如月さんは私を胡散臭いものを見る目で眺めた。それに私は怯みそうになるものの、前のときに見た無機質なニュースを思い返す。
……この人から目を離したら、マンションから身投げをしてしまうかもしれない。そう思ったら、ここで怯む訳にはいかなかった。
私が祈るような気持ちで如月さんを見返したら、やがて諦めたように溜息をついた。
「君、馬鹿だろ。いきなり押しかけて来たと思ったらデートしようだなんて。本当に馬鹿馬鹿しい」
「……そうかもしれないですけどぉ」
まさか言える訳がない。あなたに身投げして欲しくないから、なんとかこの高層マンションから降ろしたいだなんて。
私がもごもご口を動かしていたけれど、如月さんはエプロンを解いて丸椅子の上に乗せた。
「……今ちょうど煮詰まっていたところだ。それで、どこに行くんだ?」
そう言われて、私は考えた。
この人に下手に絵を描く機会を与えたら、またなにかが引っかかって身投げしてしまうかもしれない。そうなったら駄目だから、絵を描く機会は与えないほうがいい。
ひたすら歩く場所で、できるだけ座る場所がない。それでいて色彩に溢れた場所。
前はビル内のアクアリウムで引っかかってしまったから、あれは駄目だ。
私はさんざん考えた末、ふと思いついた。
「電車に乗るのは大丈夫ですか? ここからはちょっと遠いです」
「そりゃかまわないけど。どこ?」
「植物園です!」
「……はあ?」
如月さんは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
****
私鉄からモノレールに乗り換え、山へ山へと進む。うちの県有数の植物園は、山と山の間を拓いた場所に存在している。
ハーブと花で溢れたそこは、四季折々のイベントを展開している。今の季節ではバラ園が見どころで、大規模のバラで迷路をつくり、そこを楽しみながら攻略する企画をしている。
楽しそうだけれど、私ひとりだけだと言ってみようという気にはならなかった。でも今回は如月さんがいる。
電車に乗るのすら嫌がるかなと思っていたものの、意外と電車に乗って景色を見るのは普通に好きみたいで、車窓を静かに眺めていた。
この間と同じくスケッチブックと鉛筆の入りそうな鞄を持ってきているのは気になるけれど、絵を描きながらいきなり思い詰めるってことはなさそうだ。
やがて私たちはモノレールを降りる。
今日は平日なせいか、比較的空いているみたいだ。せいぜい親子連れが一組楽し気に入っていったのが目に留まったくらいだ。
「ここです! 私も一度行ってみたかったんですよねえ」
「なんだ、君は一度も行ったことがなかったのか?」
「行きたいんですけどねえ。友達なんかはこの坂道を上り下りするのが嫌みたいで」
ここの植物園は、ただ植物が延々並びその説明が連なるだけでなく、バラの迷路やハーブバスソルトやバスソープ講座など、楽しみながら植物やハーブの知識を得られるようにと工夫を凝らしているみたいだった。
ただ静かに植物を見たいってタイプの人は、体験型は嫌がるけれど、私は手を動かしながらいろいろ覚えていくほうが楽しいから好き。
それに。どうにか如月さんに外でスケッチブックに手を伸ばさないようにしようとしたら、どうしても見ているだけの場所というのは駄目な気がした。
私は迷路を指差す。
「あれとか! ひとりだったら絶対に出られないと思ったんですけど、誘っても友達は絶対に断るんです!」
「……だから僕を誘ったのか? 君がやりたいことを代わりにやってくれそうな人間を探していたとか」
「そんなつもりは全然ないんですけど」
意外なことに、如月さんはもっと嫌がるかと思っていたのに、バラの迷路を見て、かなり乗り気になっていた。
「バラの量がすごいな」
「あ、はい。この時期のバラは見頃ですし」
「迷路できるくらいにちゃんと育ててるんだから見事なものだ。行ってみよう」
「あ、はい!」
入場料を支払い、私たちは中に入っていった。一歩足を踏み入れた途端に、バラの匂いがあちこちで濃厚に香っている。
「すごいですねえ……バラの香水以外でこんなにバラの匂いするところ初めて入りました」
「バラの香水? 君そんなのに興味あるのか?」
「うーんと。バラの香油? あれって一滴つくるのにバラが何百本も使ってるんですって。そんなのすごいなあと思って、興味本位で香水屋さんで匂いを嗅がせてもらったこととかありますよ」
でもサンプルで嗅いだバラの香水の匂いは、こんなに爽やかな感じじゃなかったと思う。もっと篭もったような匂いだったと思う。
それにバラと言えば、白とか赤とか、もっと色も形も決まっていると思ったのに、一重の可愛い形のものがものすごく甘い匂いを漂わせていたり、血のように赤黒い八重の花からは逆に全然匂いがしなかったりと、バラも種類によって本当に全然違う。
それにバラというと、ツタバラには棘があるもんだと思っていたけれど、刺さったら痛いだろうなというものもあれば、逆に産毛レベルにしか生えてないものまであり、面白い。
私はちらりと如月さんを見た。如月さんは目を爛々とさせて、バラの迷路の壁面を眺めていた。
バラの色を見て、この人はなにを思っているんだろう。この人の思い詰めているものが、少しは解きほぐされていたらいいのに。私はそう思わずにはいられなかった。
