兄、最近バレット活動してるの? 路上ライブの予定は? 練習しなくていいの?」
バイトが休みの日、部屋でぼんやりと珍しく学校の課題をやっていたら、芽衣が突然部屋に張ってきてそんな小言を言ってきた。
バレットの最初の動画配信を手伝ってもらったことを、いつまでも芽衣は恩に着せてきて、毎度路上ライブのスケジュールを訊いてきてはクラスメイトなんかに宣伝して回っているらしい。
だからいまの小言も、そのついでのように僕が最近ナギとあってすらいないことを指摘しているのだろう。なんにしても、お節介の何者でもないのは確かだ。
「うるさいなぁ。芽衣に言われなくてもやるって」
「その割に、もう一週間もナギさんウチに来てないじゃん」
「……別にフツーだろ」
「えー? だって前は毎日ってくらいでウチにきたり、お兄が出かけたりしてたじゃん。最近バイトと学校だけじゃない?」
「学校に帰りに行ってる、とかは思わないわけ?」
「だってレコーダー置いていってるもん」
「……練習だから、スマホでいいんだよ」
「ふぅん……じゃあ、そのスマホで録ったの聴かせてよ」
芽衣の鋭い観察眼をかわすためについた嘘が見透かされてバレてしまうのを恐れ、僕は芽衣に奪われそうになったスマホを寸でのところでつかみ取る。芽衣は忌々しそうに僕をにらむ。
べつに、芽衣にバレットのことをとやかく言われようとも、ここ最近ナギとあってさえいないことがバレようとも、僕には何の影響もないはずなのに……何故か、それを芽衣には知られたくないと思ってしまう自分がいる。
「お兄、観念しなよ。ナギさんと何があったの? あ、もしかして痴話げんか?」
「は?! ち、痴話げんかってなんだよ……僕もナギも、男だぞ……」
「何マジになってんの? べつに男同士だっていいじゃん。それよかさ、ホントにナギさんとなんかあったの?」
「……なんにもないよ」
「じゃあ、一つだけ訊いていい?」
「……なんだよ」
「この前の配信の終わりに、“次の配信では新曲披露します”って言ってたの、あれ、どうなったの?」
ナギと気まずくなる数日前のライブ配信の頃、バレットは5曲目となるオリジナル曲の制作の真っ最中だった。僕がいつものように作詞を担当し、ナギがそれに曲をつける。
だいたいの全体像は出来上がっていて、あとは音源や配信用として録音するのと、その練習を繰り返すだけになっていたのだけれど……あの一件以来、それもまた停まったままだ。
実は、最新のライブ配信のアーカイブのコメントにも、「新曲いつお披露目ですか?」「次の路上はいつですか?」というような問い合わせの内容がなくはない。あれ以来ちゃんとナギと顔を合わせていないこともあって、僕の独断でそれらに答えるわけにはいかず、コメントへの返事さえも出来ていない。その事を、芽衣は言っているのだろう。
「……いまは、僕もナギも忙しいんだよ」
「それでもちゃんとコメント返ししなよ。ちゃんと返事しないのって感じ悪いよ」
「わかってるよ。その内やる」
「その内、じゃなくて、せめてこの後すぐやりなよ! 折角のファンが離れていっちゃうよ!」
「うるさいな! 僕らのことに口出しするな!」
「……なにそれ。マジで感じ悪。ナギさんに何やっちゃったか知らないけど、ちゃんと謝りなよ」
「なんで僕が悪いってことになるんだよ!」
「じゃあなんでそんなに怒ってるのよ。お兄が悪くないなら怒らなくたっていいじゃな……」
「うるさいな!! 芽衣には関係ないだろ! 出てけよ!」
一方的に僕が悪者にされた上、チクチク言われる正論に苛立ちが勝ってしまって、冷静に適当に聞き流せなかった。だからついカッとなって怒鳴ってしまったら、芽衣は凍り付いたような顔をして、それからふいっと顔を背けて部屋のドアを荒々しく閉めて出ていった。
僕は溜め息をつきながら片手で顔を覆い、それから先日木暮さんから言われたことを思い出し、また溜め息をつく。
『バレットはこの先どうしていきたいのか、はっきり二人で決めているのかな? 僕が見る限りだけど、ナギ君が主導的だよね、二人の、そのー……力関係みたいなものが。葉一君的には、それでいいからそうしてるの?』
やはり、たくさんのアーティストの卵や、アーティストそのものを見て来た人の目は鋭い。
バレットの音楽のことをコメントしてくる人は木暮さんの他にもいなくはなかったけれど、僕らの関係性にまで踏み込んできたのは、やはりその道のプロだからだろうか。
バレットという二人組ユニットのバンドをやっていく上で、作詞の上では僕が主導権を握りことはあっても、曲の作り方や動画の企画、路上ライブのスケジュールなんかも、殆どナギが主体となって決めていた。
それは単純にバレットを組んだ当時、僕がライブをやっていくことなどにあまりに無知だったこともあって、ナギに任せていたらいつの間にかナギが主導権を握っていたのだ。
それでなくとも、ナギは主張が結構強いタイプで、所謂陽キャで、僕とは真逆のタイプだ。そういうこともあって、僕から意見するとかがなかなか出来ないままでいたら、バレットの顔がボーカルである僕よりもナギになっている感じがある。
『二人組だから、どちらがリーダーで、どちらがサブで、なんて扱いはしない方がいいと思うんだけれど、片方が主導権を握った方がやりやすいとか、それがキミたちのやり方なのかな?』
先日声をかけられての返事を――僕としては、メジャーでやっていける自信がないことを――ひとまずしようと木暮さんのメッセージアプリにメッセージを送ったのだけれど、そう立て続けにバレットの在り方について訊かれたのだ。
もしこれに対して、「僕はメジャーでやっていく自信がない」と返したら、もしかしたら、木暮さんは僕らが仲たがいしたとか、もめたとか思ってしまうだろうし、それはナギが渇望していたメジャーへのチャンスを潰しかねない。そんなことをして、ナギの悲願を潰すような権利は僕にはない。それは絶対にやってはいけない。
でもだからって、嘘をついてしまったら、僕はこの先、嘘をつきながら音楽をやっていかなくてはならなくなるだろう。
――そんなのは、いやだ。自分に嘘をつき続けてまで、ずっとやり続ける根性なんて僕にはない。それだけは、はっきりとしている。だけど、僕もナギも納得の行く答えがわからない。
『僕は、業界のことでわからないことが多いし、その……あまり自信もないから、ナギに任せているんです』
さんざん悩んだ末にそう返信をしたのだけれど、それが正解だったのかは今でもわからない。寧ろ、印象が悪くなってしまったかもしれない。もっとうまい言い回しがあったのかもしれないけれど、生憎僕には思つかなかった。
