それから数日経っても、僕からもナギからも路上ライブの練習をしようと声をかけたり、新曲の進み具合を訊いたりするようなことはなかった。
もしかしたら、お互いの出方を窺い合っているんじゃないかと思うけれど、本当のところはわからない。相手が気になるけれど、自分から声をかけるのは癪だなっていう意地の張り合い。小さな子どものケンカじゃないかと言われればそうなのだけれど、気が進まないものをどうにかして推し進められるほどに、僕もナギも大人になり切れていない。
だからと言って、子どもであることに甘んじて、いつまでもこのままで良いわけがない。木暮さんもいつまでも待っていてくれるほど暇なわけでもないし、ナギだって煮え切らない僕に愛想を尽かせ、自分だけで動き出しているかもしれない。
それならそれで、あきらめがつくものなのかな……と、ちらりと考えの方向性を傾けてみるも、何かがしっくりとしない。しっくりしないのだけれど、それが何故なのか、何なのかがよくわからない。
考えれば考えるほど、胸が痛んで切なくて仕方ない。だけど、この痛みに名前があることに、僕はもう気付いてしまっている。ダメだと思うほどに痛みは強まり、もはや呼吸さえ苦しい。
「夜野くん、あがっていいよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
コンビニのバイト明けの7時過ぎ、入れ替わりの夜の人に挨拶をし、退勤の打刻をして裏口から外に出ると――
「よお、おつかれ」
「ナギ……?」
路上ライブの予定もないこんな時間に、わざわざ家から少し距離のあるようなこのコンビニに彼がいるということは、単なる気まぐれではないのだろう。
何かあるのかな、という察しくらいはつくものの、その詳細はわからない。
ナギはびっくりしている僕の方に数歩歩み寄って、にこりともしない顔でこう言った。
「あのさ、ちょっと話していい?」
断る隙のない口調に、僕はいつものように気圧されてうなずく。僕が断れないのを知っているくせに、今日のナギはいつも以上に僕に断る選択肢をくれなかった。
僕とナギは黙って連れ立って駅のコンコースを横切り、いつも路上ライブのあとに反省会のようなダメ出し会のようなことする公園へと向かう。誰もいない公園は、夜の静けさに覆われて異空間のようだ。
「話って?」
公園に着き、ベンチに並んで座ってすぐに、僕はそう訊ねた。来るまでの間、何も言わなかったナギの横顔の真剣さから、もしかしたら彼から口火を切り難いんじゃないかと思ったからだ。つまり、話の内容は、恐らくバレットのことに関する何かだろう、と。
数秒の間を置いて、ナギは手の中の何かの鍵をもてあそびながら口を開く。
「昨日……夜なんだけど、木暮さんから電話があったんだよ」
「木暮さんから?」
僕がナギの方を振り返ったけれど、ナギは前を向いたままで、視線は手許の鍵に向けられている。
カチャカチャとせわしなく音を立てるそれに僕も視線を落としながら、ナギの次の言葉を待つ。
「俺がさ、絶対メジャーに行きたいって話、してるじゃん。その話をさ、木暮さんから、“それは本気なのか?”って訊かれたんだよ」
「……本気だって答えたんでしょ?」
僕らの間では当たり前になっているナギの目標である、メジャーデビューの夢。それをわざわざ確認したということは、木暮さん的に何か思う所があるということなんだろうか?
ナギは僕の言葉にうなずき、それから更にこう続ける。
「俺は本気なのはわかったけれど、葉一はそうじゃないみたいだけど、って言われてさ」
「……それは、その……」
「俺に気ぃ遣わなくていいからさ、葉一は、やっぱ、メジャーでやっていく気はない?」
何と答えればいいだろう。確かに僕はメジャーの話が出ると気配を消すほど、木暮さんとナギがそういう話をしていると、その話に加わろうとしてこなかった。でもだからと言って、正面切って「僕はメジャーを目指さない!」と、二人に明言しているわけでもなく、好きに歌えたらいい、とか、たまにバズることができればいい、とか、そんな風に遠回しには言ってきたつもりだったのだけれど、それで伝わり切れていなかった。だから、ナギはそれをいま確認しているのだろう。
確認して、それからどうするのだろう? 木暮さんに、「葉一はメジャーでやる気がないから、俺だけどうにかしてくれ」みたいなことをお願いしたりするつもりなんだろうか。
(それってつまり、僕を見限って、他の人にしてくれって自分から言えって仕向けられているってこと?)
