薄く開いた扉に、黒板消しが挟まっている。扉を開けたら落ちるのは明白だ。
わたしがはらはらしながら、どうするのだろうとコウタ先輩を見ていると、コウタ先輩は迷いなく黒板消しを手に取った。
「え、え、ええっ!?」
「今年また身長が伸びたんだよね。百八十五センチ。これぐらいの高さなら余裕です。えっへん」
鼻高々なコウタ先輩が横開きの扉を開ける。わたしがおそるおそる後ろからついていくと、コウタ先輩の頭をめがけて漢和辞典が降ってくるところだった。
「コウタせ」
わたしが言い切る前に、コウタ先輩の頭に漢和辞典がクリーンヒットする。声にならない声で悶絶し、両膝をがくりと教室の床に着いたコウタ先輩を見て、ふははと別の声が聞こえた。
「甘いな、野上。それは昼放送に勝手に乗り込んで放送部に迷惑をかけた分だ。反省しろ」
パイプ椅子に腰かけ、伸びかけのボブカットをざっくばらんに揺らし、分厚い虫眼鏡よりもさらに厚底のメガネをかけた女子生徒が即答する。
セーラー服の胸で揺れる三角スカーフは青色。
キランとメガネが光り、わたしは直立不動の体勢をとる。
「モモちゃん」
「は、はひぃっ‼︎」
返事をかんだわたしの体を、コウタ先輩がそうっと前へ出す。
「この人はね、メガネ先輩。同好会のメンバーだよー」
「メガネだ、よろしく」
わたしはぶんぶんと首を縦に振り、メガネ先輩と握手をかわす。
メガネ先輩のセーラー服の左胸に、学校指定の名札はなく。
【メガネ】と手作りの名札がついている。
自称がメガネ、あだなもメガネ。
先輩、あなたの本名はなんですか?
なんで同学年なのに、コウタ先輩は先輩呼びをしているんですか?
頭の中を、疑問がぐるぐる回るけれども。
ひとみしりをしないわたしが、今だけはお口チャック。
「野上。彼女の名は」
「モモちゃん」
「そうか。モモ、改めてよろしく。名乗る名は自由だからな」
笑うメガネ先輩を見て、わたしは本名をごくりと飲みこんだ。
メガネ先輩が、ぱちりと教室の電気をつける。
「わぁ……!」
大きなホワイトボード、高めの教壇。
TVや再生機器が置かれているラック。
ビデオカメラと三脚、空の三脚が一台。
会議用の長テーブルが二つ、プレハブのイスが六つ。
冊子がギッチリ詰まっている棚、備品棚、小さな冷蔵庫。
運動用マットの山、モコモコの赤い寝袋。
部室=美術室だった中学時代には、想像もできなかった光景。
ここが、今日から通う同好会室!