やり取りが数分途絶えたのち、木暮さんはこう返してきて、メッセージは終わってしまった。
『二人が納得しているなら僕は何も言わないけれど、片方が片方に頼りきりなのはあまり健全な関係とは言えない気がするよ。音楽にもそれは現れてしまうからね』
プロの目は、僕らがまだ遠くに見ていることさえ知っている。だからこそ、この先に起こりうる、いいも悪いも交じり合った出来事のことを考えて、最善をいまから対策しておけと言うのだろう。
二人の関係性が、音楽に現れる――だから、あれ以来、新曲は出来上がりを目前にして停まっているし、ナギと音を合わせることもできていないのかもしれない。体はずっと、意識よりも正直だ。
考え方も思い描く“成功の形”も違うナギと、僕は意見をぶつけ合って説き伏せるようなことができる気がしない。説き伏せるなんてことをしたところで、ナギがあの夜のように背を向けてしまうことには変わりないんじゃないだろうか。それは、あまりに苦しくて、つらい。そんなやり方は健全じゃない。
じゃあ、それなら……もう僕は、ナギと音楽をやっていけないんだろうか? ナギに僕はもう必要ないんだろうか? そんな想いが、あの夜以来ぐるぐると渦巻いている。
僕は、僕らは、どうしていったらいいんだろう。僕が単純にメジャーに行きたいとナギにも木暮さんにも伝えれば、それで万事が解決して丸く収まる気がしないのは、どうしてだろう。それだけじゃない深い感情が、事態の根っこに絡み付いている気がするし、それは僕がずっと目を背け続けてきた何かである気がする。
このままじゃダメだ。それはわかっているのに……じゃあ、それを打開するには何をどうしたらいいのかがわからない。それが、苦しくて痛くて仕方ない。
わからないまま、僕は真っ白なレポート用紙を見つめ、もう何日もナギのギターを聴いていないことに気づく。あんなに浴びるように聴いていたのに、あの夜以来まったく聴けていない。
真っ白なままのレポート用紙が、責めるように僕を見つめていたナギを彷彿とさせ、僕は胸を抑えて蹲った。
それから数日経っても、僕からもナギからも路上ライブの練習をしようと声をかけたり、新曲の進み具合を訊いたりするようなことはなかった。
もしかしたら、お互いの出方を窺い合っているんじゃないかと思うけれど、本当のところはわからない。相手が気になるけれど、自分から声をかけるのは癪だなっていう意地の張り合い。小さな子どものケンカじゃないかと言われればそうなのだけれど、気が進まないものをどうにかして推し進められるほどに、僕もナギも大人になり切れていない。
だからと言って、子どもであることに甘んじて、いつまでもこのままで良いわけがない。木暮さんもいつまでも待っていてくれるほど暇なわけでもないし、ナギだって煮え切らない僕に愛想を尽かせ、自分だけで動き出しているかもしれない。
それならそれで、あきらめがつくものなのかな……と、ちらりと考えの方向性を傾けてみるも、何かがしっくりとしない。しっくりしないのだけれど、それが何故なのか、何なのかがよくわからない。
考えれば考えるほど、胸が痛んで切なくて仕方ない。だけど、この痛みに名前があることに、僕はもう気付いてしまっている。ダメだと思うほどに痛みは強まり、もはや呼吸さえ苦しい。
「夜野くん、あがっていいよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
コンビニのバイト明けの7時過ぎ、入れ替わりの夜の人に挨拶をし、退勤の打刻をして裏口から外に出ると――
「よお、おつかれ」
「ナギ……?」
路上ライブの予定もないこんな時間に、わざわざ家から少し距離のあるようなこのコンビニに彼がいるということは、単なる気まぐれではないのだろう。
何かあるのかな、という察しくらいはつくものの、その詳細はわからない。
ナギはびっくりしている僕の方に数歩歩み寄って、にこりともしない顔でこう言った。
「あのさ、ちょっと話していい?」
断る隙のない口調に、僕はいつものように気圧されてうなずく。僕が断れないのを知っているくせに、今日のナギはいつも以上に僕に断る選択肢をくれなかった。
僕とナギは黙って連れ立って駅のコンコースを横切り、いつも路上ライブのあとに反省会のようなダメ出し会のようなことする公園へと向かう。誰もいない公園は、夜の静けさに覆われて異空間のようだ。
「話って?」
公園に着き、ベンチに並んで座ってすぐに、僕はそう訊ねた。来るまでの間、何も言わなかったナギの横顔の真剣さから、もしかしたら彼から口火を切り難いんじゃないかと思ったからだ。つまり、話の内容は、恐らくバレットのことに関する何かだろう、と。
数秒の間を置いて、ナギは手の中の何かの鍵をもてあそびながら口を開く。
「昨日……夜なんだけど、木暮さんから電話があったんだよ」
「木暮さんから?」
僕がナギの方を振り返ったけれど、ナギは前を向いたままで、視線は手許の鍵に向けられている。
カチャカチャとせわしなく音を立てるそれに僕も視線を落としながら、ナギの次の言葉を待つ。
「俺がさ、絶対メジャーに行きたいって話、してるじゃん。その話をさ、木暮さんから、“それは本気なのか?”って訊かれたんだよ」
「……本気だって答えたんでしょ?」
僕らの間では当たり前になっているナギの目標である、メジャーデビューの夢。それをわざわざ確認したということは、木暮さん的に何か思う所があるということなんだろうか?
ナギは僕の言葉にうなずき、それから更にこう続ける。
「俺は本気なのはわかったけれど、葉一はそうじゃないみたいだけど、って言われてさ」
「……それは、その……」
「俺に気ぃ遣わなくていいからさ、葉一は、やっぱ、メジャーでやっていく気はない?」
何と答えればいいだろう。確かに僕はメジャーの話が出ると気配を消すほど、木暮さんとナギがそういう話をしていると、その話に加わろうとしてこなかった。でもだからと言って、正面切って「僕はメジャーを目指さない!」と、二人に明言しているわけでもなく、好きに歌えたらいい、とか、たまにバズることができればいい、とか、そんな風に遠回しには言ってきたつもりだったのだけれど、それで伝わり切れていなかった。だから、ナギはそれをいま確認しているのだろう。
確認して、それからどうするのだろう? 木暮さんに、「葉一はメジャーでやる気がないから、俺だけどうにかしてくれ」みたいなことをお願いしたりするつもりなんだろうか。
(それってつまり、僕を見限って、他の人にしてくれって自分から言えって仕向けられているってこと?)