頭の中に浮かんだ言葉に、手足がずんと冷たく重たくなっていく、僕とナギが別れる、それが急激に現実味を帯びて目の前に突き付けられたからだ。
メジャーでやっていかない、と考えている奴に、わざわざプロが目をかけることは通常ないと言える。そんなよほどの才能が僕にあるとは思えない。それを、木暮さんに伝えろというんだろうか。そんな残酷なことをしろ、と。
確かにナギは、僕に比べればはるかにやる気も実力も兼ね備えている。可能性だって僕よりもきっと。
じゃあ、もうこのまま、バレットは止めに……つまり、解散するしかないのか? 過ぎる考えに、体が凍り付く。
「……僕に、メジャーでやっていけるだけの実力も、自信も、全然ないよ」
「じゃあ、木暮さんには、葉一はやらないって言って良いのか?」
「やらないって言うか……その……やれない、気がする……」
「やってもいないのに?」
やってもいないのに、僕はその舞台に立つことを拒んでいる。それはどうなんだ、とナギは言いたいんだろう。木暮さんからの話に後ろ向きであることを以前怒っていたように、僕の姿勢に疑問を持っていると言うか、理解ができないと言いたいのかもしれない。
でも、僕にだってナギの姿勢に疑問がないわけではない。責めるように見つめてくるナギの眼差しに、僕は苛立ちを覚え始めている。遠回しとは言え、僕なりに想いを伝えてきていたのに、なんで気付いてくれないんだ、という怒りだ。
「だ、だって……メジャーって絶対売れなきゃじゃんか。売れなかったら契約切られたりするってざらだっていうじゃん」
「売れるように頑張るんだよ」
「頑張れなかったら? 頑張ってもダメだったら? なんでそんなにナギは自信たっぷりなの?」
「だから、なんでやってもいないのに葉一はそんなことがわかった風に言うわけ? べつに俺だって全部に自信があるわけじゃねーよ」
「でも、ナギはメジャーでやっていきたい、ってずっと言えるくらいの実力があると思ってるから、そんなこと言えるんだろ。……僕にはないよ」
「じゃあ、葉一は、俺のギターで唄っていたの、いやだった?」
「え……?」
僕の姿勢を問うような言葉が続いた後、不意にそんなナギとのこれまでを問うような言葉を突きつけられ、僕は咄嗟に返事ができなかった。まるで、僕らの、バレットでやった来たすべてが間違いだったとでも言いたげな言葉に、返す言葉が出てこなかったのだ。
そういう事を言いたかったわけじゃない。僕が言いたかったのは、ナギのギターの腕前がすごくて可能性が大きくあることであって、そんなナギに対して僕なんかは取るに足らないということ、だけど、それでもナギから見限られることがイヤだと思っている身勝手さが、ないまぜになっていることだ。何にしても、現状、メジャーデビューを拒むやつは、彼の足枷にしかならないんじゃないか、と。
それなのに、まるで僕がナギを捨てるかのような言い草に、驚きと動揺が隠せない。あまりに僕の考えとナギの言葉が違いすぎる。
なんて返せばナギにこれ以上誤解されずに済むのか考えあぐねていると、ナギは溜め息交じりに言葉を続ける。
「木暮さんから、“葉一が唄いたくないと言うなら、他の人を紹介するよ。それでデビューしてみる?”って言われたんだよ、この前」
「え……僕、なしでって……じゃあ、僕はバレットを脱退させられるってこと?」
「たぶん、そういうことなんだと思う」
煮え切らない、中途半端な態度を取っていたら、木暮さんの方から、僕より先にナギへ打診されていたことを知り、僕はとてもショックを受けた。僕の知らないところで、僕の処遇が決まろうとしていたからだ。
確かに僕はメジャーでやっていく自信がないとぐじぐじ言っている。でもそれが、ナギと音楽をやっていきたくないということとイコールではない。それははっきりしているし、だからこそ悩んでいるんだ。バレットの形を変えて、僕らの関係を解消してしまって良いと思っているのなら、少なくとも僕は、ナギと“成功の形”が違うことで頭を悩ませたり、気まずい思いをしたりなんかしない。
だけどそれは、傍から見れば全く動いていないことに繋がってしまうのかもしれない。
