二日もたてば、炎は少しだけ揺らいでいく。
 秋吉たちに貼られた印象が覆ることはないが、世の関心は移ろっていくものだ。
 秋吉たちのイメージは下がるところまで下がり、これから新規の仕事が入る可能性は少ないだろう。
 そこまでの制裁が下ってしまえば、世間の溜飲はある程度下がる。この話題は既に三週間続いていることもあり、話題の賞味期限も近かった。
 私はこのまま秋吉たちの矛先が向いたまま、ヨリ先生に戻ってこなければいいと思っていた。しかし人々がこの話題から逃れることは許さない、というかのように芳賀穂乃花の小説は水曜日になった瞬間に更新されたのだ。

 【だけど、私を殺したのはH.Y。
 言い換えましょうか、Aさん。あなたなのです。】

 その言葉は正義感で動いている彼らの燃料となった。

【秋吉とか榎川より、葉空を恨んでるってことだよね】
【葉空ヨリ、なにしたの】
【自殺じゃなくて、葉空が線路に突き落としたとか?】
【それよりAさんは涌田亜美じゃない? つまり葉空は涌田】
【征直のM、小百合のS、千尋のCから考えると、四人組の一人の亜美だよね】
【涌田亜美があの恐ろしい日記の主だし恨むのも当然】 

 彼らが涌田亜美に注目するのは当然だといえる。
 主犯の三人の中で今まで話題にあがっていないのは涌田だけだ。
 証拠として見つかった日記を書いていたのも涌田。
 アルファベットも一致するし、秋吉も涌田を疑っていたくらいだ。世間がそこにたどり着くのは理解できる。
 私たち出版社はヨリ先生が涌田ではないことを知っているが、世間はもちろん知らない。
 秋吉や榎川、忠村のように涌田の現状がわからないことが、ますます葉空ヨリ=涌田亜美説の信憑性をあげていた。
 けれど、そもそも他の三人がたまたま有名で情報があがりやすかっただけのことだ。
 十五年たっているのだから、涌田のように情報が現れないことの方が普通に思える。地元を出て結婚で苗字が変わっていれば周りの人は気づかない可能性もあるだろう。 
 しかし世間は、亜美の現在がわからない=涌田亜美=葉空ヨリ、だと思い込んだ。

【葉空ヨリ先生の本当の処女作、蛾♡観察日記だったwww】
【文章を生業にしてる人間が、文章で人を殺してたってこと?】
【葉空の小説もう気持ち悪くて読めない】
【葉空の小説読んだら、あの観察日記が思い浮かびそw】
【観察日記恐ろしすぎたもんな。あれが広まってから秋吉たちの降板決まったし】
【あんないじめしてるやつら、絶対にメディアでみたくない】
 
 せっかく秋吉と榎川の炎上で、ヨリ先生から話がそれていたのに。ヨリ先生は涌田ではないのに。
 葉空ヨリは涌田で、主犯の中で一番芳賀さんを傷つけた最低の人間だということになってしまっていた。
 それが事実でなくとも。世間が決めたのなら、そうなってしまうのだ。

 
 翌日、須田出版と秦央社と合同でヨリ先生との会議が行われることになった。
 もちろん話題は芳賀穂乃花の件についてである。
 秋吉の降板や榎川の書籍化中止、忠村一家への制裁が完了としたならば、次は葉空ヨリ!と世間が動くのは当然の流れといえる。出版社には毎日問い合わせの電話がかかってきていた。
【葉空ヨリの書籍をすべて出版停止にしろ!】【葉空ヨリは犯罪者だ】【葉空ヨリの書籍を出す出版社も同罪だ】という声が一日何百と届く。
 【葉空ヨリの問い合わせ先はこちら→須田出版 03-xxxx 奏央社 03……】とヨリ先生が刊行したことのある出版社一覧をまとめる人物も現れた。クレームを言うなら本人よりも取引先が一番ダメージを与えられると入れ知恵をする人間の扇動により、正義感をたぎらせた暇人たちが各出版社に突撃しているらしい。
 私も一日何度くだらない電話を受け取ったかわからないし、隣の席の先輩は「勘弁してくれよ、もう葉空ヨリなんて切ればいいじゃないか」と呟くほどになった。きっと彼は編集長にも進言したことだろう。
 出版社も我関せずの姿勢を取るのが難しくなってきたため、本日の会議が開かれることとなったのだ。
 場所は須田出版の会議室。奏央社は田中編集長とヨリ先生の担当。須田出版は根津編集長、塚原さん、私といういつものメンバーである。なぜ塚原さんがここに呼ばれたのかはわからないが、会議室に向かう途中、塚原さんに「今日はあまり口は出さずに見守るほうがいいかも」と釘をさされたので、私の抑止力となるべく呼ばれたのだろう。
 今日の会議でヨリ先生の未来が決まるかもしれない。私は頬を叩いてから会議室に入った。
 既にヨリ先生は到着していて、出されたお茶を口につけている。
 久々に見たヨリ先生は、先日よりもはっきりとした隈が浮かんでいて疲れを感じる。それでも美しさが損なわれるどころか、儚さが増してますます魅力的に見えた。
 奏央社の二人が到着したところで、ヨリ先生は立ち上がった。
「今回はご心配をおかけして申し訳ありません」
 ヨリ先生は何も悪くないのに、深々と頭を下げる。
 彼女の誠実な仕草に会議室の空気は張りつめる。ヨリ先生が秋吉のような嫌なやつだったら、出版社も刊行中止と伝えて終わりで良かっただろう。けれどヨリ先生は十一年ずっと誠実で、驕ることなく真摯だった。過去のことを厄介だと思っていても先生のお人柄は編集長たちもわかっているはずだ。だからこそ痛々しい空気に包まれている。
「ヨリ先生頭を上げてください。どうぞお座りください。私たちは謝罪していただきたいわけではないのです。今後について建設的な意見交換ができればと」
