君が世界のすべてだった

   ◇

 四限の終わりを告げるチャイムが鳴ると、咲乃は机の上を片付けて、弁当袋をカバンから取り出した。

「咲乃ちゃん、お昼一緒に食べない?」

 そのまま席を立とうとすると、織寧に呼び止められた。
 織寧からのお誘いなんて久しぶりで、つい頷きたくなる。
 だって、今までずっと、静かにそばにいるだけだったから。
 こうして声をかけられることはなかったから。
 せっかくのお誘いを、断りたくなかった。
 だけど、その衝動を必死に抑える。

「えっと、今日は先約があって……」
「そっか」

 織寧は気にしていないのだろうけど、咲乃は次がないように感じた。

「あの、また誘ってくれる……?」

 不安そうに言う咲乃に、織寧は笑みを返す。

「もちろん」

 咲乃は安心した様子を見せると、教室を後にした。
 いつもなら、怜依の教室に向かうけど、今日は違う。
 楽しげな声から離れ、体育館裏に行った。
 そこには数段の階段に腰かける先客がいた。
 すっかり冷たくなった風が、綺麗な銀髪を揺らす。
 退屈そうに遠くを見つめる横顔を見ると、長い時間待たせてしまったような気がした。

「先輩、遅れてごめんなさい」

 声をかけると、新城は優しく微笑んだ。

「全然待ってないよ」

 新城はそう言いながら、左手で隣を叩いた。
 新城の表情と仕草を見ていると、まったく気にしていないことが伝わってくる。
 咲乃は新城に指示された通り、新城の左隣に座る。

「すみません、こんなところに来てもらっちゃって」

 ちゃんと新城と話す時間がほしくてここを指定したのは、咲乃。
 寒くなって来たのだから、校内で話せばいいことはわかっている。
 でも、人気が少ない場所は、どうしても階段を上らなければならない。
 それが怖くて、外を指定した。

「いいよ。教室だと、和多瀬がいるもんね」

 新城は笑いながら、菓子パンの袋を開ける。
 本当の理由がまったく伝わっていないことを訂正しようと思ったけど、余計な心配をかけるだけのような気がして、黙って弁当箱を開く。
 いつもの、千早の弁当。
 静かな昼食時間。
 日常と、ちょっとした非日常の塩梅がちょうどよくて、心地いい。

「それで、話って?」

 いつまでもこの静かな時間に浸ってはいられない。
 新城の言葉で、一気に喉が締まった気がした。
 でも、言わないと。

「……終わりに、しましょう」

 新城の顔が見れない。
 本当に終わってもいいのかって、まだ悩んでいる。
 新城との関係を終わらせて、自分の足で歩み進められるのか、不安が残っているから。
 だけど、自分に自信を持つためには、これ以上甘えていられない。
 だから。

「もう、大丈夫なの?」

 お互いに、風に攫われてしまいそうな声量。
 こんなにも間を置いて話すことは滅多になくて、変に緊張する。

「……たぶん、大丈夫じゃないです」

 新城を安心させるためには、嘘でも大丈夫だって言うべきだったんだろう。
 わかっているけど、ここで見栄を張ったって、意味がない。
 自分に言い聞かせるための嘘は、もうやめるんだ。

「でも……自信を持って怜依ちゃんの傍にいるために、先輩に甘えるのは、やめようと思って」
「……そっか」

 静かな声に、どんな感情が込められているのかわからなくて、次の言葉に慎重になる。
 風が吹かなければ、新城のその横顔を見ることができたのに。

「先輩には、本当に感謝してます」
「俺はなにもしてないよ」

 新城が自嘲しているように聞こえた。

「そんなことないです」

 咲乃には、新城がそう言う理由がわからなかった。
 なにもしてないなんて、そんなわけがない。
 新城がいなかったら、ずっと自分を嫌い続ける地獄にいた。
 新城がいたから、過去の自分と、今の嫌いな自分と向き合うことができた。

「先輩には、いっぱい支えてもらいました」

 絶対に伝わってほしくて力強く言うと、新城は咲乃を見た。
 その表情には後悔が滲んでいるように感じた。

「でも、白雪を守れなかった」

 唐突に、腑に落ちた。
 あの日、咲乃は新城が引き留めるのを振り払って、佑真と話しに行った。
 そして、階段から落ちて怪我をした。
 新城のせいだと思った瞬間はないけれど、そんな会話をしたことで、新城は自分を責めていたんだろう。
 だから、病室に来れなかったのではないだろうか。

「……俺は、ただの傍観者でしかなかった」

 新城の泣きそうな、儚い表情の理由は、これだったんだ。
 その表情を見ていると胸が締め付けられて、泣きたくなる。
 なにか、言わないと。
 でも、なにを言ったらいい? なんて言えば、先輩に届くの?