じゃあ、なんて言えばナギに、木暮さんに、僕の考えを理解してもらえるのだろう。それがわかっていたら、いまこんな事態になっていない。
「それ、いつまでに返事しなきゃなの?」
「たぶん、なるべく早くって言われたから……まあ、今週中かな」
今日は金曜日だから、残り2~3日ではっきりさせなくてはいけないということだ。返答しだいで、僕だけでなく、ナギのこれからも決まってしまうかもしれない……そのプレッシャーが、重く僕の肩にのしかかる。
僕の歌声をバカにしたやつらを、僕の歌声で見返したい。それが、僕がナイトシンガーとして再び唄い出したきっかけだった。そしてその目標は、ナギとバレットを組んである程度の知名度を得たことで、達成できた気がする。
だけど、ナギの夢は? かつて所属していたバンドを脱退させられてもなお強く望み、努力し続けてきた彼の望みである、“メジャーシーンでやっていきたい”というものは、僕の言動で、奪ってしまって良いものなんだろうか。僕の言動でナギの夢を奪ったり潰したりして良いわけがない。
だから、僕はためらうことなく答えた。
「べつに、僕じゃなくても、もっといい歌い手の人がいるんじゃない? 木暮さんならきっと、いい人見つけてくれるよ」
「じゃあ訊くけど、葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
思えるよ、と一瞬口を開きかけたけれど、僕は言葉が出てこなかった。あるかもしれない未来を、知らない誰かに奪われるのは、ナギだけじゃなくて、僕もかもしれない――そう、ナギは言うのだろうか。そんな、夢物語のような“もしも”を。
でも、そんな夢のような“もしも”を信じられるほど、僕は楽観的に物事を考えられない。だって僕は、ナギとは違って、クラスのすみっこにいるような陰キャなんだから。
やっぱり、僕らは陰キャと陽キャで相容れない、わかり合えないままなだろうか。
「そんな“もしも”、わかんないよ。僕のせいで、売れないかもしれないのに」
力なく呟くように言った僕に、ナギは溜め息もつかず、じっと数秒間僕を見つめ、やがて背を向けた。
その背に、僕はなんと言葉を返したらいいのかわからない。拒まれているのが明らかな背中を、もう一度振り向かせられる、魔法のような言葉なんて、知らない。
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
そう言い置いて去って行く背中を見つめながら、僕は滲んで滴る視界を停められず、うつむく。それはそのまま零れ落ち、地面を濡らしていく。
何が正しい答えなんだろう。僕は何をすべきで、何を言うべきで、ナギに答えればよかったんだろう。
何を言っても今更で、言い訳で、もう遅いとしか思えないのに。
「……わからないよ、そんなこと、なにも」
情けなく呟いた言葉が、小さく雫と共に地面に染み入っていく。月の光が、家々の灯りが、それをかき消すように照らしていた。
ナギとは、これきりになるかもしれない――そう考えた途端、指先から力が抜けて冷たくなっていく。まるで体の一部が抉られたように痛くて、ぽっかりと大きな穴が開いたような感じさえする。なんだか中学のあの時に感じた失恋のような痛みとからっぽな感じだ。
――失恋……その感触に、僕はハッとし、それをそのまま言葉にして呟く。
「……そうか、僕……ナギが、好きだったんだ。仲間としても、好きな人としても、すごく」
もうしない、抱かないと思っていた恋心は、存在をようやく認めたところで終わらなくてはいけなくなってしまった。……いや、自分から終わらせたんだ。やっぱり、僕なんかに恋はできないのだろうか。
「好きだって、やっと気づけたのにな……」
月明かりに溶かされそうなほど小さな呟きは、もう彼には届かない。僕にその資格がないとわかってしまったのだから。
もしかしたら、お互いの出方を窺い合っているんじゃないかと思うけれど、本当のところはわからない。相手が気になるけれど、自分から声をかけるのは癪だなっていう意地の張り合い。小さな子どものケンカじゃないかと言われればそうなのだけれど、気が進まないものをどうにかして推し進められるほどに、僕もナギも大人になり切れていない。
