左手は瀬名に繋がれたまま、ベッドにふたりで腰かける。桜輔はデスク前の椅子に座った。
「さっきも言ったけど、モモに大事な話があって。うーん、どこから話したらいいかな」
「最初からじゃないっすか? かいつまんではオレからも言ってありますけど」
「最初かあ。じゃあ俺、今からモモに怒られちゃうな」
「なんだよ早く言えよ。そんなん今更だろ」
「はは、悲しいけど確かに。じゃあまずは、俺と水沢くんが話すようになったきっかけだけど……」
桜輔の話をまとめるとこうだ。瀬名と桜輔は、春の頃にはもう知り合っていた。声をかけたのは桜輔のほうから。瀬名に聴いていた通りだ。だがまさかそれが、三年の階の渡り廊下で「瀬名には構うな」と釘を刺した当日のことだったとは。この片割れは、約束をしたその日にさっそく破ってくれたということだ。
「桜輔、マジ見損なったわ……」
「ほんとごめんモモ!」
「はあ……分かったから、続き」
「ありがとう。えっと、水沢くんに声をかけたのは、実は牽制するためだったんだよね」
「牽制?」
当初、桜輔は瀬名を警戒していたらしい。傷つけるくらいなら、モモに関わらないでほしいと。
「いやお前は何様だよ……」
「え? モモの双子のお兄ちゃんだよ」
「出た……」
「はは、先輩たちって揃うと面白いんすね」
「どこがだよ……」
春のその日、瀬名と話した桜輔は、真剣な想いを知って応援する方向へすぐに転換したらしい。アドバイスもたくさんしたのだとか。エビフライを作って持っていったのもそうだ、と言われてひっくり返りそうになった。桜輔の手のひらの上でまんまと転がされていたのだと思うと腹立たしく、それでもあれは美味しかったなあと、瀬名にまた食いたいとおねだりしてしまった。
「いつでも作りますよ。他にも色々モモ先輩に食べてほしいんで、リクエストください」
「マジ? やった」
「でね、先輩。本題はここからなんです」
「本題?」
「モモ、驚かないで聞いてほしいんだけど……単刀直入に言うと、cherryは俺なんだ」
「……え?」
突然出てきた“cherry”というワードに、思考がストップした。
チェリーは俺? さくらんぼのことか? いやお前は人間だろ。なに言ってんだ俺の片割れは……
呆れそうになったのは、本当は一瞬で意味が分かってしまったからかもしれない。信じたくなかったからこその現実逃避だ。それを分かっているらしく、桜輔は話を続ける。
「どっちもmomoの歌を聴いてるって気づいたのは、わりとすぐだったよね」
「っすね。モモ先輩のことを放課後に話してる時、momoが投稿した、って通知が同時に鳴って。お互いにそれが見えちゃって」
「はは、自己紹介し直したよね。あれ面白かったな、アンミツですー、cherryですーって」
「いやいや、全然面白くねえから! てか桜輔……どうやって俺のアカウント見つけたんだよ」
「ああそれは。部屋から歌声聴こえてきて、だから試しに検索……」
「あー……うん。ごめん、もういいわ」
あまりの衝撃に頭がクラクラしてきた。驚かないで聞いてほしい、なんてよく言えたものだ。無理に決まっている。もういっそ、数秒で構わないから気絶してしまいたい。
cherryはアンミツとほぼ同じ時期、つまりmomoとしての活動を開始してすぐにコメントをくれたアカウントだ。cherry自身の投稿はひとつもなく、フォローもフォロワーもmomoだけ。あれが桜輔だった、だなんて。
「桜輔に聴かれてたとか……穴があったら入りたい、ってこういう時言うんだろうな。穴なかったら自分で掘りたいくらいだけど」