「なんで白雪が泣きそうになってるんだよ」
「だって……」

 私が先輩を巻き込んだ。
 私が、先輩を傍観者にした。
 すべて自分のせいに思えてきて、どうしても”ごめんなさい”という言葉しか出てこない。
 でもきっと、ここで謝ったって新城は受け入れない。

「先輩が、素の私と接してくれたから、私はもっと素直になってもいいんだって思えたんです。怜依ちゃんや織寧ちゃんと向き合うことができたのは、全部先輩のおかげなんです。だから、そんな悲しいこと言わないで……」

 泣くのはズルい。
 そうわかっていても、勝手に涙が頬に落ちた。
 これでは新城を困らせるだけ。
 咲乃は慌てて、手の甲で涙を拭った。
 すると、新城に手首を掴まれた。

「そんなに擦ったら、目が真っ赤になるよ」

 新城が無表情に見えてしまって、やっぱり伝わらないんだと、咲乃は落ち込んでしまう。
 いっそのこと、この思いがそのまま新城に見えたらいいのに。
 そうすれば、こんなふうにもどかしく感じることもないだろうに。

「……白雪、変わったね」
「だとしたら、先輩のおかげです」

 新城に信じてほしくて、咲乃は間髪入れずに言った。

「違うよ。白雪が頑張ったからだよ。一番近くで見てた俺が言うんだから」
「新城先輩がそばにいてくれたから、頑張れたんです」

 新城が自分の功績を認めないことを、咲乃は認めない。
 そう感じる眼差しだ。
 すると、新城は観念したのか、笑みをこぼした。

「……そっか」

 それを見て、咲乃は自分がヒートアップしていたことに気付き、急に恥ずかしく思った。

「……そうですよ」

 また、お互いに言葉を探す時間。
 だけど、不思議とその無言の時間が嫌いではなかった。
 むしろ、新城との関係の終わりに向かっているようで、寂しさすら感じた。

「あのアカウントは消すの?」
「そのつもりです。もう、必要ないですし」

 あれは、怜依には言えない、黒い感情を吐き出すために作ったアカウント。
 もう隠す必要がなくなったのなら、消すだけだ。
 そう決めていたはずなのに、あの場が唯一新城と繋がっている場所だと思うと、消すのが惜しくなってくる。

「俺は残しててもいいと思うけどね」
「え……」

 まだ繋がっていてもいいと言われたような気がして、咲乃の顔には喜びが見えた。

「いくら和多瀬にいろいろ知られたからって、全部を話すこともないと思うから」
「……じゃあ、残しておきます」

 今後、怜依に隠しごとをするつもりは一切ない。
 でも、新城が残していていいって言うから。
 繋がっていていいって。

「うん」

 新城は柔らかく微笑むと、立ち上がった。
 新城との関係、そしてこの時間が終わってしまう合図だ。

「じゃあ、またね。白雪」

 咲乃が返事をすれば、本当に終わる。
 終わらないで。
 そう思うけど、いつまでも新城と偽物の関係でいることもできない。
 寂しいけれど、また一から関係を築けばいいだけの話だ。

「……はい。本当に、ありがとうございました」

 立ち上がってお礼を言うと、新城は小さく微笑んで、去っていった。
 冷たい風が、すっかり葉を落とした枝を揺らす。
 丸裸になって寂しい姿が、自分と重なった。
 今はなにもない。でも、春になればまた緑の葉をつける。
 自分も、そんなふうになれたら。
 そう思いながら、咲乃はその場を離れた。
『一緒に帰ろ!』

 放課後、咲乃からそんなメッセージが届いた。
 朝は一緒に登校できなくて。
 昼休みは新城と食べると言われて。
 そんな中でのこれはとてつもなく嬉しくて、怜依はすぐに返信をした。

