【葉空ヨリは人殺し】
すべての始まりの一言が投稿されたのは、新刊のレビューだった。
一週間前に我がレーベルから発売された、私が編集担当した、ヨリ先生の渾身の新作。有名通販サイトのレビューにその一言が投稿された。
ヨリ先生は、人殺しから最も遠い存在だと思う。
むしろたくさんの人の命を救っている。私も先生に救われた一人だ。
だからこのときの私は、これから起こることなど全く想像せずに、鼻で笑った程度だった。
ヨリ先生にもこんな馬鹿馬鹿しいコメントをよこすアンチ的な存在がいるとは、と笑い、削除依頼を出したあとは気にも留めなかった。
葉空ヨリ先生は、私が担当している作家の一人。大学在学中にデビューして十二年目の三十三歳の女性作家だ。
『死にたくなったら、葉空ヨリの小説を読んで。明日を生きてみようと思えるから』
そんなキャッチフレーズと共に“自殺抑制作家”と呼ばれ、十代を中心に絶大な人気を誇っている。
十代の葛藤や苦しみを繊細に瑞々しく描き、絶望から救い上げる優しさがある。
文章にあまり触れたことのない人でも、青春が遠い過去となった人でも、誰もが楽しめるキャッチーさがあり、何作も映画化され、三年前には書店大賞にも選ばれた。
私が須田出版を志望したのも、ヨリ先生がデビューした出版社だからだ。
言葉にすると陳腐だが、私も十七歳の頃に先生の作品に命を救われている。光のない灰色の世界をそっと照らしてくれたのがヨリ先生の小説だった。
ヨリ先生は様々なレーベルから出版されているが、自分を拾い上げた須田文庫に恩を感じているらしく、どれだけ忙しくても年に一度は必ず須田文庫から出版をしている。
運がよいことに私は須田出版に新卒入社することができ、希望の編集部に配属された。
そして社会人二年目となった私に、人生で一番の幸福が舞い降りた。
「まきちゃん、ヨリ先生の担当する?」
根津編集長に声をかけられたときは、文字通り頭の中が真っ白になった。
「でも、私、まだ二年目ですし……葉空先生の担当など、よいのでしょうか」
「だからよ。ヨリ先生なら、安心なのよ」
その意味はすぐにわかった。ヨリ先生は作家としても優れていたが、人間性も素晴らしかったのだ。
初めて対面したのは、出版社のオフィス。
葉空ヨリが美しい人であることは、写真で知っていたことだったが、実物のヨリ先生は想像の何倍も美しかった。
日に照らされた髪も肌も透き通るようで、端正な顔は優しさに満ちていた。これほど聖女という言葉が似合う人はいない、と感じるのは彼女の素晴らしい小説に触れてきたからかもしれないが。
「は、はじめまして! 槇原羽菜と申しますっ! は、葉空先生のことを心から尊敬していて……担当させていただけることを幸福に思います!」
「あはは、元気だね。こちらこそよろしくお願いします。あ、そうだ。根津さんやどの担当さんも私のことを下の名前で呼ぶから、よかったらヨリと呼んで」
柔らかな鈴のような声と穏やかな笑みを向けてくれる。笑うとエクボが出来て、ヨリ先生も人間だったのかと変な感心をしてしまった。
ヨリ先生は決して偉ぶることもなく、気さくで朗らかな人だった。
もちろん作家としての仕事も完璧で……つまりベテランの編集者だろうが、新人だろうが、誰でもよいから、私が担当につくことができたのだ。
ヨリ先生の小説は編集者が口を挟むまでもなく傑作で、締め切りを破ることもなく、何か揉めるようなこともない。
ヨリ先生は小説のイメージそのもののお人柄で、心を掬いあげる優しい文章をそのまま擬人化したような人だった。
そしてヨリ先生の担当になって半年後。はじめて私が担当した書籍が出版された。
今の自分に苦しむ女子高生が、遠く離れた場所に住む男子高校生と入れ替わる青春小説だ。設定自体はありがちなものではあるが、ミステリー要素もあり、どの世代の人でも楽しめる。主題となる主人公の悩みを暖かく溶かし、この作品でまたたくさんの人を救うのだという自信があった。
葉空ヨリの新刊ということで、どの書店でも大きく展開された。私は全国の店舗をすべてまわって写真におさめたいくらい浮かれていた。その話は大変素晴らしく……そして私が担当した書籍なのですよ、と。
私が一緒に作り上げた感覚は正直ない。小説の内容について、私が関われた部分などほとんどない。校正作業を行ったくらいだろうか。それでも、ヨリ先生の一部になれた気さえした。