頭の中に浮かんだ言葉に、手足がずんと冷たく重たくなっていく、僕とナギが別れる、それが急激に現実味を帯びて目の前に突き付けられたからだ。
メジャーでやっていかない、と考えている奴に、わざわざプロが目をかけることは通常ないと言える。そんなよほどの才能が僕にあるとは思えない。それを、木暮さんに伝えろというんだろうか。そんな残酷なことをしろ、と。
確かにナギは、僕に比べればはるかにやる気も実力も兼ね備えている。可能性だって僕よりもきっと。
じゃあ、もうこのまま、バレットは止めに……つまり、解散するしかないのか? 過ぎる考えに、体が凍り付く。
「……僕に、メジャーでやっていけるだけの実力も、自信も、全然ないよ」
「じゃあ、木暮さんには、葉一はやらないって言って良いのか?」
「やらないって言うか……その……やれない、気がする……」
「やってもいないのに?」
やってもいないのに、僕はその舞台に立つことを拒んでいる。それはどうなんだ、とナギは言いたいんだろう。木暮さんからの話に後ろ向きであることを以前怒っていたように、僕の姿勢に疑問を持っていると言うか、理解ができないと言いたいのかもしれない。
でも、僕にだってナギの姿勢に疑問がないわけではない。責めるように見つめてくるナギの眼差しに、僕は苛立ちを覚え始めている。遠回しとは言え、僕なりに想いを伝えてきていたのに、なんで気付いてくれないんだ、という怒りだ。
「だ、だって……メジャーって絶対売れなきゃじゃんか。売れなかったら契約切られたりするってざらだっていうじゃん」
「売れるように頑張るんだよ」
「頑張れなかったら? 頑張ってもダメだったら? なんでそんなにナギは自信たっぷりなの?」
「だから、なんでやってもいないのに葉一はそんなことがわかった風に言うわけ? べつに俺だって全部に自信があるわけじゃねーよ」
「でも、ナギはメジャーでやっていきたい、ってずっと言えるくらいの実力があると思ってるから、そんなこと言えるんだろ。……僕にはないよ」
「じゃあ、葉一は、俺のギターで唄っていたの、いやだった?」
「え……?」
僕の姿勢を問うような言葉が続いた後、不意にそんなナギとのこれまでを問うような言葉を突きつけられ、僕は咄嗟に返事ができなかった。まるで、僕らの、バレットでやった来たすべてが間違いだったとでも言いたげな言葉に、返す言葉が出てこなかったのだ。
そういう事を言いたかったわけじゃない。僕が言いたかったのは、ナギのギターの腕前がすごくて可能性が大きくあることであって、そんなナギに対して僕なんかは取るに足らないということ、だけど、それでもナギから見限られることがイヤだと思っている身勝手さが、ないまぜになっていることだ。何にしても、現状、メジャーデビューを拒むやつは、彼の足枷にしかならないんじゃないか、と。
それなのに、まるで僕がナギを捨てるかのような言い草に、驚きと動揺が隠せない。あまりに僕の考えとナギの言葉が違いすぎる。
なんて返せばナギにこれ以上誤解されずに済むのか考えあぐねていると、ナギは溜め息交じりに言葉を続ける。
「木暮さんから、“葉一が唄いたくないと言うなら、他の人を紹介するよ。それでデビューしてみる?”って言われたんだよ、この前」
「え……僕、なしでって……じゃあ、僕はバレットを脱退させられるってこと?」
「たぶん、そういうことなんだと思う」
煮え切らない、中途半端な態度を取っていたら、木暮さんの方から、僕より先にナギへ打診されていたことを知り、僕はとてもショックを受けた。僕の知らないところで、僕の処遇が決まろうとしていたからだ。
確かに僕はメジャーでやっていく自信がないとぐじぐじ言っている。でもそれが、ナギと音楽をやっていきたくないということとイコールではない。それははっきりしているし、だからこそ悩んでいるんだ。バレットの形を変えて、僕らの関係を解消してしまって良いと思っているのなら、少なくとも僕は、ナギと“成功の形”が違うことで頭を悩ませたり、気まずい思いをしたりなんかしない。
だけどそれは、傍から見れば全く動いていないことに繋がってしまうのかもしれない。
じゃあ、なんて言えばナギに、木暮さんに、僕の考えを理解してもらえるのだろう。それがわかっていたら、いまこんな事態になっていない。
「それ、いつまでに返事しなきゃなの?」
「たぶん、なるべく早くって言われたから……まあ、今週中かな」
今日は金曜日だから、残り2~3日ではっきりさせなくてはいけないということだ。返答しだいで、僕だけでなく、ナギのこれからも決まってしまうかもしれない……そのプレッシャーが、重く僕の肩にのしかかる。
僕の歌声をバカにしたやつらを、僕の歌声で見返したい。それが、僕がナイトシンガーとして再び唄い出したきっかけだった。そしてその目標は、ナギとバレットを組んである程度の知名度を得たことで、達成できた気がする。
だけど、ナギの夢は? かつて所属していたバンドを脱退させられてもなお強く望み、努力し続けてきた彼の望みである、“メジャーシーンでやっていきたい”というものは、僕の言動で、奪ってしまって良いものなんだろうか。僕の言動でナギの夢を奪ったり潰したりして良いわけがない。
だから、僕はためらうことなく答えた。
「べつに、僕じゃなくても、もっといい歌い手の人がいるんじゃない? 木暮さんならきっと、いい人見つけてくれるよ」
「じゃあ訊くけど、葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
思えるよ、と一瞬口を開きかけたけれど、僕は言葉が出てこなかった。あるかもしれない未来を、知らない誰かに奪われるのは、ナギだけじゃなくて、僕もかもしれない――そう、ナギは言うのだろうか。そんな、夢物語のような“もしも”を。
でも、そんな夢のような“もしも”を信じられるほど、僕は楽観的に物事を考えられない。だって僕は、ナギとは違って、クラスのすみっこにいるような陰キャなんだから。
やっぱり、僕らは陰キャと陽キャで相容れない、わかり合えないままなだろうか。
「そんな“もしも”、わかんないよ。僕のせいで、売れないかもしれないのに」
力なく呟くように言った僕に、ナギは溜め息もつかず、じっと数秒間僕を見つめ、やがて背を向けた。
その背に、僕はなんと言葉を返したらいいのかわからない。拒まれているのが明らかな背中を、もう一度振り向かせられる、魔法のような言葉なんて、知らない。
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
そう言い置いて去って行く背中を見つめながら、僕は滲んで滴る視界を停められず、うつむく。それはそのまま零れ落ち、地面を濡らしていく。
何が正しい答えなんだろう。僕は何をすべきで、何を言うべきで、ナギに答えればよかったんだろう。
何を言っても今更で、言い訳で、もう遅いとしか思えないのに。
「……わからないよ、そんなこと、なにも」
情けなく呟いた言葉が、小さく雫と共に地面に染み入っていく。月の光が、家々の灯りが、それをかき消すように照らしていた。
ナギとは、これきりになるかもしれない――そう考えた途端、指先から力が抜けて冷たくなっていく。まるで体の一部が抉られたように痛くて、ぽっかりと大きな穴が開いたような感じさえする。なんだか中学のあの時に感じた失恋のような痛みとからっぽな感じだ。
――失恋……その感触に、僕はハッとし、それをそのまま言葉にして呟く。
「……そうか、僕……ナギが、好きだったんだ。仲間としても、好きな人としても、すごく」
もうしない、抱かないと思っていた恋心は、存在をようやく認めたところで終わらなくてはいけなくなってしまった。……いや、自分から終わらせたんだ。やっぱり、僕なんかに恋はできないのだろうか。
「好きだって、やっと気づけたのにな……」
月明かりに溶かされそうなほど小さな呟きは、もう彼には届かない。僕にその資格がないとわかってしまったのだから。
バイト終わりにそんなことをナギから言われた帰り道、どうやって家までたどり着いたのか、それからどうしたのかが思い出せない。気づいたら僕は、自分の部屋のベッドの上に寝ころびぼうっと天井を見上げていた。
「葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
ナギから投げかけられた言葉と、それを覆うように膨らんでいくナギへの想いが、胸の奥に食い込むように刺さって、すごく痛い。
僕とならやれる、最強だと思う――そう、ナギは言っていた。それは、ナギにとっての僕の存在の大きさとか重要性がかなり大きいことを意味していると、そんな期待を持つようなことを考えてもいいのだろうか。
その上で、バレットのメンバーを変えてしまうことを、僕が納得できるのか、というのだろうか。
僕のことを好きとかどうとかではなく、自分がかつて似たようなことをされたから、ナギは親身になっているんじゃないだろうか。だから、僕の存在の大きさが彼にとってどうであるかはあまり関係がないんだ。好きだどうとかなんてもっと関係ない。
「じゃあなんで、僕に、納得できるのか? とか、一緒にやれると思う、なんて言うんだろう……僕じゃない人の方が、上手くいくかもしれない可能性は考えないのかな」
呟く自分の言葉が、ずっしりと圧し掛かる。ナギにとっての僕と、僕にとってのナギ。ただ単に一緒に音楽をやって来た、それだけの仲……と、切り捨てるように断じてしまうには、音楽という、いままで誰とも分かち合えなかったものを本気で分かち合った初めての相手であり、そして、ようやく好きでいたいと思える大切な相手でもある。その存在の希少さは、僕にだってわかっている。まだたった一年にも満たない関係だけれど、家族よりも濃い時間を過ごし、心を許してきたのは明らかだから。
そんな相手を、ただ思い描くものが違うから、というだけで離れてしまっていいのだろうか。この先、僕にそんな人が現れる保障はないし、もう二度といないかもしれない。それを、いま手放すか否かという瀬戸際に立たされている。
「でもだからって……僕に、メジャーでやっていけるほどの実力があるなんて思えないし……そもそも、ナギは僕を好きなわけがないし……」
メジャーに行ければ、あのバカにしたやつらを見返すには絶好の機会になるだろう。これ以上にない成果だろう。
だけど、それだけの想いだけで乗り切れるほど、メジャーシーンが甘くないことも僕なりに知っているつもりだ。その一つが、実力であり、自信だ。それが、僕には壊滅的にない。その上失恋までしてしまったら、いよいよ僕は生きていける気がしない。
そもそも、いくらバレットとしてそこそこの知名度や評価を得始めていても、僕は所詮は趣味の延長上。そのつもりでプロの世界に入ってしまったら、きっと痛い目を見るどころでは済まない。そこに恋情が絡んでしまっていたら、ちゃんとまともに音楽やっていけるんだろうか。それが、僕は怖くて仕方ない。
「……ナギは、そういうの考えたりして怖くならないのかな」
ナギが僕を好きかどうかがわからないから、立ち位置が違いすぎるか……聞きたいけれど聞けない、答えがわからない疑問は、白く見慣れた天井に昇って吸い込まれていった。
ナギと会った日から三日後、木暮さんから連絡が入り、都内のファミレスで会おうと言われた。
地元から小一時間ほどかけてムジカレコードの近くらしいファミレスに行くと、既に木暮さんが来ていて、その向かいにはナギが座っている。
まさかあれから会う羽目になるなんて考えてもいなかったから、お互いにバツが悪い顔をして思わず背ける。
しかし木暮さんは気にしていないのか、にこにこと手招きをする。
「葉一君、こっちだよ」
あからさまに気まずい顔をして佇んでいると、「まあ、気まずいだろうけれど、いまだけは隣同士で座ってくれないかな」と言われてしまったので、軽くうなずいて僕はナギの隣に座ってちらりと横目でナギの方を窺う。ナギは頬杖をついて、先に頼んでいたらしいドリンクバーのメロンソーダをストローでかき混ぜていた。
どうやら僕が来るまでに僕らの間で何があったのかをナギが話したらしく、それはそれで恥ずかしくなる。
「じゃあ、揃ったから本題を早速話させてもらうよ」と、木暮さんは切り出し、取り出したタブレットに何かを表示する。
「“(仮)バレット初ワンマンライブ inメロディア”……ワンマンライブ? 俺らがっすか?」
タブレット画面をナギと覗き込み、そこに映し出されている文字をナギが読み上げて問うと、木暮さんは大きくうなずいて涼し気な笑みを浮かべて更にこう言った。
「動員数は100人。もちろんできるならそれ以上でもいいけれど、最低でも、100人」
「ひゃ、100人?! 僕らだけでですか?!」
「そうだよ。ワンマンライブなんだから」
「で、でも……正直、路上でも50くらいが最高で……」
「でも、配信なら100は軽く行くようになっただろう?」
「そう、ですけど……」
その配信も、路上ライブでさえも、ここ数カ月近くほとんどできていない。もしかしたら今はもっとファンや視聴者数が減っているかもしれない。そんな中で、100人を動員するワンマンライブをやろうと言うのだ。
無理ですよ、と僕が言い返そうとした時、「あの、」と、それまで黙っていたナギが口を開いた。
「あの、いま、バレットにワンマンをさせるってことは、木暮さんたちなりに何か考えがあるからってことなんすか?」
確かにそうだ。活動が停滞しているいま、これまでにやったことがない大きなことを仕掛けようと言うのは、ただの思いつきだけではないだろう。
ナギの指摘に木暮さんはまたしてもうなずき、それまで浮かべていた柔和な笑みから、真剣な面持ちに切り替わる。その鋭い視線に、僕らは背筋を伸ばす。
「僕はね、バレットの音楽を世の中に届けたいと思っている。二人の飾らない歌詞とメロディがきっと世間の、特に同世代にウケると思うんだ。その魅力をより知ってもらうためにも、じっくり二人のライブをたくさんの人たちに見てもらおうかと思ってね」
「それって、あの、ライブにかかるお金って、どうなるんですか?」
「こちらが企画したことではあるから、こちらが持つことになる。だからこそ、キミたちには頑張ってお客さんを集めてもらいたい」
要するに、先行投資みたいなものだろう。無名の新人のワンマンライブを企画してお金を出す代わりに、この先売れなくてはいけないというやつだ。
これがメジャーの洗礼なのか……と、僕がさっそく怖気づきそうになり、「……できるかな」と、呟いてしまった。それに、木暮さんは耳ざとく反応し、こう言葉を続ける。
「最近、バレットは活動が停滞しているようだね。それも、二人の方向性の違いで」
「……それは、その……」
既にナギから先日の件を聞いているらしい木暮さんは、困ったように苦笑している。大事な時に何やっているんだ、と言いたげだ。
(でもまさか、この上僕がナギのことを好きで悶々としている……なんて知ったら、ナギはもとより、木暮さん、なんて言うだろう……)
額に背中に冷や汗が浮かび、血の気が引く思いで僕はうつむいて木暮さんの言葉を待った。
「まあ、人と人が組んでやるんだ。そういうぶつかり合いは、多かれ少なかれあるもんだよ。ただね、キミたちだけの都合でバレットの音楽をなし崩しにしてしまうのは、あまりにもったいない」
「でも、僕は……メジャーでやっていけるかなんて、全然……」
「だからだよ」
「え?」
木暮さんの言葉に思わず俯きかけていた顔をあげると、まるでわがままを言う小さな子どもを諭すような顔をしていて、僕は口をつぐんでしまう。
「メジャーで最初からやっていけるってわかっているような人は誰もいない。やっていけるって思って意気揚々と乗り込んでくる人だって挫けることだって充分にある。だからこそ、こうやって規模の小さなイベントをやってみて、現状を知ることから始めるんだ」
「現状……それって、どれだけバレットを見に来てくれる人がいるか、っていう、実力を知るみたいなもんすか?」
「それもあるけれど、いまのキミたちには、いま自分たちがどういう状況に置かれているのかを知る必要もある。そのための企画でもある、と僕は思っている」
「バレットの、現状……」
「このライブの成果を見てから、バレットをこの先どうしていくかを決めてもいいんじゃないかな? どうだろう」
