翌日。
あの後二人がどうなったのか、もちろんそれは気にはなったが、前夜の思いつきをどう形にすればいいのか、そちらのほうが喫緊の課題だった。
村野を助けることと、社外取締役の任務を同時に遂行する。
もっとも、仮にそんなことが実現可能だとしても、綺里一人でなし得ることは到底不可能で、人の手を借り、あるいは誰かを説得するためのプレゼンのような作業も必要になるに違いない。
授業のあと、校内のカフェテリアではなく、駅前の、いつもは素通りする少し高級なカフェに涼葉を誘ったのは、そんな目的遂行のための第一段階だった。
「気味が悪いですね。綺里姉からおごると言われたのは初めてな気がします」
「いやいや。生徒会時代に、二度、自販機のジュースを買ってあげたはずだよ」
彼女は目を閉じ、軽く息をはいた。
「もういいです。それで相談って?会社と村野さん。どっちの件ですか」
「最終的には、両方なんだけど。先に村野さんのほう、聞いてくれるかな」
ビールの販売の改善方法について、思いつきをそのままぶつけてみた。
すなわち、ビールの価格やデザインを変更し、それを中之島トレーディングのECサイトで販売するという展開だ。
「アゲハビールですか。確かに、チョウチョのロゴ付きなのは可愛いかも。でも、会社で売るって、可能なんですか?」
「そっちはまだこれから」
あとは価格だ。母と三国は値上げを提案していたが、他の競合商品と比較して高くなる分、やはりそこには何かしらの理由が必要になる。
「つまり付加価値ですよね」
「一つ考えてるのは、飼育セットをおまけに付けること、なんだけど」
山椒の葉にはアゲハの幼虫がつく。普通はそれを駆除して終わりだが、それを利用する。
「ビールを買った客に、剪定した葉と幼虫をセットにしてプレゼントするんだ。殺すはずだったアゲハの羽化を間近で観察できて、子供は大喜びだ。まさにSDGsだろ?」
「気持ち悪い。馬鹿じゃないんですか」
涼葉は、バッタを食べたときのように、顔をしかめた。
「ビールを買ったら、箱が一緒に付いてきて、開けたらイモムシがいるってことですよね。うちなら、箱ごとガスコンロで燃やします」
「涼の家のキッチンはIHだったろ……」
「だいたい、商品はビールですよ?買うのは酔っ払いなんですから、そんなもの、もらってうれしいはずないじゃないですか」
「あーしなら、結構盛り上がるけどなあ」
「それに、購入者が都会の人だったらどうするんです?羽化したチョウチョは、周りに餌がなくて、すぐ死んじゃったりしませんか?」
予想していなかった正論だった。返事に困る。
「だったら、第二案。アゲハのコースターはどうだろう。可愛いし、飲みながら話題になったりしないかな」
だが彼女の表情に、賛同の意が見えない。
「最初のに比べて、発想が小粒すぎません?それに、酔っ払いは、グラスの下にある紙切れになんて、意識が及ばないですよ」
「さっきから酔っ払いを下に見すぎだと思うが……」
「もう少しましなアイデア、ないんですか?」
「あと一つあるんだ。でも、ちょっと大がかりだし、実現方法がまるでわかんない」
「聞くだけ聞きます」
まだ構想の段階だった。
以前、清水が話していた父の仕事内容から着想を得たものだ。
必要になりそうな項目を、思いついた順に口にしていると、途中から彼女は携帯を手にして、メモを取り出した。
「どうだろうか」
横槍が入らないまま、最後まで話し終える。
「どうって、うちにだってわかりません。とりあえず、今の内容を整理すると――」
基本は第一案と同じ、剪定した葉を使って、アゲハを育てる。
異なるのは、幼虫を育てる場所だ。
村野の山林から遠くないどこかに、飼育環境を確保し、イモムシの生育を定点カメラで観察するのだ。
ビールの購入者は、ラベル添付の二次元コードで、そのサイトが閲覧できる。
購入本数が一定数を超えると、個体に名付けできる権利を獲得でき、さらに増えると、現地のバックヤードツアーに参加できる。
「気になっているのは、観察対象が、普通のアゲハでいいかどうか、なんだ。何か珍しいのがいいんだけど」
「ひとまず、各方面に聞いて回ったらどうですか。確かめるだけならお金はかからないですし、できなくても、今なら恥をかいて終わりです」
ほとんど毎日一緒にいる間柄だ。その口調は、前の二つの提案のときとは違い、少なくとも馬鹿にしていないことだけはわかった。
「確認対象は、会社と当事者の村野さん。あとは静の彼氏のお父さん、ですかね。どれも難しそうですけど、最後が一番ハードルが高い気がします」
彼女は画面を見ながらそう言った。
「清水か。わかった。貯金を下ろそう」
「何ですか、それ」
情けは人のためならず、だ。
滝井にしてやったことは、あのときはまるで見返りなど考えていなかったが、今、この企画の実現可能性を高めるために必要なのだとしたら、使わない手はない。
「二人の恋愛感情を利用する。善は急げだ。これから一緒に行ってくれるよな」
「相変わらず思いつきで行動して」
などと軽い文句を言われつつも、同意されるのだと、疑っていなかった。
それなのに――彼女はわずかに顔をそむけた。
「今日はちょっと人と会う予定があって……無理なんですよね」
涼葉と出会って以降、初めて感じる微妙な空気感だった。
