「山中ハルカ君ね。君、しばらく、入院だね」
「はぁ、そうですか・・・」
俺はレントゲン写真から目を離さないままの医師からそう告げられた。「ここぽっきり折れてるでしょ?」と右足の骨折箇所を見せられたが、俺にはよくわからない。
ただ、俺がわかっているのは夏の大会にはでられないということだ。野球部の練習中にボールをとろうとして、無理な姿勢になり右足を骨折したのだ。骨折した時の骨の折れる音がグラウンドに響いたのは覚えている。あとは痛みにうめいて、痛すぎて吐き気までした。
「若いから、2週間くらいで骨はくっつくと思うよ」
「はぁ・・・そうですか」
気軽に医師は言う。けれど、2週間後には県大会は終わっている。「今年は甲子園目指すぞ!」と部活の仲間たちと練習を重ねてきた。高校入学よりも前に野球部に顔を出し、1年生ですぐにレギュラー入りまでした。なのに、甲子園出場のかかった県大会には俺は出られない。仲間に申し訳ない気持ちと野球のできない高校生活が俺の気持ちを暗くさせる。
「お大事に」と医師は告げ、流れ作業のように看護師さんに車椅子を押されて俺は診察室を出た。
入院病棟に行くまで、ものすごく暗い顔をしていたのかもしれない。
「高校生なんだから、まだ次があるわよ。これで人生が終わるわけじゃないもの」
看護師さんが励ますように言葉をかけてくれる。でも、やっぱり俺の右足は折れたままだし、県大会出場が絶望的なのは変らない。それを思うと、気分はどんどん凹んでいく。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、車いすは廊下を走っていく。カラカラと周るタイヤの音が妙に耳に残る。
病院の廊下には額に飾られた沢山の絵画があった。子供たちが描いたんだろうなという明るい色の、シュールな絵がほとんどだ。赤や黄色などの原色カラーが多かった。犬なのか馬なのか、それとも別の生き物なのか俺には区別がつかない。
「これは?」
系統の違う一つの絵に俺の目が止まった。青色一色の絵だった。
奥行きがありどこまでも広がる空と、青色の朝顔が高原に広がっている。とても子どもが描いたとは思えない。きれいな絵だなと思った。同時に寂しさも感じる不思議と惹かれる絵だった。
「これ?この絵は今も入院している子が描いたのよ。綺麗な絵よね。ちょうど、あなたと同じ年だったかな」
  看護師さんは絵のことではなく、描いた子の説明をしてくれた。どういう子なのか気にはなったが、絵が得意ではない俺とは話が合わないだろうなぁとも思う。ただ、この青色の絵は好きだ。
  俺はもう少し見ていたい気持ちを抑えながら、看護師さんとともに病室に向かった。


  午前中にリハビリを終えて午後は早く右足を治すために昼寝をするのが俺の日課だった。 しかし、昼寝を邪魔するやつもいる。
 「ハルカ!今日も歩くのか?」
  目をあけると、期待の眼差しでこちらを見ている子供の顔が見えた。怜央という看護師さんたちが手を焼く元気な五歳児だ。
  入院した翌日から怜央に突撃され続け、俺は慣れてきてしまっていた。
  怜央が俺のベッドに乗り上げて、期待した目を向けてくる。
  「おまえさ、毎回毎回飽きねぇの?」
  「オレはかんごしさんにハルカのことをたのまれたからな」
  俺の上に遠慮なくすわり、怜央は胸をはる。入院した当初に看護師さんが怜央に案内をたのんだのだ。ようするに看護師さんたちは怜央の相手を俺におしつけた。まぁ退屈はしないので、いいのだが。
 「松葉杖とってくれ」
  歩くための松葉杖をとるように頼むと、すぐに俺から飛び降りる。ベッドわきに置いた松葉杖を玲央は抱えて、俺に渡すのを待ち構えた。なにかを頼むと玲央はものすごくやる気に満ちる。なぜかはわからない。そういえば入院が長い子ほど、なにか頼むとやる気に満ちている気がした。
 「またあの絵のところにいくんだろ?」
