翌日、学校から帰り玄関を開けると何か重苦しいような、不穏な空気が家を覆っているような感じがあった。使用人たちはいつも通り出迎えてくれたけれど、それもどこかよそよそしい。
「帰ったか」
階段の上の方から低い声がした。その声を聞いた途端私は恐怖に支配されてしまって動けなくなった。ゆっくりと階段を降りてきたのはお父さんだった。
どうして今家に居るのだろう。普段月曜日のこの時間は仕事で家を空けているはずだ。今ここに居るという事は、仕事よりも重要な「何か」があって帰って来たという事になる。まさか、神本くんのことがバレたの? 神本くんと一緒にランチをしたことが? それとも昨日夜にこっそり家を抜け出したこと? どうしよう。バレていたらどんな罰を受けることになるか分からない。私の中でグルグルとネガティブな予想が回った。
「来なさい」
父さんは私の手を掴み、半ば強引に二階へ引っ張って行った。私の手に込められている力からお父さんが怒っていることは容易に判断できた。
「お前は一条家のメンツをつぶす気か」
お父さんは私を自分の部屋に放り込むと同時に怒鳴った。
「申し訳ありません、お父さん。あの、何についてのことでしょうか」
私はやんわりととぼけてみた。
「とぼけるつもりか? 昨日の昼前、お前が男と一緒に歩いている姿を見たという人がいるんだよ」
昨日の昼前と言えば、金山との食事会の前に神本くんを買い物に付き合わせていた時だ。
「まさかと思って金山の御嬢さんに確認したら、お前、食事会にも男を同伴させていたそうじゃないか。どういうつもりだ!」
徐々にお父さんの声は怒気を帯びてきた。私はただただ身体を硬直させる。
「それだけじゃない! しかも何だ? お前はその男の事を『一条家で子飼いにしている忍者』とか言ったそうだな!」
いや、それは神本くんが……。だがどうやら家を抜け出してバイクで疾走していたことには気づかれていないらしい。それは不幸中の幸いだ。
「で、でも、聞いてくださいお父さん」
記憶の限りでは六年ぶりにお父さんの言葉に口を挟んだ。それが逆鱗に触れたらしい。お父さんはツカツカと私の方に近づいてきて、思いっきり私の頬を張った。バレーボールが顔面を捉えたかのような衝撃を頬に受けて私はよろめいた。
「この恥さらしが!」
お父さんはもう一度全力で怒鳴った。
「嫁入り前の娘が男を連れまわすだけじゃ飽き足らず、父親にまで口答えするとはどういう了見だ!!」
私は頬を抑えて俯いたまま黙った。やっぱりこうなった。
「この阿婆擦れ女が! 何かあったらどうするつもりだ!」
阿婆擦れって普通自分の娘に言う? お父さんはまた私に手を上げそうな勢いで、私の人格を否定するような言葉で怒鳴り続ける。だけどお父さんが心配しているのは会社の買収話が無しにならないか、という事と私が一条家の名に泥を塗る行為をしないかどうか、という事だけしかない。私の身体の心配自体はほとんどしていないのが言葉からはよく分かる。怒鳴られる言葉自体よりも、そうした疎外感が辛くて涙が出そうだった。
そして三時間ほど怒鳴り続けた頃、お父さんは自分を落ち着かせるように一度息を付いた。
「まあいい。お前、その男の連絡先を知っているんだろう」
ここで連絡は幸枝に任せている、と言ったら彼女に矛先が向きそうだったので私は黙っていた。お父さんは構わず続ける。
「そいつに忠告しておけ。『次に一条家の人間に近づいたときがお前の死ぬときだ。一条家の警告に二度目は無い』とな」
お父さんの目つきは冷酷で、その言葉が脅しではない事は明白だったから。私は体中の体温が奪われるような冷たさを感じた。このままだと神本くんが殺されてしまう。会えなくなるのは寂しいけれど、絶対にこれ以上私に近づかないよう伝えなければ。
「それからもう一つ。再来週の土曜日、久保さんの家と合同で親睦パーティーを開く」
親睦パーティー?
