月島が飼っている黒猫の名前はクロゴマ。もうおばあちゃん猫なのだそうだ。

それから、月島の髪の毛事情。彼は、高校に入学して以降はずっと金に近い髪色にしているけれど、そろそろ暗めの髪に戻してもいいし、思い切って短くしてもいいかな、と考えているらしい。

雨上がりの虹の写真と赤い車のボンネットで昼寝するどこかの三毛猫の写真は月島から。数学のワークの写真と美味しかったコンビニのマンゴー味の季節限定飲物の写真は、朝春から。

教室では話さないし、月島は王子で朝春は木Aであることに変わりはない。でも、月島には、朝春の家族のこと――五歳の妹がいて、名前は()()という――を知られているし、その妹の影響で朝春自身もかわいいものを好きになってしまったのだということだって把握されている。なぜって、月島に質問されて、朝春が丁寧に返答したからだ。

気づけば春は、終わりに近づいていた。

それでも、メッセージアプリは、無季節。朝春と月島のトーク画面には、いつのまにやら、たくさんのラッコスタンプが浮かんでいる。ラッコを浮かばせているのは、今はもう、朝春だけでない。月島も、新しく購入したのかもともと購入済みだったのか朝春の知るところではないが、朝春が気に入っているラッコのスタンプをなぜか持っていて、やたらとラッコのスタンプを送ってくる。

なぜなのか。朝春には、まるで分からない。だけど、朝春がトゲを抜いてあげた日から、月島とのメッセージの応酬がずっと続いている。

月島は朝春がどこに球を投げてもカキンと打つことができるスーパーバッターさながら、どんな朝春のメッセージにも返事をよこす。スタンプだけで返せば、あちらから新たな話題まで飛んでくる。そうなるともう、メッセージのやり取りは留まること知らずである。既読無視をするという発想は、朝春にはなかった。

「なつめっち、おはよ」
「あ、(しの)君、おはよう」
「昨日、またサイトに陰謀論アップした」
「え、今度は何の?」
「駅前のデパートの三階男性トイレの謎の模様。閲覧数は、まだあんまり伸びてないけどね」
「執筆、いつもおつかれさまです」
「篠、味占め出したよなあ。なつめっちだってそろそろ呆れてるんじゃね」
「ざわちゃん、おはよう。別に呆れてはないよ」
「なつめっちは優しいからなあ」
「自分が陰謀論の捏造をしたいかって言われると、ノーだけど……」

朝、自分の席で朝春がだらけていると、クラスで行動を共にしている篠と()(ざわ)が一緒に登校してきたのか、二人そろって朝春のところまで来てくれた。

篠と木澤は、スクールバッグを肩にかけたまま教室の壁によりかかって、陰謀論をどう捏造するかについて熱く語っている。

朝春は、どちらかというと、自分の話をするよりも人の話を聞いている方が好きだ。篠と木澤は、いつも朝春の全然知らない分野の話をしてくれるから、相槌を打っているだけで楽しい。それに、どちらも劇では、朝春と一緒に木の役をやってくれるようなタイプなので、二人といると朝春は穏やかな気持ちでいられる。

「いつか、俺、なつめっちで陰謀論の記事書こうかな」
「えー、それはちょっと怖いよ」

朝春がくすくす笑っていると、突然、後頭部に何かがあたる。結構な衝撃だったから、驚いて振り返る――より先に、朝春にぶつかったものが、床に落ちた。

それは丸められてぐしゃぐしゃになった藁半紙の球で、朝春が背をかがめて拾おうとしたら、「こっち、こっち!」と教室の後方から声が飛んできた。藁半紙の球を拾って振り返ると、クラスメイトの()(はら)が手をあげていた。

制服を好きなように着崩して、明るい色の短髪をつんと尖らせている。木原という名字だけど、劇の配役だったら木ではなく王子の重臣で、月島といつもつるんでいる。今も、木原の近くには月島と、あともう一人、大人っぽくて男前の(とき)(おか)というクラスメイトがいて、この三人が朝春のクラスの男子の中では一番影響力がある、いわゆる一軍グループだった。

「おい、はやく!」

木原に急かされて、朝春はコントロールに自信がなかったから、直接、教室の後ろまで藁半紙のボールを届けにいくことにした。だけど、朝春が立ち上がるより先に、月島が、「まず、謝れよ」と木原の頭を軽くはたいて、こちらにまっすぐ向かってくるものだから、朝春は、ボールを掴んで座ったまま停止してしまう。

今日も今日とて眩しい金髪は朝春の席までやってきて、「悪い、まじで」と、自分がしたことではないはずなのに朝春に謝った。

「あ、……いや、大丈夫」
「頭、平気?」
「紙のボールだし、何ともないよ。……俺こそ、よけられなくて」
「フハ。後ろに目ついてない限り無理だろ。もうやめさせるから安心して」

朝春が誰かに注目されていると過剰な自意識を発揮するのは授業中に保健室へ行くときだけだけど、今は、月島と喋っているせいでみんながこちらを見ているような気がしてくる。

不自然な態度になっていないだろうか。

今日の朝だって、ラッコが手を振っているスタンプが月島から送られてきて、朝春は、ラッコ、ではなくて、シロクマがおはようと言っているスタンプを返した。そのやり取りを思い出した瞬間、これまで月島としてきたメッセージのやり取りが滝のように頭に浮かんで、朝春は、どういう顔で月島を見ればいいのか分からなくなる。

「……えっと、ボール、これ」

目を逸らして、月島に藁半紙の球を差し出す。

「さんきゅ」

月島は朝春からあっさりとそれを受け取って、教室の後ろへ戻っていった。

「おい、コーセーなんでゴミ箱捨てんだよ!」
「死球あてたんだから、当たり前に終わりだろ」
「失敗は成功のもとって言うじゃん」
「あてたのに謝れねーやつに、成功とかねえから。そもそもあてるなよ」
「それはそう」
「うっわー、トキまで。みーんな俺の敵かよ」

朝春の背中が、月島たちの会話を受け取る。だけど、朝春はもう、振り返ることはできなかった。

「ここ球場じゃないんすけどねー」
「てか、月島クンって、俺らに笑いかけるとかできるんだな」

まだ緊張がとけない朝春に、篠と木澤が耳打ちする。

篠も木澤もあんまりいい顔はしていなくて、でもそれは、クラスの中心にいる月島たちのことを少し羨ましく感じているからだって、朝春はなんとなく知っている。朝春だってそうだった。

「……だね。でも、たまたまあたっちゃっただけだと思う」

朝春は、苦笑いをしつつ。月島と自分が春の終わりからずっと他愛ないメッセージのやりとりを続けているなんて、二人にはとても言えない、と思った。

女子にも大人気で、男子の中でも一目置かれている。きっと恋愛や友達関係に困ったこともないだろうし、運動神経も抜群で、いつも華々しいオーラを放っている。遊び相手だって朝春が想像つかないくらいたくさんいるだろうし、それこそ、メッセージのやり取りなんて、望めば、誰だって喜んでやると思う。朝春にとって、月島虹星はそういう人だ。

それにも関わらず、彼が朝春とメッセージのやり取りを続ける理由は。

「……暇すぎるのかなあ」
「なつめっち、何か言った?」
「あ、ううん、ざわちゃん、なんでもない」

分からない物事を考え続けても埒があかないから、朝春は、一旦、そう結論づけることにした。