新刊の反応は上々で、初版でかなりの部数を出したにも関わらず、発売前から重版も決まった。SNSでの感想や通販サイトや読書記録サイトのレビューも評価は高く、私はすべての感想を余さず読み、ヨリ先生に逐一報告した。
発売から一週間後。いつものように通販サイトのレビューを見ていた私は、五段階のうち最低評価をつけている感想を見つける。
【葉空ヨリは人殺し】
それはシンプルなコメントだった。
今作は青春ミステリーだが、作中で誰かが死ぬ描写はない。だから小説の評価ではなく、先生自身を攻撃したいアンチの仕業だとすぐにわかった。
削除依頼は数日で反映された。くだらない誹謗中傷だということは誰の目にも明らかで、物騒なワードであっても世に取り沙汰されることもない。私自身もすぐにこのレビューのことを忘れた。
【葉空ヨリは読者を欺く人殺し】
次にその文章を見つけたのはヨリ先生宛のファンレター。
発売から三週間ほど経ち、ある程度ファンレターが溜まったところで確認を行う。手紙や贈り物はすべて編集部で中身を確認して作家に転送するからだ。
私はヨリ先生宛のファンレターを確認する作業も好きだった。
ヨリ先生の作品は他社のものであってもすべて読んでいる。だから読者からの手紙は楽しく、共感も出来て、そして誇らしかった。
そのなかに『人殺し』という文字が紛れていた。
ミントグリーンの爽やかな封筒と便せんに不釣り合いな文章。レビューを投稿した人間と同一人物なのだろうか。
通販サイトのレビューと異なり、郵送までしてくるとなると少し警戒心も湧いてくる。
私は封筒に書かれている送り主の住所と名前を確認した。住所は愛知県。名前は『芳賀穂乃花』と記されている。
住所を検索してみると、愛知県の高校が引っかかった。『市古高校』という公立高校のようだ。
次に『芳賀穂乃花』と検索したが、一件もヒットしなかった。『よしがほのか』と読むのだろうか? 一見普通の名前だが、高校の住所を使い、物騒な手紙を送ってきているのだから仮名なのだろう。
「しかも愛知から送ってないじゃない」
切手の消印は都内で、愛知から送られてもいない。悪質ないたずらだと判断し、現物は私が預かることにした。
もちろんヨリ先生には通販サイトのレビューの時から黙っている。
作家というのは繊細である、と私の先輩は常に言っている。朗らかで穏やかなヨリ先生だとしても、心を乱すことは避けたい。
悪質ないたずらは続いた。
芳賀穂乃花からの手紙は十通も届いた。ヨリ先生宛の手紙がくればすぐに私が確認できるようにして、すべて私が最初に中身を確認した。どれも内容は同じで『葉空ヨリは読者を欺く人殺し』と一言だけ書かれている。
内容は毎回同じだが、二点異なる点がある。この行為を楽しむかのように便箋と封筒の色とデザインは毎回変わっていること。そして、切手の消印が毎回異なった。送り主は同じだが、場所が特定されないようにするためか都内あちこちから出しているようだ。
気味が悪いものの、通販サイトのレビューはあれ以降荒らされることはない。手紙であれば、私たち編集部の心のうちに留めておける。
私は根津編集長に報告し、単なる嫌がらせだと判断され、しばらく様子見することになった。
しかし、次に届いた芳賀穂乃花からの手紙はいつもと異なった。
【葉空ヨリが人を殺した証拠を投稿する】
私は手紙を、所属している第三編集部全員に共有・相談することにした。
須田出版は児童書からビジネス書、コミックや雑誌まで幅広く手掛けている出版社だ。それぞれのジャンル毎にレーベルがあり、私が所属する第三編集部の“須田文庫”は一般文芸からライト文芸を取り扱っている。青春からミステリー、キャラ文芸まで様々で、幅広い年齢の読者がいる。
第三編集部の編集者は、編集長を含めて五名で、今日は週に一度の定例会議。すべての議題を終えて、私はこの数週間に届いた“芳賀穂乃花”から届いた手紙を机の上に並べた。
「ただの嫌がらせにしては少し気持ち悪いですね」
「証拠って本当にあるんでしょうか」
「適当に言ってるだけじゃない? でも投稿っていうのが、嫌だなあ。レビューが荒らされるのはきつい」