『もちろん』
『やった! 下駄箱で待ってるね』

 ちょうど咲乃もスマホを触っていたのか、一分も経たずに返事が来た。
 怜依は帰り支度をしながら、違和感を抱いた。
 教室に行くね、ではなく、下駄箱で待ってる。
 なにもおかしなことはないはずなのに、妙に引っかかる。
 いつも迎えに来ていたのに。どうして、今日は来ないんだろう。
 不思議に思いつつ、教室を出る。
 そして、下駄箱に向かうために階段の前に立った。
 もしかして、そういうこと?
 怜依は手すりを掴みながら、階段を降りていく。
 当たり前に利用していたから気付かなかったけど、今みたく立ち止まって見ると、その高さを怖いと感じた。
 なにもない自分がそう感じるのだから、一度怖い思いをした咲乃がどう感じるのかなんて、考えなくてもわかる。

「怜依ちゃん!」

 いつか、怜依が咲乃を待っていた場所にいた咲乃は、笑顔で手を振っている。
 いつも通りの、可愛い笑顔。
 この笑顔の下に隠された感情に、気付かないふりをすればいいのだろうか。
 でも、ずっと見て見ぬふりをしていたから、咲乃が無理をするようになったはず。
 ちゃんと咲乃を見るって、決めたじゃないか。

「……ねえ、咲乃。もしかして、階段、怖かったりする?」

 咲乃の笑顔が固まった。
 やっぱり、そうなんだ。

「相田先輩には、言わないでね」

 今度からは咲乃の教室に行くよ。
 そう言おうとしたら、咲乃が先に言った。
 それも、予想外のことを。

「……どうして?」

 佑真のことはまだ許せていないから、怜依の声には不機嫌さが混ざっている。

「だって、あのことを気にしちゃうでしょ?」

 気にすればいい。
 忘れるなんて、絶対に許さない。

「怜依ちゃん?」

 怜依が黙っていると、咲乃は怜依の顔を覗きこんだ。
 咲乃が許しているのだから、怜依も許すべきだ。
 そうわかっていても、できそうになかった。

「……なんでもない。帰ろうか」

 それぞれ靴に履き替えて学校を出た。
 咲乃と並んで歩いていることが信じられなくて、何度も右隣を見てしまう。
 ちゃんと咲乃がいる。
 それに悦びを覚えていると、咲乃が頬を膨らませていることに気付いた。
 その不機嫌顔に思わず可愛いと言いたくなったけれど、今それを言うべきではないということは明らかだ。

「咲乃?」
「あのね、怜依ちゃん。私も全部話すから、怜依ちゃんも言いたいこと我慢するの、禁止ね」

 怜依が咲乃のことを見抜いたように、咲乃も怜依のことを見ていた。
 しかし、言いたいことを我慢するのを禁止されたとて、いきなり正直になるのは怖かった。
 怜依は言い戸惑う。

「じゃあ、先に私の話、聞いてくれる?」

 咲乃はそれに気付いたのか、そう言った。
 怜依が頷くと、咲乃は口角を上げた。
 だけど、咲乃の話はその表情で語れるようなものではなかった。
 織寧の言葉をきっかけに、ありのままの自分でいてもいいのか疑うようになったこと。
 怜依にもいつか嫌われるのではないかと恐れていたこと。
 でも、嫌われたくなくて、必死に怜依が好きだという自分を演じていたこと。
 そして、なにをすれば嫌われるのかを確かめるように、怜依に嫌がられるであろうことをしてきたこと。
 咲乃のSNSで知っていたこともあったけれど、さらにその奥のことを知って、怜依は言葉を失った。
 咲乃に伝えてきた言葉がきっかけで、ここまで咲乃を追い詰めていたとは、思いもしなかった。

「夏休みの終わりに新城先輩と会って、怜依ちゃんがいなくなったら壊れるんじゃないかって言われたの。それはすごく怖くて、だから、怜依ちゃんがいなくなっても大丈夫だって思えるようになりたかったんだ」

