2.
朝の話は肝心の本人が戻ってこず、あそこで解散。
放課後の地学準備室は静かだった。
わたしも、桜木くんも、メガネ先輩も、ユキ先輩も。
定位置に座り、ただじっと。
コウタ先輩がやってくるのを、待っていた。
***
「そ……ん……」
「野上は@homeのメンバーだ! 演劇部に入部する・しないのも、野上本人の意志だ! 勝手に野上をモノ扱いするな!」
わたしが「な」と言う前に、メガネ先輩がすごい声でどなった。
スパルタ部長をにらみつける姿は、普段の冷静な姿からは想像もできない。
しかし。
スパルタ部長は、ピクリとも動かない。
「実力に見合った場所に、ふさわしい人間がいるべき。私はそう言っているだけ。
メガネさん。あなた、野上君から何も聞かされていなかったの? 同好会を立ち上げてからも、どれだけ学外のコンクールや大会で活躍し、優秀な成績を残しているのか」
「……なん、だと」
「野上君が師とあおぐ人物も、演劇界では超がつく有名人。弟子をとらない事で有名だった人が、高校生を愛弟子にした。彼の劇団はね、とてもとても厳しいのよ。演劇の神に愛された人間しか所属できない。そう噂されているほど。これだけで、野上君のスゴさが分かるでしょう?」
メガネ先輩から視線を外したスパルタ部長が、ユキ先輩を冷ややかな目で見る。
「ユキ。あなたの両親は『部活動でのイジメ』が話せなくなった原因とうったえたけれども。責められて当然の事をしたのはあなたでしょう。
中二の地区予選、予選落ちした原因は途中降板したヒロイン。つまり、あなた。給水ドリンクにアレルギーが混入されていようが、四十度の熱をだそうが、一度幕が上がった舞台から退場する事は許されない。全てをぶち壊したのはあなたよ、ユキ。
野上君が『自分が台本無視をしたせい』って、あなたの責任を自分の責任にすり替えたおかげで。あなたが責められる事はなくなった。
野上君は、誰に何を言われても黙って謝り続けたわよ。何も言わずに逃げたあなたとは大違いね、ユキ。良かったわね、優しい王子様がいてくれて。
あら、ごめんなさい。野上君はもう、あなたの王子様じゃなかったわね」
青い三角スカーフをひるがえし、スパルタ部長がクルリと背を向けた。
「野上君は演劇部がもらう。話は以上」
***
ゴロン、ゴトン、と。
階段に落ちる音がいくつも聞こえ、わたしは地学準備室を飛びだす。
大小さまざまなトロフィーや記念品、たくさんの賞状。
両腕いっぱいに抱えたコウタ先輩が、階段をのぼってくる。
四階の廊下から動けないわたしに気づくと。
コウタ先輩が笑いながら、頭をかこうとし。
さらに大きな音を立て、トロフィーや記念品が階段に落ちた。
「あー! めっちゃヤバイ音した! うわー、割れてないかなー」
しゃがみこんだコウタ先輩の手から、バサバサと賞状が落ちる。
拾い集めるコウタ先輩の元へ、わたしは近づく。
わたしの分からない演劇用語が並んだものが、コウタ先輩の名前が書かれたものが、階段に散らばっている。
拾うのを手伝おうと、わたしがしゃがみこんだ直後。
大きくて温かい手が、わたしの視界をおおった。
「え? え? コウタ先輩?」
突然のできごとに、わたしはあわてふためく。
「はるかちゃん。その、あのですね、段差を考えてもらえるとですね、ありがたいのです。
先に言っておくと! 俺は、ななななな何も、み、み、み、見てないからね!」
コウタ先輩の慌てた声が、いないはずの右斜め上から降ってくる。
わたしはコウタ先輩の手を外そうとして。
スカート姿のまま、ひざを抱え、しゃがみこんでいることと。
コウタ先輩より高い段差にいることに、思い当たった。
「……見ましたね?」