だからと言って、子どもであることに甘んじて、いつまでもこのままで良いわけがない。木暮さんもいつまでも待っていてくれるほど暇なわけでもないし、ナギだって煮え切らない僕に愛想を尽かせ、自分だけで動き出しているかもしれない。
それならそれで、あきらめがつくものなのかな……と、ちらりと考えの方向性を傾けてみるも、何かがしっくりとしない。しっくりしないのだけれど、それが何故なのか、何なのかがよくわからない。
考えれば考えるほど、胸が痛んで切なくて仕方ない。だけど、この痛みに名前があることに、僕はもう気付いてしまっている。ダメだと思うほどに痛みは強まり、もはや呼吸さえ苦しい。
「夜野くん、あがっていいよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
コンビニのバイト明けの7時過ぎ、入れ替わりの夜の人に挨拶をし、退勤の打刻をして裏口から外に出ると――
「よお、おつかれ」
「ナギ……?」
路上ライブの予定もないこんな時間に、わざわざ家から少し距離のあるようなこのコンビニに彼がいるということは、単なる気まぐれではないのだろう。
何かあるのかな、という察しくらいはつくものの、その詳細はわからない。
ナギはびっくりしている僕の方に数歩歩み寄って、にこりともしない顔でこう言った。
「あのさ、ちょっと話していい?」
断る隙のない口調に、僕はいつものように気圧されてうなずく。僕が断れないのを知っているくせに、今日のナギはいつも以上に僕に断る選択肢をくれなかった。
僕とナギは黙って連れ立って駅のコンコースを横切り、いつも路上ライブのあとに反省会のようなダメ出し会のようなことする公園へと向かう。誰もいない公園は、夜の静けさに覆われて異空間のようだ。
「話って?」
公園に着き、ベンチに並んで座ってすぐに、僕はそう訊ねた。来るまでの間、何も言わなかったナギの横顔の真剣さから、もしかしたら彼から口火を切り難いんじゃないかと思ったからだ。つまり、話の内容は、恐らくバレットのことに関する何かだろう、と。
数秒の間を置いて、ナギは手の中の何かの鍵をもてあそびながら口を開く。
「昨日……夜なんだけど、木暮さんから電話があったんだよ」
「木暮さんから?」
僕がナギの方を振り返ったけれど、ナギは前を向いたままで、視線は手許の鍵に向けられている。
カチャカチャとせわしなく音を立てるそれに僕も視線を落としながら、ナギの次の言葉を待つ。
「俺がさ、絶対メジャーに行きたいって話、してるじゃん。その話をさ、木暮さんから、“それは本気なのか?”って訊かれたんだよ」
「……本気だって答えたんでしょ?」
僕らの間では当たり前になっているナギの目標である、メジャーデビューの夢。それをわざわざ確認したということは、木暮さん的に何か思う所があるということなんだろうか?
ナギは僕の言葉にうなずき、それから更にこう続ける。
「俺は本気なのはわかったけれど、葉一はそうじゃないみたいだけど、って言われてさ」
「……それは、その……」
「俺に気ぃ遣わなくていいからさ、葉一は、やっぱ、メジャーでやっていく気はない?」
何と答えればいいだろう。確かに僕はメジャーの話が出ると気配を消すほど、木暮さんとナギがそういう話をしていると、その話に加わろうとしてこなかった。でもだからと言って、正面切って「僕はメジャーを目指さない!」と、二人に明言しているわけでもなく、好きに歌えたらいい、とか、たまにバズることができればいい、とか、そんな風に遠回しには言ってきたつもりだったのだけれど、それで伝わり切れていなかった。だから、ナギはそれをいま確認しているのだろう。
確認して、それからどうするのだろう? 木暮さんに、「葉一はメジャーでやる気がないから、俺だけどうにかしてくれ」みたいなことをお願いしたりするつもりなんだろうか。
(それってつまり、僕を見限って、他の人にしてくれって自分から言えって仕向けられているってこと?)
