途中、下校する生徒たちと挨拶を交わしながらすれ違う。クラブ活動の時間だが、一成は生徒たちのサポート面を担当しているのでどのクラブにも関わっていない。順慶が柔道部の顧問と兼任しているのは、単純に順慶がパワフルティーチャーなだけだ。俺は柔道馬鹿なんだと豪快に笑うが、以前に健康診断で一緒になった時に衣服を脱いだ順慶の肉体は、じいさん呼びするのも失礼なほどに輝かしく鍛えられた柔道マンそのもので、日頃から真剣に稽古に取り組んでいるのがよくわかった。
――こんな時間に呼び出されるとはな。
階段を上がりながら、嫌な予感が頭の中を一周する。ずっと不在で、その間は副理事長の松永栖来が理事長代理として学園の運営を仕切っていた。理事長が不在の理由は興味がなかったが、いつ帰って来るのかは知りたかった。
――あいつが素直に教えてくれるわけがないか。
一成は栖来の冷ややかな眼差しとそれ以上に凍った刃で相手を刺すような言動を思い出して、うんざりしたように頭が斜め方向に傾く。どうしてうちの学園には癖の強い男ばかりいるんだと煩わしくなるが、順慶が聞いたら「お前もだぞ、一成」と突っ込まれるに違いない。そんなことは露も思わずに最上階へ到達すると、一成はガランと静まり返った廊下をゆっくりと進んで、そこの階には一つしかないアンティーク調の扉の前に立つと、右拳をグッと握りしめて思い切りガンガンとぶっ叩いた。
「やかましい、早く入れ」
すると、扉の脇にある小さな絵画から厳しい声が飛んできた。一成はちらりと一瞥をする。純白の額縁で飾られているのは、美しい女性が白百合の花束を両手で抱えて穏やかな笑顔を見せている絵だ。長い黒髪に白い肌に水色のワンピース。見るからに清楚な若い女性の絵だが、この絵画がドアホンになっている。理事長が特注で作らせた一品だ。
一成の眼差しが呆れを越えて薄気味悪いものでも見るような色合いになる。絵画がドアホンなのは知っていた。だから見ないようにしていたしノックしたのだ。
――本当にどうしようもないな。
肩をすくめてドアノブを回し「失礼します」と室内へ入った。
理事長室はさして広くはないが、映画やドラマで見かけるような豪奢で重厚な内装になっている。置かれているテーブルやソファーや椅子などのインテリアはオーク材に革張り仕様でグレードが高く、その室内デザインに相応しい高価で格調高い雰囲気を放っている。絨毯が敷かれた床に踏み込んだ一成はドアを閉めると、まっすぐに前へ進んだ。その先にはマホガニーの机を前にふかふかな椅子に座って一成を待っている男性がいた。
「どうしてすぐに来ないんだ、一成」
第一声が刺々しい非難である。一成も同じ口調で言い返した。
「今聞いたんだ。これでも急いだんだ」
「それが久しぶりに会った叔父さんに対する言い方か、一成」
吾妻学園の最高責任者である副島冴人理事長は甥っ子に似た凄みのある三白眼で睨んだ。
「お前の言い方は思いやりが足りない。教師としての責任を持って、生徒たちを教え導くという使命をちゃんと全うしているのか甚だ心配だ」
マホガニーの机に両肘をつくと、手前で両手の指を組んで一成をじろりと一瞥する。その目つきは成人した大人へというよりもまだまだ手のかかる甥っ子へのそれで、口調も身内に対するお説教モードだ。一成は引き攣る口の端に命令して、教師として口答えすることにした。
「申し訳ありませんが、生徒たちが楽しく学べる学園生活を送るために日々奮闘しておりますので、生憎ですが、理事長の要請にすぐには応じられませんでした。これでも教師としての責任を持っていますので、生徒たちを教え導くという使命を全うすることに全力を注いでいる次第です」
文句があるのかと不穏に匂わせて、一成は口元でいつでも言い返せるように戦闘態勢を整える。子供の頃から口うるさい叔父貴だったと頭痛がしてきた。
冴人は両手を組んだまま睫毛を伏せると、盛大にため息をついた
「お前は本当に可愛くない」
一成も対抗してため息をつきたくなった。今日は俺が可愛くないとケチをつけられる日なんだなと。しかし、だからどうしたという心境である。
「俺が可愛くないのは今に始まったことじゃないだろう。それよりも、ここへ呼んだ理由を早く言ってくれ」
「お前の良い点は、正確な自己分析をしていることだな」
五十代になっても端整な顔立ちを維持している冴人は、ニコリともしないで切り出す。
「私が留守の間に、何かあったか」
一成は嫌な予感が当たったというように、思いっきり顔をしかめた。
「何もない。大体、俺はいつ叔父貴が不在になったのかも知らないんだからな」
マホガニーの机に向かって猛然と身を乗り出す。
「大方その用件だとは思ったが、毎回毎回、同じ質問を繰り返すのは止めてくれないか。俺よりも副理事長や校長に聞いたらどうだ」
「聞いている。お前に言われるまでもない」
冴人はにべもない。
一成も負けない。
「だったら、それで十分だろう。ことさら俺に聞く話か」
断固とした顔を突きつけて訴える。
副島理事長の返事は至ってシンプルだった。
「勿論だ。なぜならお前は私の甥だからだ。甥は叔父を助けなければならない」
鼻先にいる甥の迫力ある顔面に圧力をかけられても、眉一つ動かさない。
