『エ』の字の上下を、白いついたてで隠し。
 上のついたてに、クラスの窓を描いた模造紙(もぞうし)を飾り、机を一組。
 下のついたて前に、机を二組並べる。
 後ろの席に座ったメガネ先輩が、左右の観客へ話題を振る。
 昨日の夕食の話、テレビの話……クラスメイトと雑談(ざつだん)する教室が、創りだされる。

 その間を、モデルのように無表情で歩くユキ先輩。
 メガネ先輩からユキ先輩への視線誘導(しせんゆうどう)
 着席し、頬づえをつき、窓を見つめるユキ先輩の姿に、観客が息を飲む。

 すかさず、あわただしい足音を立て、コウタ先輩が走りこんでくる。
 直後、鳴り響くチャイム。
 メガネ先輩とコウタ先輩は雑談するが、ユキ先輩は窓を見たまま。
 そんなユキ先輩を見つめる、コウタ先輩。

 暗転。
 わたしは模造紙をめくり、青空の窓に入れ替える。
 メガネ先輩とコウタ先輩が、机を向き合うようにし、座り直す。

 体育館が明るくなる。

「『今日は人物画(じんぶつが)を描きます。ペアを作ってください』」

 美術教師の声が流れ、ガヤガヤと生徒の話し声が続く。
 メガネ先輩とコウタ先輩が、机の中からスケッチブックを取りだしても。
 ユキ先輩は、窓を見たまま。

 コウタ先輩が立ち上がり、ユキ先輩に近づく。

 観客の視線が集まったタイミングで、ユキ先輩が振り向く。
 頭をかいたコウタ先輩がスケッチブックをさしだし、笑った。

「『よかったら。俺と一緒に、課題やらない?』」
「『……』」
「『あ、ゴメン! 俺はコウタ! 美人さんは……たしか……ユキさん、だったよね』」
「『……うん』」
「『ユキさん。一緒に、課題やらない?』」
「『……隣の子は?』」
「『メガネさんなら別の子とやるって! 俺、ユキさんとやりたいなーって思ってさ。ダメ、かな』」

 笑顔を崩さないコウタ先輩に、ユキ先輩が視線をそらす。
 困ったような表情で観客を見回し、ちらりとコウタ先輩を見上げ。
 大きく息を吐き、スケッチブックを取りだした。

「『……いいよ」』
「『ありがとう! イス持ってくるから! 待ってて!』」

 後ろの席に走っていくコウタ先輩を、見つめるユキ先輩。
 メガネ先輩と話しながら笑うコウタ先輩を、見つめるユキ先輩。
 ユキ先輩の視線が語る。
 最初の壁が、今、壊されたことを。
 台本には【野上(のがみ)のアドリブ】としか書いていなかった部分が始まる。
 わたしはギュウと両手を組み、コウタ先輩を見守る。

 ペアを組んだ日以降。
 コウタ先輩が、ちょくちょくユキ先輩に話しかける。
 話題を変え、仕草を変え、表情を変えるコウタ先輩につられて、窓を見る時間が減り、無表情が消え、笑みが浮かぶユキ先輩を見て。
 観客が「カワイイ……」とつぶやく。

 コウタ先輩が「『一緒に演劇をやろう!』」と、ユキ先輩を誘う。
 ユキ先輩は首を縦に振らない。
 だが、コウタ先輩はあきらめない。
「『観るだけなら……』」と、ユキ先輩がうなずいた時。
 ガッツポーズしたコウタ先輩へ、観客が拍手を送った。

 ユキ先輩の手を引き、コウタ先輩が中央に向かって歩く。
 わたしはついたての影から、メガネ先輩に右手を三回振る。
 メガネ先輩が首を縦に振り、一・二の三であわせ、
ついたてをグルリと動かし、机と自分達の姿を隠す。
 模造紙を外せば、場面転換(ばめんてんかん)完了。

