「モモちゃんは演劇部に入るの?」

 わたしが赤色のジャージの上から被ったゼッケンを指し、先輩が笑う。
 仮入部する前なら、スパルタ先輩に退部通告される前なら、即答していた質問。
 わたしは答えられず、地面を見る。

(入部テストに落ちましたって、言いたくないな……でも先輩の質問にこたえなきゃいけないし……)

 わたしはええい!と両頬をパンと叩く。驚いた先輩に向かって、演劇部に入りたかった動機と実際の違い、仮入部テストに落ちたことを話す。先輩は最後まで一言一句黙って聞いてくれ、話し終えたわたしは熱い息を吐いた。

「モモちゃん。観た劇のタイトルって覚えてる? なんとなくの内容でもオッケー」
「え、えっと、タイトルは『世界を渡るフィーネ』です。王子様がお姫様を連れて世界中を渡る物語です」
「ビンゴ! それ、俺がいた中学の演劇部が演じた舞台です! 中三の地区予選でやったんだ。いやー嬉しいな、あの劇を見て演劇部に入りたくなったなんて、ほんとうに嬉しい。嬉しすぎて頬が緩んじゃうな」

 照れた頬をかく先輩を見て、わたしも身体中がじんわりと嬉しくなる。同時に、目の前にいる人が「あの舞台にいた人だなんて!」と驚きがやってくる。

「ね、ね、モモちゃん。どこが面白かった?」
「一番好きなのは、王子様がフィーネ姫のために怪物と戦って倒すシーンです。王子様一人しか出ていなかったのに、すごく楽しかったし、とても面白かったです」
「あそこは俺も好き」

 先輩の声に、ほんの少しだけ声にならないものの含みを感じた気がしたが、変わらずにこにこと笑っている。

「それじゃあモモちゃんは、まだ演じたことはないんだね」
「はい。一度でいいからやってみたかったです。もう演劇部に入ることはできないから、叶わないんですが……」
「演劇部だけが演じる場所じゃないよ。よし、俺と一緒にやってみよう!」
「え?」

 す、と、片膝を地面に着き。
 わたしの両手を、自分の両手で包み。
 先輩が王子様の姿勢をとる。

「『浮かない顔はにあわないよ、お姫様。よろしければ俺と一緒に、西の国へ行きましょう』」

(『世界を渡るフィーネ』の……! 王子様がお姫様をさそうセリフ……!)

 一秒、二秒、三秒……
 先輩のまっすぐな視線は、わたしから外れない。

「わ……『わたしを、楽しませてくれますか?』」

 桃のキャンディーよりも赤い頬で、わたしは返事(セリフ)を口にする。

「『もちろん、カワイイお姫様!』」

 うやうやしく頭を下げた先輩が、わたしの手を引き、立ち上がらせる。
 あの日のドレスの影が、ふわりふわりと舞う。

「『あなたに笑顔の魔法をかけましょう! さあ行こう、西の国へ!』」

 とろけそうなほど甘い笑顔が、わたしへ向けられる。
 かあっと、身体中が燃えるように熱いまま。
 わたしは先輩と手をつなぎ、オレンジ色の夕焼けの中へ歩きだした。

 ***

 裏庭の花だんの花達は、色とりどりの宝石に。
 裏門の校長先生の像は、こわい王様に。
 部室棟の窓ガラス達は、輝く海に。
 グラウンドいっぱいの大声は、祝福の音楽に。
 先輩のセリフ一つ、仕草一つで。
 わたしの見ている世界が、キラキラの舞台へ変わる。

「『さあ、お姫様。雲の橋を渡り、希望の星へ向かいましょう。歩く時はそうっと、そっと。ようせい達が驚いてしまうから』」

 次は、どんな素敵なものを見せてくれるんだろう。
 わたしは胸いっぱいに期待(きたい)の音を響かせながら、笑う先輩の横顔を見上げる。
 ステップを踏むような足取りで進み、教室棟の昇降口へ。
 わたしを一段高い場所に立たせ、先輩が片膝を地面に着く。

「『西の国へようこそ、お姫様。楽しんでいただけましたか?』」

 舞台通りなら『楽しかったわ、ありがとう』が正解の返事(セリフ)
 お姫様と王子様が末長く幸せに暮らし、幕が()りる。

 でも。
 わたしは知ってしまった。
 先輩が、わたしをドキドキさせてくれることを。
 先輩が、わたしをキラキラの世界へ連れていってくれることを。

「……ま、まだ満足できません!」

 わたしは先輩の手をギュッとにぎり、立ち上がらせようとして後ろにバランスを崩す。

「ひゃ……⁈」

 グイッと、わたしの腕が力強い腕で引き寄せられ。
 ギュウと、わたしの体が先輩の体と密着し。
 ドシン!と音を立て、先輩が尻もちをついた。

「モモちゃん、大丈夫⁈ どこか怪我してない⁈」

 すぐそばで聞こえる声、自分以外の体温。
 わたしは着ているジャージより真っ赤に染まる。

「……はー……本気でビビったー……。怪我がなくて良かった……。ダメだよ、モモちゃん。俺のほうが大きいんだから、無理にひっぱったら」

 上から下から、右から左から。
 わたしに怪我がないことを確認し、先輩が大きな息を吐く。

「は、はい。せ、先輩……あの……」
「モモちゃん」

 先輩の人差し指が、わたしの唇に触れる。
 同じ指を自分の唇に当て「シー」とささやく。
 指での間接(かんせつ)キス。
 ボボボボボンと音を立て、わたしの心臓が羽ばたいた。

「さっきのモモちゃんのセリフだと、幕は()りない。幕が()りないかぎり、舞台は続く」
「……?」

 ズボンのポケットをゴソゴソ、パーカーのポケットをゴソゴソ。
 ワイシャツの胸ポケットから、先輩がカードを取り出す。

【演劇同好会☆@home(アット・ホーム)☆新メンバー募集中! 楽しい時間を過ごしたい人は、2年B組・野上洸太(のがみこうた)まで!】

 演劇同好会。
 部活動紹介で聞いた、もう一つの演劇関係のもの。
 わたしはカードを両手で受け取り、先輩を見上げる。

「今日の続きも。新しい物語も。モモちゃん、俺とやろう!」

 夕焼けで輝く先輩の笑顔に、わたしの中で甘い甘い熱がうまれた。