 田中編集長がいえば、ヨリ先生も大人しく席に座った。それを見てほっとしたように田中編集長は続ける。
「私どもはヨリ先生が今回の件に無関係だと信じてはいるんです。……ですが週刊誌やワイドショーでも扱われ始めて、このまま無視できない事態にはなってきました」
「いじめに関与していないことが証明できればいいんですが、悪魔の証明になりますからね。例の小説はいまだにヨリ先生の名前を出し続けています」
 二人の編集長はそれぞれ苦虫を嚙み潰したような顔だ。
 建設的な意見交換と言いながらも二人はそれ以上会話を進めることを悩んでいる様子でお互い視線を絡ませ合う。
「お二人の仰りたいことはわかります」
 ヨリ先生は私たち編集者を一人一人見つめた。瞳は涼やかで、怯えなどはない。真っすぐに私たちを見つめている。
「須田出版さんと考えていた映画の件、奏央社さんの来年刊行予定のもの。どちらも中止にしていただいてかまいません」
「ヨリ先生」
「お気遣いありがとうございます。でも、言葉を選んでいてもお話は進みませんから」
 うわべばかり取り繕う彼らは決定的なことを言えないでいる。こうして自分から言ってくれるヨリ先生に安堵したことだろう。
「申し訳ございません先生。このままではヨリ先生にとっても、いい結果にはなりませんから」
 二人の編集長が頭を下げる。田中編集長の薄い後頭部を見ながら私は唇を噛みしめた。
「きっと読者からお怒りの問い合わせも届いていますよね。ご迷惑おかけして本当に申し訳ありません」
「いえいえ、それは私たちの問題ですから」
「御社は私の処分を発表していただいてもかまいません。過去に出版したものはお任せしますが、来年刊行予定のものや映画化の話は中止したと発表していただいたほうがよいでしょう。そうすれば御社への攻撃は少し避けられます」
 ヨリ先生は淡々と言った。こちらから頭を下げて相談しなくてはならない内容を先回りして提案してくれる。ヨリ先生の優しさに胸が締め付けられる思いだ。この場にいる人間はどんな思いで聞いているのだろうか。私は会議室の面々を見渡してみる。皆悲痛な顔を浮かべているが内心はわからない。ヨリ先生の覚悟を慮ることもせず、ほっとしているだけかもしれない。 
「ヨリ先生ご自身も大変ななか、こちらのことまで考えていただきありがとうございます」
 編集長たちは頭を下げる。根津編集長が顔を上げて、熱をこもった視線をヨリ先生に向ける。
「ですが……中止ではなく、延期とさせていただけませんか? 表向きは中止だと発表したとしても! 私たちはヨリ先生の作品を映像化したいですし、これからも刊行させていただきたいとは思っているんです! 私たちはヨリ先生の作品を世に出すことを誇りに思っています」
 私は笑い出したくなった。それほどヨリ先生のことを大切に誇りに思っているのなら、中止など発表しなくてもよいではないか。
 須田出版は葉空ヨリを信じていると発表すればいいだけだ。
 ふと左手をつつかれた。左を見てみると塚原さんが私を見ている。どうやら気づかぬうちに左手をきつく握りしめていたらしい。きっと彼は私の考えていることを読んだのだろう。私は『何もいいませんよ』と視線を返しておく。
「しかし今の世間の声的にしばらくはお話を進めるのは難しいかと思いまして……」
「わかっていますよ。このまま落ち着くといいんですけどね」
 ヨリ先生は微笑んで二人を見る。
 この件が落ち着くことなどあるのだろうか? 一ヵ月前から始まり、様子見をしようと言い続けて事態は好転するどころか悪くなるばかりだ。
「こんなことをお訊ねするのは大変心苦しいのですが、本当にいじめに関与はされていないのでしょうか」
 田中編集長が汗をハンカチで拭きながら、小さい声で訊ねた。ヨリ先生は少しだけ目を開いて、編集長を見る。
「いえね……私どもはヨリ先生を信じてはいます。けれど、もし十五年前にいじめに関与されていてもそれはそれで……とも思っているんですよ。高校時代のことですし、犯罪でもないでしょう」
 ヨリ先生に見つめられて動揺したのか、彼は早口で答えた。
「どういう意味でしょうか」
 柔らかい雰囲気をまとっていたヨリ先生の温度が下がる。
「えー、そうですね……言葉が悪かったですかね。その、ヨリ先生はいじめに関与されていないとしても、証拠を捏造されるかもしれませんよね。ですから……えー、その。幸い小説家というのは、顔を出さなくても問題はありません」
「つまり〝葉空ヨリ〟名義でなく、別名義での出版を考えるのはどうか、と思っているのです」
 途切れ途切れになっている田中編集長の言葉を根津編集長が補足して助ける。この人たちはヨリ先生の中身はどうでもよいのだ。
「世間の批判はもう免れません。無罪の証明など難しいですから……世間の声は落ち着いても、その、ファンが離れる可能性もあります。それでしたらいっそ、心機一転――」
「葉空ヨリを捨てろ、ということですか?」
 ヨリ先生は真っすぐ二人を射抜いた。二人は居心地悪そうに視線を漂わせ、会議室には重い空気が充満した。
「そ、そういうわけではないのです……ですが、ヨリ先生の今後のためにも、一つの案と言いますか……」
 言葉を濁したまま、逃げている二人への怒りで涙がでそうだ。保身保身保身。自分の会社のことしか考えていない! ヨリ先生の才能を手放すのは惜しいが、責任を取るつもりもない。
 今追い詰められているヨリ先生に対して〝葉空ヨリ〟を捨てろだなんて……!