「お互いの家で知り合いの有力者を集める。そしてその場でお前たちをお披露目する。婚約を明確に発表するんだ」
私は力が抜けて立っていられなくなりそうだった。その場に出席するということは、私が久保家へ嫁ぐことを決定づける宣誓書にサインするようなものなのだからだ。もう、逃げられない。そんな、嫌だよ。誰か、誰か助けてよ。
「帰ったか」
階段の上の方から低い声がした。その声を聞いた途端私は恐怖に支配されてしまって動けなくなった。ゆっくりと階段を降りてきたのはお父さんだった。
どうして今家に居るのだろう。普段月曜日のこの時間は仕事で家を空けているはずだ。今ここに居るという事は、仕事よりも重要な「何か」があって帰って来たという事になる。まさか、神本くんのことがバレたの? 神本くんと一緒にランチをしたことが? それとも昨日夜にこっそり家を抜け出したこと? どうしよう。バレていたらどんな罰を受けることになるか分からない。私の中でグルグルとネガティブな予想が回った。
「来なさい」
父さんは私の手を掴み、半ば強引に二階へ引っ張って行った。私の手に込められている力からお父さんが怒っていることは容易に判断できた。
「お前は一条家のメンツをつぶす気か」
お父さんは私を自分の部屋に放り込むと同時に怒鳴った。
「申し訳ありません、お父さん。あの、何についてのことでしょうか」
私はやんわりととぼけてみた。
「とぼけるつもりか? 昨日の昼前、お前が男と一緒に歩いている姿を見たという人がいるんだよ」
昨日の昼前と言えば、金山との食事会の前に神本くんを買い物に付き合わせていた時だ。
「まさかと思って金山の御嬢さんに確認したら、お前、食事会にも男を同伴させていたそうじゃないか。どういうつもりだ!」
徐々にお父さんの声は怒気を帯びてきた。私はただただ身体を硬直させる。
「それだけじゃない! しかも何だ? お前はその男の事を『一条家で子飼いにしている忍者』とか言ったそうだな!」
いや、それは神本くんが……。だがどうやら家を抜け出してバイクで疾走していたことには気づかれていないらしい。それは不幸中の幸いだ。
「で、でも、聞いてくださいお父さん」
記憶の限りでは六年ぶりにお父さんの言葉に口を挟んだ。それが逆鱗に触れたらしい。お父さんはツカツカと私の方に近づいてきて、思いっきり私の頬を張った。バレーボールが顔面を捉えたかのような衝撃を頬に受けて私はよろめいた。
「この恥さらしが!」
お父さんはもう一度全力で怒鳴った。
「嫁入り前の娘が男を連れまわすだけじゃ飽き足らず、父親にまで口答えするとはどういう了見だ!!」
私は頬を抑えて俯いたまま黙った。やっぱりこうなった。
「この阿婆擦れ女が! 何かあったらどうするつもりだ!」
阿婆擦れって普通自分の娘に言う? お父さんはまた私に手を上げそうな勢いで、私の人格を否定するような言葉で怒鳴り続ける。だけどお父さんが心配しているのは会社の買収話が無しにならないか、という事と私が一条家の名に泥を塗る行為をしないかどうか、という事だけしかない。私の身体の心配自体はほとんどしていないのが言葉からはよく分かる。怒鳴られる言葉自体よりも、そうした疎外感が辛くて涙が出そうだった。
そして三時間ほど怒鳴り続けた頃、お父さんは自分を落ち着かせるように一度息を付いた。
「まあいい。お前、その男の連絡先を知っているんだろう」
ここで連絡は幸枝に任せている、と言ったら彼女に矛先が向きそうだったので私は黙っていた。お父さんは構わず続ける。
「そいつに忠告しておけ。『次に一条家の人間に近づいたときがお前の死ぬときだ。一条家の警告に二度目は無い』とな」
お父さんの目つきは冷酷で、その言葉が脅しではない事は明白だったから。私は体中の体温が奪われるような冷たさを感じた。このままだと神本くんが殺されてしまう。会えなくなるのは寂しいけれど、絶対にこれ以上私に近づかないよう伝えなければ。
「それからもう一つ。再来週の土曜日、久保さんの家と合同で親睦パーティーを開く」
親睦パーティー?
「お互いの家で知り合いの有力者を集める。そしてその場でお前たちをお披露目する。婚約を明確に発表するんだ」
私は力が抜けて立っていられなくなりそうだった。その場に出席するということは、私が久保家へ嫁ぐことを決定づける宣誓書にサインするようなものなのだからだ。もう、逃げられない。そんな、嫌だよ。誰か、誰か助けてよ。