その後の記憶はほぼ残っていない。
どうやって帰ったのかも、覚えていない。

ただ、はっきりとわかるのは、
家に帰って、まっすぐ蒼空に電話をかけていたことだった。

あの日以来、文字通り俺の世界から消えてしまっていた蒼空は、
スマホの連絡先にだけ残っていた。

一年も経った後に電話をかけて何になるんだと、
繋がらない音を聞きながら思う。

何コール、聞いたのかわからず、もうダメかと通話をキャンセルしようとした時、
画面が変わった。

「っもしもし!」

食いつくように声を出した俺に、笑い声が届く。

「久しぶりだな、晴輝。」

出会ったあの時と変わらない明るさで、蒼空の声が聞こえて安心する。

「蒼空、俺、お前に謝りたくて…」

「何をだよ?」

なんのことか、わかっているはずなのに蒼空はわざとらしく尋ねてくる。

「俺、あの時、お前が海斗を無視し始めた時、
お前のそばにいれなかった。」

ほんと、友達としてどうかと思った。
黙る蒼空に俺は続けた。

「だから、謝りたい。あの時、ちゃんとお前の話も聞かず…」

「いや、俺のほうこそ、ごめん。」

俺の言葉を遮って、蒼空が口をひらく。

「俺、あの時ちょっと色々あって…ほら、お前と話した次の日、
俺消えたろ?あれさ、母親と日本帰ったんだよね。」

「え、母親と?」

父親の海外赴任に家族揃って来てたから、
てっきり家族ごと日本とハンガリーを行き来したのかと思っていた俺は戸惑う。

「うん、そう。」

「え、どうして…」

尋ねた俺に、蒼空は説明してくれた。

父親の都合で、ハンガリーに移住が決まった時、
蒼空の母親は猛反対した。

「この子の勉強はどうするの?」

蒼空の家は、父親が会社員、母親が大学教授で、
教育に関することはもっぱら母親が決めていた。

「インターナショナルスクールに通わせる。」と一言で返した父親は、
会社員らしく、インターのメリットについてまとめた資料を掲げ、
プレゼンを始めた。

英語ができるようになる、というメリットが引っかかったのか、
母親は、渋々ハンガリー移住に応じた。

ハンガリーに移住し、インターに通い、
父親のプレゼンしていたような教育的メリットは大きかった。

しかし、ある日、帰宅した蒼空を待っていたのは
怒鳴り散らす父親と、涙の枯れた母親、そしてテーブルに置かれた紙切れだった。

蒼空に気づくと、父親はその怒りを蒼空に向けた。

「お前は、俺の息子なんかじゃないっ!」

言葉もでない蒼空に父親は続けた。

「お前の顔なんか、見たくもない…消えろっ!」

怒りに身を任せ、大きな手で蒼空を家の外に追い出す父親。

そして、それを眺めるだけの母親。

この一件で、蒼空は居場所を失った。

「とまぁ、母親の不倫が父親にバレて、実の息子じゃない俺は捨てられたって話。」

なんでもないかのように、平気なフリをして蒼空は言う。

「あの時は、俺が壊れてた。
そんな俺のそばにいなくて、お前は正しいことをしたよ。」

「いや、そんなこと…」

電話越しに伝えられる、あの時の蒼空の苦しみに、
言葉が出ない。

「でも、電話くれて、ありがとな。」

少し温かみのある声で蒼空が言う。

「まだ、俺のこと覚えててくれて嬉しかった。」

「…当たり前だよ。」

こんな時、気の利いた一言も言えない自分に情けなさを感じる。

「じゃあ、またな。」

そう言って電話を切ろうとする蒼空に、
考える前に先に口が走る。

「あのさっ!」

何、と蒼空の声が返ってきた。

「俺ら、また…友達になれるかな?」

蒼空の「またな」を信じきれない俺は、
どうしても蒼空を繋げとめておきたかった。

あの頃は何もできなかったけど、
これからは、蒼空の友達でありたい。

わがままな俺に、蒼空は返す。

「…バカだな、晴輝は。」

呆れられたのかと思い、咄嗟に謝ろうとする。

「ごめ…」

「俺ら、友達じゃなかったときなんて、
今までもなかったし、これからもない。」

蒼空が言葉を続ける。

「受験終わったら、遊びいこーぜ。
俺、晴輝と日本で会ったこと、空港でしかないから。」

そう言って笑った蒼空の声に、言葉に、
俺は安心する。

「うん、受験終わったら、連絡する。」

「約束な。」

じゃあ、と言い残し蒼空は今度こそ通話を切った。

冬の夜、寒さに震えていたはずの手は、
いつの間にか温まっていた。

無事、夕梨亜と五十嵐と同じ高校に合格した俺は、
あの約束通り、蒼空に連絡を取った。

蒼空は、俺と勉強していた時よりもずっとずっと賢くなっていて
(聞けば自分を捨てた父親にリベンジするためらしい…)
誰がどうみても認識できる名門校の制服に身を包んでいた。

「晴輝っ!」

待ち合わせ場所で、俺に気づいた蒼空はまっすぐ手を振りながら走ってきた。

「久しぶりだなぁ〜」

真新しい制服の蒼空は俺の肩をつっつく。
初めて会った時と何も変わらないその明るさに、
俺は安心する。

「蒼空、元気そうでよかった。」

「ん、ま、なんとかな…てか、お前の高校、めっちゃ田舎やな。」

午前に入学式が終わるから、という理由で、
蒼空がわざわざ俺の高校まで来てくれていた。

「そこも気に入ってるところだけどね。」

「インターはビルって感じだったもんな〜」

懐かしそうに空を仰ぐ蒼空は、
正直になんでも言える「友達」っぽく感じた。

「蒼空、この後さ…」

どうする?と聞こうと思った俺の目に飛び込んできたのは、
あの日、冷たい床の体育館でスピーチをした少女だった。

背筋をまっすぐ伸ばして、凛とした彼女は、
まるで一つの目的地しか見ていないかのように、一直線に歩いていた。

(え、スピーチの子だ…)

声をかけるべきか、かけないべきか、悩む俺に
蒼空が話しかける。

「この後、なんだよ?」

「え、あぁ、この後…ご飯でも行く?」

少女から目を離して、蒼空に向き直る。
俺の提案に、蒼空は満足したらしく、

「いいな!…ってこの辺り何もなさげだから、駅まで歩いてくか〜」

なんて駅までの地図を検索し始めている。

「あ、自転車取りに行ってくるから、ちょっと待ってて!」

「おっす。」

(空手部かよ。)

心の中でツッコミをいれながら、俺は自転車を取りに再び校門をくぐった。

その後もずっと、あの少女の姿が、そして同じ高校だという事実が
胸にのしかかって離れなかった。