「お二人が仰りたいことはわかりますよ。ですがこちらに関してはすぐに受け入れられるかはわかりません」
「も、もちろんです! すぐに事態が落ち着くかもしれませんし、ほとぼりがさめれば葉空ヨリ名義でも……!」
「葉空ヨリ名義を捨ててほしいわけではなく、私どもは過去にもし何かがあったとしても、ヨリ先生とのお仕事を続けるために様々な方法を模索したい、そう思っているのです! ですからペンネーム変更は一つの案でしかありません……!」
 二人は必死に弁解している。ヨリ先生の為を思って、今後を考えて。そう言うけれど、それはヨリ先生のためではない。自分たちのリスクを考えてのことだ。
 彼らは真実など関係ない。世間がヨリ先生をどう見ているか、それだけだ。
「ヨリ先生は何も関与していない被害者なんですよ」
 私の声は思いのほか、会議室に響いた。
 隣の塚原さんはため息をついたことだろう。この会議では黙っていた方がいいことはわかっている。それでもこのままではヨリ先生にとってあんまりな進め方になってしまう。ただでさえ刊行や映画化を中止にされているのに、次の約束もせず、さらにはペンネームまで捨てさせようとするなんて。
「今問題になっている原因は、世間がヨリ先生のことを主犯だと勘違いしているからです。ヨリ先生が涌田亜美さんだと勘違いされていることは、みなさんもご存知ですよね? ヨリ先生は噂されている涌田さんではない。それが証明されるだけでも全然違ってくるのではないでしょうか?」
 私は真剣な提案をするためにその場に立ち、演説するかのごとく皆の顔を順々に見た。
「涌田さんは普通の一般人だから情報が流れてこないんでしょうね。そのせいでヨリ先生が涌田だと勘違いされているようです」
 塚原さんが援護射撃をしてくれた。なんだかんたと結局面倒見のいい優しいひとだ。
「ヨリ先生が小田切明日葉さんだということを世間に公表するのはどうでしょうか⁉ 涌田さんでないと証明するだけでも、あの悪趣味な日記を書いている、というくだらない批判はやみます!」
 私は編集長たちをみたが、彼らから好意的な表情は返ってこなかった。
「あの……そもそも、先生は本当に小田切明日葉さん、なんですよね」
 ずっと黙っていた奏央社の担当が恐る恐る質問した。彼女の質問にヨリ先生は微笑んだまま、椅子の横に置いてあったカバンから財布を取り出した。
 財布の中から出てきたのは、免許証とマイナンバーカードだ。
「はい、正真正銘小田切明日葉ですよ。ご確認いただいてもかまいません」
 ヨリ先生は会議室の机に二つを置いて、私たちに向けてよこす。誰もそれを手にとることはしなかった。
「私は本当にいじめなどしていないです。……ですが、すみません。一つ嘘をついていました。私は芳賀さんのことをよく覚えているんです」
 誰も手に取らなかった免許証たちを財布にしまうと、どこか切なげな顔でヨリ先生は語り始めた。
「私が青春を描くきっかけをくれたのは彼女なんです。私たちは三年二組の中では他人でしたが、私は芳賀さんのことを眩しく思っていました。そんな彼女がいじめられていたことを実は知っていました。……というよりも、週刊誌の通り。三年二組にいたならば、いじめに気づいたと思います。私はいじめ自体には関与していません。けれど、三年二組全員が同罪だとも思っているんです。誰も彼女を助けられなかったから。だから……私は加害者でもあります。今回の疑惑を百パーセント否定することはできないんです」
 初めてヨリ先生が悔しさを滲む顔をみせた。
 主犯のひとりである秋吉は全く反省もしないどころか人のせいにしていた。ヨリ先生はただのクラスメイトで、助けられなくても仕方ないのに過去を悔いている。
「僕もヨリ先生の立場だったなら止められなかったと思いますよ。普段関わりがないうえに、派手な子たちのいじめは怖くて関われないというのが大半ではないでしょうか」
 塚原さんがヨリ先生をフォローするように声をあげた。
「そうですね。でも誰も芳賀さんのことを助けられなかった。私はそんな贖罪もあって、青春小説を書いていたのかもしれません。だから芳賀さんが私に怒っているのもわかる気がします。私のことを助けてくれなかったのに、きれいな世界を書くな。それは理解できます。
 ――だから〝葉空ヨリ〟はここで終わらせるのがいいかもしれません」
 真剣な口調のヨリ先生に誰もしばらく言葉を発することが出来なかった。
「別名義の件も、私の本名を公表する件も少し考えさせてください。取り急ぎの対応として、刊行や映画化中止を公表いただいて出版社を守ってください。他の出版社にも同様の対応をしていただくつもりです」
 編集長たちの表情がほぐれる。
