星宮君が謎の友達アピールをした三者懇談会の翌日。

いつも通り七時に学校に着いた私が、
昇降口で出会ったのは
普段、予鈴の五分前に来るはずの星宮君だった。

「おはよう」
となんでもないように声をかけられて、
「おはよう、今日、早いね。」
と返事をした。
「下原さんは、いつもこんな時間?」
「うん、そう。朝、勉強したくて。」
靴を履き替えながら言葉を交わした後、
廊下をトボトボ歩く。

(話すことが、ない…)
昨日、星宮君が私に質問しようとしていたこと。
昨日、星宮君が友達アピールをしたこと。
そもそも、なんで私に話しかけてくれるのかということ。
聞きたいことは山ほどあるのに、
何も言えない自分に腹が立ってくる。

まるで、私と星宮君しかこの校舎にいないかのような静けさのなか、
教室の扉の前に着いたところで、
星宮君が急に立ち止まった。

星宮君の斜め後ろをついて行った私は、
扉の前に佇む彼に少し驚き、足を止めるしかなかった。

すると、星宮君は振り向き、
「あのさ、」と私の方へと視線を落とす。

目を見て会話をしようと視線を上げた私に、
「下原さんって、賢いの?」
と星宮君は尋ねてくる。
(朝からどんな質問してるんだろ)

となんと答えていいのかわからなくて私が黙っていると、

「いや、ごめん。昨日、三者懇の内容、ちょっと聞こえてたんだよね。」
とバツが悪そうに頭をかく。
ああ、と納得がいった私は、
「A判定のとこ?」と尋ねる。

「え、そこまでは聞こえなかったけど、『大学』とか『総合型選抜』とか…
あと、『安定した成績』っていうワードが聞こえてきてさ。」

(なるほど、そこで「賢い」判定ができるのか)
と新しい視点を学んだなと勝手に思っている私。

「え、A判定なの?」と目を丸くした星宮君に気づき、
「あ、いや。え、いや、そうなんだけど…」
とあやふやに答えていたところ、
2度目のあのさ、が聞こえてきて
私も2度目に視線を上げる。

「俺に、勉強教えてくれたりする…?」

朝の新鮮な空気には全く似合わない、
気まずい雰囲気が二人の間を流れる。

(教えてくれたり、教えてくれなかったり?)

日本語の「たり」は繰り返し使うものだって昔、小学校の国語の先生が言っていたけど、
そんなルール、誰も覚えていないらしい。

そもそも、どうして私に頼むのか、納得がいかない私に
星宮君は言葉を続ける。
「えっと、実は、俺も大学目指しててさ。
ほら、最近、五十嵐が大学行きます宣言したじゃん?
あのあと、真剣に自分の進路を考えた時、ちょっと思ったんだよね。
このままじゃダメだって。」

このままじゃダメ、と言っているけど、私は星宮君の「今」を知らない。

「そんな時に、盗み聞きは良くないってわかってるけど、
聞こえてきた、というか勝手に耳に入ってきた下原さんの三者懇聞いてて、
『下原さんになら、勉強教えてもらえるかも』って思ったんだ。」

(あ、だから友達アピールしてたのか。友達=勉強友達的な?)

なんだ、この人も計算高い人だな、
と見直していた、というか改めて見つめ直していると、

「ダメ、かな?」

不安気な目をした星宮君と目が合い、

(ダメ、ではないのかも)
と少し考えてみることにした。

人間は、競争心の強い生き物だ。
愛なんて消えてはかない、というか存在していること自体証明できない。
だから、愛の節約をし、人間の利己心で経済を回そうとした。
それと同じで、
善意だけをもってして人助け、なんて誰もしない。
きっと、自分へのメリットを念入りに計算し、
計算結果が出てから行動する。

(私と友達になれば、勉強を教えてくれると思った、
星宮君の計算式みたいにね)

勉強を人に教える、ということは、
教えるために自分が一番理解していないといけない。
わからないものは、教えることができないから。

(つまり、星宮君に勉強を教えようとすることで、
私の頭は自然にもっと働くようになる…?)

理系のくせに、
計算式が大雑把な私は星宮君と再度目を合わせて言った。

「いいよ、勉強教えても。」

私のその言葉に、
パァッと顔色が明るくなった星宮君には悪いけど、
私にはまだ続きがあった。

「ただし、勉強を教えるのは朝の七時から八時までの一時間限定ってことで。」

「え、朝?」

星宮君が不思議そうに尋ねてくる。

「そう。私、朝しか強くないから。
できることは全部朝にやって、夜眠くなったら眠りたいんだよね。
だから、朝。」

(それに、頼み事をしてきたのは星宮君だから、
私の差し出した条件をのむだろうし)

はっきり言い切った私に星宮君は、わかった、と短く答えた。

不満気な表情でも浮かべるのかと予想してた私とは裏腹に、

「じゃあ、これから夏休み、
朝学習、よろしく!」
と笑顔で言い、満足気に教室の扉を開けた星宮君。

あ、うん。と頷きながら星宮君のあとで教室に入った私は気づく。

(え、夏休み期間中もってこと…?)

昨日が初日だった、
三日間続く三者懇談会が終われば、夏休み。

この三者懇談会期間中はお試し期間で様子を見よう、
とたかを括っていた私に
「夏休み、朝学習、よろしく!」という言葉が重くのしかかる。

(毎日一時間?土曜日も合わせたら、一週間で六時間?
え、待って夏休みって四週間あるよね?え、二十四時間も勉強教えるの?)

色々頭をぐるぐる横切っていった考えの中で、一番大事なものは最後にやってきた。

「二人っきり…」

思わず口に出していたらしく、ハッと口元を抑える。

いつまでも前に進めないでその場に突っ立っていた私に、

「どうした?」と星宮君が声をかける。

なんでもない、と答えながら、
(なんでもなくはないよ…)と心が疼く。

朝、勉強しに学校に来たのにもかかわらず、
私の頭の中は星宮君とのことでいっぱいになり、
教科書すら開けられなかった。

どうしよう、どうしよう…と延々と考え続けた結果、
予鈴のチャイムの音を聞くのみに帰着した。

続々とクラスメイトが入ってくる様子を背景に、
斜め前に座る星宮君の背中だけが、
くっきりと輪郭を保っていた。