「そんなこと言わないで。俺は本当のことしかコメントしてないよ。モモの歌がすごく好き」
「……いやハズイって」
身内の贔屓だろう、なんて卑下しそうになるが、桜輔が心の底から言っているのは伝わってくる。劣等感を抱いてばかりだった桜輔に真正面から褒められて、心の端っこで蹲っている幼い自分が顔を上げるのが分かる。
このままだと泣いてしまいそうだ。誤魔化したくて話題を少し変える。
「てかさ、cherryってそういうことかよ? 桜ってたしか英語でチェリーブロッサムだもんな。桜輔の桜、ってこと?」
「あ、オレも思ってました。でも、もっと深い意味がありそう」
「深い意味って?」
「モモ先輩はオウトウって分かりますか?」
「いや、知らねえ」
「さくらんぼの別名というか、正式名称っすね。漢字で書くと桜と桃で桜桃です。桜輔先輩の桜とモモ先輩の桃で、cherry。そうっすよね?」
「いやいや瀬名、さすがに……」
瀬名が突拍子もないことを言う。考えすぎだよな、と同意を得るつもりで桜輔のほうを見たのに。その表情に絶句する羽目になってしまった。にこやかに笑っているのが怖い。
「水沢くんって賢いんだね」
「桜輔先輩、モモ先輩のガチ勢って感じだし。そのくらいやりそうだから」
「はあ!? いや怖ぇよ! 桜輔が俺のガチ勢ってなに!?」
「そんなの当たり前じゃない? 俺はモモの唯一無二の双子のお兄ちゃんだし。いちばん近くで応援してるのは俺だって自負があるから」
「え……? それはオレだって絶対に負けませんよ。こっちは唯一無二の彼氏なんで」
「いやいや、なにそのバトル……意味分かんねぇから……」
cherryが桜輔だったという事実に驚く思いの中に、確かに怒りを帯びた恥ずかしさも混じっていたのに。ふたりのしょうもない戦いを前に、毒気を抜かれてしまった。尚も言い合いをしているふたりを笑いながら眺めていると、突然視線がこちらを向いた。しかもふたり分の、だ。
「……え、なに?」
「話はまだ終わってないの思い出した。ね、水沢くん」
「っす」
「マジでなに!? これ以上なんだよ、もういっぱいいっぱいだけど!?」
「モモ」
「モモ先輩」
「へ……はい」
真剣な様子に、ついベッドの上で居住まいを正す。ごくりと息を飲むと、桜輔が口を開いた。
「ねえモモ、momoはもっと上に行けるよ。水沢くんと一緒にそれを伝えたくて、今日は来てもらったんだ」
「……え?」
視線を向ければ、瀬名も神妙な面持ちで頷いた。
「momoの歌は、もっとたくさんの人に届くべきです」
「そうだよ。今のフォロワー数や再生回数程度で燻ってていいような歌声じゃない」
「……いや、さすがに買いかぶりすぎだろ」
瀬名は今や彼氏で、桜輔は双子の兄弟だ。本当に気に入って聴いてくれているのは伝わっているが、それでもやはり贔屓目はあるだろう。
「前にDMで言ったことあるんすけど、ユーチューブにもあげてみませんか? あそこは動画に特化してるから強いはずです」
「あー、いや……」
「それはマストだよね。あとは、投稿時間もちゃんと考えたほうがいい。モモ、いつも動画撮れたらすぐに投稿してるでしょ? 時間とか気にせず」
「う……」
「編集ももっと力入れたいっすよね。定点もいいけどMVっぽく撮ったり、タイトル入れたりとか」
「すごくいいと思う。あとは宣伝として、他のSNSもやろう」
「いいっすね。オレ、そのための協力ならなんでもします!」
「俺もそのつもりだよ」
「ちょ、ちょっと待った!」
ふたりの指摘はもっともだ。考えたことがなかったわけじゃない。
