「ねえ! ねえってば!」
神本くんは呼びかけに一切応じない。私を抱えたまま凄いスピードで走り続ける。本当にめちゃくちゃ速い。身長170㎝を超えている私を抱えて、何も持たないで走る一般人より速いのだ。私たちは完全に街行く人から注目の的になっている。白いドレスを着た女をケーキまみれの忍者が抱きかかえて走っているのだから、否が応でも目立つに決まっている。
市営の駐輪場に着いてやっと私は地面に下ろされた。流石に神本くんも息を切らしていたが、すぐに自分のバイクを運び出して私の前まで来た。
「乗れ」
「乗らないわよ!」
そもそも神本くんはどこに行くつもりなのか、何故私を誘拐したのか動機が一切不明のままだ。
「どうした、痔か?」
「違うわよ! そういう事を女の子に聞くときはもっとオブラートに包みなさいよ!」
「どうやって痔を包むんだ」
「痔を飴玉みたいに言わないで! じゃなくて! 聞いて神本くん。バイクがあるならまだ逃げられるわ。早く逃げて!」
「一人では逃げない。俺は約束を果たしに来た」
神本くんは頑として譲らない。何か「約束」という言葉に強いこだわりがあるようにも感じる。
「逃げなさいよ!!」
私は近くの人たちが全員振り返るほどの声で怒鳴った。
「逃げない。約束は必ず果たす。それが俺の忍び道だ」
神本くんは機械のように繰り返すだけだった。けれど私を見つめる大きな瞳には強い意志が宿っている。目が据わっているとも言える。どうして貴方は……。
「何で分かってくれないの! いい? このまま私を連れ去ったら貴方は一条家、久保家から命を狙われることになるの! 二家ともバックにはヤクザが付いているの。捕まったら殺されるの! 私は神本くんに死んで欲しくない、殺されて欲しくないの! だから貴方との約束を断って、こんな反吐が出そうなパーティーでケーキ入刀なんかしていたの!!」
私の叫びは最後の方で涙声に変わっていた。何年ぶりだろう、こんなに感情を爆発させたのは。それを聞いて神本くんは思い出したように手の甲に付いたホイップクリームをペロリと舐めた。
「あっ、このケーキ美味しい」
「言ってる場合かっ!!!」
「そもそも約束を断ったというのは何の話だ。今日は海に行く日だろう」
「だからその約束は幸枝に断っておいてと……」
ここで私は勘づいた。私は幸枝が神本くんに送ったであろうキャンセルメールを確認していない。そして彼女は私が連れ去られているというのに呑気にパンケーキを頬張っていた。ということはまさか……。
「もしかして、私を誘拐したのは幸枝の差し金なの?」
「パーティー中に誘拐しろとは言われた」
私の中で怒りが込み上げてきた。どうして私の言いつけを守ってくれなかったの? どうして私の決意を無駄にするの? どうして神本くんを危険にさらすような真似をするの? どうしてパンケーキ頬張りながら笑っていやがったの? 私が幸枝への怒りに打ち震えていると、神本くんはポケットからスマホを取り出した。画面を一瞥した後私に手渡す。
「たった今、幸枝からお前宛てにメッセージが届いた」
神本くんはバイクにまたがり、エンジンを始動させる。けたたましい音が辺りを包んでいく。
「そのメッセージはバイクに乗っている間に読め。急げ、幸枝の犠牲を無駄にするな」
いやあの女死んでませんけど。パンケーキ食べてましたけど。
私が渋っていると神本くんは私の腕を掴んで、グイッと引き寄せた。
「早くしろ。ここでお前が乗らないと俺は何のために命を懸けてお前を誘拐したのか分からない」
その時、駐輪場の外から黒服の男たちがこちらに走ってくるのが見えた。どうせ捕まっても、お父さんからこっぴどく叱られる事だろう。久保さんからも嫌味を言われ続けることだろう。もうどうにでもなれという感情が湧いて来た。だったら、私が選びたい方を選ぼう。私は神本くんの腰を掴み、後ろ座席に飛び乗った。
「行くぞ」
バイクはけたたましいエンジン音を轟かせ、急加速で駐輪場から走り去った。