 ……自分の出版社だけが、葉空ヨリを切るわけではない。そのことに安堵したのだろう。私が気づいたのだ。ヨリ先生も二人を見やり、少し悲しげに目を伏せた。
 結局映画化と書籍刊行が立ち消えただだけで、実になる会議ではなかった。出版社は自分たちを守り、解決は先送りにする。そしてヨリ先生の仕事だけがなくなった。
 帰り支度を始めたヨリ先生のもとに段ボールを持って近づく。
「ヨリ先生、お疲れさまでした。これ先日のラジオの……」
「ああ! ありがとう」
「それから今日までに届いたファンレターも入れています。ファンレターいつもの五倍も届いています。ヨリ先生を心配している人はこんなにいるんですよ!」
 ヨリ先生が段ボールを見て頬を緩めてくれるから、まとめておいてよかったと思う。
「ちゃんと中身は確認しているので安心してくださいね! 下までお持ちします」
「ありがとう」
 既にタクシーは手配している。私は段ボールをよいしょ、と持ちあげると下まで運ぶことにした。一枚ずつは軽くても、メールの印刷まで合わせれば百は超えている。なかなかの重さでヨリ先生に持たせるわけにはいかない。
 ビルの前に停めているタクシーに荷物を入れ込みながら
「ヨリ先生が嫌でなければ、ご自宅までお送りしましょうか。荷物も重いですし」
 荷物が重いことも理由のひとつではあるが、ヨリ先生と二人で話をしたかった。ヨリ先生は皆の前では気丈に振る舞っていたが、心中乱れているはずだ。せめて私は心からヨリ先生の味方だと伝えたかった。
「時間大丈夫なの?」
「はい。この後は大きな用もありませんし、ちょっとお話もしたくて」
「それならお言葉に甘えようかな、ありがとう」
 私はヨリ先生と共にタクシーの後部座席に乗り込んだ。
 隣に座るとかすかに甘い香りが鼻をくすぐる。こうしてヨリ先生と隣に座ることはほとんどないので少し気恥ずかしい。
 ヨリ先生は運転手に行先を告げると、窓の外をぼんやり眺めながら訊ねた。
「まきちゃんは私が小田切明日葉だと公表したほうがいいと思う……?」
「私はそう思います。涌田さんと勘違いされているのが、今ヨリ先生に攻撃が集中している原因です。いじめと無関係である名前を公表すれば騒ぎは落ち着くと思います」
「そっかあ」
 ヨリ先生はそのまま黙った。窓の外を見たままで、どんな表情をしているのか、どのようなことを考えているのかは掴めなかった。
 何か、言わないと。せっかくヨリ先生が私に相談してくれているのだ。編集長でも塚原さんでもなく、私に。沈黙に焦っていると、ヨリ先生がぽつりとつぶやいた。
「私が小田切明日葉だと知ったら、みんながっかりしないかな? 学生時代の私は暗くて、見た目も悪いでしょ」
「し、しませんよ!」
 力を込めて発した。ヨリ先生は振り返り、私を見つめる。
「そうかな……? 私、実はいじめられっこだったの。三年のクラスはそうでもなかったけど、一、二年とかひどくて。……だから、私は自分のことが本当は嫌いなんだ」
 いつも凛とした表情のヨリ先生が少し頼りなく見えた。笑顔を作ってくれているけど、今にも消えそうなほど儚かった。
 ヨリ先生の小説は爽やかで清潔感があるが、いじめの描写は生々しく感情移入が容易かった。それは過去の経験だったのかもしれない。
 強くて誰もが憧れる美しいヨリ先生が好きだった。でもこうして弱さを吐き出されても、憧れは消えることはなく弱さの上に成り立つ強さを美しいと感じる。
「そんなヨリ先生だからこそ弱さを優しく描けるんですよね。そういうことを含めて公表するのはどうですか? 本名と過去の経験と。それは誰かの希望になります! 絶対に」
「そっか、ありがとう」
「大丈夫ですよ、絶対」
 力を込めて言えば、ようやくヨリ先生はいつもと同じ表情で笑ってくれた。
「わかった。小田切明日葉だと公表してみる。――でもどうすればいいかな? 免許証をネットに公開するわけにはいかないよね」
 ヨリ先生が素直に小田切明日葉だと名乗ったところで、世間は納得するだろうか。証拠を出せと言われるに違いない。
「それなら須田出版からというのはどうでしょうか。本人が言うと証拠がなければ信憑性もありませんし。出版社から公表した方が事実だと伝わるはずです。私から根津編集長に相談してみます」
「ありがとう。タイミングは須田出版さんに任せます」
 私が頷くと、ヨリ先生は少しだけ眉間を寄せた。
「世間は私を涌田さんだと思っているんだね」
「イニシャルが同じAですからね。三年二組には他にもAがつく人はいましたけど、涌田さんは主犯とされている三人のうちの一人ですから」
「たまたまAだったからかぁ」
 そう言うヨリ先生の声音に批判や恨みは込められていない。ヨリ先生はこんなときでも誰かを責めるようなことはしない。
「そういえば秋吉さんも、ヨリ先生を涌田さんだと思っていましたよ」
「秋吉さん?」