他人と比べられることを恐れ、見て見ぬふりをしてきた。だが、そうも言ってられないとも思い始めていた。まだ誰にも打ち明けていないが、本格的に音楽の道へ挑戦したいと考え始めているからだ。初めてのオリジナル楽曲を完成させることができて、奏でたい音楽が次々に溢れてきている。
この想いをふたりに伝えてしまおうか。決意を持って顔を上げれば、瀬名と桜輔が勝ち気な笑みを浮かべていた。ああ、なんて心強いのだろう。
「俺さ、実は、音楽をちゃんとやりたいって考えてた。だから、瀬名と桜輔が……アンミツとcherryもだな。真剣に考えてくれててすげー嬉しい。自分ひとりじゃできなかったこと、ふたりがいたらできるのかもな」
「モモ先輩!」
「わっ、ちょ、瀬名!」
照れくさいながらも言い切ったら、思わずといった様子で瀬名が抱きついてきた。桜輔の前で、と慌てたが、瀬名の肩の向こうに微笑んでいる桜輔が見える。自分にはお構いなく、と言いたげな見守る態度がありがたいような、余計に居心地が悪いような。妙な気持ちでいると、桜輔が立ち上がって瀬名の肩をポンとたたく。先ほどまでとは打って変わって、なにか目論んでいるような意味深な笑みを覗かせている。
「ねえ水沢くん、俺もモモのことハグしたいなあ」
「……は? 桜輔お前なに言って」
「ちょっと桜輔先輩、今はオレに譲ってくださいよ」
「いやまずは俺じゃない? 悪いけど、こっちはお腹の中から一緒なんだよね」
「ちょ、年月マウントやめてください。絶対敵わないじゃん」
「……ふ。あははっ」
「モモ先輩?」
「モモ?」
桜輔はただ瀬名をおちょくっているだけだ。だが瀬名はそんなことには気づかず、真っ向から受け取ってしまう。今真剣な話をしていたのにな、となんだか拍子抜けしてしまう。するとふたりがきょとんとした顔をするから、ますます笑うのをやめられない。
「あー、笑ったー」
ひとしきり笑ったら、改めてふたりに感謝を伝えたくなった。
「あのさ、瀬名、ありがとうな。お前に出逢えてよかった」
「モモ先輩……」
まずは、と瀬名をまっすぐに見る。眉間をくしゅっと寄せる瀬名の髪を撫でる。
桜輔へ抱いてきた劣等感は、ずいぶんと膨れ上がっていた。だからだったのだろう、まっすぐ向けてくれていた瀬名の気持ちも、まさか本当に自分のことだとはにわかには信じられなかった。それでも腐らず想い続けてくれていた瀬名に、恋心は今も大きくなり続けている。
続いて、桜輔に視線を移す。
「桜輔も……今までその、色々ごめん。本当は俺も思ってる、大事な兄弟だって」
「モモ……」
まともに会話することすら拒んできた間だって、桜輔はどうしようもない弟をしっかり見てくれていた。今では真面目なだけではない、こんなふざけたこともしかけてくる。そう言えば、そういう兄だったな。じゃれるのが大好きな懐っこい兄で、いつもいつも一緒だった。それが好きだった。
これから先、趣味だった音楽が歩む道になる。その道には、瀬名と桜輔のあたたかな手が添えられている。
今までみたいにはしない。音楽は絶対に手放さない。もう比べられることから逃げない。なにがあったってこれが俺だ、と力強く立っていたい。そういられる気がする。このふたりと出逢えたからだ。どこまでも飛べる、そう思える。
今度は二人の顔を交互に見て、強く頷いてみせた。
「俺、頑張るよ。絶対に諦めない」
「っ、モモ先輩……すげーかっこいいっす!」
「モモ~! モモは自慢の弟だよ、今までもこれからも」
こみ上げてしまった涙ごと笑えば、瀬名も鼻を啜って、桜輔はその手で髪を撫でてきた。おまけのように瀬名も髪をかき混ぜられ、最後にはふたりまとめるように桜輔が抱きついてくる。
「はは、なんか……すげー幸せかも」