……この人から目を離したら、マンションから身投げをしてしまうかもしれない。そう思ったら、ここで怯む訳にはいかなかった。
私が祈るような気持ちで如月さんを見返したら、やがて諦めたように溜息をついた。
「君、馬鹿だろ。いきなり押しかけて来たと思ったらデートしようだなんて。本当に馬鹿馬鹿しい」
「……そうかもしれないですけどぉ」
まさか言える訳がない。あなたに身投げして欲しくないから、なんとかこの高層マンションから降ろしたいだなんて。
私がもごもご口を動かしていたけれど、如月さんはエプロンを解いて丸椅子の上に乗せた。
「……今ちょうど煮詰まっていたところだ。それで、どこに行くんだ?」
そう言われて、私は考えた。
この人に下手に絵を描く機会を与えたら、またなにかが引っかかって身投げしてしまうかもしれない。そうなったら駄目だから、絵を描く機会は与えないほうがいい。
ひたすら歩く場所で、できるだけ座る場所がない。それでいて色彩に溢れた場所。
前はビル内のアクアリウムで引っかかってしまったから、あれは駄目だ。
私はさんざん考えた末、ふと思いついた。
「電車に乗るのは大丈夫ですか? ここからはちょっと遠いです」
「そりゃかまわないけど。どこ?」
「植物園です!」
「……はあ?」
如月さんは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
****
私鉄からモノレールに乗り換え、山へ山へと進む。うちの県有数の植物園は、山と山の間を拓いた場所に存在している。
ハーブと花で溢れたそこは、四季折々のイベントを展開している。今の季節ではバラ園が見どころで、大規模のバラで迷路をつくり、そこを楽しみながら攻略する企画をしている。
楽しそうだけれど、私ひとりだけだと言ってみようという気にはならなかった。でも今回は如月さんがいる。
電車に乗るのすら嫌がるかなと思っていたものの、意外と電車に乗って景色を見るのは普通に好きみたいで、車窓を静かに眺めていた。
この間と同じくスケッチブックと鉛筆の入りそうな鞄を持ってきているのは気になるけれど、絵を描きながらいきなり思い詰めるってことはなさそうだ。
やがて私たちはモノレールを降りる。
今日は平日なせいか、比較的空いているみたいだ。せいぜい親子連れが一組楽し気に入っていったのが目に留まったくらいだ。
「ここです! 私も一度行ってみたかったんですよねえ」
「なんだ、君は一度も行ったことがなかったのか?」
「行きたいんですけどねえ。友達なんかはこの坂道を上り下りするのが嫌みたいで」
ここの植物園は、ただ植物が延々並びその説明が連なるだけでなく、バラの迷路やハーブバスソルトやバスソープ講座など、楽しみながら植物やハーブの知識を得られるようにと工夫を凝らしているみたいだった。
ただ静かに植物を見たいってタイプの人は、体験型は嫌がるけれど、私は手を動かしながらいろいろ覚えていくほうが楽しいから好き。
それに。どうにか如月さんに外でスケッチブックに手を伸ばさないようにしようとしたら、どうしても見ているだけの場所というのは駄目な気がした。
私は迷路を指差す。
「あれとか! ひとりだったら絶対に出られないと思ったんですけど、誘っても友達は絶対に断るんです!」
「……だから僕を誘ったのか? 君がやりたいことを代わりにやってくれそうな人間を探していたとか」
「そんなつもりは全然ないんですけど」
意外なことに、如月さんはもっと嫌がるかと思っていたのに、バラの迷路を見て、かなり乗り気になっていた。
「バラの量がすごいな」
「あ、はい。この時期のバラは見頃ですし」
「迷路できるくらいにちゃんと育ててるんだから見事なものだ。行ってみよう」
「あ、はい!」
入場料を支払い、私たちは中に入っていった。一歩足を踏み入れた途端に、バラの匂いがあちこちで濃厚に香っている。
「すごいですねえ……バラの香水以外でこんなにバラの匂いするところ初めて入りました」
「バラの香水? 君そんなのに興味あるのか?」
「うーんと。バラの香油? あれって一滴つくるのにバラが何百本も使ってるんですって。そんなのすごいなあと思って、興味本位で香水屋さんで匂いを嗅がせてもらったこととかありますよ」
でもサンプルで嗅いだバラの香水の匂いは、こんなに爽やかな感じじゃなかったと思う。もっと篭もったような匂いだったと思う。
それにバラと言えば、白とか赤とか、もっと色も形も決まっていると思ったのに、一重の可愛い形のものがものすごく甘い匂いを漂わせていたり、血のように赤黒い八重の花からは逆に全然匂いがしなかったりと、バラも種類によって本当に全然違う。
それにバラというと、ツタバラには棘があるもんだと思っていたけれど、刺さったら痛いだろうなというものもあれば、逆に産毛レベルにしか生えてないものまであり、面白い。
私はちらりと如月さんを見た。如月さんは目を爛々とさせて、バラの迷路の壁面を眺めていた。
バラの色を見て、この人はなにを思っているんだろう。この人の思い詰めているものが、少しは解きほぐされていたらいいのに。私はそう思わずにはいられなかった。