 「ああ、ちょうどいいからな」
  玲央はすでに俺の行動パターンを把握している。松葉杖で歩けるようになってから、俺は入院初日にみた青い空と朝顔の絵を見に行くのがルーティンになっていた。
  俺は玲央の先導で松葉杖をついて病室をあとにした。


  病院の庭を歩き終わり、いつもの場所に到着する。いつもの場所とは俺が好きなあの青色の絵の前だ。
  どこまでも続きそうな空の色に俺は惹かれたらしい。幼稚園の頃からずっと見てきた野球グランドの空に似ていると俺は感じていた。今年は野球帽の向こうにみえる青空が見れないのが寂しかった。
 「あ、かえでちゃんだ」
  大人しく絵をみていた怜央が声をあげる。 廊下の奥から、中学生くらいの女の子が点滴をつけ、点滴のスタンドを転がしながら歩いてくる。水色のパジャマにカーディガンをはおり、少し長めのショートカットの前髪は赤色の小さなボンボン付きのゴムで結んでいた。結んでいる前髪が歩くたびに揺れている。その姿が俺が飼っているポメプーのハナに似ていると思った。ともかく小さく、動きが子犬のようなのだ。
「かえでちゃーん!」
「おい、待てって・・・」
怜央が女の子に突進していく。怜央のロケットのようなスピードであの小さい女の子にぶつかったら大惨事だ。俺は怜央を止めようとするが、怜央は止まらない。
ぶつかるかと思ったが、直前で怜央は止まった。女の子と会話をしながら、怜央は俺の方を指さしている。すぐに怜央は女の子の手をとってこちらに向かってきた。
「かえでちゃん、こっちはハルカだよ」
怜央は俺の前に到着すると、女の子に俺のことを紹介した。女の子を呼ぶときはちゃん付けで、俺はなぜ最初から呼び捨てなのだろうか。なんとなく、怜央の中の俺の地位が低いのではないかと感じる。
「こんにちは、俺、山中ハルカです」
「本間かえでです。この絵を描いた」
かえでと名乗った女の子は青色の空と朝顔の絵を描いたとも言った。看護師さんの話によれば、俺と同い年の子が描いたと言っていたことを思い出す。絵を描いたという目の前にいる本人はどう見ても、中学生にしか見えない。立っていても177センチある俺の胸のあたりまでしか高さがない。
「ちっさ・・・」
やばいと思ったが、もうすでに声に出ていた。思ったことがすぐ声に出てしまうのは俺の悪いところだ。自覚もしているが、言葉で出てしまったら取り消すことはできない。
「失礼だな。こうみえても私は高校二年生です」
かえでさんはちょっとだけ、背伸びをして俺に対抗してみせた。そういうところも、うちのハナに似ている。俺の頭の中には、自慢気な顔のハナとかえでさんの顔が重なって浮かんでくる。もうまともに、かえでさんの顔を見れない。また、失礼なことを言ってしまうかもしれないので顔を横にそむけた。しかし、我慢すればするほど笑いがこみあげてきてしまう。
「ハルカ、だいじょうぶか?」
怜央が気遣ってくれる。俺は笑いをこらえつつ、怜央に大丈夫だと答えた。
「もう、なんで笑うの?ハルカ君は失礼すぎだ」
かえでさんはむくれ顔で俺の顔をのぞく。
「ごめん、うちの犬にそっくりでほんとごめん」
「そのわんこ、私に似てめっちゃ可愛いんでしょ?」
かえでさんは自信ありげに見える。めっちゃポジティブだ。たぶん性格はものすごくあかるいのではないだろうか。
「うん。まちがいなく可愛い」
「なら許す!私のことは呼び捨てでいいよ」
かえでは小さい体でも、中身はとても大人だった。
「俺もハルカでいい」
「これで、かえでちゃんもハルカも友達だな」
怜央はとても満足気がだった。どうやら、俺とかえでを友達にしたかったようだ。
それから俺たちは互いの病室を行き来するようになったのだった。


かえでの病室は個室だった。ちょっとしたホテルのような感じで、ソファやテーブルがあったりする。
テーブルでかえでと、怜央と話したりゲームしたりすることが多かった。