メロディアは地元でも老舗のライブハウスで、路上ライブで集客が多くなった人の多くが、初めてワンマンをやる登竜門的な場所でもある。きっと、ナギが所属していたマネキアも、ここでライブをやってからデビューしたと考えられる。
ナギとしては、ここでライブをやる、の一択しかないのだろう。食い入るようにタブレットの画面を見つめ、鼻息が荒くなっているから。
対する僕は……正直、迷っていた。こんな今までにない規模のライブをやろうとして、失敗したらどうしよう、とか、成功したとして、その先をどうしよう、とか、想像の及ばないことに不安いなって言葉が出ない。何より、ナギに対して気持ちや考えをどう言えばいいのだろう。
だけど、と、考える。いっそこれを最初で最後のバレットのライブにして、ナギには別の人と組んでもらうように決めてもらう判断材料にしてもらってもいいんじゃないかとも思えた。よりメジャーに行くために、中途半端な考えの僕なんかより、ずっといい人が必要だと気付かせるいい機会かもしれない。ああ、こいつはやっぱり駄目だ、ってナギが思ったなら、それでいいんじゃないか、と。
そうすれば、この恋もきっと諦めることができる――そうでないといけないんだ。
「どうする? やりたいなら明後日の企画会議に出してみるんだけれど」
念を押すように木暮さんに言われ、僕とナギは顔をあげ、そして申し合わせたかのように互いを見てうなずき、揃って口を開いた。
「ワンマン、やります。やらせてください」
声まで揃った僕らの返事に木暮さんは目を丸くして、やがて吹き出して笑い、「わかったよ」と言った。
タブレットを指して、木暮さんは改まった調子で僕らに確認を取る。
「じゃあ、バレットの100人ワンマンライブの企画、会議に掛けさせてもらうね」
「はい、よろしくお願いします!」
二人そろって頭を下げた僕らは、きっとそれぞれ違う考えのもと、最初で最後になるかもしれない、自分たちのワンマンライブを開催と、ナギへの想いの行方をどうするかを決めたのだった。
ムジカレコードが企画してくれるとは言え、集客は自分たちで行わないといけない。チラシを置かせてもらう店を捜してお願いしたり、チケットを買ってもらったり、そういう事で頭を下げる機会がすごく増えた。
もちろん、宣伝を兼ねて配信動画も作ったり、ライブ配信も再開したりすることになり、必然的にナギと会う機会が増えてくる。
再開を決めて、内容を詰めていく話合いはあえて顔を合わせるようにした。しかも、僕の部屋で。沈黙ばかりで、気まずいなんてものじゃない程重たい空気が初めの方は漂っていた。それでも、「曲、どうしようか」と、どちらかともなく言い始めてからは徐々に空気が動き始め、ぎこちなくだけど合わせて歌うことができた。
(やっぱり、ナギの隣で唄うの気持ちがいい。ギターも、すごく耳馴染みするし、僕の声としっくりくる)
恐る恐ると言った感じでナギがカウントを取り、イントロを弾き始めてから僕が唄い出すと、自分たちでもわかるくらいに部屋の空気が変わった気がする。じっとりと重たかったのが、ふっと軽くなったのだ。
1曲終え、次をどうしようかと楽曲リストを表示したスマホの画面をスクロールしていると、小さくナギが笑った気配がした。その笑みにつられるように振り返ると、ナギがスマホの画面を見つめたまま、「結構あるんだな」と呟く。
「何が?」
「俺らの曲」
「そうだね、思ったより、僕らの曲増えたよね」
「『コウモリ男』とか、歌詞に苦労してたよな」
「あー、そうだったねぇ」
曲のタイトルを辿るだけで、僕らがともに作って来た楽曲の足跡がわかる。二人でああでもないこうでもないといい合いながら紡いできた音と言葉は、この一年弱で十数曲に昇る。もちろんそれは楽曲として披露してきたものだけの数で、未完成の楽曲を含めると40近くはあるんじゃないかと思う。
歌詞に苦労した曲、メロディが二転三転した曲、転調にチャレンジしてみた曲……ひとつひとつの制作の経緯を話し出すと止まらなくなるくらいに、僕らは1曲1曲を作り上げてきた。
それだけの時間と空間を、僕らは共有し、心を一つにしてきたんだ。その軌跡が、僕は愛しくて仕方ない。手に取れるならそっと包んでいつまでも眺めていたいくらいだ。
「……そっか、僕ら、結構頑張ってたんだね」
だからつい、そう呟くと、「お前、今更気づいたのか?」と、呆れたように、だけど優しくナギが答える。その笑みがやさしくて、きゅっと胸が締め付けられて、どうしてもナギが好きだな、と思ってしまう。
「だって、自分じゃよくわからないじゃん、良いのか悪いのかなんて」
「そりゃまあ、自分の作品の良さなんて、わかんないもんだろうよ」
「でも、ナギはいつも“俺のギターはすごい!”みたいに言うじゃん」
「あー……まあ、そうなんだけどさ……」
いつもなら、当たり前だろ! くらい言い返してくるのに、なんだか今日は歯切れが悪い。自信家で、怖いものなしなんだと思っていたのに、ナギがなんだか様子が違う。まるで、借りてきた猫……まではいかないけれど、あの自分の腕を信じて疑っていない感じよりはるかに大人しい。
大人しいとは言え、喋らないわけではなく、トークの感じはいつもと変わらない。だけど、どこか控えめなのだ。
「ナギ、なんかあったの? なんか今日、ヘンじゃない? 具合悪いとか?」
「そんなんじゃねーよ……ただ……」
「ただ?」
何が言いたいのだろうかと僕が首を傾げていると、ナギは子どものように唇を尖らせて顔を背け、恥ずかしいような、照れたような顔をして、ちいさく何かを呟く。
「え? なに?」
「……だな、って思っ……ああ、もういいよ、やろうぜ、とにかく」
「ナギ、気になるじゃん。言ってよ」
「いーんだよ、俺のことは! ほら、唄えよ、『リラックス・ハイテンション』!」
『リラックス・ハイテンション』、それは僕らが初めて作ったオリジナル曲。イントロがスローなフレーズで始まり、曲が進むにつれてテンポが上がっていく。歌詞は僕が作ったのだけれど、それには“唄うこと”で僕が感じること、思うこと、喜びも苦しみもすべてを詰め込んだものになっている。
「“ねえ また聴いて 僕の歌を ねえ また唄うよ 僕の心を
君にまた会えなくても 僕は唄うよ 唄い続けたいよ
この混とんとした世の中で 唄うことだけが 僕のすべてだから”」
作詞を作るのに、トータルで半月近くかかった。自分の想いを言葉にすること、その想いを唄いやすく綴っていくこと、その難しさを痛感し、教えられた曲でもある。
バレットを語る上で欠かせない曲であることに間違いはないのだけれど、路上ライブでも配信でも、ナギは必ずこの曲をセットリストに入れたがる。
「ナギはさ、何で『リラックス・ハイテンション』をそんなにやりたがるの? 初期の曲だから思い入れあるのはわかるけど、正直、そんなに出来がいいわけでは……」
「だからだよ」
「どういうこと?」
「これさ、作るのにすっげー時間かかったじゃんか」
「初めてだったからね。でも、ナギは別にそんな大変じゃなかったんじゃ……」
「サビのフレーズ思いつくのに、俺、三日寝れなかったんだよ」
「え?! なんで?!」
あの当時、サビの歌詞が先に出来上がり、それを元にナギがフレーズを練っていくという話になったのだけれど、まさかそこだけでそんなに苦労していたなんて知らなかった。
だけど、それだけでこの曲を毎回チョイスする理由にはならない気がする。苦労して作った曲だから、というだけにしてはあまりに毎回選んでくるのが不思議なのだ。
ナギの言いたいことがわからない、という顔をしている僕に、ナギは呆れたように溜め息をつく。
「何だその間抜け面は……折角俺が褒めてやってるのに」
「……どこが?」
「だーかーら、俺が、三日眠れないくらい頑張ってフレーズ考えなきゃいけないなって思うくらい、葉一の出してきた歌詞が良かったってことだよ!!」
怒鳴るようにそう言って、ナギは僕に背を向けてギターの個人練に入ってしまい、僕はぽかんとその背を見つめる。
そうならそうと素直に言えばいいのに……ものすごいわかりづらいたとえをするよな、ナギって……と、思って呆れていたら、その耳の端が真っ赤になっていくのが見えた。
(え、ナギ、照れている……? わ、すっごいかわいい……!)
