[体育館でもありがとう。
モモちゃんが『ステキな先輩』って言ってくれて。代わりに怒ってくれて。私、涙がでるぐらい嬉しかった。
ガサガサで、カサカサの変な声だけど。
これからも、仲良くしてくれる……?]
ぬれたあとが残る、最後の質問文。
わたしは、ジーンと鼻の奥がしびれるのを感じながら。
ユキ先輩へ向かい、ニッコリ笑う。
「変な声じゃありません! わたしをかばってくれた、とってもとっても優しい声です!
わたし、ユキ先輩と話したいこと、たくさんあるんです。中学生のコウタ先輩の話も聞きたいです。ユキ先輩は、いつもわたしの話を聞いてくれますけど。わたし、ユキ先輩が話したいことも一緒に話したいです。
演劇のこともそうです! ユキ先輩のおかげで、腹筋三十回できるようになったんですよ。ユキ先輩が無理なくできる方法を教えてくれたから。わたし、毎日続けられています。どうやったらステキなパントマイムができるか、わたしに教えてください。
あ、でも! いたいのをガマンして、無理に声をだすのはダメです! コウタ先輩の言い方をするなら、ノーです!」
わたしはコウタ先輩のマネをし、両腕で大きなバツ印を作る。
ユキ先輩が目の端を拭い、新しい一文を書いた。
[モモちゃん。ありがとう]
「いいえ! わたしのほうこそ、ありがとうございました! わたし、飲み物を買ってきますね」
ユキ先輩がコクリとうなずく。
わたしは立ち上がり、スクールバッグから毒舌ウサちゃんの小銭入れを取りだす。
笑顔のまま、司書室を退室し、図書室の扉を閉める。
そうして。
一、二、三歩と進みながら、ふるえる唇をかみしめ。
涙が頬をすべったまま、わたしはかけだした。
透明な水滴をまばたきと共に弾け飛ばそうとしても、うまくいかない。
「ごめ……ごめ……ごめんなさい……ユキ先輩、ごめんなさい……」
わたし、最低だ。
ユキ先輩とコウタ先輩とつきあっていないって、言われた時。
ユキ先輩の好きが、恋愛の好きじゃないって、教えてくれた時。
胸のつかえがとれて、心の底から安心したんだ。
もしもユキ先輩がライバルだったら。
一ミリの勝ち目もなかったから。
演劇部の人達と同じで。
ユキ先輩の思いを、本当のことを、知ろうともしなかった。
わたし、最低の後輩だ──
自分の足音に追いかけられるように。
誰もいない廊下を、わたしは走る。
ポロポロと、ポロポロと。
何度拭っても、涙はとめどなくあふれて。
ボロボロと、ボロボロと。
床に落ちていく。
グルグル、グルグル、グルグル。
わたし、最低。
わたし、自分のことしか、考えてない。
わたし、最低だ。
グルグル、グルグル、グルグル。
わたしはグシュグシュの鼻をすすり、ウサギより真っ赤な目をこすり。
足が進むまま、走って、走って、走って。
視界に映った白いパーカー姿に、足を止めた。
「モモちゃん」
立ち竦んだわたしへ、コウタ先輩が歩み寄ってくる。
なんのためらいもなく、コウタ先輩が両ひざを折り、冷たい廊下に着く。
静かに伸ばされた手が、わたしの手を取った。
するりと横を桜木くんが通り過ぎていく。
「コウタ先輩」
「うん、モモちゃん」
「コウタ先輩」
「うん、モモちゃん」
「コウタ先輩」
「うん、モモちゃん」
涙で揺れる視界のまま、わたしは名をつむぐ。
三文字の言葉を舌にのせ、音へ変えるたびに、透明なしずくが落ちる。
「コウタ先輩。わたし」
「うん」
「ユキ先輩と、話をしたんです」
「うん」
「ユキ先輩は、コウタ先輩とつきあっていないって。コウタ先輩のこと、恋愛の好きじゃないって言ったんです」
「うん」
「それを聞いたら、わたし」
「うん」
「……ああ、良かったって……。ユキ先輩がコウタ先輩とつきあってなくて、ユキ先輩がコウタ先輩を好きじゃなくて……良かったって……心の底から、思っちゃったんです」
「うん」
「だって! ユキ先輩がライバルだったら、わたしに勝ち目なんてなかったから! わたしが二年生になっても、ユキ先輩には絶対なれないから!」
「うん」
「わた……わだし……っく、ひっく」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
