路上ライブを初めて半年以上が過ぎ、ライブ配信を見て興味を持ってくれたお客さんも足を運んでくれるようになった。
 僕らはバーチャルシンガーのつもりはなかったけれど、ライブ配信しているバンドがリアルで、しかも路上でライブをしているとなると、一度見てみようかとなるらしい。

「リアルも上手いんですねー! 配信シングルとかないんですか?」
「あー、そういうのはまだ全然……曲もまだ数曲しかないし」
「もったいなーい。あたし絶対買うのにぃ」
「ははは、ありがとうございまーす」

 営業トークは主にナギに任せているのだけれど、僕に対するような俺様な感じじゃないので、結構会話が弾んでいる。最近じゃサインが欲しいなんて言われることも出てきて、二人して有名人気取りなことをしている。
 ナギが馴染みのお客さんと喋っている時、「キミ、葉一君?」と、声をかけられた。
 振り返ると、そこにはどこか見覚えのある男の人が立っている。若いようなおじさんのような……

「ええ、はい、そうですけど……」
「いつもライブ観させてもらってるよ。配信も、路上も。オリジナル曲が増えてきたんだね。良い感じだね」
「あ、ありがとうございます! えっとあの、配信見てくれてるってことは、あの……」
「ああ、“ウッディ”と言えばわかるかな?」
「え! ああ! いつもありがとうございます!」

 まさかのウッディさんの登場に、僕の声が思わず大きくなり、ナギも、ナギと話していたお客さんもこちらに振り替える。
 僕がどれほどウッディさんのコメントを有難く思っているか、伝えようと思えば思うほど言葉が上滑りし、あわあわしてしまう。
 泡喰っている僕の隣にナギが歩み寄ってきて、「どうした?」と、訊いてくる。

「こ、この人、あの、う、ウッディさん……」
「え? マジで?」

 ナギは日頃ウッディさんのコメントに懐疑的なので、突然のご本人登場に気まずそうな顔をしている。
 しかし、ウッディさんはろくに話もできない僕と、バツが悪そうな顔をしているナギの様子を意に介することもなく、ジャケットのポケットからなんかを差し出してきた。

「“株式会社 ムジカレコード マネージャー 木暮直樹(こぐれなおき)”」
「……え? ムジカレコードって、あの、ムジカ?」

 差し出された小さな紙切れのようなものは、ウッディさん改め、木暮さんの名刺で、差し出されるまま手に取った僕は、ぼうっとした声でそれを読み上げた。
 ナギもまた、懐疑的に見ていた相手の正体が、まさか自分が焦がれていたメジャーのレコード会社の人だとは思わなかったのだろう。ぽかんと口を半開きにしたまま僕と揃って木暮さんを見ている。
 木暮さんは、そういうリアクションには慣れているのか、苦笑して、「どうも、いつも楽しませてもらってるよ」と言った。
 レコード会社の人だから、バレットの曲とか、ライブのやり方にアドバイスをくれることが多かったんだろう。しかもそれらはいつも的確で、「もっと声を張って、曲に込めた思いを伝えないと」とか、「配信ではカメラの向こうにお客さんがいると思って喋ってみて」とか、具体的なコメント……いまにして思えば、僕らの曲やパフォーマンスが良くなるアドバイスをしてくれていたのだ。
 僕らの曲が、メジャーシーンの人に届いていた……それは大きな驚きであり、同時の大きな成果とも言える。
 僕とナギは顔を見合わせるも、その表情は全く違っていた。僕はどうしよう、という戸惑いの色で、メジャーを目指しているナギは、当然期待に満ちた輝く目をしている。

「どうだろう。キミたち、バレットは、メジャーシーンで音楽活動をやっていくことに興味はないかな?」
「あります! 大ありです!」

 木暮さんの言葉に食いつかんばかりにナギは答え、受け取った名刺を宝物のように大切そうに自分のパスケースに仕舞う。
 ナギにしてみれば、自分を切り捨てたかつての仲間にも先を越され、焦りを覚えていた矢先の木暮さんというメジャーにいる人の登場だ。地獄に仏とさえ思っているかもしれない気がする。
 勢いの良いナギの反応に木暮さんは、そうかそうかと言うようにうなずきつつ、僕の方を見て、「キミは、どう?」と、声をかけてくる。

「え、や、えっと、僕は……」
「葉一、メジャーでやってくっていうのが俺らの目標だろ?」
「あ、う、うん、えっと……」

 イエスなのかノーなのかもはっきりしない僕の返事に、ナギはイライラしたように溜め息をついたものの、木暮さんは特に気が急いている様子もなく、穏やかにこう言ってくれた。

「葉一君、だっけ? 突然でびっくりしているんだよね? 今日のところは連絡先を教えておくから、いつでも返事をくれないかな」
「あ、はい……」
「じゃあ、また次のライブも楽しみにしているよ」

 木暮さんは僕にいますぐ返事を出すことを急かさず、それと連絡先の記された僕の分の名刺を手渡して、駅の方に歩いて行ってしまった。
 「あざーっす!」と、元気よくナギは言って頭を深く下げていたけれど、僕は名刺を手にしたままぼんやりと立ち尽くしていた。