今日は何を思ったのか、怜央が絵を描きたいといいだして、お絵描き大会となっている。
かえでは自分の絵を描きながら怜央の絵をみて、「上手だね」と怜央をほめていた。
かえでの病室は絵でみた水色のような青色がところどころに飾られている。なかでも一番多いのが朝顔の絵と写真だった。
「かえでってもしかして、朝顔好き?」
「うん。大好き!もともと青系の色が好きなんだけど、花は朝顔が一番好きかなぁ」
「へぇ」
「朝顔って朝に咲くんだけど、なんかそれがいいなって思う。朝がやってきたぞぉ!って感じするじゃない?」
「そんなもんか?俺は小学生んときの観察日記で、もういいやってなったけどな」
毎朝、起きて観察日記を付けるっていうルーティーンがきつかった。朝顔の絵がとてつもなく、ツラかった。毎朝、絵を描かされるのが拷問のように感じたことを俺は鮮明に覚えている。
目の前にいる、かえでの表情が少しだけ曇ったようにみえる。やってしまった。俺は、かえでの好きなものを無意識に貶してしまったのだ。俺はまたやってしまったのだ。無意識にかえでを傷つけてしまったのだ。
かえでに謝ろうと、声をかけようとしたその時、空気を読まない明るい声が届いた。
「ハルカは絵へったくそだもんな!」
怜央が俺の描いた絵を指さしながら言った。テーブルの上には俺の描いた絵がある。犬と漢字で書き添えたのだが、どうみても馬のようなトラのような猫のような動物が真っ白い画面の隅っこに小さくいた。そう、俺は絵が苦手だ。
「ハルカのへったくそぉ」
怜央が歌うように俺のことをからかい始める。
「そういうことをいうやつはこうだっ!」
俺は怜央をくすぐりの刑に処した。まん丸い小さな体はきゃっきゃっと縮まりながら楽しんでいる。
「ぎゃはははは、くすぐってぇきゃははは」
病院には不釣り合いなほどの笑い声が響く。かえでも声をあげて笑っていた。
助かったと俺は思った。さっきの失態がチャラになるほど、明るい声で三人で笑った。
だが、かえでがすぐに咳き込んでしまった。ちょっと咳き込んだって感じではない。苦し気な咳き込み方だった。
「かえでちゃん大丈夫か?」
怜央がかえでの側に寄り添う。怜央は病院での生活が長いせいか、人の症状の悪化に敏感なようだ。
「ごめんね。はしゃぎすぎたかも・・・。」
かえでが咳混みながら謝る。
「おれ、先生よんでくる」
怜央が勢いよく病室を飛び出していった。
「かえで、ごめん。」
「気にしないで、ちょっとはしゃぎすぎちゃっただけだから」
かえでは咳混みながらも、笑って俺に気にするなと伝えてくれた。俺には何もできない。かえでに対して、労わる言葉すらでてこなかった。
かえではベッドにはいり、少し休むねと言った。
俺は、ベッドに入ったかえでの肩までそっと布団をかけた。それぐらいしか俺にはできない。
「ヘブンリーブルー見たいなぁ」
かえでは枕元に飾ってある朝顔の写真を見ていた。その表情はどこかもう諦めているように見える。俺は心臓が少しだけツキっんと痛むのを感じた。
かえでに俺ができることはなんなのだろう。
俺は生まれて初めて、誰かになにかをしてあげたいという強い欲求に心が動かされた。
かえでのベッドのカーテンをひいてあげると、すぐにかえでの担当医と看護師が駆け込んできた。俺は邪魔をしないように自分の病室にもどる。かえでに俺は何をしてあげられるだろうか、そればかりを考えながら。


太陽が山の向こうに沈んでいく。俺は愛犬のハナと田んぼと畑が続く道を歩いている。かえでの病室での出来事から、1週間後、俺と玲央は退院することとなった。あれから、怜央と俺はかえでの部屋を出禁となってしまったのだ。かえでの診察が終わった後、看護師長が俺たちの病室に来て「楽しいのはわかるけど、やりすぎなのよ君たちは。かえでちゃんはしばらく安静が必要だから、君たちは入室禁止!」と言われてしまったのだ。