「見てない! 見てない! 見てないってば! 変なウサギが描いてあるな…………あ」
「見てるじゃないですか! コウタ先輩のスケベーーーー‼︎」
お腹の底からだした、わたしの大声は。
三階、二階にいた同好会にまで響いた(らしい)。
***
「野上。モモに迷惑をかけるなと言ったのは、つい先日だぞ?」
[コウタ、サイテー]
「野上先輩も人だったんですね」
「毒舌ウサちゃんを変なウサギって! コウタ先輩のトークに、スタンプ押しまくりますからね!」
「言いわけはしません。変なウサギって言った事も謝ります。申し訳ありませんでした!」
地学準備室の扉前に正座したコウタ先輩が、額を床にこすりつけて土下座する。
あきれ顔のメガネ先輩が溜息をつく。
ユキ先輩がわたしの頭をなでる。
わたしが「もういいですっ!」と言うまで、コウタ先輩は土下座したままだった。
「……野上。お前が理事長室に行っている間にな、演劇部部長が来たぞ」
言いにくい事を切りだせるメガネ先輩は、やっぱりスゴイ。
わたしはゴクリと喉を鳴らし、二人を交互に見る。
コウタ先輩が苦笑いし、イスに腰をおろした。
「タイミング的に狙ってると思ったんですよねー。わざわざ理事長を使ってまで呼びだすのって、それぐらいしか理由が思いつかなくて。抜けだすのに時間かかっちゃって、すみません。
メガネ先輩。それで、何の話でした?」
「お前を演劇部にスカウトすること。地区予選のこと。
ユキの給水ドリンクにアレルギーを混入したかは、退部した者の話なので知らんとの事だ」
「……そう、ですか。
じゃあ、全員、地区予選の話は聞いたんですね。俺とユキと菅井が、同じ中学の演劇部で、先日同様のアレルギー事件が起きたことを。
メガネ先輩。今日呼びだされた件も、公式の大会や大きなコンクールじゃないものばかりでした。高校名を言わずに出場したものも多かったんです。菅井が俺を演劇部に入部させたい理由として、あちこち探し回ったんだと思います。
だけど、何も言わなかったのは、俺なので。不快な思いをさせていたら、申し訳ありませんでした」
コウタ先輩が深い息を吐き、メガネ先輩を見る。
「中二の地区予選本番の舞台で、ユキがアレルギーを発症したのは事実です。隣で給水したので、俺はすぐに分かりました。ユキの果物アレルギーは、喉にでるタイプだったから。本番中に声が出なくなって、残り二十分で途中降板しました。残り二十分は、台本を無視したアドリブを使い、俺がほぼ一人で演じました。”※ト書き(※動作などの説明文)以外の台本改変禁止”っていう審査員がいたのを知っていたので。上演後の講評では、問題点を長々言われるから。俺の台本無視が責められるように仕向けました。俺のもくろみ通り、講評自体は俺を責める内容でした。
でも。演劇の世界は、途中降板に厳しいんですよ。心筋梗塞でやむなく途中降板した高齢の役者さんが、賞をとった舞台もあるんですけどね。『一度舞台に立ったら途中で降りるのはありえない』って言う人が多くて。演劇部部員もそうでした。ユキのアレルギーは、ユキ本人が体調管理できてないって問題にされて。全国大会連続出場を止めたって、騒ぎになったんです。責められるユキを見ていられなくて、俺は自分のせいだって言いました。中三の夏に全国大会出場するまで、俺達二人は演劇部内で存在しないものとして扱われたんです。だからユキが、全国大会前に黙って退部したのも気持ちはすごく分かります。
ユキ。ごめんな。学校に行きたくない、高校に行きたくないって泣いてたユキを連れだしたのは俺だから。ごめん、本当にごめんな」
ユキ先輩が首を横に振るたび、透明なしずくが飛ぶ。
そうして。
泣きそうな顔をしたコウタ先輩が、わたしを、見た。