こんな最低なヤツが、後輩だなんて。
ガッカリしましたよね。
ドン引きしましたよね。
こんな最低なヤツが、コウタ先輩を好きだなんて。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
わななく唇から全てをしぼりだし、わたしはうつむく。
目の奥底からしたたるしずくが音もなく落ち、自分ではない手の甲で跳ねる。
薄い夕陽が、廊下から去ろうとした矢先。
コウタ先輩の手が離れ。
息もできないまま、わたしは力強い腕に抱きしめられた。
「モモちゃん。嫌なら、嫌って言って。言わないかぎり、離さないから」
耳の一番近くで聞こえる、コウタ先輩の声。
コウタ先輩が話すたびに、熱い吐息が触れる。
ほっとするような安心感と、ゾクゾクする感情が入り混じって。
わたしの目から、涙がひっこんだ。
「ごめんね。俺が、いろんな事を中途半端にしてきたから。俺が、最初から全部話しておけば。隠しごとみたいなマネしなければ。モモちゃんが泣く事はなかったのに。泣かせるつもりなんて、なかったんだ。ごめんね、モモちゃん。
好きな子を泣かすとか……本当にごめん。ごめん。ごめん。何回あやまっても足りないんだけど、ごめん、ごめん、ごめんなさい。
あのね、モモちゃん。すごく自分勝手なお願いだって、分かってるんだけどさ。俺、モモちゃんには笑っていてほしいんだよ。無理して笑う必要はないんだけど、やっぱり笑った顔が一番カワイイから。モモちゃんのカワイイで、俺の身体全部がうまるレベルだから。モモちゃんの笑顔を見るたびに『よっし、今日も頑張ろー!』って、一人でもりあがってるから。
モモちゃん。今、俺の顔を見るのはダメです。絶対ダメ。役に入ってないから。セリフじゃないから。リアルヘタレ大魔王が、めっちゃ頑張って話してるので。顔を見られたら、はずかしくて死んじゃいそうなので。だから、顔はみないでください。お願いします」
「……そう言われると、見たくなります。コウタ先輩」
「ノーです! 絶対ノーです!」
慌てるコウタ先輩の声を聞きながら、わたしは笑う。
さっきまでは、つらくて、つらくて、どうしようもなかったのに。
コウタ先輩が来てくれたとたん、話しかけてくれたとたん。
わたしはすぐさま、笑顔の魔法にかけられた。
「コウタ先輩。顔が、見たいです。大事な話をするから。顔が、見たいです。見せてください」
おずおずと離れるコウタ先輩の頬へ、わたしは手を伸ばす。
さしこむ夕焼け色は、おそろいだけれども。
わたしとコウタ先輩、どっちのほうが赤いだろう。
「コウタ先輩。全部、話してください。ユキ先輩とのこと。演劇部とのこと。わたしに隠しごとはしないって、約束してください」
わたしはキラキラ光る夕焼けの中、満開の笑顔で笑ってみせた。
「コウタ先輩。わたし、コウタ先輩が大好きです。
だから、質問返しをします。コウタ先輩は、誰が好きですか?」
ボッと音がし、夕焼けよりも真っ赤に染まったコウタ先輩が。
はにかみながらうつむいて、右人差し指で右頬をかこうとして。
指を下げ、とろけそうな甘い笑顔を浮かべた。
「一年A組、出席番号二十番、渡辺はるかちゃん。俺は、はるかちゃんが大好きです」
「はい! わたしもコウタ先輩が大好きです! やっと、名前で呼んでくれましたね!」
立ち上がったコウタ先輩が、右人差し指で右頬をかく。
さしだされた左手を、わたしは自分の右手でにぎった。
「あの、さ、はるか、ちゃん。俺の手、変な汗でてないよね⁈
面と向かって名前を呼ぶの、心臓がヤバイので!
二人っきりの時だけ、名前で呼ぶって言ったら。おこる……?」
「コウタ先輩。カミカミ様がついています。カミカミ様、カミカミ様、お帰りくださーい。
ユキ先輩は名前で呼んでるじゃないですか! わたしも名前で呼んでください!」
「カミカミ様、カミカミ様、お帰りくださーい。
か、かまないように、が、頑張るので、心の準備時間をください」
「はい。……あ、コウタ先輩。わたし、もう一つ聞きたいことがあったんですけど」