ついそんな言葉をもらしたら、瀬名も桜輔もそうだねと笑った。
「さっきも言ったけど、モモに大事な話があって。うーん、どこから話したらいいかな」
「最初からじゃないっすか? かいつまんではオレからも言ってありますけど」
「最初かあ。じゃあ俺、今からモモに怒られちゃうな」
「なんだよ早く言えよ。そんなん今更だろ」
「はは、悲しいけど確かに。じゃあまずは、俺と水沢くんが話すようになったきっかけだけど……」
桜輔の話をまとめるとこうだ。瀬名と桜輔は、春の頃にはもう知り合っていた。声をかけたのは桜輔のほうから。瀬名に聴いていた通りだ。だがまさかそれが、三年の階の渡り廊下で「瀬名には構うな」と釘を刺した当日のことだったとは。この片割れは、約束をしたその日にさっそく破ってくれたということだ。
「桜輔、マジ見損なったわ……」
「ほんとごめんモモ!」
「はあ……分かったから、続き」
「ありがとう。えっと、水沢くんに声をかけたのは、実は牽制するためだったんだよね」
「牽制?」
当初、桜輔は瀬名を警戒していたらしい。傷つけるくらいなら、モモに関わらないでほしいと。
「いやお前は何様だよ……」
「え? モモの双子のお兄ちゃんだよ」
「出た……」
「はは、先輩たちって揃うと面白いんすね」
「どこがだよ……」
春のその日、瀬名と話した桜輔は、真剣な想いを知って応援する方向へすぐに転換したらしい。アドバイスもたくさんしたのだとか。エビフライを作って持っていったのもそうだ、と言われてひっくり返りそうになった。桜輔の手のひらの上でまんまと転がされていたのだと思うと腹立たしく、それでもあれは美味しかったなあと、瀬名にまた食いたいとおねだりしてしまった。
「いつでも作りますよ。他にも色々モモ先輩に食べてほしいんで、リクエストください」
「マジ? やった」
「でね、先輩。本題はここからなんです」
「本題?」
「モモ、驚かないで聞いてほしいんだけど……単刀直入に言うと、cherryは俺なんだ」
「……え?」
突然出てきた“cherry”というワードに、思考がストップした。
チェリーは俺? さくらんぼのことか? いやお前は人間だろ。なに言ってんだ俺の片割れは……
呆れそうになったのは、本当は一瞬で意味が分かってしまったからかもしれない。信じたくなかったからこその現実逃避だ。それを分かっているらしく、桜輔は話を続ける。
「どっちもmomoの歌を聴いてるって気づいたのは、わりとすぐだったよね」
「っすね。モモ先輩のことを放課後に話してる時、momoが投稿した、って通知が同時に鳴って。お互いにそれが見えちゃって」
「はは、自己紹介し直したよね。あれ面白かったな、アンミツですー、cherryですーって」
「いやいや、全然面白くねえから! てか桜輔……どうやって俺のアカウント見つけたんだよ」
「ああそれは。部屋から歌声聴こえてきて、だから試しに検索……」
「あー……うん。ごめん、もういいわ」
あまりの衝撃に頭がクラクラしてきた。驚かないで聞いてほしい、なんてよく言えたものだ。無理に決まっている。もういっそ、数秒で構わないから気絶してしまいたい。
cherryはアンミツとほぼ同じ時期、つまりmomoとしての活動を開始してすぐにコメントをくれたアカウントだ。cherry自身の投稿はひとつもなく、フォローもフォロワーもmomoだけ。あれが桜輔だった、だなんて。
「桜輔に聴かれてたとか……穴があったら入りたい、ってこういう時言うんだろうな。穴なかったら自分で掘りたいくらいだけど」
「そんなこと言わないで。俺は本当のことしかコメントしてないよ。モモの歌がすごく好き」