あの後二人がどうなったのか、もちろんそれは気にはなったが、前夜の思いつきをどう形にすればいいのか、そちらのほうが喫緊の課題だった。
村野を助けることと、社外取締役の任務を同時に遂行する。
もっとも、仮にそんなことが実現可能だとしても、綺里一人でなし得ることは到底不可能で、人の手を借り、あるいは誰かを説得するためのプレゼンのような作業も必要になるに違いない。
授業のあと、校内のカフェテリアではなく、駅前の、いつもは素通りする少し高級なカフェに涼葉を誘ったのは、そんな目的遂行のための第一段階だった。
「気味が悪いですね。綺里姉からおごると言われたのは初めてな気がします」
「いやいや。生徒会時代に、二度、自販機のジュースを買ってあげたはずだよ」
彼女は目を閉じ、軽く息をはいた。
「もういいです。それで相談って?会社と村野さん。どっちの件ですか」
「最終的には、両方なんだけど。先に村野さんのほう、聞いてくれるかな」
ビールの販売の改善方法について、思いつきをそのままぶつけてみた。
すなわち、ビールの価格やデザインを変更し、それを中之島トレーディングのECサイトで販売するという展開だ。
「アゲハビールですか。確かに、チョウチョのロゴ付きなのは可愛いかも。でも、会社で売るって、可能なんですか?」
「そっちはまだこれから」
あとは価格だ。母と三国は値上げを提案していたが、他の競合商品と比較して高くなる分、やはりそこには何かしらの理由が必要になる。
「つまり付加価値ですよね」
「一つ考えてるのは、飼育セットをおまけに付けること、なんだけど」
山椒の葉にはアゲハの幼虫がつく。普通はそれを駆除して終わりだが、それを利用する。
「ビールを買った客に、剪定した葉と幼虫をセットにしてプレゼントするんだ。殺すはずだったアゲハの羽化を間近で観察できて、子供は大喜びだ。まさにSDGsだろ?」
「気持ち悪い。馬鹿じゃないんですか」
涼葉は、バッタを食べたときのように、顔をしかめた。
「ビールを買ったら、箱が一緒に付いてきて、開けたらイモムシがいるってことですよね。うちなら、箱ごとガスコンロで燃やします」
「涼の家のキッチンはIHだったろ……」
「だいたい、商品はビールですよ?買うのは酔っ払いなんですから、そんなもの、もらってうれしいはずないじゃないですか」
「あーしなら、結構盛り上がるけどなあ」
「それに、購入者が都会の人だったらどうするんです?羽化したチョウチョは、周りに餌がなくて、すぐ死んじゃったりしませんか?」
予想していなかった正論だった。返事に困る。
「だったら、第二案。アゲハのコースターはどうだろう。可愛いし、飲みながら話題になったりしないかな」
だが彼女の表情に、賛同の意が見えない。
「最初のに比べて、発想が小粒すぎません?それに、酔っ払いは、グラスの下にある紙切れになんて、意識が及ばないですよ」
「さっきから酔っ払いを下に見すぎだと思うが……」
「もう少しましなアイデア、ないんですか?」
「あと一つあるんだ。でも、ちょっと大がかりだし、実現方法がまるでわかんない」
「聞くだけ聞きます」
まだ構想の段階だった。
以前、清水が話していた父の仕事内容から着想を得たものだ。
必要になりそうな項目を、思いついた順に口にしていると、途中から彼女は携帯を手にして、メモを取り出した。
「どうだろうか」
横槍が入らないまま、最後まで話し終える。
「どうって、うちにだってわかりません。とりあえず、今の内容を整理すると――」
基本は第一案と同じ、剪定した葉を使って、アゲハを育てる。
異なるのは、幼虫を育てる場所だ。
村野の山林から遠くないどこかに、飼育環境を確保し、イモムシの生育を定点カメラで観察するのだ。
ビールの購入者は、ラベル添付の二次元コードで、そのサイトが閲覧できる。
購入本数が一定数を超えると、個体に名付けできる権利を獲得でき、さらに増えると、現地のバックヤードツアーに参加できる。
「気になっているのは、観察対象が、普通のアゲハでいいかどうか、なんだ。何か珍しいのがいいんだけど」
「ひとまず、各方面に聞いて回ったらどうですか。確かめるだけならお金はかからないですし、できなくても、今なら恥をかいて終わりです」
ほとんど毎日一緒にいる間柄だ。その口調は、前の二つの提案のときとは違い、少なくとも馬鹿にしていないことだけはわかった。
「確認対象は、会社と当事者の村野さん。あとは静の彼氏のお父さん、ですかね。どれも難しそうですけど、最後が一番ハードルが高い気がします」
彼女は画面を見ながらそう言った。
「清水か。わかった。貯金を下ろそう」
「何ですか、それ」
情けは人のためならず、だ。
滝井にしてやったことは、あのときはまるで見返りなど考えていなかったが、今、この企画の実現可能性を高めるために必要なのだとしたら、使わない手はない。
「二人の恋愛感情を利用する。善は急げだ。これから一緒に行ってくれるよな」
「相変わらず思いつきで行動して」
などと軽い文句を言われつつも、同意されるのだと、疑っていなかった。
それなのに――彼女はわずかに顔をそむけた。
「今日はちょっと人と会う予定があって……無理なんですよね」
涼葉と出会って以降、初めて感じる微妙な空気感だった。