あれから半年が過ぎた。
 私は第三編集部から、塚原さんのいるコミック編集部に異動になった。
「まきちゃんの手綱を握れるのは俺しかいないって判断らしいよ」
「大丈夫ですよ。ヨリ先生以外のことでしたら、私は真面目でまともな編集者ですよ」
「すごい説得力あるな」
 塚原さんが指導してくれるかいもあり、新しい場所で慌ただしい毎日を過ごしている。
 今日も塚原さんと一緒にランチをしていると、隣の席に座っている女子高校生が青い表紙の小説を読んでいる。
 それはあの日、私を救ってくれたヨリ先生の小説だ。
 高校生は私たちと入れ違いに、席をたって去っていった。
「今の子、ヨリ先生の話読んでたね」
「はい。私、あのお話が特別に好きなんです」
「……葉空ヨリが守れて良かったよなあ」
 塚原さんは女子高生が座っていた席を眺めながらしみじみと呟いた。
「はい、本当に」
 〝葉空ヨリ〟は生き返った。今もヨリ先生の小説たちは不朽の名作として、愛され続けている。
「まさかあのとき、芳賀さんのお母さんが助けてくれるとはね」
 芳賀さんは約束通り、小田切明日葉さんについてメディアで語った。
 謹慎期間はメディアとの調整作業に忙しかった。問い合わせフォームから送ったメールは無視されるかと思ったが、関心の高いニュースだったこともあり、すぐにメディアは食いついた。
 その結果、うさんくさい週刊誌などではなく、全国区の朝の情報番組に芳賀さんが生出演することができた。こればかりは自分の手腕を自慢したいところだ。
 芳賀さんは涙ながらに、二人の関係、葉空ヨリが十一年間ずっと苦しみながら穂乃花のために書いてくれていたこと、印税を送り続け穂乃花のかわりに親孝行をしてくれていること、穂乃花も私も小田切明日葉を恨んでいないと語った。
 あの小説は、小田切明日葉を陥れたい誰かの仕業であり、遺族はまったく恨んでいないと言いきったのだ。
 世間の声は賛否両論で、葉空ヨリを批判するひとはもちろんいた。親友でありながら助けることができなかったことも罪だ、親友の死で金儲けをしているなんて信じられない、という声で、それらは少なくない人数に支持された。
 それでも大多数は葉空ヨリに同情し、葉空ヨリの評価はほとんど変わらない。葉空ヨリが人殺しだと話題にする声はなくなり、彼女の話題は落ち着いた。
 〝葉空ヨリ〟は復活した。
 刊行中止になったものは問題なく出版されることになり、映画化の話も戻ってきた。過去の作品のほとんどが重版された。葉空ヨリのファンの心も守られた。
「それなのにヨリ先生はどこにいっちゃったんだろうな」
 塚原さんがナポリタンを口に運ぶ。
「はい……」
「ヨリ先生まじめだよなあ」
 ヨリ先生は、すべて出版社で刊行予定のものを書き終えた状態ですぐに出版できる状態にしていたし、映画化も自分の許可なく行っていいと書類に残していた。すべての権利を芳賀さんに渡し、新作や重版したものの印税もすべて芳賀さんに入るように処理されていた。
 そして、ヨリ先生――小田切明日葉さんは消えた。
 ヨリ先生から各出版社にメールが届いた。【しばらくゆっくりさせてください】と。
 それがいつまでを指すかははわからないから、皆連絡することもできずに新作の相談は出来ないままだ。「ヨリ先生もいろいろとあったから休ませてあげよう」と各出版社は判断したらしい。連絡を取った出版社もあったが、返事は来ていない。
 葉空ヨリはもう復活しないかもしれない。
 それでもヨリ先生はきっとどこかで生きてくれていると信じ続ける。芳賀さんが根付いている小田切明日葉を、彼女が簡単に殺すことはしないはずだ。
 

 ランチを終え、オフィスに戻った私は業務に戻る。
 刊行作業の傍ら、小説投稿サイトノベルタウンを巡回する。
 私が今いるコミック編集部では、漫画家だけでなく原作者も探している。漫画の卵になる作家を探すのも私の仕事のひとつだ。
 今は私が担当しているのは、男性向けの異世界ファンタジーで、そのジャンルのランキングをクリックして――。
 しかし本質というのは変わらないらしい。私はいまでも編集者の特権を使って、ヨリ先生を贔屓してしまう。
 異世界ファンタジーのジャンルをあらかた見終えた私は、今日は現代ファンタジーを探すことにした。それが終われば、現代ヒューマンドラマのタブをクリックする。
 私は、ヨリ先生を探し続けている。
 だって、私は葉空ヨリ先生の大ファンだから。
 私ならきっとこの文章の海で、彼女を探し出すことができる。名前を変えても、文体を変えても。にじみ出る小田切明日葉の暗さを感じ取ることができる。
 そしてヨリ先生も書くのをやめられないはずだ。
 十一年苦しみながら、吐きながら、書き続けてきた。誰かを救うために、あの日の芳賀さんや自分自身を救うためのお話を。
 各出版社は時が過ぎれば、葉空ヨリが戻ってくると信じている。
 だけど一度〝葉空ヨリ〟を降りた彼女が、出版社に自分から再度話を持ち込むとは到底思えなかった。
 葉空ヨリの中にいる、小田切明日葉は暗くて、自己肯定感が低くて、自分を持っていなくて、誰かに愛されたいと叫び続けている、小さくて弱い人間だ。
 ――そして、それは私もそうだ。
 彼女が読者の心を暴いたぶん、彼女も自分自身を曝け出してくれていた。
 認められたくて、誰かに求められたくて、あがいている。
 それならば、私ができることは、彼女を探しだすことしかない。
 彼女は誰かに見つけてもらうのを待っている。〝葉空ヨリ〟ではない自分自身を。
 私があなたを見つける、絶対に。
 画面をスクロールし続けていたマウスを持つ手が止まる。ひとつのタイトルにカーソルを合わせて、迷わずそれをクリックした。

 ――青春小説家の殺し方