 コウタ先輩が得意のアドリブで観客を巻きこみ、色々な役を演じてみせる。
 コロコロ変わるコウタ先輩に、観客は釘づけ。

 演じている時のコウタ先輩は、とてもステキで、カッコよくて。
 なにより、とっても楽しそうで。
 キラキラ輝く笑顔の世界を創りだす、笑顔の魔法使いだから。
 そんなあなたが、好きで好きで、大好きです。コウタ先輩。

 観客に笑顔の花が咲きほこる。
 振り返ったコウタ先輩が笑顔を浮かべる。
 ユキ先輩が、頬を赤く染めた。

「『できる、かな』」
「『できるよ! 演劇の世界は、どこまでも広くて自由だから!』」
「『うん。コウタと一緒に、演劇をやってみたい』」

 暗くなっていく体育館。
 コウタ先輩が観客席に(まぎ)れ、顔を伏せたユキ先輩にライトが当たる。

「『普段のコウタは、ずば抜けてカッコよくもない。だから、私と何が違うんだろうって、思ってた』」

 ユキ先輩が音声にあわせ、手を前に出す。

「『けれど。幕が上がった瞬間。コウタは、私とは比べものにならないぐらい魅力的(みりょくてき)で。
 なんとなくで生きていた私の心を、痛いぐらいにしめつけて。
 それまで感じた事のない気持ちを、生みだしたの』」

 ユキ先輩が顔を上げ、手を胸元に引き戻す。
 息をこぼす唇すら熱っぽい、せつない表情がライトに照らされる。
 
「『コウタの、そばに、いたい。同好会に入る事を決めたのは、そんな理由』」

 暗転。
 コウタ先輩が観客席の後ろに抜けだす。
 ユキ先輩がわたしのいるついたての影に隠れ、ピースサイン。
 わたしもピースサインを返す。

 次は、わたしの出番。
 体育館が明るくなり、アップテンポの音楽が流れだす。
 わたしはスキップを踏みつつ、観客の前を進む。

「『えーんげきぶは、ドコですか〜♪』」

 わたしは背伸びし、右手を目の上に当て、腰より上をグルグル動かす。
 下のついたてに飾られた【演劇部部室】の模造紙を見て、飛び跳ねる。

「『わたしのキラキラドキドキ演劇部ライフ! ココからスタート!』」

 わたしは早足で、下のついたてに近づく。

「『一年A組、はるかです! 仮入部希望です! よろしくお願いします!』」

 右手の指をボールを持つように広げ、手首ごと右にひねる。
 ドアノブを開けるパントマイム成功!
 わたしはついたての裏へ回る。

 一・二と数える間に。
 コウタ先輩が観客席の後ろを走りながら、コピー用紙をばらまく。
 演劇部の基礎練習メニューが、バサバサと舞い落ちる。
 観客が「鬼練じゃん」「何コレ、ヤバくない?」と騒ぐのを聞き。
「『ギャアアアア!』」と叫び、わたしはついたての影から飛びだす。
 ヨロヨロと床に倒れこみ、ズルズルとはいつくばりながら前へ進む。
 鬼の仮面を被り、首から【スパルタ部長】のホワイトボードを下げ、黒いムチを持つメガネ先輩が、追いかけてくる。

「『も、もう無理……や、やめます……ガクッ』」

 動かなくなったわたしを見て、観客が苦笑する。
 ムチを打ち鳴らし、メガネ先輩がついたての裏へ消える。
 わたしはフラフラと立ち上がり、ため息をつきながら歩きだした。

「『スパルタすぎるよ……。前に見た演劇の舞台は、すごく楽しそうだったのに……』」

 わたしは足を止め、天井をあおぐ。
 グシュグシュと鼻を鳴らし、その場にしゃがみこむ。

「『演劇部に入りたくて、この高校を選んだのに……楽しい人達となら、楽しく部活ができるって思ったのに……』」

 落ちる涙に、観客が静まりかえる。
 近づいてきたコウタ先輩が、わたしの肩をたたいた。