「「い、イチャついてないです(よ)!」」

 わたしとコウタ先輩の声が(かさ)なる。
 バッと勢いよく、左右に顔をそむけた。
 わたしは、はずかしくて真っ赤な顔で。
 コウタ先輩は、普段よりも紅潮(こうちょう)した顔で。

[コウタ。手を離してあげないと、モモちゃんがアンケート書けないよ?]

 ノートをめくるユキ先輩。
 わたしとコウタ先輩は顔を見あわせ、つないでいた手を、ギクシャクした動きで離した。

「……ご、ごめん、モモちゃん。き、きづかなくて……」
「……い、いえ……わ、わたしも……す、すみません……」

 わたがしみたいな空気が、ふわふわ、ふわり。
 ジュワッと溶けだしたものが、飴色(あめいろ)の熱に変わる。
 アンケート用紙に顔をうずめながら、わたしは唇で『すき』と形作る。

 メガネ先輩が、変なことを言うからですよ。
 ユキ先輩が、ストレートに書くからですよ。
 わたし、わたしは。
 コウタ先輩が、(こい)しくて、恋しくて。
 どうしようもないぐらい、好きで、好きで、大好きだって。
 改めて、自覚しちゃったじゃないですか……!

(ち、直接言うのは……無理です! で、でも……昨日より、ちょっとだけ。コウタ先輩に近づいたって……思ってもいいよね……?)

 深呼吸をし、わたしがアンケート用紙を記入しようとした時。
 保健の先生とダリア役の人に連れられ、マリア役の人が下手(しもて)の階段をおりてくる。
 メイクをしているはずなのに、顔色が真っ青(まっさお)
 フラフラと歩く姿は、舞台の上とはまるで別人。
 三人が近くを通った(さい)、話し声が聞こえた。

「ドリンクを飲んだら、急に調子が悪くなったんです」
「川上さん、なにかアレルギーは?」
「ゲホッ、ゴホッ……。……わ、私……リンゴアレルギーで……ドリンク……リンゴ味が……」
「私のはスポーツドリンクだったけど……。……せ、先生、川上をお願いしてもいいですか! ちょ、ちょっと確認してきます!」

 バタバタと足音を立て、ダリア役の人が舞台へ走っていく。

 ……コトン。
 毒舌(どくぜつ)ウサちゃんのシャープペンシルが、床に転がり落ちる。
 わたしはシャープペンシルを拾い、ユキ先輩に手渡そうとして。
 寸劇の時よりも、ユキ先輩がふるえているのを見て。
 言葉を、失った。

「ユキ」

 イスから立ち上がったコウタ先輩が、ユキ先輩の前で両ひざを着く。
 そっと、ユキ先輩の手を握る。
 
「ユキ、聞こえる? 俺の声、聞こえる? 聞こえたら、合図して。……うん、ちゃんと聞こえてるね。
 大丈夫、俺がついてるから。大丈夫、ゆっくり息吸って、ゆっくり吐いて。そうそう、その調子。
 ユキ、別の場所に行こうか。……うん。もちろん、俺もついていくよ。一人にするわけないじゃん。一緒に行くからさ。ね、ユキが落ちつける場所に行こう」

 分かって、いるけれども。
 ついさっきまで自分とつながっていた手が、別の人(ユキ先輩)とつながるのは。
 あんまり、見たくないな。

 わたしは、ふいと視線をそらす。

「帰すわけにはいかないわ」

 心の(しん)まで凍りそうなスパルタ部長の声が。
 カミソリのように鋭い演劇部の人達の視線が。
 わたしを、@home(アット・ホーム)全員を取り囲んでいた。

野上(のがみ)君。いえ、同好会メンバー全員に聞くわね。マリアのドリンクをすり替えたのは──誰かしら?」
「俺達じゃない」

 コウタ先輩の声が、耳に届き。
 わたしはうつむきかけていた顔を、正面に向け直す。
 ユキ先輩の手を離し、コウタ先輩が立ち上がる。
 わたしを、@home(アット・ホーム)全員を守るような背中は、大きくて優しい。

「いきなり『お前達がやったのか?』って言われてもさ。やっていないものはやっていないよ。三年の先輩の指示にしたがって、準備を手伝っただけ。作業予定表も台本も、誰一人見ていない。
 話なら俺が聞く。他のメンバーは帰ってもいいだろ?」

 わたしはメガネ先輩と一緒に、ユキ先輩の手をにぎる。
 石のように表情を変えないスパルタ部長が、コウタ先輩をまっすぐ見すえ、口を開いた。

「あいかわらずね、野上(のがみ)君。あなたが守っているのは、本当にか弱い人なのかしら? かげでほくそ笑んでいるかもしれないわよ?
 ああ、ごめんなさい。あなたは疑わないわよね。疑う事を知らないわよね。甘い甘い性格だものね、反吐(へど)が出るほどに」
「……」
「渡辺さん。舞台袖の見学をしたわよね?」

 いきなりスパルタ部長に名字を呼ばれ、わたしはビクリとする。

「は、はい。準備中に、三年の先輩が見学させてくれたので……。そ、それがどうかしましたか?」
「見学したのは、上手(かみて)下手(しもて)のどちらかしら?」

 質問に、質問返し。
 わたしの胸の中で、嫌な予感がムクムクと顔をのぞかせる。

「み、右側……か、上手(かみて)です」
野上(のがみ)君。給水(きゅうすい)用のドリンクはね、上手(かみて)の舞台袖に準備していたの。
 マリアとダリアがうりふたつの姿になる直前。給水ポイントはそこよ。マリアが上下どちらに※はけた(※袖に退出した)か、あなたなら覚えているでしょう?」

 コウタ先輩が息をのむ。
 わたしは必死に、場面を思い返す。
 マリアが、ダリアにそっくりだと言って。
 ダリアが双子であることに気づかなくて。
 おもいっきり、手を振ってしまって。

 ど、どうしよう。
 コウタ先輩のアンケート用紙に書かれた一文しか、ハッキリ覚えていません!

 わたしがそれ以外のことを思い出そうと、頭を抱えた直後。
 ユキ先輩がバツ印マークに手をかけ。
 マスクを外し、ぷるぷるツヤツヤの唇を開いた。

「……も……モモ……ちゃ……ん……ケホッ……じゃ……な……い……ゴホッ。
 だっ……ゲホッ……わ……わた……ゴホッ。わ……私も……中二の予選……ゲホッ……で……ドリン……ゲホッ……ク……すり替え……ら……」

 カサカサゴワゴワの、かすれてすりきれたソプラノ声。
 初めて聞いた、ユキ先輩の声。
 せきこんだユキ先輩の背中を、メガネ先輩がさする。
 わたしは、毒舌ウサちゃんマークのハンカチをさしだす。
 ユキ先輩が涙目のまま、ほほえみ。
 並んでいる演劇部の一人を指した。
 わたしに声をかけてくれ、『舞台袖を見学しよう』と誘ってくれた三年の先輩を。

「……ケホッ。……私も……くだ……もの……アレル……ゲホッ。……知っ……てい……る……の……ゴホッ……こ、コウタ……と……ゲホッ……あ……あなた……だけ……ゲホゲホッ。ま、また……お、同じ……事……し、したんですね……先輩」