 僕はただ、楽しく唄えたらそれでいい。そりゃ、歌で食べていければいいんだろうけれど、メジャーでやっていくって大変だと言うし、そもそも僕にそんな自信なんてない。ナギみたいに自信たっぷりなら違うのだろうけれど……そんなものが僕にあるなら、そもそもナギと組んだりなんてしていないだろう。
 好きな歌を楽しく歌って、投稿して、ほんの時々バズるくらいでいい――それが、僕にとっての“成功の形”だ。
 だけど、それは決して僕の相方であるナギには受け入れられるものではない。

「なぁんではっきり、“俺もメジャー行きたいんです!”とか言わねえんだよ、葉一。折角のチャンスだぞ? お前まさかムジカレコードがどれだけすごいのか知らねえのか?」
「あのシャリンバイの後輩分のバンド、セラータを輩出したところでしょ? それくらい僕だって知ってるよ」
「じゃあ何であんな煮え切らない態度取ってんだよ。木暮さん、呆れてたぞ」
「そうとも限らないじゃん。返事はいつでもいいって言ってくれたんだし」
「そんなの社交辞令に決まってるだろ! こういうのは、つかんだもの勝ちなんだよ! 目の前にチャンスがあるのに、葉一みたいにグズグズしてたら、ものになるものもならねーぞ」

 薄々自分でも感じていたことをズバリ言われてしまうと、ヒトはかなりカチンとくるものだ。しかもナギは言葉を選ぶということをしないので、より角が立つし、腹も立つ。要するに、図星を指されたのだ。
 僕もまたあからさまにムッとした顔で見返すと、ナギはストローを咥えた姿で頬杖をついて僕を呆れた目で見ている。
 深夜に近いファストフードは僕らのような路上ライブ帰りのやつらが多く、あちこちで音楽談議が盛り上がっている。
 だけど、僕らのテーブルだけは気まずい雰囲気に包まれていた。

「バレットで唄ってるのは僕だ」
「曲を作ってるのは俺だけどな。それに、葉一が唄えてるのは俺のギターあってのことだろ」
「それはそうだけど……でも、僕は別に、メジャーとか……」
「どうでもいい、とか言うなよ。この名刺をもらえて、声をかけられることがどれだけすごいことで大変なことか、葉一はわかってるのか?」

 わかっているつもりだ。この街だけでも、数えきれないほどの路上ライブをするアーティストの卵たちがいて、僕らはその中でも新参者の部類と言えるだろう。何年も路上ライブをしていて、固定客もいるのに、スカウトの目にかからない人なんてざらにいる。そういう話はナギからいやというほど聴かされてきた。
 だからこそ余計に、なんで僕らなんかに声がかかったのかが、僕にはわからないのだ。
 ナギは、それは自分のギターの腕が確かだからだ、と言えるのかもしれない。だって彼には確固たる自信があるのだから。
 じゃあ、僕は? ただ昔バカにされたことを見返したいだけで、それも、ただ好きに歌いながらそうしたいだけで、特にこの路上ライブのステージよりさらに大きな所へ行こうなんて考えたこともない。配信にしても、動画投稿にしても、毎回バズるほどのヒットするわけがない。そんな奇跡が、自分に起こるわけがないと思っているからだ。良くも悪くも、僕は身の程をわきまえて生きていくしかない。ナギにはそれがわかってもらえない。
 それなのに、いま、その奇跡の光が僕にも当たろうとしている。ナギのようになにがなんでもと渇望していたわけじゃない、僕に。
 それって、許されるんだろうか? そんな、生半可さでメジャーという舞台に立つ権利を得てしまって、いいのだろうか? 僕より強く望むナギだけに声がかかるならまだしも、大した向上心のない僕にまでなんて、虫が好すぎやしないだろうか? 

「わかってるよ……でも、僕にはできるかわからない」

 だから僕の中にある気持ちを、精一杯の言葉で伝えてみたのだけれど、ナギは呆れたように「あー、そうかよ」溜め息をついて、自分の分のトレイを持って立ち上がる。

「わからない、じゃなくて、考えたくない、の間違いなんじゃないのか、葉一。ぬるま湯に浸かったまま、美味しいとこだけ味わえてりゃいいっていう。そういう事だろ」

 ナギはそう言い、ギターを背負ったまま席を立って去って行く。
 ひとり残された僕は、まさに言われたくない言葉を探り当てられて、言い返すことができないままうつむいていた。
 僕は確かに、メジャーでやっていく自信もないし、評価されたり、成果を数字で突きつけられたりするのが怖くて仕方ない。
 だけどそれは、ナギから見たらぬるま湯に浸かっているように見えるだろうし、実際ナギのすご腕のギターに頼り切っての活動をしているのは事実だ。

(だから……そうじゃないようにするにはどうしたらいいんだろうって……相談できたら良かったんだけど……)

 僕の懸念が解消されて、且つ、ナギの夢がかなう方法。そんな相反することを叶えてしまえる魔法なんて存在するんだろうか?

「僕が子どもで知らないだけで、世の中にはあるのかな……それとも、僕の考えが甘いだけなのかな……」

 騒がしい夜のファストフードの中、僕の席だけ切り取られたように空気が重く沈んでいく。
 答えのない問いかけは、騒がしい店内BGMと客の声に消えていった。