「通販サイトのレビューならまだよくないですか? SNSで拡散されたらデマでも止まりませんから」
「だけど……対策の仕様がないからなんとも言えないね」
先輩たちの意見はどれも頷けるが、建設的な意見が出るわけでもない。
「今のところは引き続き様子を見るしかないかな。SNSや商品レビュー、感想サイトはしっかり確認した方がいいわね」
編集長もそれ以上のことは言えないようだ。警察に相談するほどの実害が出ているわけでもない。
「私、毎日出社して手紙を確認するようにします」
須田出版はリモートワークが推奨されていて、週のうち出社するのは数日だ。しかし手紙は毎日確認したい。今のところ芳賀穂乃花の痕跡は、送られてくる手紙のみなのだから。
「俺は単なるいたずらだと思うけどね。そこまで心配することないよ」
先輩が励ましてくれて会議は終わった。
会議室を出た私を、根津編集長が呼び止める。根津編集長は髪を一つにきっちりとまとめた真面目な雰囲気の四十代の女性だ。見た目だけだと神経質にも見えるが、実は大らかで優しい人だ。
「まきちゃん、最近ヨリ先生と連絡とってる?」
「はい。昨日重版の見本をお送りするためにお電話しました」
「様子は変わりなさそうだった?」
「ええ、いつものヨリ先生だったと思います」
「私たちに手紙が届いているだけならいいけど……」
根津編集長が顔を曇らせ、その不安は私にも伝染する。出版社に十通以上も手紙を送りつける人間なら、ヨリ先生にストーカー行為を働いている可能性だってある。
「今日はコーヒーラジオの日なので、ヨリ先生に会う予定です」
「ああ、そうか。夜の十時だっけ。私も同行するわ」
編集長が同行してくれるのなら安心できる。根津編集長は、ヨリ先生を見出した最初の担当編集者なのだ。ヨリ先生も話しやすいかもしれない。
ヨリ先生は、美しい。文章も人柄も、何もかも。
三年前、書店大賞を取ったヨリ先生は、小説だけでなく見た目も美しいことが日本中に知れ渡った。それまでも顔を隠しているわけではなかったが、二度目の映画化と書店大賞受賞が重なり、ヨリ先生の一般的な知名度が爆発的にあがった。読書家以外にも“葉空ヨリ”が認知されたのだ。
メディア露出があるたびにヨリ先生の美しさは話題になり、小説を読んでいたファンだけでなく、いわゆる顔ファンのような人も激増した。
各出版社は固定ファンを増やすために、小説だけでなく“葉空ヨリ”そのものを売り出した。
須田出版もその戦略に乗っかり、葉空ヨリのラジオ番組を始めた。須田出版がスポンサーについていたラジオの枠が空き、ラジオの制作会社と須田出版と共同で企画した番組だ。
毎週火曜日夜十時、二年前から始まった『葉空ヨリの、眠れない夜はコーヒーでもいかが?』三十分だけの小さな放送だが、ヨリ先生の声のトーンが心地よく癒やされる、と評判もよい。
私は須田出版の編集担当という名目で毎週収録現場に立ち会っている。「こんな夜遅い時間に立ち会わなくていいよー」とヨリ先生には言われたし、実際私の前任はラジオにはノータッチだった。
だけどヨリ先生のファンでもある私が立ち会わないわけがない。私はこの火曜日の十時がもっとも幸福な時間だ。仕事という体で、彼女の一番近くで声を聞くことができる贅沢な時間なのだから。
今日は放送局に根津編集長と共に訪れた。
本番前にヨリ先生と軽く話したが、特別彼女に変わった様子はなかった。編集長が言葉巧みにそれとなくヒアリングしていたが、ストーカーに怯えている気配はまったく感じられなかった。
「みなさん、こんばんは。葉空ヨリです」
ヨリ先生が柔らかなトーンで語り始める。放送が始まったらしい。
先生がいるブースを覗いてみる。ヨリ先生は今日も美しい。淡いブルーのカットソーに白いパンツというシンプルな装いなのにモデルのように着こなしている。セミロングの髪の毛は特別なスタイリングをしていないのにさらさらと滑らかで、メイクも必要最低限しかしていない。飾らない美しさは同性から見ても憧れる。
「ヨリ先生は特に変わりはなさそうね」
編集長がブースを覗きながら頷いた。
「番組に届いたハガキやメールは私がすべて確認します」
「そうね。こういった場での投稿を指していたのかもしれないし。ヨリ先生にはまだファンレターのことは黙っておいてね」
「はい。心配をかけないようにします」