「……いやハズイって」
身内の贔屓だろう、なんて卑下しそうになるが、桜輔が心の底から言っているのは伝わってくる。劣等感を抱いてばかりだった桜輔に真正面から褒められて、心の端っこで蹲っている幼い自分が顔を上げるのが分かる。
このままだと泣いてしまいそうだ。誤魔化したくて話題を少し変える。
「てかさ、cherryってそういうことかよ? 桜ってたしか英語でチェリーブロッサムだもんな。桜輔の桜、ってこと?」
「あ、オレも思ってました。でも、もっと深い意味がありそう」
「深い意味って?」
「モモ先輩はオウトウって分かりますか?」
「いや、知らねえ」
「さくらんぼの別名というか、正式名称っすね。漢字で書くと桜と桃で桜桃です。桜輔先輩の桜とモモ先輩の桃で、cherry。そうっすよね?」
「いやいや瀬名、さすがに……」
瀬名が突拍子もないことを言う。考えすぎだよな、と同意を得るつもりで桜輔のほうを見たのに。その表情に絶句する羽目になってしまった。にこやかに笑っているのが怖い。
「水沢くんって賢いんだね」
「桜輔先輩、モモ先輩のガチ勢って感じだし。そのくらいやりそうだから」
「はあ!? いや怖ぇよ! 桜輔が俺のガチ勢ってなに!?」
「そんなの当たり前じゃない? 俺はモモの唯一無二の双子のお兄ちゃんだし。いちばん近くで応援してるのは俺だって自負があるから」
「え……? それはオレだって絶対に負けませんよ。こっちは唯一無二の彼氏なんで」
「いやいや、なにそのバトル……意味分かんねぇから……」
cherryが桜輔だったという事実に驚く思いの中に、確かに怒りを帯びた恥ずかしさも混じっていたのに。ふたりのしょうもない戦いを前に、毒気を抜かれてしまった。尚も言い合いをしているふたりを笑いながら眺めていると、突然視線がこちらを向いた。しかもふたり分の、だ。
「……え、なに?」
「話はまだ終わってないの思い出した。ね、水沢くん」
「っす」
「マジでなに!? これ以上なんだよ、もういっぱいいっぱいだけど!?」
「モモ」
「モモ先輩」
「へ……はい」
真剣な様子に、ついベッドの上で居住まいを正す。ごくりと息を飲むと、桜輔が口を開いた。
「ねえモモ、momoはもっと上に行けるよ。水沢くんと一緒にそれを伝えたくて、今日は来てもらったんだ」
「……え?」
視線を向ければ、瀬名も神妙な面持ちで頷いた。
「momoの歌は、もっとたくさんの人に届くべきです」
「そうだよ。今のフォロワー数や再生回数程度で燻ってていいような歌声じゃない」
「……いや、さすがに買いかぶりすぎだろ」
瀬名は今や彼氏で、桜輔は双子の兄弟だ。本当に気に入って聴いてくれているのは伝わっているが、それでもやはり贔屓目はあるだろう。
「前にDMで言ったことあるんすけど、ユーチューブにもあげてみませんか? あそこは動画に特化してるから強いはずです」
「あー、いや……」
「それはマストだよね。あとは、投稿時間もちゃんと考えたほうがいい。モモ、いつも動画撮れたらすぐに投稿してるでしょ? 時間とか気にせず」
「う……」
「編集ももっと力入れたいっすよね。定点もいいけどMVっぽく撮ったり、タイトル入れたりとか」
「すごくいいと思う。あとは宣伝として、他のSNSもやろう」
「いいっすね。オレ、そのための協力ならなんでもします!」
「俺もそのつもりだよ」
「ちょ、ちょっと待った!」
ふたりの指摘はもっともだ。考えたことがなかったわけじゃない。
他人と比べられることを恐れ、見て見ぬふりをしてきた。だが、そうも言ってられないとも思い始めていた。まだ誰にも打ち明けていないが、本格的に音楽の道へ挑戦したいと考え始めているからだ。初めてのオリジナル楽曲を完成させることができて、奏でたい音楽が次々に溢れてきている。