 咲乃が頑なに新城と別れたくないと言っていた理由は、それだったんだ。
 バカだな、咲乃は。

「私が咲乃から離れられないのに?」

 割と真面目なトーンで言ったからか、咲乃はキョトンとしたのち、くすくすと笑った。

「私も、怜依ちゃんと離れるのはやっぱり嫌だなって思ったよ」

 咲乃も同じ気持ちでいることに、怜依は安心した。
 いくら怜依が咲乃といたいと思っても、咲乃に嫌がられるとそばにいられないから。

「でもね、怜依ちゃん。毎日一緒にいることは、これからどんどん難しくなるんだよ」

 そんな寂しいこと言わないでよ。
 そう言いたかったけど、ずっと自由な子供でいることはできないと、怜依にもわかっていた。

「私、怜依ちゃんといるときの私は好きなんだけど、怜依ちゃんがいないときの私は嫌いでね? それがすごく苦しくて。でも、怜依ちゃんがそばにいなくても大丈夫になるために、自分を好きになりたいって思ったの」

 怜依が離れていた間に、こんなに大人になったんだ。
 咲乃の成長を目の当たりにして、嬉しい反面、やっぱり寂しさが勝った。
 だけど、咲乃が変わりたいと言うのだから、怜依にできることは見守ることだけだ。

「……好きになれそう?」

 咲乃は遠くを見つめた。
 その横顔は見たことのない表情で。
 だけど、その儚い表情から目が離せない。

「……わからない」

 ここで咲乃を肯定する言葉はいくらでも言える。
 だけど、これは咲乃がどう感じるかが問題なんだと、咲乃本人が言っていた。
 つまり、怜依がなにを言ってもどうしようもない。

「でも、新城先輩が素の私を受け入れてくれて、織寧ちゃんと和解できて。なんだか、前よりも自分のこと嫌いじゃないって思えるようになったよ」
「そっか」

 怜依が言うと、咲乃はじっと怜依の目を見つめた。

「ど、どうしたの」
「次は怜依ちゃんの番だよ」

 怜依が正直になる番。
 そう言われても、すぐに変わることなんてできない。
 言えば、嫌われる。
 その考えが沁みついていて、なかなか話始められない。
 そもそも、なにから言えばいいんだろう。

「私が新城先輩と付き合うって言ったとき、どう思った?」

 本当に、言ってもいいの?
 その不安がよぎる中で、咲乃もこうして嫌われることを恐れていたんだと気付いた。
 なんだ。私たち、似た者同士だったんだ。
 だったら、ちょっと正直になったくらいで嫌われることはないだろう。

「……別れればいいのにって思った」

 すると、咲乃は小さな笑い声を漏らした。
 嫌がるのではなく、笑っている。
 なんだ、言ってよかったんじゃないか。
 そう思うと、これまでいろいろ考えていたのがバカらしくなった。

「先輩とは別れたよ」
「……え」
「といっても、もともとちゃんと付き合ってたわけじゃないけど……彼氏彼女は終わり」

 どうして、とか、昼休みはその話をしていたんだね、とか。
 そんなことよりもまず、喜んでいる自分がいた。
 まだ、咲乃は私のだ。
 さすがにそれは重たすぎて、咲乃には言えないと思った。

「それで……相田先輩のことは、どう思ってる?」

 怜依はすぐには答えられなかった。
 自分の中で答えは決まっているのに、素直に言うことに抵抗があった。

「……咲乃は?」

 だから、質問で返す、なんて狡い手を使った。

「私は……怜依ちゃんと、先輩と、三人でいる時間が楽しかったから……もとに戻れるなら、戻りたいなって思う」
「……佑真のこと、許すの?」

 咲乃はゆっくりと頷いた。
 きっと、まだ許せない気持ちが残っているのだろう。
 それでも咲乃は、頷いた。

「……わかった」

 咲乃はもう、前に進んだ。
 今度は、怜依が次に進む番だ。

「……明日、佑真と話してみるよ」
「うん」

 咲乃の笑顔が返されて、怜依はその期待に応えられるか不安に思いながら、歩き続けた。
   ◇

 翌朝、怜依は早く起きて佑真の家の近くにある公園に向かった。
 冷たい風を真正面から受けて、肩を上げる。
 秋なんてなかったな、なんて思いながら目的地に着くと、もう佑真は来ていた。