朝の話は肝心の本人が戻ってこず、あそこで解散。
放課後の地学準備室は静かだった。
わたしも、桜木くんも、メガネ先輩も、ユキ先輩も。
定位置に座り、ただじっと。
コウタ先輩がやってくるのを、待っていた。
***
「そ……ん……」
「野上は@homeのメンバーだ! 演劇部に入部する・しないのも、野上本人の意志だ! 勝手に野上をモノ扱いするな!」
わたしが「な」と言う前に、メガネ先輩がすごい声でどなった。
スパルタ部長をにらみつける姿は、普段の冷静な姿からは想像もできない。
しかし。
スパルタ部長は、ピクリとも動かない。
「実力に見合った場所に、ふさわしい人間がいるべき。私はそう言っているだけ。
メガネさん。あなた、野上君から何も聞かされていなかったの? 同好会を立ち上げてからも、どれだけ学外のコンクールや大会で活躍し、優秀な成績を残しているのか」
「……なん、だと」
「野上君が師とあおぐ人物も、演劇界では超がつく有名人。弟子をとらない事で有名だった人が、高校生を愛弟子にした。彼の劇団はね、とてもとても厳しいのよ。演劇の神に愛された人間しか所属できない。そう噂されているほど。これだけで、野上君のスゴさが分かるでしょう?」
メガネ先輩から視線を外したスパルタ部長が、ユキ先輩を冷ややかな目で見る。
「ユキ。あなたの両親は『部活動でのイジメ』が話せなくなった原因とうったえたけれども。責められて当然の事をしたのはあなたでしょう。
中二の地区予選、予選落ちした原因は途中降板したヒロイン。つまり、あなた。給水ドリンクにアレルギーが混入されていようが、四十度の熱をだそうが、一度幕が上がった舞台から退場する事は許されない。全てをぶち壊したのはあなたよ、ユキ。
野上君が『自分が台本無視をしたせい』って、あなたの責任を自分の責任にすり替えたおかげで。あなたが責められる事はなくなった。
野上君は、誰に何を言われても黙って謝り続けたわよ。何も言わずに逃げたあなたとは大違いね、ユキ。良かったわね、優しい王子様がいてくれて。
あら、ごめんなさい。野上君はもう、あなたの王子様じゃなかったわね」
青い三角スカーフをひるがえし、スパルタ部長がクルリと背を向けた。
「野上君は演劇部がもらう。話は以上」
***
ゴロン、ゴトン、と。
階段に落ちる音がいくつも聞こえ、わたしは地学準備室を飛びだす。
大小さまざまなトロフィーや記念品、たくさんの賞状。
両腕いっぱいに抱えたコウタ先輩が、階段をのぼってくる。
四階の廊下から動けないわたしに気づくと。
コウタ先輩が笑いながら、頭をかこうとし。
さらに大きな音を立て、トロフィーや記念品が階段に落ちた。
「あー! めっちゃヤバイ音した! うわー、割れてないかなー」
しゃがみこんだコウタ先輩の手から、バサバサと賞状が落ちる。
拾い集めるコウタ先輩の元へ、わたしは近づく。
わたしの分からない演劇用語が並んだものが、コウタ先輩の名前が書かれたものが、階段に散らばっている。
拾うのを手伝おうと、わたしがしゃがみこんだ直後。
大きくて温かい手が、わたしの視界をおおった。
「え? え? コウタ先輩?」
突然のできごとに、わたしはあわてふためく。
「はるかちゃん。その、あのですね、段差を考えてもらえるとですね、ありがたいのです。
先に言っておくと! 俺は、ななななな何も、み、み、み、見てないからね!」
コウタ先輩の慌てた声が、いないはずの右斜め上から降ってくる。
わたしはコウタ先輩の手を外そうとして。
スカート姿のまま、ひざを抱え、しゃがみこんでいることと。
コウタ先輩より高い段差にいることに、思い当たった。
「……見ましたね?」
