チャイムが鳴った直後、如月さんの家のドアは、昨日と違ってすぐに開いた。
メガネ越しの目は吊り上がり、ぶすくれている。
ドアには魚眼レンズ。多分、私のことを見ていたのだろうに。
「開けてくれるんですね……」
「だって君、絶対にまた叫び出すだろう? うるさいんだ。近所迷惑になるんだ。さっさと入ってくれ」
「はあ、お邪魔します……」
「ちっ」
舌打ちされたものの、素直に入れてくれる辺り、この人はもしかしたらいい人なのかもしれない。というより、昨日うるさくされて参ったのだったら、少しは反省したほうがいいかも。
そう思いながら彼の背中を眺めていて、「あれ?」と気付いた。昨日はドアを開けた途端ににおいたつほどに油絵の具のにおいがしたのに、廊下に入っても気のせいかにおいが薄らいでいる気がする。
昨日キャンパスの置いてあったリビング。昨日も真っ白だったキャンパスは、今日も真っ白なままだった。
「……あれだけ私に文句言ってたのに、絵が描かれてないですけど……」
「……うるさいな、放っておけ」
彼はそうぶつぶつ言いながら、私にペットボトルを差し出してきた。冷蔵庫の中は、ペットボトルのお茶に栄養ゼリー、あとカフェインドリンクばかり入っている。本当に体に悪そうだ。
なんだっけか。才能ある人がある日突然いつもやってたことができなくなる現象。スポーツ選手とか歌手とかでも、そんなのがあった気がする。
少し考えて、私は思いついたことを口にしてみた。
「もしかして、スランプですか?」
「……うるさいな」
途端にまたしても顔を歪められてしまった。私は「すみません」と頭を下げる。
とりあえず如月さんからもらったペットボトルの中身を確認した。ノンカフェインのお茶だ。たしかカフェインの摂り過ぎは利尿効果でトイレが近くなるんだっけか。こんなに神経質な人でも、描けないときは描けないんだなあと思ってしまう。
「昨日如月さんが捨てた絵ですけど。私あの絵、すごく素敵だったから、あなたに会ってみたくなったんですよ」
そう言った途端に、またしても如月さんは目を吊り上げてしまった。ここで褒められたと取らないなんて、どれだけこの人根性ひん曲がってしまってるんだと呆れてしまう。
「わざわざ僕に会いに来て馬鹿にしに来たのか?」
「違います。ただ、あの絵が素敵だったのに捨てられたのは、多分納得できないからですよね? だから会いに来たんですけど……どうせだったら、スランプどうにかしませんか?」
「どうするって言うんだよ」
「私と一緒に遊びましょうよ」
それに如月さんはまたしても目を吊り上げた。この人は本当に、喜怒哀楽の怒以外見せてくれない人だなあとしみじみ思った。
私もどうせリセットされるしなんて思ってなかったら、こんな変な提案はしない。
どうせ忘れられてしまうし、どうせなかったことになるし。それだったら、せめて素敵な絵を見たいなあと思っただけなんだ。
「……やっぱり僕をからかいに来たんだろ」
「違いますってば。如月さんの大学のサイト見て、個展を見て、すごいすごいって思ったから、あなたに絵を描いてほしいだけですってば」
「もう帰ってくれ!」
私にペットボトルを押しつけると、そのままぽいっと追い出してしまった。そのままチェーンをかけられた辺り、完全に拒絶されてしまったらしい。
私は仕方なく、ペットボトルを傾けながら、しばらく閉まった扉にもたれかかっていたけれど、結局向こうでなにがあったのかわからなくなって、私は玄関に「また来ます」とだけ言って、帰って行くことにした。
もらったお茶は花の匂いがして、少し変わった味がした。そのペットボトルをぶら下げながら、私は高層マンションを見上げる。
「……スランプってどうやって治せばいいんだっけか」
とりあえず【スランプ 治し方】と検索をかけてみた。
【もう駄目だと思ったら一旦区切って寝る】
【気分転換にドライブに行く】
そういう具体的な解決法をなるほどと眺めている中、ひとつ気になる記事を見つけた。
【スランプというものは、できなくなる理由があります。たとえば嫌な作業にぶつかったとか、嫌な人間関係に巻き込まれたとか。そのせいで腕が動かなくなることがあります。いったいなにがぶつかってスランプになったのか、その原因を突き止めることが今後のスランプを予防することになります】
「……ほう」
私は一旦スマホを片付けて、ペットボトルのお茶を飲み干してから、ゴミ箱を捜してから帰ることにした。
あれだけ素敵な絵を描いて、それがすごい勢いで売れていくっていうのは、順風満帆過ぎて、本当だったらスランプになっている暇なんてないと思うけれど。
そこまで考えて、ふと気付いた。
「……如月さん、大学生だよね? 学校どうしてるんだろう」
私は学校をサボっているからここにいるんだけれど、如月さんは大学大丈夫なんだろうか。もう一度高層マンションを見上げてから、お母さんに見つからないよう時間を潰さないとなと、一旦繁華街に出ることにした。