俺と怜央はそれ以来、かえでの姿も見ていない。
退院するときにだけでも会えればよかったのだが、出禁が解除されることもなくそのままだった。連絡先も交換できないままだ。
「会いたいな」
抱き上げたハナの毛に顔をうずめる。ハナのふわふわの毛は、かえでの動くたびに揺れる前髪を彷彿とさせた。
ヒグラシが夕暮れ時を知らせる。俺はとぼとぼとかえでに会いたい気持ちを抱えながら、登坂をハナと歩く。
だらだらとつづく緩やかな坂を登りきると、丘が見える。そこは俺とハナだけの遊び場だった。
「え?」
坂を登り切って見えた光景に俺は目を疑った。入院する前にはなかったものがそこにはあったのだ。
深夜、俺は病院に来ていた。
病院の関係者入口から入り、かえでの病室を目指した。深夜の病院は暗く、非常灯の明かりが小さく廊下を照らすだけだった。人の気配もしない。あまりにも静かすぎて不気味だ。
人に会わないようにと隠れながら進んだが、本当に誰にも会わなかった。
順調なくらいに進み、かえでの病室の前にまで来てしまった。
緊張で心臓がばくばくし、喉からなんかでてきそう。手汗もやばいくらいにかいている。俺はTシャツで手を何回かぬぐい、そっとかえでの病室の扉をあけた。ベッドにカーテンがかかり、淡い光がみえる。
かえでの病室は以前と変っていないように見えた。ただ、一つだけベッドわきに車いすが増えていた。
もしかしたら、かえでの病状はよくないのかもしれない。今から俺がやろうとしていることは、かえでの負担になることだと思う。それでも、この機会を逃したらもう二度とできない気がした。
「かえで、かえで起きてるか?」
「ハルカ・・・?」
小さく弱弱しい声が聞こえる。前よりも本当に小さくか細い声だ。
俺はおそるおそるカーテンをあけた。
そこにいたのはさらに小さくなり、青白さに拍車のかかったかえでの姿だった。結っていた前髪はもうないのだろう。かえでの好きな青色のスカーフが頭に巻いてあった。
俺はただ呆然とかえでの姿をみていた。
かえでの姿がじわじわと歪み、頬になにか伝うのを感じる。
「せっかく、会えたのに泣かないでよ」
かえでがゆっくりと俺に手を伸ばしてくれる。俺はかえでの手をとり、かえでが体を起こすのを手伝った。
かえではそのまま、俺をだきしめて「大丈夫だから、泣かないなかない」声は弱弱しいのに、やけに力強く「大丈夫だ」と何度も何度も伝えてくれた。
どれくらい時間がたったのだろうか、かえでが「そろそろ泣き止んだ?」と聞いてきた。
俺は相当、泣いていたらしい。
「そうだ!かえで、病院抜けだせるか?」
かえでの吸い込まれそうな目が驚きに見開かれる。そして、何かを決意したかのようにコクリとうなづいた。
「みせたいものがあるんだ」
「わかった。でも、私今歩けないの」
「俺が運ぶ」
俺は車いすをかえでの側にもってくる。かえでの指示に従いながら、かえでをゆっくりと持ち上げた。
軽い。あまりにも軽すぎて怖い。
調子がよくないのも、触れている体温の低さからわかった。
でも、俺もかえでも今日を逃すつもりはなかった。
俺はかえでを車いすにのせると、猛スピードで走り出す。
俺たちは深夜の病院を抜け出すことに成功した。


俺は病院からぬけだし、しばらくしてからゆっくりペースで目的地に向かった。
目的地まではしばらく時間がかかる。
俺たちは道中、沢山の話をした。
小さいころから、かえでは病気がちであまり学校にいけていないこと。絵だけはどこでも描けるので、ずっと描いていること。かえでが青色の絵をずっと描いている理由も、病棟から見えるのはいつも空だけだからというのだ。
本当の空と朝顔が見たい。かえではそういった。
途中、俺たちはコンビニで腹の中に食べ物をいれた。かえでは「誰かとコンビニ飯を食べるのははじめて」と初体験に笑っている。