わたしは感動しつつ、室内を見わたす。
「メガネ先輩。ユキは? 今日も司書室コース?」
「いるぞ。そこに」
メガネ先輩が赤い寝袋を指し、わたしは視線を落とす。
ジッパーが、ジジ、ジジ……と動き出し……
白く細いものが、ぬっと中から飛び出し……
黒いものが、バサリ、バサリと流れだし……
「おばけぇぇぇぇ‼︎」
わたしは涙目で、コウタ先輩に抱きつく。
カエルとおばけとピーマンだけは大の苦手。
ぎゅうぎゅうぅと、白いパーカーにしがみつく。
「……っく……ひっく……おばけ無理ぃ……」
コウタ先輩が背負っていたスクールバッグとわたしのスクールバッグを床におろし、おいでと手招きしてくれる。
大きくて温かい腕の中に、わたしの体がすっぽりと包まれて。
優しい声が一段と優しさを増し、わたしの耳に直接ささやいた。
「モモちゃん、よーしよし。大丈夫、俺がついてるから。大丈夫、モモちゃんは俺が守ってあげる。こわいものから、俺が守ってあげるからね」
とくん、とくんと、聞こえる胸の音。
わたしは涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔を上げる。
揺れる視界でも。
コウタ先輩の笑顔は、満開の向日葵に見える。
「モモちゃん。一、二の三で、ゆっくり後ろを見てみようか。大丈夫、俺がそばにいるから。モモちゃん、数えるよー。はい、いち、にーの、さん!」
コウタ先輩が、ハンカチでわたしの涙と鼻水をぬぐってくれる。
コウタ先輩に抱きついたまま、わたしはおそるおそる振り返った。
「…………」
腰まで流れる、サラサラの黒髪ストレート。
アゴのラインギリギリまで隠す、黒のタートルネック。
長いまつげ、ぱっちりした二重まぶた、大きな瞳。
ぷるんぷるんの唇に、お人形みたいな白い肌。
黒のセーラー服に青い三角スカーフを結んだ女子生徒が、寝袋からはいだす。
制服のしわを伸ばし、バツ印のマスクをし、正座をして。
ペコリと、頭を下げた。
「ね、モモちゃん。おばけじゃなかったでしょ」
「は、はい……。あ、あの、バツマークは……?」
「あれはね、ユキの『話しません』。でもでも! 俺達が話している事はちゃんと聞こえてるからね。簡単な返事は動作でするけど、長い話を伝えたい時は筆談するし。コミュニケーションはバッチリ!
ユキ。新メンバーのモモちゃん。次から、寝袋で寝る時は貼り紙しといて。モモちゃんをこわがらせないように!」
グッと、親指を立てるユキ先輩。
寝ることにはツッコまない先輩達。
今度から入る前に必ずノックをしよう、そうしよう。
「これで@homeメンバー全員そろいましたー! パチパチパチ。モモちゃん、よろしくね!」
笑顔を欠かさない同好会代表・コウタ先輩。
本名を明かす気がない+同級生にも先輩呼びされる・メガネ先輩。
バツ印マスクの無口な美人・ユキ先輩。
「よろしくお願いします!」
わたしはお腹の底から声をだし、深々と頭を下げた。
わたしがはらはらしながら、どうするのだろうとコウタ先輩を見ていると、コウタ先輩は迷いなく黒板消しを手に取った。
「え、え、ええっ!?」
「今年また身長が伸びたんだよね。百八十五センチ。これぐらいの高さなら余裕です。えっへん」
鼻高々なコウタ先輩が横開きの扉を開ける。わたしがおそるおそる後ろからついていくと、コウタ先輩の頭をめがけて漢和辞典が降ってくるところだった。
「コウタせ」
わたしが言い切る前に、コウタ先輩の頭に漢和辞典がクリーンヒットする。声にならない声で悶絶し、両膝をがくりと教室の床に着いたコウタ先輩を見て、ふははと別の声が聞こえた。
「甘いな、野上。それは昼放送に勝手に乗り込んで放送部に迷惑をかけた分だ。反省しろ」
パイプ椅子に腰かけ、伸びかけのボブカットをざっくばらんに揺らし、分厚い虫眼鏡よりもさらに厚底のメガネをかけた女子生徒が即答する。
セーラー服の胸で揺れる三角スカーフは青色。
キランとメガネが光り、わたしは直立不動の体勢をとる。
「モモちゃん」
「は、はひぃっ‼︎」
返事をかんだわたしの体を、コウタ先輩がそうっと前へ出す。
「この人はね、メガネ先輩。同好会のメンバーだよー」
「メガネだ、よろしく」
わたしはぶんぶんと首を縦に振り、メガネ先輩と握手をかわす。
メガネ先輩のセーラー服の左胸に、学校指定の名札はなく。
【メガネ】と手作りの名札がついている。
自称がメガネ、あだなもメガネ。
先輩、あなたの本名はなんですか?
なんで同学年なのに、コウタ先輩は先輩呼びをしているんですか?
