年が明けた二月、中之島トレーディング主催の新年会が開かれた。参加者の多くは、社員とその家族だが、そこに、涼葉と村野とともに綺里も招待された。
 ホテルを会場とした、立食形式の、意外にまともな催しだった。
 開会の挨拶のあと、司会者から「しばらくご歓談下さい」の声がして間もなく、涼葉を目当てに、若い男たちが群がってきた。
「涼。指輪していないやつは全部、村野さんに横流ししてくれ」
「無茶言わないで下さい。やり手のダフ屋じゃないんですから」
「そ、そうですよ。私なんて、ただの場違いなだけで……」
「いや、そこは前に出るとこでしょ。二人は親友です、連絡先は一緒でなければ交換しませんとかって、雰囲気を出しとけばいいんだから」
 村野を後輩に押しつけ、寿司のコーナーに行くと、見知った顔が並んでいるのが見えた。
 嫌いな相手ほど、愛想良く、だ。
「お久しぶりです」
 振り向いた男は、予想通り不愉快そうな表情に変わった。
「副社長のご協力のおかげで、今回の一件は順調に進んでます」
「心にもないこと言うな。一ミリもそんなこと思うてへんくせに」
 文句の内容はこれまで通りだったが、慣れたせいもあるのだろう、語調が最初の会議のときの二割くらいに感じた。
「柿のふるさと納税、今年は数が出たそうですね」
「もうええ。そんなことより、お前、いつ辞めるねん」
「最初の契約がもうすぐ切れるから、とりあえずそこまでかなー」
「せいせいするわ」
「でも、新卒で就活するかもしれないんで、そのときはコネ、使わせて下さい」
 マリンさんの顔を思い浮かべながらも、ここまで媚びる必要はあるのかと思っていたが、相手は、それには反論しなかった。
 大トロを胸焼けするほど食べた頃、サラダのコーナー付近に一人でいる三国を見つけた。
 周囲に桜井の姿がない。
 野菜を食べてる場合じゃないだろ。
 役員会でお膳立てしてやったというのに、あの女は、とことんポンコツのようだ。
 相手をしてやろうかと思ったが、副社長との短い攻防で、精神力がそれなりに削られていて、壁際に並ぶ椅子にいったん待避することにした。
 しばらくして、男たちをいなすことに疲れ果てた様子の涼葉がそばにきた。
「村野さんは?」
「綺里姉の指示通り、今は独身男性二人とお喋り中です」
「さすが涼だ」
「社員の人に聞いたんですけど、結局、お仕事の報酬はもらってないって、本当なんですか?あんなに頑張ったのに」
 当初の契約通りの結果にならなかったのは確かなのだ。
 ただ、今回に限っては、達成感はそれなりにあった。さらに言えば、社会人の頼れる先がいくつかできた、というのも、今後の人生において、きっと無駄ではなかったのだと思う。
「そういえば、藤阪さんから連絡ありました?」
「もしかして総合型選抜の結果?あーしのところにはまだないけど」
「内定、出たみたいです」
 受験の面接で、アゲハビールが紹介されたテレビの映像、ツアー案内する自身の姿と、週に三日、往復四十キロの距離を自転車で移動した実績を強調。さらに、アゲハが羽化する様子や、給与明細まで、持っている材料すべてを出してアピールした。社員数が一桁の小さな有限会社だが、ここ最近、SDGsに力を入れている地元企業として、名が知られ始めていることも功を奏したのだろう。加えて、退室のとき、「これは廃棄物です。どう処分してもらっても結構ですので」と言って、くだんのビールを面接官の足下に置いて帰ったのだ。
「すごくうれしいけど……。どうして涼だけ結果を知らされてるんだよ」
 話す内容や、資料映像など、確かにプレゼン準備の大半に、涼葉が関与したのは確かだが、最後の演出を含めて、全体の構成を考えたのは綺里だった。
「自分で言うのも恥ずかしいですけど、綺里姉よりは好かれている自覚はありますね」
「後輩からの支持率が尋常じゃないぞ。政権与党に少し分けてやったらどうだ」
「後輩と言えば、学校の太陽光発電の計画、なくなったって知ってます?」
「オオムラサキだろ」
「ええっ。誰に聞いたんですか」
 オナガアゲハの一件で、清水の父と何度か会って話していたとき、大阪の北部は国蝶の生息地だという話題になった。
「特に雑木林が大切な棲み家だって聞いたとき、ふと思い出したんだ」
 調査してもらった結果、ソフテニコートと隣接する里山周辺も、繁殖場所として報告例があったらしい。
 造成計画の概要について伝えると、教授の名前で高校へ、授業の一環として、飼育と保全をしてはどうか、と、公式な意見書を出してもらえることになったのだ。
 校区に国蝶がいるとなれば、注目度は低くない。学校側は、二つ返事でその提案を受け入れたのだという。予想はしていたが、太陽光発電の本気度はその程度だったということだ。
「そんなところでも暗躍してたんですか。まさか、また土下座したんじゃないでしょうね」
「ソフテニごときのためにするはずないだろ」
 後輩の部活を馬鹿にしないで下さい、などと、たしなめられるのかと身構えたが、なぜか彼女からの反論がない。
 横目に見ると、腕を組み、何ごとか思案している様子だ。
 やがて、綺里の目を見ないで口を開いた。
「何か、最近、他人の世話ばかり焼いてませんか?」
 あまり、褒めているようには聞こえなかった。
「仕方ないじゃないか。あーしの意思とは無関係に、面倒ごとに巻き込まれるんだから。ソフテニの相談に至っては、話を持ってきたのは涼なんだし」
「それは、そうですけど……。何か納得できないんです。今度、うちのためにも一肌、脱いで下さいよ」
「この前、ギタリストとの関係を収めたばかりだと認識してるが」
 あのあと、一度連絡があった際、綺里の助言に従って、同性婚推進の集会に参加してほしいと誘ったところ、それっきり、音信不通になったらしい。
「確かに、感謝してますけど――。あの件は、トラブルの予防って意味合い以外、うちのメリットという意味では、あまりないじゃないですか」
 まるで、よその子供にばかり目をかける親に、嫉妬する小学生のような言い様だった。
「真面目に答えるけど。次に何か頼まれごとをされたとして、成功する気がしないんだよね」
 そう言うと、見間違いでなければ、頬を膨らせた。社会人が集まる立食パーティで。
 もっとも、そう考える理由は単純だ。
 特に思い入れのないときには、順調にことが運ぶ。大切な人や、失敗したくない状況では力が発揮されない、という体質が今も有効だから。
 あのライブ会場の日、気づいてしまった。
 涼葉がすでに身内並みの距離にいることに。
 素直にそう告白すると、彼女は少しだけはにかんだ。

<了>