先程より明らかに照れているのがわかるナギの様子にを目の当たりにして、僕は驚きと嬉しさを隠せない。ここに来てこんなかわいい姿を見せられるなんて思っていなくて、そのギャップに心がかき乱されて、好きの感情が急上昇していく。
背を向けているナギはそうとも知らず、ぼそりと呟く。
「……この俺を、そうさせられるんだから、葉一はメジャーでもやれると思うんだよ、絶対」
ナギは、いままでほとんど僕を誉めたことなんてなかった。あったとしてもさっきみたいにすごくわかりにくい言い回しばかりで、僕が理解できなかったら怒りだしたりする。子どもっぽいし、わがままなんだけれど、でもいまこの瞬間、彼のそういう態度は、彼なりの感情表現の中でも最上級なのかもしれない、と思った。
(だから……なんで、いまになってそんなもっと好きになるような事ばっかり言うんだよ……!)
プライドが高い自信家な陽キャで、僕みたいなやつとは相いれないし、しようともしてこないだろうと思っていたけれど……そうでもない、というか、結構人間味のあるやつなんだな、と改めて感じる。そして、ああやっぱり彼が好きで仕方ないと思うのだ。
「ナギって、結構いい奴だね」
「あ? なんだよ、なんか言ったか?」
折角褒めたのに、ガラ悪く訊き返されて僕は顔をしかめ、「べつに……」と言いかける。いつもならそこで終わるんだろうけれど、あえて今日はこう言ってみた。
「うん。ナギって結構いいね、って」
「いいね、ってなんだよ。もっと褒めろよ」
「すぐ調子に乗る……そういうとこなんだよなぁ……」
「ああ? なんだと?」
ケンカ腰で言い合っているのに、それさえも楽しくて仕方ない。ナギも同じ気持ちなのか、口調は悪いのに目は笑っている。
――ああ、ナギとこの先もずっと一緒にいて、音楽も色々な事も一緒にやっていけたらもっと楽しいんだろうにな。
ふと過ぎった想いに、僕は胸の奥があたたかくなっていくのを感じる。まるで暗い中に明かりがひと筋射すようなささやかなそのぬくもりは、凝り固まってうつむいていた僕を上向かせていく。
そして、こんな時にしか存在を信じてあてにしない神様に、小さく手を合わせて祈ってしまう。
――もう少しだけ、ナギと一緒にいさせてください、と。たとえ、この恋がもうすぐ終わりにしなくてはいけないかもしれなくても。
「葉一、次、何する?」
曲のリストを指しながら訊ねてくるナギの表情は明るく、僕はこのやり取りをもっとずっと続けたいと強く思いつつ次の曲選ぶ。
「これとかどう?」
「お、いいね。やろう」
視線を交わして笑い合える距離と時間が、このまま永遠に続けばいいのに。そんな叶うわけがないことを願ってしまう。
むちゃくちゃなことを願いながら、僕はナギが弾き始めたギターに合わせて歌い始めた。
「バレット? 誰それ?」
「えっと、僕らのバンドで、今度デビューをかけたワンマンライブをするんで、チケットを置いてもらえませんか?」
「アマチュアバンドってこと? そういうのはちょっとなぁ……」
そこをなんとか、と食い下がるように頭を下げながら、結局そのたこ焼き屋には20枚のチケットを買い取ってもらうことになり、お礼に僕は5パックのたこ焼きを買って帰る羽目になった。
メロディアは商店街の近くなので、こうやってチケットを買い取ってもらい、販売を手伝ってもらうケースが多いのだけれど、バンドのマナーが悪いとかで最近渋られることが多いらしい。
「折角チケット売れても、そこの商品買ってたらプラマイゼロだなぁ……」
公園で遅い昼食代わりにたこ焼きを頬張ってぼやいていると、ナギからメッセージが届いていた。アプリを立ち上げると、どうやらナギは馴染みの楽器店にチケットとチラシを置いてもらえることになったという。
楽器店ならバンドやっている人も多いし、店員も理解があるだろうし、何よりこうして店の商品をわざわざ買うようなこともないだろう。
「あったまいいなぁ、ナギ……」
ナギがどれくらい置いてもらえたのかはわからないけれど、全体的にチケットの売れ行きは芳しくないのが現実だ。
数日おきの頻度で木暮さんからはチケットの売れ行きを訊かれるのだけれど、数枚の日もあったりして、報告するのが正直怖い時がある。怒っているのかな、と思うほどに木暮さんからの返事がクールだからだ。
「って言っても、ライブまであと半月ちょっとだし……もうちょっと頑張って売らないと……」
「何を頑張って売るの、お兄」
「……なんだ、芽衣か」
不意に横から声をかけられて振り返ると、学校帰りらしい、制服姿の芽衣がちゃっかり僕の隣に座ってタコ焼きのパックを開けている。
芽衣はほぼ断りもなくたこ焼きを食べながら、「随分浮かない顔してるね。またケンカしたの?」と、余計なお世話を言う。
「ケンカする暇なんてないよ。人生懸ってるような状態なんだから」
「え、何そんなヤバいことになってんの? お兄、なにしたの?」
「何もしてない……っていうか、これ、やるんだよ」
「なに? ……ライブ? え! お兄たちワンマンやるの?! すごーい!」
やったじゃーん! 自分のことのように喜びを爆発させている芽衣のリアクションに、僕はチケットの売れ行き代わりのも忘れるほど嬉しくなる。何のかんの言いつつも、芽衣はよくバレットのことを応援してくれている、有難い存在だ。
「じゃあこれ、デビュー記念ライブとかなの?」
「いや……この結果次第で、デビューできるかどうかが決まるんだって」
「ってことは……お客さん来なかったら、どうなるの?」
お客さんが来なかったら、つまり、ライブが成功しなかったら――最も考えたくないけれど、考えておかなくてはいけない展開。芽衣の他意のない言葉に僕はたこ焼きをつついていた手を停め、うつむく。
木暮さんから直接はっきりと言われたわけではないし、ナギとこうなったらこうしよう、と決めているわけではない。だけど、ライブが成功しなかったら、その先にあるのは――
「……解散、かな」
「解散? え、待って。お兄たち、解散しちゃうの? え、やだやだ。そんなのないよ! お兄たちめっちゃ頑張ってたじゃん! それなのに解散とかって、そんな……」
「少なくとも、僕はこれがダメだったら、メジャーデビューは諦めるし、人前で歌も歌わないかもしれない。ナギはメジャーデビューどうしてもしたいって言ってるから、あいつだけはやってくかもしれないけど……」
頑張ったら頑張っただけ評価されるなら、僕らはもうとっくにデビューできているだろう。そんな綺麗にスムーズに世の中は流れていかない。僕はそういう事をなんとなく知ってはいるけれど、芽衣にはまだ信じがたい事なのかもしれない。
(それに、僕のこの想いもそれまでにしなきゃだろうし……)
誰にも言えないことを胸の中で呟き、密やかに自嘲するように笑う。