「はい。ラジオ局で秋吉さんに会って詰め寄られたでしょう。あれからヨリ先生は大丈夫でしたか? 実はあれ以来、秋吉さんは須田出版にしつこく連絡をしてきているんです。ヨリ先生は誰なのか教えろ、と」
「そうだったの。私は大丈夫だけど、まきちゃんこそ大丈夫だった?」
「はい。……ところで、秋吉さんから聞いたのですが、秋吉さんと食事に行っていたのは本当ですか」
 まるで恋人の浮気を咎めるような声が出てしまったが、ヨリ先生は嫌な顔をせずに「そうだよ」と軽く答える。
「自分に近づいたのはなにか目的があったんじゃないかって秋吉さんは怯えている様子でした」
「それは彼に悪いことをしてしまった。タイミングが悪すぎただけで、私は何も意図はなかったの」
「意図はない?」
「うん。素敵だなと思う異性に食事に誘われて、誘いを受ける。特に意味があったわけではないよ」
「えっ」
 私が大きな声を上げてしまったので、タクシー運転手の肩がぴくりと跳ねる。
「すみません……えっと、それはヨリ先生は秋吉さんのことが、素敵だと思ったんですか?」
「まきちゃんのタイプじゃなかったかぁ」
 ヨリ先生は小さく吹き出した。
「いえ……秋吉さんは見た目は素敵だと思いますけど……」
 自分の言葉の歯切れが悪くなるのを感じる。ヨリ先生が秋吉を素敵だと思うだなんて考えたくなかった。
「でもまきちゃんがそう思うのも仕方ないかも。今回の件が起きてから、たくさん着信とメッセージが届いて……それであのラジオ局の件でしょう。少し怖くなっちゃったのも事実。きっとまきちゃんにもそうやって連絡したり、出版社まで押しかけたりしたのかな。迷惑をかけてごめんね。私も今回の件が起きるまでは、彼のそういう一面を知らなかったから」
 一連の事件が起きるまでは秋吉は猫を被ってヨリ先生に接していたのだろう。
「彼が元クラスメイトだと気づかなかったんですか?」
「私は気づいていたよ。秋吉さん……秋吉くんは学生時代から女子生徒から人気があって、私も憧れている一人だったから」
「でも芳賀さんをいじめていたり、二股をかける人だったんでしょう」
「芳賀さんがいじめにあっていたことや、榎川さんたちが主犯だったことは知ってる。だけど秋吉くんのことは知らなかった。今回話題になってる十五年前のSNSの件は知らなかったの。私はクラスの隅で誰からも認識されない人間だったから。SNSのアカウントも持っていなかった」
 それは想像ができた。私もクラスで孤独を感じていた時、仲が良いメンバーで盛り上がるSNSには入れてもらえなかった。恋事情も教えてもらえなかったから、秋吉を巡る三角関係をヨリ先生は知らなかったかもしれない。
「それじゃあ秋吉さんに学生時代から憧れていたんですか?」
「うん、そうなるね。といってもずっと忘れてはいたんだよ。まさか東京で会うとも思わないし。だから声をかけてもらって嬉しくて」
「そうですか……」
 心のなかにうまれたじゅくじゅくとした醜い物を私は隠すように笑顔をつくった。
「ヨリ先生にもそういう一面があったとは」
「私はけっこう面食いなのよ」
 ヨリ先生がはにかんだ。ヨリ先生の知りたくなかったことを知った私は微笑みで濁す。
「なぜ秋吉さんに本名を名乗らなかったんですか? 元クラスメイトだと知ったらさらに親しくなれたんじゃないですか」
「名乗れないよ」
 ヨリ先生は悲し気に首を振った。
「学生時代の関係は、ずっと変わらないの。今がどうなっていようが、同窓会にでもいけば私は会場の隅にぽつんといるでしょうね。見下していた小田切明日葉だと知ってしまったら、彼の私への気持ちはなくなる。もう対等な関係ではいられない」
 ヨリ先生は寂し気に目を伏せた。
 私にも想像がつく。過去に私をいじめていた人間からすれば、私はいつまでもゴミで玩具だ。いくら私が有名になっていたとしても見下される。彼女たちを目の前にすれば背中を丸めてうつむく自分が想像できた。
「秋吉くんの前では、葉空ヨリでいたかった。だから元クラスメイトだと打ち明けられなかったんだけど、今回のことが起きてしまったから……きっと秋吉くんは私が何か画策していたと思ったでしょうね」
「……はい」
「初恋は実らないってやつだね」
「初恋だったんですか」
「きっとね」
 ヨリ先生の声は寂しそうだった。
 ちょうどタクシーがマンションに到着した。運転手さんに待機の依頼して、トランクから段ボールを出す。
「部屋までお送りします」
 ヨリ先生と並び、エントランスに向かっているところで――シャッター音が鳴った。
 私たちが乗っていたタクシーの後ろに、ワンボックスカーが止められていて、大きなカメラを持った人間と何人かの記者らしき人間がこちらに向かってきている。出版社から後をつけられたのかもしれない……!