頭の中に浮かんだ言葉に、手足がずんと冷たく重たくなっていく、僕とナギが別れる、それが急激に現実味を帯びて目の前に突き付けられたからだ。
メジャーでやっていかない、と考えている奴に、わざわざプロが目をかけることは通常ないと言える。そんなよほどの才能が僕にあるとは思えない。それを、木暮さんに伝えろというんだろうか。そんな残酷なことをしろ、と。
確かにナギは、僕に比べればはるかにやる気も実力も兼ね備えている。可能性だって僕よりもきっと。
じゃあ、もうこのまま、バレットは止めに……つまり、解散するしかないのか? 過ぎる考えに、体が凍り付く。
「……僕に、メジャーでやっていけるだけの実力も、自信も、全然ないよ」
「じゃあ、木暮さんには、葉一はやらないって言って良いのか?」
「やらないって言うか……その……やれない、気がする……」
「やってもいないのに?」
やってもいないのに、僕はその舞台に立つことを拒んでいる。それはどうなんだ、とナギは言いたいんだろう。木暮さんからの話に後ろ向きであることを以前怒っていたように、僕の姿勢に疑問を持っていると言うか、理解ができないと言いたいのかもしれない。
でも、僕にだってナギの姿勢に疑問がないわけではない。責めるように見つめてくるナギの眼差しに、僕は苛立ちを覚え始めている。遠回しとは言え、僕なりに想いを伝えてきていたのに、なんで気付いてくれないんだ、という怒りだ。
「だ、だって……メジャーって絶対売れなきゃじゃんか。売れなかったら契約切られたりするってざらだっていうじゃん」
「売れるように頑張るんだよ」
「頑張れなかったら? 頑張ってもダメだったら? なんでそんなにナギは自信たっぷりなの?」
「だから、なんでやってもいないのに葉一はそんなことがわかった風に言うわけ? べつに俺だって全部に自信があるわけじゃねーよ」
「でも、ナギはメジャーでやっていきたい、ってずっと言えるくらいの実力があると思ってるから、そんなこと言えるんだろ。……僕にはないよ」
「じゃあ、葉一は、俺のギターで唄っていたの、いやだった?」
「え……?」
僕の姿勢を問うような言葉が続いた後、不意にそんなナギとのこれまでを問うような言葉を突きつけられ、僕は咄嗟に返事ができなかった。まるで、僕らの、バレットでやった来たすべてが間違いだったとでも言いたげな言葉に、返す言葉が出てこなかったのだ。
そういう事を言いたかったわけじゃない。僕が言いたかったのは、ナギのギターの腕前がすごくて可能性が大きくあることであって、そんなナギに対して僕なんかは取るに足らないということ、だけど、それでもナギから見限られることがイヤだと思っている身勝手さが、ないまぜになっていることだ。何にしても、現状、メジャーデビューを拒むやつは、彼の足枷にしかならないんじゃないか、と。
それなのに、まるで僕がナギを捨てるかのような言い草に、驚きと動揺が隠せない。あまりに僕の考えとナギの言葉が違いすぎる。
なんて返せばナギにこれ以上誤解されずに済むのか考えあぐねていると、ナギは溜め息交じりに言葉を続ける。
「木暮さんから、“葉一が唄いたくないと言うなら、他の人を紹介するよ。それでデビューしてみる?”って言われたんだよ、この前」
「え……僕、なしでって……じゃあ、僕はバレットを脱退させられるってこと?」
「たぶん、そういうことなんだと思う」
煮え切らない、中途半端な態度を取っていたら、木暮さんの方から、僕より先にナギへ打診されていたことを知り、僕はとてもショックを受けた。僕の知らないところで、僕の処遇が決まろうとしていたからだ。
確かに僕はメジャーでやっていく自信がないとぐじぐじ言っている。でもそれが、ナギと音楽をやっていきたくないということとイコールではない。それははっきりしているし、だからこそ悩んでいるんだ。バレットの形を変えて、僕らの関係を解消してしまって良いと思っているのなら、少なくとも僕は、ナギと“成功の形”が違うことで頭を悩ませたり、気まずい思いをしたりなんかしない。