頭の中を、疑問がぐるぐる回るけれども。
ひとみしりをしないわたしが、今だけはお口チャック。
「野上。彼女の名は」
「モモちゃん」
「そうか。モモ、改めてよろしく。名乗る名は自由だからな」
笑うメガネ先輩を見て、わたしは本名をごくりと飲みこんだ。
メガネ先輩が、ぱちりと教室の電気をつける。
「わぁ……!」
大きなホワイトボード、高めの教壇。
TVや再生機器が置かれているラック。
ビデオカメラと三脚、空の三脚が一台。
会議用の長テーブルが二つ、プレハブのイスが六つ。
冊子がギッチリ詰まっている棚、備品棚、小さな冷蔵庫。
運動用マットの山、モコモコの赤い寝袋。
部室=美術室だった中学時代には、想像もできなかった光景。
ここが、今日から通う同好会室!
わたしは感動しつつ、室内を見わたす。
「メガネ先輩。ユキは? 今日も司書室コース?」
「いるぞ。そこに」
メガネ先輩が赤い寝袋を指し、わたしは視線を落とす。
ジッパーが、ジジ、ジジ……と動き出し……
白く細いものが、ぬっと中から飛び出し……
黒いものが、バサリ、バサリと流れだし……
「おばけぇぇぇぇ‼︎」
わたしは涙目で、コウタ先輩に抱きつく。
カエルとおばけとピーマンだけは大の苦手。
ぎゅうぎゅうぅと、白いパーカーにしがみつく。
「……っく……ひっく……おばけ無理ぃ……」
コウタ先輩が背負っていたスクールバッグとわたしのスクールバッグを床におろし、おいでと手招きしてくれる。
大きくて温かい腕の中に、わたしの体がすっぽりと包まれて。
優しい声が一段と優しさを増し、わたしの耳に直接ささやいた。
「モモちゃん、よーしよし。大丈夫、俺がついてるから。大丈夫、モモちゃんは俺が守ってあげる。こわいものから、俺が守ってあげるからね」
とくん、とくんと、聞こえる胸の音。
わたしは涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔を上げる。
揺れる視界でも。
コウタ先輩の笑顔は、満開の向日葵に見える。
「モモちゃん。一、二の三で、ゆっくり後ろを見てみようか。大丈夫、俺がそばにいるから。モモちゃん、数えるよー。はい、いち、にーの、さん!」
コウタ先輩が、ハンカチでわたしの涙と鼻水をぬぐってくれる。
コウタ先輩に抱きついたまま、わたしはおそるおそる振り返った。
「…………」
腰まで流れる、サラサラの黒髪ストレート。
アゴのラインギリギリまで隠す、黒のタートルネック。
長いまつげ、ぱっちりした二重まぶた、大きな瞳。
ぷるんぷるんの唇に、お人形みたいな白い肌。
黒のセーラー服に青い三角スカーフを結んだ女子生徒が、寝袋からはいだす。
制服のしわを伸ばし、バツ印のマスクをし、正座をして。
ペコリと、頭を下げた。
「ね、モモちゃん。おばけじゃなかったでしょ」
「は、はい……。あ、あの、バツマークは……?」
「あれはね、ユキの『話しません』。でもでも! 俺達が話している事はちゃんと聞こえてるからね。簡単な返事は動作でするけど、長い話を伝えたい時は筆談するし。コミュニケーションはバッチリ!
ユキ。新メンバーのモモちゃん。次から、寝袋で寝る時は貼り紙しといて。モモちゃんをこわがらせないように!」
グッと、親指を立てるユキ先輩。
寝ることにはツッコまない先輩達。
今度から入る前に必ずノックをしよう、そうしよう。
「これで@homeメンバー全員そろいましたー! パチパチパチ。モモちゃん、よろしくね!」
笑顔を欠かさない同好会代表・コウタ先輩。
本名を明かす気がない+同級生にも先輩呼びされる・メガネ先輩。
バツ印マスクの無口な美人・ユキ先輩。
「よろしくお願いします!」
わたしはお腹の底から声をだし、深々と頭を下げた。