男子校的教師と生徒の恋愛事情

 一成はやれやれと右肩を回した。ようやくまともに息を吸える。一時間くらい話を聞いていたら、延々と学園のグラウンドを走り回っているような疲労感に襲われた。

「先生!! 俺の話を聞いて下さい!!」

 と、放課後にバーンと出現したのは宇佐美である。相談室でじっくりと中間考査のテストを作成しようとしていた一成は、まるで妖怪海坊主にでも遭遇したかのように椅子の上で固まった。話の終わらない奴がきたと頭が痛くなったが、まさしく話が終わらなかった。前回は「彼女とデートするんです!!」というウキウキ話だったが、今回は「彼女に振られました!!!」というガックリ話だった。一成は薄情ではないし生徒の相談員だったので、室内にあるソファーにテーブルを挟んで座って、そうかそうかと聞いていた。そしてやはり話は終了しなかった。話の流れを変えて強制終了させようと「上戸には話したのか」と宇佐美が豪語する無二の親友の名をあげると「うるさいと言われました!! 俺が不幸なのになんて奴だ!!」とうるさかった。一成は無条件に麻樹へ同情して、彼女に振られた割には元気てんこ盛りな宇佐美に、そろそろ部活へ行くよう促した。主将を待っているんじゃないのかと水を向けると、空手部は俺がいなくても大丈夫です!! なぜなら財前がいるから!! と胸を張って返ってきた。いや、財前が気の毒だろうと一成は突っ込みたくなったが、宇佐美は空気を読んでくれたのか、あるいは喋り過ぎて口が疲れたのか、空手部が俺を待っているので行きます!! と高らかに宣言をして相談室を出て行った。あいつは何をしに来たんだと、一成は凝った肩を回しながらソファーに座った。失恋話なのに、ちっとも悲しそうではなかった。わけわからんと額に手をやって、ふうっと息をついた。

 すると衝立(ついたて)の向こうから、おかしそうに吹き出す気配がした。

 一成は三白眼をぎらつかせて振り向く。

「くたばっていたんじゃないのか」

 衝立が返事をするように横に動いて、順慶がニヤニヤしながら出てきた。

「ちゃんとくたばっていたぞ。ご苦労さんだったな、一成」
「じいさんの耳元で蘭堂に喋らせてやればよかった」

 一成は面白くなさそうに足を組む。宇佐美に突撃される前に順慶がやってきて「疲れたから、ちょっと休むぞ」と言い残して衝立の向こうに消えた。いつものように古ぼけたソファーの上で横になるのだろうと思ったので、宇佐美の話を聞きながら放っておいたが、楽しく聞き耳を立てておりましたとかいう態度を見せられると、恩師でも口がへの字になった。

「怒るな。だいたい蘭堂はお前に聞いて欲しかったんだぞ」
「あいつは誰でもいいんだ。聞いてくれるなら海坊主だっていい」
「そうか?」

 順慶は両腕をあげて大きく背伸びをする。

「蘭堂は無二の親友と仲良さげな教師に話をしているな。神楽坂(かぐらざか)先生も困惑していた」

 神楽坂(かぐらざか)真緒(まお)は三学年の国語教師である。勤続年数三十年以上のベテラン教師で、温厚で控えめな男性だ。口数は少ないが、相手の話を真面目に聞いてくれる誠実な人柄で知られ、生徒はもとより他の教師たちからも好かれている。

「神楽坂先生にまで話してどうしたいんだ、蘭堂は」

 一成は首を振りながら呆れかえる。ゆったりと皺が刻まれた柔和な表情で宇佐美の話に耳を傾けている真緒の姿が浮かんできて、あまり神楽坂先生に長話するなと一言注意しておこうと思った。

「さて、どうしたいんだがな」

 順慶はにやりと笑った。

「それじゃ、俺は部活に行くからな。ここはお前に任せたぞ、一成」
「じいさんが居ても居なくても同じことだからな」

 一成は腰をさすりながら立ちあがる。

「ま、一人になれるのはいい。これでテストの準備に集中できる」
「真面目に教師をやっていて俺も鼻が高いぞ、一成」

 からかい三昧の順慶に、一成は心のぷちぷちの一つが簡単にプチッとなった。

「じいさんも真面目に教師をやればいいのに。タヌキ寝入りなんかしないでな」
「ばか、タヌキ寝入りも大事な教師の仕事だ。テストに出るから覚えておけよ」

 教師の口調で言うと、さっさと相談室を出て行った。

「……何がテストに出るだ」

 一成は苦々しくごちて、腰に手をやりながら、衝立の奥にある自分専用の机の前に座ると、テストを作成する準備に取りかかる。

 なぜか、身体が疲れて重たく感じた。



 柔道部が使用している道場へのんびりと向かいながら、順慶はやれやれと手で首のうなじをかく。

 ――一成の奴、気がついていないんだな。

 まあ、わからないよなとは思う。自分の微妙な変化には。

 ――俺が感づいたのは、冴人を抱いているからだ。

 吾妻学園理事長のボディガード兼情人である順慶は、考えるように少し天井を睨む。

 ――相手は……生徒じゃないよな。

 前方から二人の三年生がお喋りしながら歩いてきて「せんせー! さよなら!」「つつっち、また明日!」と明るく挨拶されて「おう、気をつけて帰れよ」と気安く返す。はーいと背中で受けながら、冴人を抱く時の男らしく野性味あふれる目つきになる。

 ――やっぱり、叔父と甥だから似ているんだな。

 抱かれた後の「匂い」である。