だけどそれは、傍から見れば全く動いていないことに繋がってしまうのかもしれない。
じゃあ、なんて言えばナギに、木暮さんに、僕の考えを理解してもらえるのだろう。それがわかっていたら、いまこんな事態になっていない。
「それ、いつまでに返事しなきゃなの?」
「たぶん、なるべく早くって言われたから……まあ、今週中かな」
今日は金曜日だから、残り2~3日ではっきりさせなくてはいけないということだ。返答しだいで、僕だけでなく、ナギのこれからも決まってしまうかもしれない……そのプレッシャーが、重く僕の肩にのしかかる。
僕の歌声をバカにしたやつらを、僕の歌声で見返したい。それが、僕がナイトシンガーとして再び唄い出したきっかけだった。そしてその目標は、ナギとバレットを組んである程度の知名度を得たことで、達成できた気がする。
だけど、ナギの夢は? かつて所属していたバンドを脱退させられてもなお強く望み、努力し続けてきた彼の望みである、“メジャーシーンでやっていきたい”というものは、僕の言動で、奪ってしまって良いものなんだろうか。僕の言動でナギの夢を奪ったり潰したりして良いわけがない。
だから、僕はためらうことなく答えた。
「べつに、僕じゃなくても、もっといい歌い手の人がいるんじゃない? 木暮さんならきっと、いい人見つけてくれるよ」
「じゃあ訊くけど、葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
思えるよ、と一瞬口を開きかけたけれど、僕は言葉が出てこなかった。あるかもしれない未来を、知らない誰かに奪われるのは、ナギだけじゃなくて、僕もかもしれない――そう、ナギは言うのだろうか。そんな、夢物語のような“もしも”を。
でも、そんな夢のような“もしも”を信じられるほど、僕は楽観的に物事を考えられない。だって僕は、ナギとは違って、クラスのすみっこにいるような陰キャなんだから。
やっぱり、僕らは陰キャと陽キャで相容れない、わかり合えないままなだろうか。
「そんな“もしも”、わかんないよ。僕のせいで、売れないかもしれないのに」
力なく呟くように言った僕に、ナギは溜め息もつかず、じっと数秒間僕を見つめ、やがて背を向けた。
その背に、僕はなんと言葉を返したらいいのかわからない。拒まれているのが明らかな背中を、もう一度振り向かせられる、魔法のような言葉なんて、知らない。
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
そう言い置いて去って行く背中を見つめながら、僕は滲んで滴る視界を停められず、うつむく。それはそのまま零れ落ち、地面を濡らしていく。
何が正しい答えなんだろう。僕は何をすべきで、何を言うべきで、ナギに答えればよかったんだろう。
何を言っても今更で、言い訳で、もう遅いとしか思えないのに。
「……わからないよ、そんなこと、なにも」
情けなく呟いた言葉が、小さく雫と共に地面に染み入っていく。月の光が、家々の灯りが、それをかき消すように照らしていた。
ナギとは、これきりになるかもしれない――そう考えた途端、指先から力が抜けて冷たくなっていく。まるで体の一部が抉られたように痛くて、ぽっかりと大きな穴が開いたような感じさえする。なんだか中学のあの時に感じた失恋のような痛みとからっぽな感じだ。
――失恋……その感触に、僕はハッとし、それをそのまま言葉にして呟く。
「……そうか、僕……ナギが、好きだったんだ。仲間としても、好きな人としても、すごく」
もうしない、抱かないと思っていた恋心は、存在をようやく認めたところで終わらなくてはいけなくなってしまった。……いや、自分から終わらせたんだ。やっぱり、僕なんかに恋はできないのだろうか。
「好きだって、やっと気づけたのにな……」
月明かりに溶かされそうなほど小さな呟きは、もう彼には届かない。僕にその資格がないとわかってしまったのだから。