家に帰ると、お姉ちゃんは大学で、お父さんは仕事。お母さんは買い物に行っていて誰もいなかった。

朝出かける時、お母さんには図書館に行くと(うそ)をついた。本当のことを言ったら『なんでひとりなの? 友だちは? 友だちと行けばいいのに、大丈夫なの?』と、心配する言葉をかけてくるのは分かっていたから。

朝から色々と詮索されて心配されると正直滅入ってしまうから、これは必要な嘘だと思っている。

部屋着に着替えてベッドに座った私は、佐久間さんから渡されたメモ帳を鞄から取り出した。

学校からの連絡事項があった時に、忘れないようメモを取ったりするだけのものだけど、ここにはAMEの曲の歌詞も少し書いてある。

なんとなくやるせない気持ちになった時とか、授業中に歌詞を書くだけで、少し落ち着くから。

見られたところで困ることはないし、AMEの歌詞だなんて気づく人は、そうそういないだろう。

改めてメモ帳に視線を落とすと、黄色い()(せん)が貼ってあることに気づいた。

付箋は三枚あって、ついているのはすべて歌詞が書いてあるページだった。

一枚目の付箋には【これ、あたしの】という文字と一緒に、メッセージアプリのアカウントIDと電話番号が書かれている。

続いて二枚目の付箋には何かのURLと、【怪しくないから暇な時にでも見て、どれが好きか感想を聞かせてほしい】と書かれていた。

そして三枚目の付箋には……。

【AMEの歌詞、最高だよな】

その言葉を見た瞬間、私は思わず「えっ!?」と声を上げてしまった。

つまり、佐久間さんはAMEを知っているんだ。

自分とは全然違うタイプだし、一生かかわることなんてないと思っていたけど、まさか共通点があるなんて。

しかもそれがAMEだということに、酷く驚いた。

なんというか、とても複雑な気持ちだけれど、ひとまず二枚目に書かれていたURLをスマホで検索してみた。

すると、出てきたのは数枚の綺麗なイラストだ。雰囲気がすべて違うから、それぞれ別の人が描いたものなのかもしれない。

感想が欲しいみたいなので、十枚あるイラストをひとつひとつ拡大してじっくりと見たあと、一枚目の付箋を手に取る。

どうするべきか悩んだけれど、拾ってもらったお礼はちゃんと言いたい。あんな小さな声で言った『ありがとう』なんて、そもそも聞こえていたかどうかも分からないから。

それに、何も返さないまま週明け学校で顔を合わせるのは、正直気まずいし。
 
佐久間さんのIDを登録すると、【楓】というアカウントが出てきた。アイコンは、女の子の綺麗なイラスト画像だ。フリー素材か何かだろうか。

ひとまずお礼と、要望通りイラストの感想を伝えるため、慎重にメッセージを打った。

【早坂美羽です。メモ帳を拾ってくれて、ありがとうございました。あと、カラオケの料金についても、お得な情報をありがとうございます。

イラスト見ました。どれも素敵だと思ったけど、個人的には三枚目と五枚目が特に好きです。三枚目の女の子は、アニメっぽい可愛さがあって、好きです(何かのアニメキャラでしょうか)。

五枚目は、とにかく色使いが美しくて、女の子の髪の毛も一本一本とても繊細に描かれていて、このイラストが一番好きだなと思いました。感想、下手ですみません】

送信したあと、三枚目の付箋をもう一度見た私は、少し考えて再びメッセージを打った。

【あと、佐久間さんはAMEを知っているんですね。私のまわりには知っている人が誰もいないので、嬉しいです。AMEの歌は、私の心の支えなので】

声に出そうとするとうまく言えないのに、文字だと簡単に自分の気持ちを伝えられるのは、相手の存在が近くにないからなのかな。

面と向かって話すとなると、相手のリアクションがもろに見えてしまうから焦るし、あれもこれも余計なことを考えてしまって、言葉を出すまでに時間がかかる。だから、いいことなのか悪いことなのかは分からないけれど、メッセージやSNSだとそれがないぶん、少し楽だ。

佐久間さんからメッセージが返ってきたのは、それから三時間後。買い物から帰ってきたお母さんと一緒にお昼ご飯を食べて、勉強をはじめようと机に向かった時だった。

【今日は突然驚かせちゃってごめん】

【まさか同じAME推しがクラスにいるなんて思わなかった。マジで、それが今年一番の驚きだったよ】

「同じAME推し……これって、推し仲間ってことかな……」

そんな仲間、今までいたことない。AMEが好きなことも、ボカロが好きなことも、誰も知らないんだから当然だ。

だから、推し仲間ができたかもしれないと思うと素直に嬉しいけど、それが自分とまったくタイプの違う佐久間さんだということには、正直ちょっと戸惑う。

どうするべきか答えが出ず、なかなか返せずにいると、再びメッセージが届いた。

【あと、早坂さんが好きって言ってくれた三枚目と五枚目のイラストは、あたしが描いたんだ】

「えっ!?」

スマホを見ながら声が出た。

あの美しいイラストは、佐久間さんが描いたの?

いつも自分のことで精一杯だから、美術などで描いたみんなの作品をじっくり見る余裕なんてなかった。だから、佐久間さんが絵を描くのが得意だということも、気づかなかった。

【すごいです。あんなに綺麗なイラストを描いたのがクラスメイトだなんて、本当にすごい。プロだと言われても不思議じゃないくらい上手です。本当に驚きすぎて、なんだかドキドキが止まりません】

驚いた勢いそのままに、私は思ったことをストレートに伝えた。

【ありがとう。褒め上手だな、笑】

【ていうか、あたしも同じだよ。早坂さんの歌声を聞いた時、ドキドキした。うまく言えないけど、心に響いた。だから一度でいい、改めて話を聞いてほしいんだ】

誰にも聞かせたことのない歌声。それを佐久間さんが褒めてくれたことは本当に嬉しいけど、私と話したって楽しいわけない。

彩香や由梨とでさえテンポよく喋れないのに、佐久間さんに何か聞かれてもちゃんと答えられる自信がない。会話だってきっと弾まないし、無駄な時間だったと思われるに決まってる。

そう思った時、さらに続けてメッセージが届いた。

【AMEの話もしたいし、もし明日予定なければ会えない?】

「AMEか……」

そう呟いた私は、また少し考えてから佐久間さんに返事を送信した。

【歌を褒められたのは初めてなので、嬉しかったです。分かりました】

AMEの話ができると思うと胸が高鳴るのは本当だけど、一番は、断るための理由が思い浮かばなかったからだ。

この先一生会わないような人なら何も考えずに断るけど、佐久間さんとは学校で毎日顔を合わせる。だから、気まずくならないためにも一度だけ会おう。

会えばきっと、私と話してもつまらないってことに気づいて、もう二度と誘われたりしないだろうから。