メガネ越しの目は吊り上がり、ぶすくれている。
ドアには魚眼レンズ。多分、私のことを見ていたのだろうに。
「開けてくれるんですね……」
「だって君、絶対にまた叫び出すだろう? うるさいんだ。近所迷惑になるんだ。さっさと入ってくれ」
「はあ、お邪魔します……」
「ちっ」
舌打ちされたものの、素直に入れてくれる辺り、この人はもしかしたらいい人なのかもしれない。というより、昨日うるさくされて参ったのだったら、少しは反省したほうがいいかも。
そう思いながら彼の背中を眺めていて、「あれ?」と気付いた。昨日はドアを開けた途端ににおいたつほどに油絵の具のにおいがしたのに、廊下に入っても気のせいかにおいが薄らいでいる気がする。
昨日キャンパスの置いてあったリビング。昨日も真っ白だったキャンパスは、今日も真っ白なままだった。
「……あれだけ私に文句言ってたのに、絵が描かれてないですけど……」
「……うるさいな、放っておけ」
彼はそうぶつぶつ言いながら、私にペットボトルを差し出してきた。冷蔵庫の中は、ペットボトルのお茶に栄養ゼリー、あとカフェインドリンクばかり入っている。本当に体に悪そうだ。
なんだっけか。才能ある人がある日突然いつもやってたことができなくなる現象。スポーツ選手とか歌手とかでも、そんなのがあった気がする。
少し考えて、私は思いついたことを口にしてみた。
「もしかして、スランプですか?」
「……うるさいな」
途端にまたしても顔を歪められてしまった。私は「すみません」と頭を下げる。
とりあえず如月さんからもらったペットボトルの中身を確認した。ノンカフェインのお茶だ。たしかカフェインの摂り過ぎは利尿効果でトイレが近くなるんだっけか。こんなに神経質な人でも、描けないときは描けないんだなあと思ってしまう。
「昨日如月さんが捨てた絵ですけど。私あの絵、すごく素敵だったから、あなたに会ってみたくなったんですよ」
そう言った途端に、またしても如月さんは目を吊り上げてしまった。ここで褒められたと取らないなんて、どれだけこの人根性ひん曲がってしまってるんだと呆れてしまう。
「わざわざ僕に会いに来て馬鹿にしに来たのか?」
「違います。ただ、あの絵が素敵だったのに捨てられたのは、多分納得できないからですよね? だから会いに来たんですけど……どうせだったら、スランプどうにかしませんか?」
「どうするって言うんだよ」
「私と一緒に遊びましょうよ」
それに如月さんはまたしても目を吊り上げた。この人は本当に、喜怒哀楽の怒以外見せてくれない人だなあとしみじみ思った。
私もどうせリセットされるしなんて思ってなかったら、こんな変な提案はしない。
どうせ忘れられてしまうし、どうせなかったことになるし。それだったら、せめて素敵な絵を見たいなあと思っただけなんだ。
「……やっぱり僕をからかいに来たんだろ」
「違いますってば。如月さんの大学のサイト見て、個展を見て、すごいすごいって思ったから、あなたに絵を描いてほしいだけですってば」
「もう帰ってくれ!」
私にペットボトルを押しつけると、そのままぽいっと追い出してしまった。そのままチェーンをかけられた辺り、完全に拒絶されてしまったらしい。
私は仕方なく、ペットボトルを傾けながら、しばらく閉まった扉にもたれかかっていたけれど、結局向こうでなにがあったのかわからなくなって、私は玄関に「また来ます」とだけ言って、帰って行くことにした。
もらったお茶は花の匂いがして、少し変わった味がした。そのペットボトルをぶら下げながら、私は高層マンションを見上げる。
「……スランプってどうやって治せばいいんだっけか」
とりあえず【スランプ 治し方】と検索をかけてみた。
【もう駄目だと思ったら一旦区切って寝る】
【気分転換にドライブに行く】
そういう具体的な解決法をなるほどと眺めている中、ひとつ気になる記事を見つけた。
【スランプというものは、できなくなる理由があります。たとえば嫌な作業にぶつかったとか、嫌な人間関係に巻き込まれたとか。そのせいで腕が動かなくなることがあります。いったいなにがぶつかってスランプになったのか、その原因を突き止めることが今後のスランプを予防することになります】
「……ほう」
私は一旦スマホを片付けて、ペットボトルのお茶を飲み干してから、ゴミ箱を捜してから帰ることにした。
あれだけ素敵な絵を描いて、それがすごい勢いで売れていくっていうのは、順風満帆過ぎて、本当だったらスランプになっている暇なんてないと思うけれど。
そこまで考えて、ふと気付いた。
「……如月さん、大学生だよね? 学校どうしてるんだろう」
私は学校をサボっているからここにいるんだけれど、如月さんは大学大丈夫なんだろうか。もう一度高層マンションを見上げてから、お母さんに見つからないよう時間を潰さないとなと、一旦繁華街に出ることにした。