一成はがっかりしたように肩を落とすと、やおら後退って姿勢を元に戻した。冴人は自分が不在の間、学園で何かあったか必ず一成に聞く。それに対する一成の返答は毎回「何もない」だ。毎回何かあってたまるかというのが一成の感想で、たぶんに常識的な考えだろう。報告なら松永副理事長や大ケ生校長で済む話なのに、なぜ俺にも聞くと一成はその都度抗議して、その都度退けられている。
――こんな時間に呼び出されるとはな。
階段を上がりながら、嫌な予感が頭の中を一周する。ずっと不在で、その間は副理事長の松永栖来が理事長代理として学園の運営を仕切っていた。理事長が不在の理由は興味がなかったが、いつ帰って来るのかは知りたかった。
――あいつが素直に教えてくれるわけがないか。
一成は栖来の冷ややかな眼差しとそれ以上に凍った刃で相手を刺すような言動を思い出して、うんざりしたように頭が斜め方向に傾く。どうしてうちの学園には癖の強い男ばかりいるんだと煩わしくなるが、順慶が聞いたら「お前もだぞ、一成」と突っ込まれるに違いない。そんなことは露も思わずに最上階へ到達すると、一成はガランと静まり返った廊下をゆっくりと進んで、そこの階には一つしかないアンティーク調の扉の前に立つと、右拳をグッと握りしめて思い切りガンガンとぶっ叩いた。
「やかましい、早く入れ」
すると、扉の脇にある小さな絵画から厳しい声が飛んできた。一成はちらりと一瞥をする。純白の額縁で飾られているのは、美しい女性が白百合の花束を両手で抱えて穏やかな笑顔を見せている絵だ。長い黒髪に白い肌に水色のワンピース。見るからに清楚な若い女性の絵だが、この絵画がドアホンになっている。理事長が特注で作らせた一品だ。
一成の眼差しが呆れを越えて薄気味悪いものでも見るような色合いになる。絵画がドアホンなのは知っていた。だから見ないようにしていたしノックしたのだ。
――本当にどうしようもないな。
肩をすくめてドアノブを回し「失礼します」と室内へ入った。
理事長室はさして広くはないが、映画やドラマで見かけるような豪奢で重厚な内装になっている。置かれているテーブルやソファーや椅子などのインテリアはオーク材に革張り仕様でグレードが高く、その室内デザインに相応しい高価で格調高い雰囲気を放っている。絨毯が敷かれた床に踏み込んだ一成はドアを閉めると、まっすぐに前へ進んだ。その先にはマホガニーの机を前にふかふかな椅子に座って一成を待っている男性がいた。
「どうしてすぐに来ないんだ、一成」
第一声が刺々しい非難である。一成も同じ口調で言い返した。
「今聞いたんだ。これでも急いだんだ」
「それが久しぶりに会った叔父さんに対する言い方か、一成」
吾妻学園の最高責任者である副島冴人理事長は甥っ子に似た凄みのある三白眼で睨んだ。
「お前の言い方は思いやりが足りない。教師としての責任を持って、生徒たちを教え導くという使命をちゃんと全うしているのか甚だ心配だ」
マホガニーの机に両肘をつくと、手前で両手の指を組んで一成をじろりと一瞥する。その目つきは成人した大人へというよりもまだまだ手のかかる甥っ子へのそれで、口調も身内に対するお説教モードだ。一成は引き攣る口の端に命令して、教師として口答えすることにした。
「申し訳ありませんが、生徒たちが楽しく学べる学園生活を送るために日々奮闘しておりますので、生憎ですが、理事長の要請にすぐには応じられませんでした。これでも教師としての責任を持っていますので、生徒たちを教え導くという使命を全うすることに全力を注いでいる次第です」
文句があるのかと不穏に匂わせて、一成は口元でいつでも言い返せるように戦闘態勢を整える。子供の頃から口うるさい叔父貴だったと頭痛がしてきた。
冴人は両手を組んだまま睫毛を伏せると、盛大にため息をついた
「お前は本当に可愛くない」
一成も対抗してため息をつきたくなった。今日は俺が可愛くないとケチをつけられる日なんだなと。しかし、だからどうしたという心境である。
「俺が可愛くないのは今に始まったことじゃないだろう。それよりも、ここへ呼んだ理由を早く言ってくれ」
「お前の良い点は、正確な自己分析をしていることだな」
五十代になっても端整な顔立ちを維持している冴人は、ニコリともしないで切り出す。
「私が留守の間に、何かあったか」
一成は嫌な予感が当たったというように、思いっきり顔をしかめた。
「何もない。大体、俺はいつ叔父貴が不在になったのかも知らないんだからな」
マホガニーの机に向かって猛然と身を乗り出す。
「大方その用件だとは思ったが、毎回毎回、同じ質問を繰り返すのは止めてくれないか。俺よりも副理事長や校長に聞いたらどうだ」
「聞いている。お前に言われるまでもない」
冴人はにべもない。
一成も負けない。
「だったら、それで十分だろう。ことさら俺に聞く話か」
断固とした顔を突きつけて訴える。
副島理事長の返事は至ってシンプルだった。
「勿論だ。なぜならお前は私の甥だからだ。甥は叔父を助けなければならない」
鼻先にいる甥の迫力ある顔面に圧力をかけられても、眉一つ動かさない。
一成はがっかりしたように肩を落とすと、やおら後退って姿勢を元に戻した。冴人は自分が不在の間、学園で何かあったか必ず一成に聞く。それに対する一成の返答は毎回「何もない」だ。毎回何かあってたまるかというのが一成の感想で、たぶんに常識的な考えだろう。報告なら松永副理事長や大ケ生校長で済む話なのに、なぜ俺にも聞くと一成はその都度抗議して、その都度退けられている。