コンビニのチキンをパンにはさんで、チキンサンドにして食べると美味しいことをかえでに教えてあげた。かえでは「今度やってみる」と楽しみだと笑っていた。
コンビニで腹を満たすと、また俺たちは歩き出した。


空がだんだんと明るくなり始めている。紫とオレンジがグラデーションになって田舎のガタガタ道を照らす。
ハナとの散歩道を今、俺はかえでと一緒に歩いている。
車いすに乗っているかえではずっと楽しそうにしている。心なしか俺との会話の声にも張りがでてきたような気がした。
「ここがハナちゃんと散歩してるところなんだね。私もハナちゃんに会いたかったな」
「さすがに病院には連れていけないからな。今度会わせるよ」
「すっごく、楽しみ」
今度ってことがないことは俺もかえでもなんとなくわかっている。でも、今度とか来年とかその先のことを話さないと目の前の現実に二人とも押しつぶされそうだった。
目的地にもうすぐつく。
俺は車いすを押す手に力をこめ、登坂をあがっていく。なにかのカウントダウンがはじまっているような気分だった。
それがなんなのか俺にはわからないが、ただただ時計の針が進んでいくことを感じながら車いすをおした。坂を登り切り、目の前がひらける。
「すごい・・・」
かえでの口から感嘆の言葉がこぼれおちた。
俺もかえでのみている方向に目をやる。
朝日が一面の青色を照らし出す。丘の一面に水色の朝顔が太陽に向かって一斉に咲きだした。
命の芽吹きというのはこうなんだろうか。かえでも俺も、その光景をみたまま黙っていた。かえでが俺の手をそっと握る。俺もかえでの手を握り返した。
「ありがとう」
かえでの言葉はとても小さく、空に消えてしまった。


俺たちはその後、朝一番に畑仕事にきた俺のじいちゃんに発見された。じいちゃんには怒られなかったが、両親には物凄く怒られた。かえではすぐに病院とかえでの両親がうちに迎えに来て、即入院となった。当たり前といえば当たり前だ。
迎えが来るまでの間、俺の家でかえでは休むことになった。その間、ハナはかえでの側を離れず、お互いに何か通じ合うものがあったらしい。


あれから3か月経った。俺は今日も田舎の道を歩く。野球部の練習から自転車をおしながら家路につく。かえでと見た朝顔とあの空をまた一緒にみれたらと、毎回思いながら。
家に帰ると、ポストに一通、俺宛の手紙が来ていた。差出人はかえでと同じ苗字の知らない名前だった。
俺は部屋にもどり、手紙をあけることにした。ベッドの上で開けようと思ったのだが俺の布団の上で、ハナがへそ天で寝ていたので勉強机の椅子に座った。
手紙の差出人はかえでの両親からだった。かえでは入院して2か月後に亡くなったと書いてあった。俺との話を楽しそうにしてくれたと、最後まで笑顔でいてくれたと書かれ、お礼も書き添えられていた。病院をぬけだしたのが、かえでの為になったのか、俺にはわからない。むしろ、かえでの命を縮めてしまったのではないかと思った。
俺はただかえでにあの光景を見せたかっただけなのだ。お礼を言われるようなことはなにもしていない。
読み終わった手紙を封筒に入れようと思ったが、なにか硬いものが封筒に引っかかっているのに気づいた。俺は慎重にカッターで封筒をさらに開いた。
引っかかっていたのはポストカード大の絵だった。
それは俺とかえでがみた、あの青一色の朝顔と空の風景だった。
そこに背の高い男性と背の低い女性が描かれていて、そばに白い小さな犬もいた。小さな白い犬はハナがモデルなのだろう。俺とかえでが、望んだ姿が描かれていた。
絵を持つ手が小刻みに震える。
俺は震える手で、絵をひっくり返す。裏側の白い面にくねくねとした文字が入っていた。かえでが最後にかきつづった文字だ。俺は指でその文字をひとつひとつ、ゆっくりたどる。かえでの痕跡がまだあるような気がしたから。
「ありがとう。ヘブンリーブルー。またいつか」
単語だけの短い、かえでの言葉だった。