「ヨリ先生、いきましょう!」
 私たちは早歩きでエントランスまで向かうが、
「葉空さん、お話聞かせて頂けますか!」
「芳賀さんは誰よりもあなたを恨んでいるようですが……!」
「あなたは噂されている涌田亜美さんなんですか⁉」
「今はお答えすることはありません!」
 私は後ろを向くと記者たちに向かって叫んだ。
 ヨリ先生は何もやっていないのに、どうしてみんなヨリ先生を疑って傷つけるんだ……!
 ヨリ先生をかばうように、ヨリ先生の後ろを陣取った。ヨリ先生は顔を伏せながらエントランスに足を進める。
 エントランスまで入るとさすがに記者たちも入って来れないようで、私たちはエレベーターホールまで進むと息を落ち着かせた。頬が桃色に染まったヨリ先生はこんな時でも美しい。
「……ヨリ先生、週刊誌に張られてるんですか?」
「最近そんな気がしてたの。だから家から出ずにネット注文ばっかり。でも私宅配とかは全部、葉空ヨリの名前でお願いしてるから、嫌な顔をされるようになっちゃった。こないだ、殺人鬼とか言われちゃったし、あはは」
 ヨリ先生は自虐的に笑ってみせた。いつも穏やかに見せてくれているけどヨリ先生の心も身体も穏やかでいられるわけがないのだ。私の前では軽く話してくれる姿に心が痛む。
「ごめん、まきちゃん。悪いけど段ボールは持って帰ってもらってもいいかな?」
「えっ」
「実は引っ越しを考えてるの。最近マスコミにも張られてるし……出版社との関係も一旦終わりになっちゃうでしょう。だからもうすこし田舎にでも住もうかと。今ので決意もついた! だから、ね。家の中のものを今増やしたくなくて、引っ越しが完了したら着払いで送ってくれないかな」
 ヨリ先生はそう言うとエントランスの外を見た。何かに追われているように。
「わかりました、お預かりしておきます。ヨリ先生、無理なさらないでくださいね。私は須田出版の社員ですけど、そんなこと関係なく、個人としてヨリ先生のことを心配しています。作家と担当だから、とか気にせずに友人だと思って、何でも言ってください。ご飯買ってきて、とかでもいいですよ。ヨリ先生のお力になりたいんです!」
「いつもありがとう、まきちゃん。きっと私のことを心から心配してくれてるのは、まきちゃんだけなんだろうなって思うよ。だから今すごくありがたいよ。まきちゃんは話していても裏表がなくて」
 ヨリ先生が泣き笑いのような顔に変わり、私の胸は潰されそうだった。
 そうだ。ヨリ先生は一人で戦っている。一見味方のような出版社も実は裏がある。繊細なヨリ先生がそのことを見抜けないはずがないのだ。
「私はヨリ先生のことを大切に思っています。本当に何でもおっしゃってくださいね」
「うん……ありがとう」
 ヨリ先生は言葉を詰まらせた。
 ……ヨリ先生を守れるのは私しかいない。ヨリ先生の盾になれるのは私しかいないのだ。
 私の存在がヨリ先生の少しでも支えになればいいのに。私は大量のファンレターと共に須田出版にUターンした。


 
「どうしてですか!」
 まだ奏央社の人がいるのはわかっている。それでも声を荒げてしまった。
「……はっきり言うわ。私たちは今回のことは最低限しか関わりを持ちたくないの」
 根津編集長は濁さずに私を見た。隣で田中編集長も頷く。
「ですが……」
「ヨリ先生ご自身に投稿してもらうしかないんじゃないかしら」
 根津編集長は表情を崩さない。先ほどの会議の苦しそうな顔は演技だったのか。
 あのあと、私は社に戻るとまだ話し合いを続けていた編集長たちに要望を出した。葉空ヨリが小田切明日葉であることを公表して、涌田ではないことを証明したいと。
「ヨリ先生はいじめに関与していません。涌田だと疑われているから激化しているだけで、証拠もありませんから」
「あの、でもこれから証拠が出てくる可能性がありますよね」
 奏央社の担当編集がおずおずと声を上げた。
「そうよ。名前を公開して、そこから更に悪いことになったらどうするの? 名前を公表した私たちにも批判が集まる。須田出版はヨリ先生寄りの声明を一度出してしまっている。慎重にならないと」
「まきちゃん。うちにも問い合わせがたくさん来ているのは知ってるでしょ」
 塚原さんもこれは助太刀してくれず、渋い顔を向けられた。
「もし小田切明日葉さんに不都合なことがあったなら……責められる」
「そんな……じゃあヨリ先生が涌田だと勘違いされたままでいろってことですか⁉」
「もしかしたらネットの探偵たちが涌田の現在を探し出してくれるかもよ? ほら、いじめの証拠のSNSを見つけてきたのもネットの人だったし。そういうのが趣味な特定犯だっているんだよ」
 塚原さんが私の肩を叩き軽い口調で言ってくれるが、私はそうは思わない。
「僕たち責任者の意見は一致しているんだ。このまま世間が静かになるまでは触れないでいて……半年ほど過ぎれば別名義での出版を考えている」
 ヨリ先生の前ではしどろもどろになっていた田中編集長は、私にははっきりした口調で伝えた。