「じゃあ、ここはよろしく頼むわね」
編集長はヨリ先生の様子から問題ないと判断して先に帰宅した。
結局、放送中に“芳賀穂乃花”から、連絡がくることはなかった。
ヨリ先生がタクシーに乗り込むまで見送り、ほっと一息つく。
今日はなんだかずっと気を張ってしまった。しばらくは各サイトを注目しながら手紙に警戒しよう。愉快犯なら無視しておけば面白くなくなってやめるだろう。
そう思っていたけれど……事態は翌日に悪化することになる。
翌朝。出社すると根津編集長が誰かに電話をかけているのが目に入った。
今日の第三編集部は、私以外だれも出社しないはずだ。常におっとりとした動作な根津編集長が早口で何かを喋っている。
なにか良くないことが起きたのだろうとすぐにわかった。自席について仕事を始める気になれず、そわそわと編集長の電話が終わるのを待つ。
「まきちゃん、少し面倒なことになったみたい」
電話を切った編集長は、すぐに私に目線を向けた。
「ヨリ先生の件ですか?」
「そう。ちょっとこれを見てくれる?」
編集長の席まで行くと、ノートパソコンを私に向けてくれる。
画面に映し出されたのは、須田出版が運営するWEB小説投稿サイト“ノベルタウン”。須田出版は書籍を発売するだけでなく、自社が運営する小説サイトで未来の作家を発掘している。ヨリ先生もノベルタウンで開催された新人発掘コンテストで受賞してデビューした。
ノベルタウンは様々なジャンルの小説が投稿されており、作家志望だけでなく、小説の更新を楽しみにした読者が毎日二万人以上訪れる。
私はノートパソコンをじっと見つめる。パソコンの画面にうつっているのは、とある作品の表紙ページだ。
表紙画像に設定されているのは、青空の下でセーラー服を着た少女の写真。後ろ向きで少女の顔は見えないが、爽やかな雰囲気だ。青春小説だろうか。
そう考えながら小説のタイトルを見た瞬間、背筋を嫌なものが這いあがった。
【芳賀穂乃花を殺しました】
恐ろしいのは、タイトルだけではない。この小説の作家名は“葉空ヨリ”。
「え……? これ、どういう……ヨリ先生が投稿したわけではありませんよね?」
「もちろんよ。これは偽アカウント」
ヨリ先生は今でもノベルタウンにアカウント自体はある。そのアカウントからの投稿ではなく、新規に作られた偽物のアカウントだというわけだ。
「ノベルタウンを運営してる第一編集部から今朝連絡があったの。深夜にこの小説が投稿がされて……。今朝のランキングで総合一位になっていたみたい。多くの目に触れてしまった」
「手紙に書いてあった投稿って……小説を投稿するっていうことだったんですね」
声が小さく震えている。ノベルタウンは一日何千も新規小説が投稿され、すべてを把握することは不可能だ。PVやいいね、など様々な要素を取り入れたというランキングは一日三回更新され、今朝の六時にランキングが更新された。……今は九時だ。
「出勤中に第一編集部の社員が気づいてすぐに非公開にはしたけど、昨夜の二十三時半から朝の八時頃まで公開されていて、PVは十万ほどついていた」
「そんなに……?」
タイトルが興味を掻き立てるもので、作家が“葉空ヨリ”であればPVは稼げたに違いない。ヨリ先生がこのサイト出身だということは有名なのだから、皆ヨリ先生の新作だと思ってクリックしただろう。
「それで、内容はどういったものだったんですか」
編集長がクリックすると、本文が現れた。非公開になっているが、社員は見れるようになっている。
【葉空ヨリは読者を欺く人殺し。葉空ヨリが芳賀穂乃花を殺した過去をこれから投稿する】
たったそれだけの文章だった。先日の手紙に書かれていた“証拠”は投稿されていないようで少しほっとする。
「これ、誰が投稿したかはわからないんですよね」
「担当者によると、登録メールアドレスは適当な捨てアドだったみたい」
小説投稿サイトは敷居を低くするためにも、特別な個人情報を入力する必要はない。メールアドレスとペンネームさえあれば、すぐに投稿することができる。
「この作品の感想欄は閉じていて……だから外部のSNSまで話が広がってしまっている」
「うわ、そうなんですか」
「でも刺激的なタイトルのわりに、特段中身はないでしょう。だからただのいたずらだと思われているみたい」