「おはよう」

 公園の端にあるベンチに座っていた佑真に声をかけると、佑真は応えていいのか視線を泳がせた。

「……おはよう」

 佑真の消えてしまいそうな声を聞きながら、怜依は隣のベンチに腰掛けた。
 早朝の公園には誰もいなくて、恐ろしく静かな時間が流れる。
 なにより、秋を通り越して冬が始まったような気温で、怜依はブレザーのポケットから手を出すことができない。

「……あの、怜依ちゃん、僕……」

 沈黙に耐えられなくなって、佑真は話を切り出そうとしたけれど、怜依が一瞥しただけで言葉を切った。
 違う、佑真を脅かして縁を切るためにこの時間を設けたわけじゃない。
 内心慌てるけれど、どうしても、許したくないという気持ちが込み上げてくる。

「……なんであんなことしたの」

 数日前にも聞いた質問。
 答えはすでに知っている。
 だけど、もっと、ちゃんと佑真の話を聞くべきだと思った。
 あのとき聞いた以上の話を聞けば、咲乃が佑真を許すと言った理由がわかるだろうから。

「僕はただ、怜依ちゃんに笑っていてほしくて……」
「なんで?」

 怜依に笑っていてほしいというのなら、咲乃を傷付けてはいけないことくらいわかるはずだ。
 それなのに佑真は、咲乃を怪我させた。
 それがどうしても、納得できない。

「……怜依ちゃんが、好きだから」

 聞き間違い、だろうか。
 でも、佑真の表情はその場しのぎで物を言っているようには見えない。
 心なしか、真剣な眼差しと緊張が入り混じっているようだ。

「中学のときからずっと、僕は怜依ちゃんのことが好きなんだ」

 これが友情の意ではないことは、怜依にもわかった。
 でも、まったく気付かなかった。
 どうして私は、こんなにもそばにいる人のことに鈍感なんだろう。
 もっと敏感でいたら、こんなことにはならなかっただろうに。
 そう思うと、自分を責めずにはいられない。

「でも、咲乃ちゃんの存在を知って、告白しても咲乃ちゃんに勝つことはできないだろうなって、すぐにわかった。だから僕は、怜依ちゃんにとって一番仲のいい男子でいようって思ったんだ」

 何年も知らなかったことを唐突に言われて、そう簡単に受け止めることはできなかった。
 整理する時間がほしいところだが、話の腰を折るわけにはいかない。
 怜依は混乱したまま、話の続きを聞く。

「咲乃ちゃんが新城くんと付き合うようになってから……僕は、チャンスだと思った。咲乃ちゃんがいなくなったら、僕が怜依ちゃんの一番になれるんだって」

 ねえ、咲乃。
 私たち、元に戻ることなんて、できそうにないよ。
 なにも知らないでいられた、あの日々には戻れない。

「でも、やっぱりそんなことはなくて。どんどん落ち込んでいく怜依ちゃんを見て、怜依ちゃんには咲乃ちゃんしかいないんだって思い知らされたんだ。それはわかり切っていたことだし、よかったんだけど……怜依ちゃんがショックを受けているのに、それを知らずに新城くんと楽しそうにしている咲乃ちゃんが、どうしても許せなかった」

 これが、あの日聞けなかった話の続きなのだとしたら、知らないままでいたかった。
 知ってしまったから、無責任に佑真を責めることができない。

「怜依ちゃん、どうして言わなかったの?って言ったよね」

 隠して隣にいられたことが気に入らなくて、そう責め立てたことを、怜依は忘れていない。
 かといって、言葉を発する気力はなくて、首を縦に振っただけだった。

「……怖かったからだよ。自分で招いたことなのに、怜依ちゃんとの時間が終わってしまうことが、僕は怖かった」

 なにを言えばいい。
 考えても、答えは見つからない。
 佑真の話は終わったのか、また沈黙が流れる。
 でも、さっきとは違って、怜依のほうがこの静かな時間に耐えられそうになかった。

「……ごめん」

 言葉とともに、涙がこぼれる。
 泣きたいのはきっと、私じゃない。
 わかっていても、涙が溢れて止まらなかった。

「気付けなくて、ごめん……」

 佑真は黙って首を横に振る。

「……でもやっぱり、咲乃を怪我させたことは、目を瞑れない……」

 怜依にとって、咲乃が一番であることは揺るがなくて。
 そんな咲乃を怪我させてしまったことが、事故なのだとしても。
 咲乃が階段を恐れるということだけが残ってしまっている。
 きっと、しばらくは消えない心の傷。
 無視は、できない。