それでも一応オブラートに包みながら、僕のこの先のことを話していたのだけれど、ふと顔をあげて芽衣の方を向いたら、その目が真っ赤に濡れていたのだ。
「芽衣? 何泣いて……」
「だって、あたし、お兄たちの曲、すっごい好きなんだもん。駅前のロータリーでたくさんの人に聴いてもらえてるの、クラスの友達にいいねって言われたりしてるんだよ。だから、もっとたくさんの人たちに聴いてもらえたらって思って……それなのに……解散、しちゃうの?」
「そう思ってるのは、僕だけではあるけど……」
「けど? でも、チケット売れてるの? ライブできそうなの?」
泣き顔の芽衣に詰め寄られ、僕はたじたじになってしまう。正直、かなり厳しい状態であることを伝えていいものか迷いがあるからだ。
しかし僕の様子から芽衣は何かを察したのだろう。泣き濡れていた目許を乱暴に拭い、突然立ち上がった。
「……芽衣?」
「お兄、チケット、いまから売りに行こう。そこに商店街あるから、手売りして行こうよ」
「や、いまさっきこのタコ焼き頼み込んでやっと買ってもらえたばっかりで……」
「他のお店はまだでしょ? 行こう!」
「いや、でも、たとえライブできたとしても、僕はもう……」
「そんなこと言って、お兄はナギさんが他の人と組んでていいの?」
「それは、ナギが決めることで……」
「だって、お兄はナギさんが好きなんでしょ? 獲られちゃうんだよ? それでいいの?」
「え……芽衣、何言って……」
まったく考えもつかなかった芽衣の言葉に僕が衝撃を受けていると、芽衣は呆れたように溜め息をつき、泣き濡れた目許を拭って答える。
「気付いてないとでも思ったの? お兄、ナギさんとあってから、ホントにすっごい変わったよ。お母さん達も、お兄があんなにいい顔で笑うんだねってびっくりしてる。あれ恋してるよね、って。だから、わかっちゃったよ」
泣き笑いしながら僕の胸中を見透かされて言い当てられ、僕は何も言い返せない。そして恥ずかしさが一気に顔を赤く染めていく。
「キモいって思ってんだろ、僕のこと」
「なんで? お兄がしあわせそうなのをそんな思う方がキモいじゃん。それよりさ、チケット売りに行こうよ! でないと、本当にナギさんと一緒に音楽できなくなっちゃうよ?」
幼い頃から僕よりはるかに決断力と行動力のある妹は、もう泣き止んで歩きだしている。こういう時僕よりはるかに頼りになる。
見透かされて、あっさり受入れてもらえた上にはっぱかけられて、つくづく情けない兄貴だな……と、思って芽衣のあとをついて歩いていると、芽衣が振り返ってニヤッと笑ってこう言った。
「今日のこと、貸しにしといてあげる。お兄たちが売れたら、なんか美味しいもの食べに連れて行ってね」
「……たこ焼き100個だな」
「もっと美味しいものにして!」
バレットの第一のファンであり、頼りになる妹と共に、僕はもうひと踏ん張りすべくまた商店街へと向かうことになった。
どうやら僕は、まだ音楽も恋も諦めるには早いらしい。
先程とはもう一本違う通りの店一軒一軒に入り、ライブのポスターやチラシを置いてもらえないかと、芽衣と共に頭を下げて回る。
そこに途中からナギも合流し、3人で商店街を回っていく。口下手な僕より芽衣とナギの方がうんと愛想がよくて口が達者なせいか、先ほどまでよりも若干置いてくれる店が多い気がする。
「次はこの喫茶店だね。」
「すみませーん、ちょっとチケットとチラシおいて欲しいんですけどー」
そう言ってガラス戸を開いて中に入ると、開店準備中らしい店内には若い店員が一人いるだけだった。
ナギがその人を捕まえて、バレットのライブの話なんかをしていると、「……葉一? もしかして、夜野葉一?」と、その店員は呟いて僕の方を見てくる。
「えっ……深谷?」
「そうそう、俺だよぉ。中2の時、同じクラスだったよなぁ。お前まだ歌やってたんだ? しかもバンド?」
知り合いか? と、ナギに目で訊かれたが、僕は曖昧に笑うこともできなかった。まさか、僕を歌から遠ざけたやつらの一人であり、僕の苦い初恋の相手でもある彼に、こんな形で鉢合わせするなんて思わなかったからだ。
急激に蘇る記憶とあの時の言葉と声に身がすくみそうになる。あの時受けた傷みはいまでも鮮明に覚えている。痛くて苦しくて悲しかったあの時の痛みのせいで、僕は、いま、人生のかかった瀬戸際に立たされているようなものだから。
逃げ出したい気持ちを抑えながら、その初恋の相手の言葉に僕がようやくの思いでうなずくと、そいつは、大袈裟なほど驚いてこう言った。
「マジか! すっげーな! カッコいいな!!」
「……え? カッコ、いい?」
あの時、嗤ったくせに? そう、思わず問い返そうと口を開きかけた僕に、深谷は痛みを堪える様な顔で苦笑し、「あの時も、そういえれば良かったんだけどな……」と、呟いたのだ。
どういうことだ、と問うような目でぼくが見つめ返すと、彼は頭を掻きながら答える。
「あの頃ってさ、ヒトと違うことしてるやつって、自分にないもの持ってるみたいでうらやましく見えるじゃんか。自分だって努力すりゃいいのに、からかって嗤うことで憂さ晴らしして……いま考えると、ホント、ガキだった」
「深谷……」
「いまさらだけど、ごめんな、あの時。おわびと言ったらアレだけど、チケットとチラシ、好きなだけ置いていってくれよ」
「え、でも、お店の人は……」
「いい、大丈夫。ここ俺んちだから。親には俺から言っておくよ」
「ありがとう、深谷」
「おう。頑張れよ、葉一。応援してる」
そう言って笑う彼に、僕はあの中学時代の痛みと苦みが癒えていくのを感じた。ようやく、あの頃見返してやりたいと思っていたことが晴れたんだろう。
「ライブには必ず行くよ」という約束までしてくれて、その喫茶店には手許にあったほとんどのチケットとチラシを置かせてもらうことになった。
3人でお礼を言って店を出ると、いままで感じたことがないほどに清々しい気分になっていた。
「よかったねー、たくさん置いてもらえることになって!」
芽衣は機嫌よく僕とナギの前をスキップしそうな勢いで歩いている。
胸の奥に重しのようにあった苦い記憶が、氷のように溶けていく。その溶けた氷が、いま目元を潤ませている。
ああ、どうしよう、ちょっといま泣きそう……と、思っていると、突然、バシン! と、肩を叩かれるように組まれていた。振り返ると、ナギの方が目を真っ赤にして僕の肩を組んでいたのだ。
「え、ナギ? なんで?」
「……かった、よかったな、葉一ぃ……」
「なんでナギが泣いて……」
「大事な相方の古傷が癒えた瞬間を目の当たりにして、泣けないわけないだろ! これでもう、お前の足枷はなくなったんだ、葉一」
「ナギ……」
「さあ、お前は、どうしたい? どうしていく?」
僕の足かせだった古傷も苦い記憶も、浄化されてしまった。だから、もう僕がバレットを続けていかない理由はほとんどないと言える。