それはそうだ。私も本文を見て少し安心したのだから。この文章だけなら、ただ単にアンチが妄言を投稿した結果だと思われるだろう。
「ひとまずこの投稿をしたアカウントは強制退会させて、ノベルタウン利用者に注意喚起もしてもらうわ。第一編集部も監視を強めてくれるみたいだし、私も気にする。この投稿だけでは大事にならないとは思うけど……もし本当に、過去のことを投稿されたら恐ろしいでしょう」
「でも、ヨリ先生が人を殺すわけないですよね」
「それはもちろん。でも嘘でも本当のことのように書かれたらデマでも信じるひとはいる。すべてが嘘でも『火のない所に煙は立たない』とか言って燃やそうとするんだから。だから煙を立てないように注視するしかないね」
この嫌がらせが、編集部に届くファンレターだけなら問題はない。私たちは誰もヨリ先生を疑わない。しかしSNSまで広がれば、人の感情がどう動くかなどわからない。
「私は今から第一編集部に行って今後について相談してくる。まきちゃんにもあとで相談するから」
根津編集長はそう告げると足早にオフィスを出て行った。
この件で私が今できることなどない。初めてレビューが投稿されたときに比べて徐々に大きなことになってきていて、私が簡単に対処できるものでもない。
今すべきことは通常通りの仕事だ。と思うけれど、このことが頭を占め仕事などとても出来そうにない。
私は自分の席に戻ると、スマホを取り出しSNSを開いた。“葉空ヨリ”と検索すると、ノベルタウンを話題にしている人たちがすぐに出てきた。
さすがネット社会と言えるべきか。非公開にされた文章をご丁寧にスクショに取り投稿した人がいる。それが拡散されて、誰でもあの一文が読めるようになっている。
【葉空ヨリ、ノベルタウンで殺人を告白】
【葉空ヨリじゃなくて、なりすましね】
【芳賀穂乃花てだれ?】
【あれ偽物だったんだ、すぐ消されちゃったよね。普通に新作ミステリーの導入かと思って、楽しみにしてたのにw】
【タイトル詐欺だった、中身ない】
あまりにもくだらない投稿だったことから、誰もがなりすましのいたずらやいやがらせだと思っているらしい。
私たち編集部も普段ならここまで気にしていなかった。――芳賀穂乃花から、手紙が何通も届いていなければ。
世間の反応を見れば、少し心が落ち着いてくる。
殺した、というワードと、葉空ヨリの知名度から多少話題にはなっているようだがヨリ先生を非難する声はない。
出社途中に買ってきたまま忘れていたコーヒーを飲むと、さらに気持ちは和らぐ。
いくつか投稿を見続けたが、誰も投稿された内容自体は気にしておらず、ヨリ先生になりすました犯人にたいして怒っているだけだ。
【葉空ヨリが、人殺すわけないでしょ。葉空ヨリは、誰よりも人を救ってる人なんだよ】
【私もヨリさんに命救われてる】
【誰があんな投稿したの?? ありえない 運営二度と投稿できないようにして】
【葉空ヨリは、人殺しじゃなくて、人救い】
【ヨリ先生は私のお守り。大げさって思われるかもしれないけど、私の神様なの】
ノベルタウンを見ていなかったヨリ先生のファンが、SNSで状況を知りつぶやき始めたのだろう。犯人に憤る声が、一気に増えていく。
数分の間に【♯葉空ヨリに救われました】というハッシュタグまで広がっていた。少し大げさな気もするけれど、それほどヨリ先生が信頼されて愛されている証拠だ。
私もファンだからわかる。一瞬でもヨリ先生の名前を名乗り、先生を陥れようとすること自体許されない。編集者という立場でなければ、同じように怒りのポストをしていただろう。
ヨリ先生にはたくさんのファンがいる。ヨリ先生を信じるひとはこんなにいる。その事実が嬉しくて私はしばらくハッシュタグを見つ続けた。
【でもさ、そんな神様が、本当に人を殺していたらどうする?】
一人のファンの投稿に引用がつけられた。……くだらない。
私は小さくため息をつくとスマホをしまって、今度こそ仕事をはじめることにした。
それ以上話題が大きく広がることもなく、私も業務に忙殺され、この日は平和に終わったと思われた。けれど――。
夜の十二時。日付が変わった瞬間。
芳賀穂乃花が小説運営サイトに投稿を始めた。
【タイトル:青春小説家H.Yに殺されました】
【作家:芳賀穂乃花】