この想いをふたりに伝えてしまおうか。決意を持って顔を上げれば、瀬名と桜輔が勝ち気な笑みを浮かべていた。ああ、なんて心強いのだろう。
「俺さ、実は、音楽をちゃんとやりたいって考えてた。だから、瀬名と桜輔が……アンミツとcherryもだな。真剣に考えてくれててすげー嬉しい。自分ひとりじゃできなかったこと、ふたりがいたらできるのかもな」
「モモ先輩!」
「わっ、ちょ、瀬名!」
照れくさいながらも言い切ったら、思わずといった様子で瀬名が抱きついてきた。桜輔の前で、と慌てたが、瀬名の肩の向こうに微笑んでいる桜輔が見える。自分にはお構いなく、と言いたげな見守る態度がありがたいような、余計に居心地が悪いような。妙な気持ちでいると、桜輔が立ち上がって瀬名の肩をポンとたたく。先ほどまでとは打って変わって、なにか目論んでいるような意味深な笑みを覗かせている。
「ねえ水沢くん、俺もモモのことハグしたいなあ」
「……は? 桜輔お前なに言って」
「ちょっと桜輔先輩、今はオレに譲ってくださいよ」
「いやまずは俺じゃない? 悪いけど、こっちはお腹の中から一緒なんだよね」
「ちょ、年月マウントやめてください。絶対敵わないじゃん」
「……ふ。あははっ」
「モモ先輩?」
「モモ?」
桜輔はただ瀬名をおちょくっているだけだ。だが瀬名はそんなことには気づかず、真っ向から受け取ってしまう。今真剣な話をしていたのにな、となんだか拍子抜けしてしまう。するとふたりがきょとんとした顔をするから、ますます笑うのをやめられない。
「あー、笑ったー」
ひとしきり笑ったら、改めてふたりに感謝を伝えたくなった。
「あのさ、瀬名、ありがとうな。お前に出逢えてよかった」
「モモ先輩……」
まずは、と瀬名をまっすぐに見る。眉間をくしゅっと寄せる瀬名の髪を撫でる。
桜輔へ抱いてきた劣等感は、ずいぶんと膨れ上がっていた。だからだったのだろう、まっすぐ向けてくれていた瀬名の気持ちも、まさか本当に自分のことだとはにわかには信じられなかった。それでも腐らず想い続けてくれていた瀬名に、恋心は今も大きくなり続けている。
続いて、桜輔に視線を移す。
「桜輔も……今までその、色々ごめん。本当は俺も思ってる、大事な兄弟だって」
「モモ……」
まともに会話することすら拒んできた間だって、桜輔はどうしようもない弟をしっかり見てくれていた。今では真面目なだけではない、こんなふざけたこともしかけてくる。そう言えば、そういう兄だったな。じゃれるのが大好きな懐っこい兄で、いつもいつも一緒だった。それが好きだった。
これから先、趣味だった音楽が歩む道になる。その道には、瀬名と桜輔のあたたかな手が添えられている。
今までみたいにはしない。音楽は絶対に手放さない。もう比べられることから逃げない。なにがあったってこれが俺だ、と力強く立っていたい。そういられる気がする。このふたりと出逢えたからだ。どこまでも飛べる、そう思える。
今度は二人の顔を交互に見て、強く頷いてみせた。
「俺、頑張るよ。絶対に諦めない」
「っ、モモ先輩……すげーかっこいいっす!」
「モモ~! モモは自慢の弟だよ、今までもこれからも」
こみ上げてしまった涙ごと笑えば、瀬名も鼻を啜って、桜輔はその手で髪を撫でてきた。おまけのように瀬名も髪をかき混ぜられ、最後にはふたりまとめるように桜輔が抱きついてくる。
「はは、なんか……すげー幸せかも」
ついそんな言葉をもらしたら、瀬名も桜輔もそうだねと笑った。