「見てない! 見てない! 見てないってば! 変なウサギが描いてあるな…………あ」
「見てるじゃないですか! コウタ先輩のスケベーーーー‼︎」
お腹の底からだした、わたしの大声は。
三階、二階にいた同好会にまで響いた(らしい)。
***
「野上。モモに迷惑をかけるなと言ったのは、つい先日だぞ?」
[コウタ、サイテー]
「野上先輩も人だったんですね」
「毒舌ウサちゃんを変なウサギって! コウタ先輩のトークに、スタンプ押しまくりますからね!」
「言いわけはしません。変なウサギって言った事も謝ります。申し訳ありませんでした!」
地学準備室の扉前に正座したコウタ先輩が、額を床にこすりつけて土下座する。
あきれ顔のメガネ先輩が溜息をつく。
ユキ先輩がわたしの頭をなでる。
わたしが「もういいですっ!」と言うまで、コウタ先輩は土下座したままだった。
「……野上。お前が理事長室に行っている間にな、演劇部部長が来たぞ」
言いにくい事を切りだせるメガネ先輩は、やっぱりスゴイ。
わたしはゴクリと喉を鳴らし、二人を交互に見る。
コウタ先輩が苦笑いし、イスに腰をおろした。
「タイミング的に狙ってると思ったんですよねー。わざわざ理事長を使ってまで呼びだすのって、それぐらいしか理由が思いつかなくて。抜けだすのに時間かかっちゃって、すみません。
メガネ先輩。それで、何の話でした?」
「お前を演劇部にスカウトすること。地区予選のこと。
ユキの給水ドリンクにアレルギーを混入したかは、退部した者の話なので知らんとの事だ」
「……そう、ですか。
じゃあ、全員、地区予選の話は聞いたんですね。俺とユキと菅井が、同じ中学の演劇部で、先日同様のアレルギー事件が起きたことを。
メガネ先輩。今日呼びだされた件も、公式の大会や大きなコンクールじゃないものばかりでした。高校名を言わずに出場したものも多かったんです。菅井が俺を演劇部に入部させたい理由として、あちこち探し回ったんだと思います。
だけど、何も言わなかったのは、俺なので。不快な思いをさせていたら、申し訳ありませんでした」
コウタ先輩が深い息を吐き、メガネ先輩を見る。
「中二の地区予選本番の舞台で、ユキがアレルギーを発症したのは事実です。隣で給水したので、俺はすぐに分かりました。ユキの果物アレルギーは、喉にでるタイプだったから。本番中に声が出なくなって、残り二十分で途中降板しました。残り二十分は、台本を無視したアドリブを使い、俺がほぼ一人で演じました。”※ト書き(※動作などの説明文)以外の台本改変禁止”っていう審査員がいたのを知っていたので。上演後の講評では、問題点を長々言われるから。俺の台本無視が責められるように仕向けました。俺のもくろみ通り、講評自体は俺を責める内容でした。
でも。演劇の世界は、途中降板に厳しいんですよ。心筋梗塞でやむなく途中降板した高齢の役者さんが、賞をとった舞台もあるんですけどね。『一度舞台に立ったら途中で降りるのはありえない』って言う人が多くて。演劇部部員もそうでした。ユキのアレルギーは、ユキ本人が体調管理できてないって問題にされて。全国大会連続出場を止めたって、騒ぎになったんです。責められるユキを見ていられなくて、俺は自分のせいだって言いました。中三の夏に全国大会出場するまで、俺達二人は演劇部内で存在しないものとして扱われたんです。だからユキが、全国大会前に黙って退部したのも気持ちはすごく分かります。
ユキ。ごめんな。学校に行きたくない、高校に行きたくないって泣いてたユキを連れだしたのは俺だから。ごめん、本当にごめんな」
ユキ先輩が首を横に振るたび、透明なしずくが飛ぶ。
そうして。
泣きそうな顔をしたコウタ先輩が、わたしを、見た。