本のページをめくり、イスを揺らし、マリアがティーカップに口をつける。
 表情や仕草がゆったりしていて、流れ始めた音楽もスローテンポ。

(……お茶を飲んで、好きな音楽をきいて、好きな本を読んで。マリアは普段通りに過ごしてる。緊張(きんちょう)した空気と、のんびりした空気の波が交互にきて、物語にメリハリがついてる。次はなにがくるんだろうって、目が離せない。スゴイなぁ……!)

 上手(かみて)から、黒髪をポニーテールに結んだメイド服の少女が現れる。
 長い前髪で隠され、表情はよく見えない。
 中央へ向かいながら、窓を押して歩くメイド少女。
 開いた窓の向こう側には、真っ黒な引き幕が見える。
 観客に背を向け、メイド少女がモップを使い、ほこり取りを始める。
 マリアはのんびり、本のページをめくっている。
 メイド少女が、次の家具へ移ろうとした瞬間。
 ゾクン!と、わたしの背筋にふるえが走った。

 ……見てる。
 ……メイド少女が、マリアを見てる……!
 ……マリアを、ジッと見てる……!

 うってかわって、不気味(ぶきみ)な静けさが舞台を包む。
 メイド少女がそうじを再開し、わたしは大きく息を吐く。
 ところが。
 今まで背中を向けていたメイド少女が、クルリと向き直り。
 丸テーブルにある花びんを、モップで揺らし始める。
 グラグラ、グラグラと揺れる花びんが、少しずつテーブルの端へ。
 ガシャァァァァン‼︎
 割れる音が響き渡り、花びんが床に転がる。

「『な、なに⁈』」

 揺りイスから立ち上がり、マリアが周りを見回す。
 メイド少女がサッと両ひざを床につき、顔を両手でおおう。
 マリアがメイド少女に気づき、しゃがみこむ。

「『泣かないでちょうだい。きっと、窓から風が入ってきたのよ。あなたのせいじゃないわ』」
「『マリアお(じょう)様! ご無事(ぶじ)ですか⁉︎』」
「『ええ。私は大丈夫。風にゆられた花びんが、床に落ちてしまったの。驚かせてごめんなさい』」
「『お怪我(けが)がなくて安心いたしました。すぐに片づけましょう』」

 小太(こぶと)りのメイドとマリアが話している間に、ゆっくり手を離したメイド少女が。
 観客(こちら)に向かい、くちびるの端をニィッとつりあげた。

(……っ! こここここ、こわいよ! あのメイドさん!)

 わたしの体が勝手にブルブルとふるえ、つい舞台から目をそらしてしまう。
 とん、とん、ぎゅっ。
 とん、とん、ぎゅっ。
 手をつないだままのコウタ先輩の指が、同じリズムで動く。
 とん、とん、ぎゅっ。
 とん、とん、ぎゅっ。
 大きくて優しい手が、今、わたしとつながっている。
 そう、思ったら。
 心の奥が、ポカポカ温かくなって。
 とくとくと胸が鳴る音にあわせ、自然と笑顔がこぼれた。

 話さなくても、気づいてくれて。
 表情が見えなくても、気づいてくれて。
 いつだって。
 コウタ先輩がわたしに、笑顔の魔法をかけてくれる。

 わたしがまっすぐ舞台を見ると、指の動きは止まった。

 花びんを片づけ、小太(こぶと)りのメイドが退場する。
 顔をそむけたままのメイド少女の手を、マリアが両手で包む。

「『あなた、知らない顔ね。名前は? 年はいくつ? どこからきたの?』」
「『……』」
「『ああ、私ったら! 年の近い子がいないものだから、つい興奮(こうふん)してしまって。ごめんなさい。私はマリア。あなたのお名前は?』」

 メイド少女が、ゆっくり顔を戻し。
 長い前髪の下からジーッとマリアをみつめ、重い口を開いた。

「『自分の名前も、年も、どこからきたのかも。私は、何も覚えていません。
 他の使用人が言うには、お屋敷の入口で倒れていたそうです。少しでも恩返(おんがえ)しができればと思い、働かせてもらえるよう、頼みこんだのです。
 初日から、花びんを割ってしまうなんて……もうしわけありません』」

 わたしは、ウーンと首をかしげる。
 メイド少女が話したのは、初めてだけれども。
 この声……どこかで聞いた気がする……ような……

「『そうなの……かわいそうに……。記憶が戻るまで、屋敷にいてかまわないわ。花びんの事は、気にしないでちょうだい。
 私ね、年が近い話し相手が欲しかったの。よければ、私の話し相手になってくれるかしら?』」
「『喜んでお受けいたします。マリアお嬢様』」
「『ありがとう。でも、さすがに名前がないと不便(ふべん)だわ。そうね……あなたの名前は……』」

 色々とポーズを変え、マリアが考えだす。
 ()があき。
 マリアが自分の花かざりをはずし、メイド少女の髪につけた。

「『決めた! あなたの名前はダリアよ!』」

 微笑むマリアを見て、わたしがゾクゾクした直後。
 メイド少女がニンマリ笑った。

「『ステキな名前をありがとうございます。マリアお嬢様』」

 間違いない。
 少しだけ、高い声に変えているけれど。
 声の(ぬし)は、ダリアだ……!
 ダリアがメイドに変装して、マリアに近づいたんだ……!

 スゥと、暗くなっていく舞台。
 ヒュォゥ……ヒュォゥ……と、さびしそうな風の音が鳴り。
 足元を、冷たい風が通りすぎる。

「『ふふ、ふふふ。バカなマリア。おろかなマリア。ふふ、ふふふ。まさか、ダリアと名づけるなんて。
 ダリアの花言葉には、“裏切り”もあるのよ。ふふ、ふふふ……うふふふ!
 私を亡き者にした父! 私を知らず、のうのうと生きていたマリア! あなた達をあざ笑うには、ピッタリな名前ね!
 さあ、始めましょう。裏切り者達への復讐(ふくしゅう)を!』」

 ダリアの笑い声が、暗闇に響き渡る。
 ゴクリと、わたしは息を飲んだ。

 舞台が明るくなったら。
 ダリアの復讐(ふくしゅう)が、始まる……!