「それってヨリ先生がいじめをしていても構わないということですよね?」
「そうよ。犯罪の過去や、現在進行形で悪事に手を染めているならまだしも、十五年前のこと。今度のペンネームで顔出しをしなければばれない。もしかしたら文体で気づく人もいるかもしれないけれど否定すればいいだけだわ」
「じゃあ出版社に〝芳賀穂乃花〟がいたらどうするんですか?」
 奏央社の二人はあからさまに怪訝な目つきになる。
「私は今回のこと、出版社の誰かの仕業かもしれないと思っています。ヨリ先生の本名を知っているのは出版社です。打ち合わせの中で過去にクラスメイトがいじめで自殺していると知った。それでヨリ先生を陥れようと、今回の騒動を引き起こした可能性だってあります。
 ヨリ先生仰ってましたよね。芳賀さんのことがあったから小説を書いていると。――塚原さん、ヨリ先生からそんな話聞いたことなかったですか⁉」
 私に意見を求められて塚原さんはたじろぎつつも考えてくれる。
「……そうだなぁ。打ち合わせの時に過去の経験やクラスでの窮屈さは入れ込んでるとは聞いたことがある。だけどそんな話どの作家さんともするだろ? ヨリ先生には詳しく語られたことはないよ」
「わ、私も聞いたことはありません。今回刊行予定のものはいじめを取り扱うものでしたが、元クラスメイトが自殺をしただなんて」
「でも聞いたことがある人もいるかもしれません。葉空ヨリをなかったことにしても、次のペンネームの正体が葉空ヨリだと晒されたら、それこそ須田出版も奏央社も信頼は地に落ちますよ。過去を知りながら、葉空ヨリを匿ったって!」
「別名義でお願いするとしてももっと騒動が落ち着いてからよ……とりあえず、今は様子見するしかないのよ」
「様子見様子見って一ヵ月前からずっとそうじゃないですか! 状況は悪化するばかりです!」
 声が大きくなってしまった。叫んだ後に会議室が静まり返るくらいには。
「でもここからまだ悪化するかもしれないでしょう。別名義の検討もしていられないくらいに」
「……編集長はヨリ先生の評判が落ちるかもしれないから、このままどこまで悪化するか様子を見ておく、ということですか? 評判が落ちなければ今後も起用したいけど、そうでなかったら……つまり様子を見ると言うのは……ヨリ先生が世間にどう判断されるか最後まで待つということですか⁉」
「――そういうことよ」
 編集長は私を真っすぐ見た。
「私だってヨリ先生のことは好き。だけど、私が守るべきものは葉空ヨリだけではない。須田出版、そしてすべての作家なの。ヨリ先生と関わることで須田出版の評判が落ちるのなら、残念だけど今後お仕事はできないと思っている」
「でも、このままヨリ先生の評判が落ちるのを見守るだけじゃなくて、出来ることだってありますよね⁉ 涌田ではないと否定すれば、少し批判は和らぎます!」
「それは目の前のことしか見えていない。ここでヨリ先生を守ったつもりが、逆に窮地に追い込むことだってある。私たちが静観するのはヨリ先生のためでもあるのよ」
「……でも、ヨリ先生は……! 小田切明日葉だと公表してほしいと仰っていました! ヨリ先生は過去の自分が好きではないんです。それでも公表すると仰ってくださっていて!」
「だからもうすこし事態が落ち着いてからね。ほとぼりがさめてからよ」
「まきちゃん、ゆっくり息を吸って」
 塚原さんが私の顔を覗き込んだ。その目は心配しているようにも憐れむようにも見える。
「あなたは少し冷静になる必要があるわ。今回のことがヨリ先生ではなく、他の作家さんだったらどういう対応をしていたか。それを頭に入れて行動してみて。ヨリ先生のことを特別に思っているのはわかっている。だけどそれは須田出版の社員として捨てなくてはいけない感情ね」
「これくらい作家のことを想っている担当者というのも、若くて熱くていいなあ」
 田中編集長が場を取りなすように笑った。その笑いは気持ちをバカにされているようで突き刺さる。
 ……だめだ。出版社はヨリ先生のことを商品としか見ていない。
「彼女のいうことも一理はあるよな。もう少し落ち着いて、ヨリ先生の疑惑が解ければ。今回のことを逆手にとって、過去に失った少女を救いたくて小説を書いていたと打ち出すのもいいかもしれない」
「そうね。それも全部落ち着いてからになるけど」
 二人の編集長の話が耳からすり抜けていく。 
 この二人はだめだ。どこの出版社もだめだ。私しかヨリ先生を守れない。……早く〝芳賀穂乃花〟を探さないと。
 私はその場にいられずに会議室を出た。唇をかみしめすぎていたらしく、唇から鉄の味がする。
「まきちゃん」
 後ろから塚原さんが追いかけてきた。塚原さんだって結局ヨリ先生のために動いてくれないくせに。
「あれでも編集長たちも頑張ってくれてる方だとは思うよ。これがヨリ先生じゃなかったら、ただ打ち切られてる可能性も高い。こうして会議をしたり、別名義を提案したり……」
「それはわかってます。……でもすみません、冷静になりますね」
