「モモちゃん! 迎えにきたよー!」

 ガラララッ!
 翌日の終業後、一年A組の扉が勢いよく開き、コウタ先輩が飛びこんできた。
 わたしはほうきとちりとりを手に、口をあんぐり開ける。

「モモって誰?」
「誰だっけ?」

 A組は総勢二十名。本名・モモさんは、もちろんいない。渡辺さん達が首を傾げるのも当然だ。

「わたしはモモじゃないです! 渡辺はるかです! コ……野上(のがみ)先輩!」

 クラスメイトの前だと、なぜか名前では呼びづらい。わたしはつかつかと扉へ近づき、コウタ先輩を見上げる。

「おはよう、モモちゃん! こんにちは、モモちゃん! 返事がないからさー、入るクラスを間違えたかと思ったよー。ちゃんといるねー、よしよし」

 晴れるような笑顔のコウタ先輩が、わたしの頭を何度もなでる。
 わたしは赤い頬をしつつ、本名を飲みこんだ。

「あれ、ほうき持ってる。もしかしてモモちゃん、掃除してた?」
「もしかしなくても! 掃除当番ですっ!」
「じゃあ終わるまで、廊下で待ってるねー」

 再度わたしの頭を撫で、コウタ先輩が廊下へ消える。
 わたしはこっそり、透明ガラスから様子をうかがう。ブレザー姿の男子が多い中、白いパーカー姿のコウタ先輩は目立つ。
 パチッと目があった瞬間。
 コウタ先輩が微笑みながら、胸元で小さく手を振る。
 ぱっと背を向け、わたしは慌てて渡辺さん達のそばへかけ寄った。

「あの人、二年生だよね⁈ 渡辺さん、彼氏ができたの⁉︎」
「クラスまで(むか)えにきてくれるなんて、愛されてるぅ」
「いいなぁ、めっちゃ優しそうな人で。私も早く彼氏欲しーい」
「ちちち違うよ! コ……野上(のがみ)先輩は、同好会の先輩!」

 恋話で盛り上がる渡辺さん達へ、わたしは首を横に振る。

「同じ部活の先輩が彼氏とかうらやましー!」
「違うったら! そ、そうじ終わらせちゃおうよ! みんなも部活あるしっ!」
「よけいに気になるぅ。……あ! それならさ」

 渡辺さんの一人がスマートフォンを取りだし、指をすべらす。わたしの目に飛びこんだのは、トークアプリのフレンド追加画面。

「私と〇〇が同中(おなちゅう)で、□□が隣の中学。全員名字は渡辺だし、出席番号近いから、これからも同じグループになると思うんだよね。部活の話とか恋バナとか、こっち(アプリ)でもおしゃべりしよ」
「名字にさんづけで呼ぶのも、距離あるよなーって思ってたんだー。はるっちって呼ぶねー。はるっちもスマホ出して。フレ登録しちゃお」
「う、うん!」

 わたしもスマートフォンを取りだし、フレンド登録する。
 ピコピコピコンと、トークアプリの友達アイコンが増えていく。最後に【一年A組】のグループトークにも招待してもらい、わたしはおおおと感激の眼差しでスマートフォンを見る。ノートに書ききれなかった数学の説明文も、グループトークで発言すれば誰かにノートを借りられそうだ。とってもとてもありがたい。

「彼氏の話してね。デートの話も」
「だだだから、先輩は先輩!」
「はるっち、あーやーしーい!」
「んもー! 違うってばー!」

 コウタ先輩がクラスにきてくれて。
 コウタ先輩の話がきっかけになって。
 高校の友達ゼロだったわたしに、新しい友達ができた。

(……コウタ先輩、知ってたのかな。同じ中学の子が一人もいないから……元々できてた仲良しグループには入りにくかったこと……。いやいや、そこまでは……さすがのコウタ先輩でも……)

 わたしは廊下を見る。
 コウタ先輩とまっすぐ目があう。
 嬉しさを咲かせた笑顔に、向けられたピースサインに。わたしの胸の奥が、じわりと温かくなった。

 コウタ先輩。
 もしかして。
 もしかしなくても、ですか?

「コ、コウタ先輩! お待たせしましたっ」
「モモちゃん、お疲れ様ー」

 スクールバッグを背負ったコウタ先輩が笑う。
 わたしはスクールバッグを右肩にかけ、お弁当袋を右手首にかけ、教室の扉を閉める。
 英語と古典の予習がある日は、分厚い辞書のせいでずっしり重い。
 ふらふら、ふらふらと、足がよろめく。

「えらいモモちゃんには、ごほうびをあげるねー。はい、カバンを置いてー。はい、手をだしてー」
「あ、はい!」

 コウタ先輩に言われるがまま。
 わたしはスクールバッグを肩からおろし、コウタ先輩と自分の間に置く。
 わたしの両手いっぱいに、チョコレートやキャンディーが山を作る。
 お礼を言い、わたしがごそごそとお弁当袋へ入れていた時。
 コウタ先輩が、ひょいとわたしのスクールバッグを取り、自分の左肩へかけた。

「……え⁈ コウタ先ぱ」
「同好会室へレッツゴー!」

 最後まで聞かずに。
 コウタ先輩がわたしの左手をそうっと握り、歩きだす。
 クラスに飛びこんできた時とは別人のような、ゆっくりした歩き方で。

(……ずるいです、コウタ先輩。『カバン持ってもらって、すみません』って、あやまろうとしたのに……こんなふうにされたら、あやまれないじゃないですか……)

「コウタ先輩」
「んー?」
「ありがとうございますっ! その、いろいろと!」

 耳のつけ根まで真っ赤にしながら、わたしはコウタ先輩の隣を歩く。
 コウタ先輩は答えず、優しくほほえんだ。

 ***

 教室棟三階から渡り廊下を通り、科目ごとの教室がある特別棟へ進む。
 最上階の四階まで上がり、右に曲がり、つきあたりの地学(ちがく)準備室。
 【演劇同好会・@home(アット・ホーム)】と書かれたホワイトボードが、扉にかかっている。

「ジャジャーン! ここが同好会室でーす!」
「わぁっ……!」
「本当は今すぐにでも中に案内したいんだけど……今日はトラップがしかけられている!」

 コウタ先輩がそっとわたしの手を離し、びしっと人差し指で扉の上側をさす。