「……うん」

 咲乃は、元の形に、と言ったけれど。
 その望みを叶えることはできそうにない。

「……バイバイ、怜依ちゃん」

 佑真は静かに言うと、怜依の前を通って行った。
 独り残された怜依は、声を殺して涙を落とし続けた。
 スマホのアラームにたたき起こされる朝。
 あまりの寒さに、怜依はアラームを止めると、布団に潜り込んだ。
 こんなに寒いのに、布団から出られるものか。
 そう思っていたら、電話がかかって来た。

「……あい」

 半分寝ぼけた状態で電話に出たことで、呂律が回っていない。

「おはよう、怜依ちゃん!」

 電話の向こうから聞こえてきたのは、咲乃の明るい声。
 怜依の目は一気に覚めた。

「おはよう、咲乃」
「よかった、今日はすぐに起きてくれた」
「……心外だな、いつも咲乃の声を聞いたらすぐに起きてるよ」
「えー?」

 疑いの声も可愛らしいと思いながら、怜依は欠伸を一つした。

「じゃあ、またあとでね。二度寝しちゃダメだよ!」
「はいはい」

 そして電話を切ると、怜依は布団から出た。
 あまりの寒さに身体を震わせながら、身支度を整えていく。
 家を出ると、もう咲乃はいた。

「おはよう、怜依ちゃん」

 夏よりも少し伸びた髪に、ピンク色のヘアピンがついている。
 当然のごとく、咲乃に似合っているけれど、見覚えのないものだ。

「それ、どうしたの?」
「昨日、織寧ちゃんたちと出かけて、お揃いで買ったの」

 心から嬉しそうにする咲乃に癒される。
 新城にもらった、とかではなくてよかった、なんて思う自分は、相変わらず心が狭いらしい。

「よく似合ってるよ」

 そして二人は並んで学校に向かう。
 すっかり寒くなったとか、テストが近いとか、もうすぐ咲乃の誕生日だとか。
 他愛もないことを話す時間は、怜依にとっても幸せだった。
 校門が見えてきたとき、佑真の姿を見かけた。
 それは怜依だけではなく、咲乃もだった。
 声をかけるか否か。
 揃って悩んでいるうちに、佑真は校舎に入っていった。
 さっきまでの時間がウソのように、二人は気まずさを感じる。

「今日も一緒に登校? 相変わらず、仲良しだな」

 そんな二人の背後から新城が現れた。
 目を奪う銀色の髪は、さらに明るい金色になっている。
 怜依は新城に対して、敵意をむき出しにする。

「そんな睨まなくても、白雪を奪ったりしないって」

 新城はにやりと笑う。

「ま、白雪が俺を選んだらわかんないけど」
「絶対選ばせないから」

 怜依が言い返すと、新城はますます楽しそうに笑っている。

「隼人、なにしてるの?」

 すると、花那が新城の背後から顔を覗かせた。
 またさらに面倒な人物が現れて、怜依は顔を顰める。

「……足立さん。そいつ、捕まえてて」

 怜依はそう言うと、咲乃の腕を引いて校舎に向かった。

「怜依ちゃん、まだ新城先輩のこと、ニガテ?」
「……私をからかって遊ぶから」

 咲乃が少し残念そうに見えるのは、気のせいであってほしい。
 今後は咲乃に彼氏ができても、咲乃のことを大切にしてくれる人なら受け入れようって思っているけれど。
 新城だけは、イヤだから。

「そっか……じゃあ、先輩に告白するのは、もう少し先にするね」
「……え?」

 聞き間違いだと信じたいのに、咲乃の笑顔がそうさせてくれない。

「だ……」

 ダメ。
 そう言うよりも先に、咲乃は校舎に入っていく。

「怜依ちゃん、はやく!」

 校内から、咲乃は怜依を呼ぶ。

「新城はダメだからね、咲乃!」

 怜依が追いかけると、咲乃は笑って逃げていく。
 楽しそうな声を追いかけながら、怜依は思った。

 咲乃だけじゃない世界も悪くないって。





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