 塚原さんにお辞儀をすると私は足早に化粧室に向かった。とにかく今はひとりきりになりたかった。
 そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。……ノベラブルの新着投稿だったらどうしよう。最近は通知を受け取るのがひどく怖い。
 恐る恐るスマホの画面を見てみれば、それは知らないアドレスからのメールだった。――榎川小百合からだ。
 
 
 退社後、私はカフェに立ち寄った。秋吉とも会った純喫茶で、私を待つのは榎川だ。
 榎川は「夜もほとんど眠れなくて」というわりには、髪の毛をきちんとアレンジしてまとめあげていて、服装も雑誌から出てきたように洗練されていた。疲れているのは間違いないようで、濃いクマや荒れた肌をファンデを厚塗りしてごまかしていた。
「山本さんが、あなたが芳賀穂乃花を突き止めてくれるって言っていたので」
「私はそうしたいと思っていますが、出来るとは言っていませんよ」
「それでもいいです、このままじゃあたし、終わりなんです」
 激高した秋吉と異なり、榎川は終始うなだれながらぽつぽつと今の現状を語り始めた。榎川は見た目に比べてずっと幼い喋り方をする。彼女はインフルエンサーとしてPR案件や、アフィリエイト収入で生計を立てていたらしい。
「このままだと収入もなくなっちゃいます。十五年前のことがどうして今になってですか……仕事もやめて、ここまで人気が出るまで毎日投稿してコツコツ五年頑張ってきたんですよ。本だってすごく素敵なものになってたのに」
 榎川はぽろぽろと涙を零しながら、言葉を吐きだしていく。
「いじめられてるのはこっちですよ。十五年前のことだけじゃなくて、いろんなことが話題になってるんです。あたしが紹介してるPR案件は詐欺だった、とかまで言われてるんですよ。あたしには効いたから紹介してるんですよ? その人が合わないのは、その人の問題じゃないですか。なんでそんなことまで責められないといけないんですか。ひとつ悪いところが見つかったら、あたしの全部が悪くなるんですか?」 
 私は榎川の愚痴を聞くために呼び出されたのだろうかとげんなりする。十五年前のことだけでない現状の愚痴を十分は聞き続けている。
「まるであたしが主犯です……ぐすっ。あたしは秋吉くんと付き合って、いじめの原因になったかもしれないけど……一番怖いのは千尋だから。千尋に逆らえるわけないんですよ、だって市議会議員の娘ですよ。あの子、そうやって毎年誰かをターゲットにしてたんだから。あの子がいなかったら、あたしだって穂乃花のこと……」
「榎川さんは涌田亜美さんの現状はご存知ですか? 今ネットでは葉空先生=涌田さんだと言われてますけど」
「亜美なわけないですよ。なんでそう思うんですか」
 榎川は涙をいっぱいに貯めながら私を見上げた。
「Aさんと紹介されてましたし……」
「違いますよ。亜美だって悲惨です。亜美はあたしたちみたいに目立った活躍してない一般人なだけ。亜美も今回のせいで、婚約が破棄になったみたいですよ。亜美はもう地元出たんですけど、婚約者が今回の騒動見て……まあそりゃあんな日記残ってたらドン引きしますよね……でもみんな黒歴史くらいありますよね」
 ヨリ先生は、確実に涌田ではない……!
 榎川はぶつぶつと呟き続けているが、私の中でひとつしこりになっていた部分がすっきりとした。ヨリ先生が主犯でないのなら、涌田でないのなら――やはり証明しないといけない。
「ひどいですよね。千尋の旦那さんの未来も閉ざされちゃったし、お父さんの立場も危ういんじゃないかなあ。地元って噂が一番広まるでしょ? 地元の好感度が一番なのに、千尋のお父さんヤバそー」
「政治家は、つつきやすい場所を突かれるでしょうね」
「千尋の旦那さんも、お父さんも悪くはないのにね。あ、でも穂乃花が死んだとき、お父さん圧力かけたんだっけ。悪いことしてたわ」
 榎川は他人事のように笑った。
「榎川さんは〝芳賀穂乃花〟を名乗る人物に心当たりはありますか。普通に考えれば、芳賀さんをいじめていたあなたたちに復讐をしたいんだと思います」
 私は強引に話を元に戻す。このままでは榎川の愚痴に一日付き合わなくてはならない。
「怖いですよね。十五年も経ったのに。だって十五年って、一昔前は殺人でも時効になってましたよね。それなのに、こんな」
「何か覚えていませんか? 例えば芳賀さんのご家族とか、兄弟、特別に仲のいいご友人」
「んーそんなこと言われても、だって十五年前ですよ? 友達の家族とか覚えてますか?」
 榎川は話してきて落ち着いたのか涙は止まっていた。くるくると氷をかき混ぜながら天井を見上げて口を尖らせる。
「……あ。家族は思い出せないけど、友達で一人心当たりある。あたしたちを死ぬほど憎んでて復讐したい人」
 榎川は長い睫毛を瞬かせながら「なんて名前だったかな」とスマホを取り出しSNSアプリを開く。〝三年二組〟と検索すればすぐに市古高校三年二組のアルバムが出てきた。
「穂乃花の幼なじみ。えーっと……そうだ。

 ――小田切明日葉」