好きなように、好きな歌を唄っていきたい――それが、僕の“成功の形”。
でもそれに、もう少しだけ付け加えてもいいのだと、気付く。
「僕は……僕は、ナギと、バレットを続けていきたい」
「それは、メジャーでもってことか? 俺とやってくってそういう事だぞ?」
腹を決めろ、とナギの目が言っている。僕は歩みを止め、ナギと向かい合う。
僕に唄うことの楽しさを思い起こさせ、音楽を産み出す苦しさや喜びを共にしてきた、大切な相方。彼とこの先も音楽を続けていけるのであれば、僕は、どんなステージにだって立てるかもしれない。もう僕には、何の足かせもないのだから。
だから僕はナギの前に拳を突きつけ、ナギもまた、同じように拳を出してくる。
僕らはそれを付き合わせ、ニヤッと笑った。
「一緒にやっていこう、ナギ。風穴をあけるような音楽、やっていこう」
「そう来なくちゃな、葉一」
拳と拳を突きつけ、誓い合う言葉を胸に、僕らはそれから半月後、初めてのワンマンライブを、地元のライブハウス、メロディアで敢行することとなった。
だけど、まだ僕の胸の中には、新たな彼への想いが疼いている。それの行き先をどうするかは決まっていない。
メロディアは地元でも屈指の老舗ライブハウスで、地元のバンドキッズたちはこのステージにワンマン公演で立つことを目標に活動しているといっても過言ではない。
そんな憧れのステージを、今日、僕らは迎えた。
結果として、集客は120人ほどになり、集客面だけでもかなり成功を収めることができていると言える。
「じゃあ、次は僕らが初めて作った曲。『リラックス・ハイテンション』、聴いてください」
僕がそう言い、右に立つナギの方を向く。ナギはその視線を合図にカウントを取り、スローで繊細なフレーズを奏で始める。それを掬い上げるように僕が唄い出し、段々とテンポを上げていく。
もっと、もっとナギと僕らの音楽をやっていきたい。いろんな場所で、いろんな人たちの前で。
「“――Ah、だから この先も 僕は 君のために唄うんだよ”」
僕にとって歌を唄うことは、気持ちのいい表現の一つだった。それはきっとこの先も変わらない。
もし、誰か一人のために唄えと言われたなら、僕は、たぶん隣にいる相方である彼のために唄いたい。共にバレットの音楽を作り上げてきた、友達よりも繋がりの深い、愛しくて仕方ない大切な存在だから。
(この先、ナギにこの想いが伝えられなくても、僕は彼の隣にいること、唄い続けることを選ぶんだ)
想いを刻み込むように最後の歌詞を歌い上げ、ギターの音が消えていく。その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「最高のバレットのギター、ナギ!」
「同じく最高のボーカル、葉一!」
お互いをそう同時に紹介し合い、僕とナギは互いの顔を見合わせ、そしてニヤリと笑って互いの拳をぶつけ、抱き合う。ライブは、大成功したんだ。それが身に沁みるようにわかった瞬間だった。
ナギの体温を感じ、その熱さで視界が滲んで潤んでいく。
ああ、やっぱり僕はナギが――
「――好きだ、葉一」
抱き合ったままの耳元で、僕だけに聞こえるナギの声が低く甘く僕の鼓膜を揺らし、視界まで揺れて崩れていく。
いま、彼はなんて言った? 事態が把握できなくて、僕は即応できない。
それでも構わず、ナギはぎゅっと僕を抱きしめてこう続ける。
「ずっと俺と、バレットやって行こう。音楽でも、人生でも、俺のパートナーでいてくれよ」
「ナギ……」
「俺らは最強で最高なんだからさ、ずっと一緒にいよう」
感情が、沸き立つほどに熱くなって目から零れ落ちていく。それを、ナギが拭って笑いかけてくれる。
だから僕も、それに応えるべく口を開いて笑いかける。
「僕も、ナギが好きだよ。ずっと一緒にいたい」
こうして僕らは100人ライブを成功させ、最強で最高で、最愛のふたりとして、僕らは音楽の世界を共に歩いて行くことになった。
僕らの関係はこのもっと後に木暮さん達に明かすことになったんだけれど、バレットは僕らが高校を卒業するのを待って、無事にメジャーデビューをする事が出来た。
歌にマジになっていることを嗤われて、唄うことに苦い悔しい思いをしていたこともあった。
嗤ったやつらを見返したくてひとりで唄い始めた僕が、いまは最高のギタリストであり、最愛の人生のパートナーである彼と共に最高のステージに立っている――
「サンキュー! バレットでした! また会いましょう!!」
「またねー!」
アンコール含め2時間ちょっとに及んだステージを終えて裏へ引っ込むと、僕の相方であるナギがこちらを向いて拳を突き出している。
僕はそれに条件反射のように拳を突き出し、こつんとぶつけてからハグをしてくる。これは僕らにとってお互いを労う儀式みたいなものだ。
ナギが僕の背や頭をぽんぽんと撫で、昂ったままの心を落ち着かせていく。僕もまた、彼の背を抱きしめる。
「はー、今日も楽しかったなー。俺のギター最高だったし」
「そうだね、良く鳴ってたよ。うるさいくらいに」
「ああ? 葉一の声が小さいんだろうがよ」
「これ以上大きくしたら、PAさんの耳潰れちゃうよ」
ナギの煽り文句にそう返すと、それもそうか、と意外とあっさり引き下がる。その様子に、僕らの後ろにいたマネージャーの木暮さんと顔を見合わせて僕はくすりと笑う。
「随分と丸くなったもんだね、あの暴れん坊のナギが」
「昔なら掴みかかって来そうだったのに」
「何だよ、ヒトを年寄り扱いしやがって……10年もやってりゃ、そういうのが無駄な体力使うってわかるんだよ」
逆に、10年もかかったのか……と言いたかったけれど、それはさすがにつかみかかられそうなので黙っておいた。
そんなことを考えながら差し入れられたミネラルウォーターを飲んでいると、ナギがニヤニヤとこちらを見てくる。その顔は、何年経っても変わらない。
「……なに?」
「いやぁ、葉一もだいぶ言うようになったなぁって思ってさ」
「まあね、もう10年もやってればね」
互いに見つめ合って顔をしかめ、そして吹き出して笑う。
これまでも、この先もずっと、僕の隣でギターを奏でるのは彼だけだ。彼のギターでなら、僕はいくらでも唄える。それを思い知った日々だった。
――あの夜の出逢いから、僕らは、バレットは始まっていたのかもしれない。
「葉一、ナギ、まだアンコール鳴りやまないんだけど」
ステージの様子を見ていた木暮さんが、「どうする?」と、僕らの方にそう声をかけてくる。僕とナギは顔を見合わせ、ニヤリと笑い、そっと触れ合うように口付けてハグをほどき、口をそろえて答える。
「やらせてください!」
ダブルアンコール、となったアリーナツアーのファイナル公演のステージに、僕らは肩を組んで出ていった。最高の恋の続きと、ステージの続きを、彼と奏で、唄うために。
(終)