テスト最終日を終えたクラスメイトたちの表情はどこか晴れやかだ。部活やクラブ活動も再開し、日常生活が戻ってきた。
僕は初日ガタガタだったけど、昨日と今日のテストは手応えを感じた。先週の勉強会や図書館での自習も無駄ではなかったみたい。
「安麻田、実行委員会行くぞ」
「うん」
放課後、各クラスの代表が集まっての文化祭実行委員の会合が開かれた。全員顔を合わせるのは今日が初めてで、約二週間後に迫る将英学園文化祭の打ち合わせをするのだ。
既に申請済みだが、各クラスの出し物の再確認と備品の利用申請、自分の教室以外に場所が必要なら日時を指定して借りる手続きをせねばならない。
他のクラスはテスト明けで油断していたのか、まだ具体的な話を決めていなかったようだ。うちのクラスは事前に土佐辺くんと色々詰めておいたので申請する内容は決まっている。おかげで、事前準備のために家庭科室を数日貸し切る権利と当日使うホットプレートなどの備品を押さえることが出来た。
「先に決めておいて良かったね」
「ああ。三年生はともかく一、二年生は慣れてないからな。予定通り人気の備品を幾つかキープ出来た」
「さすが」
委員会での発言も任せっきりにしちゃったし、事前の話し合いも彼が仕切ってくれた。
「実行委員って見回り当番があるんだよね」
「生徒会と先生たちだけじゃ人手が足んねーからな。まあ、担当区画と時間帯も大したことねーし、クラスのシフトを調整すりゃ問題ない」
校門に設置するゲートは毎年使うものだから倉庫に保管されている。共有スペースの飾り付けは生徒会の担当だ。文化祭当日の校内パトロール『見回り当番』は実行委員が持ち回りで担当する。
去年、一年生の時は初めての文化祭でワタワタしてて、クラスメイトに頼まれたことをこなすだけで精一杯だった。他の人が何をしているのか分からなかったし、知ろうとも思わなかった。
「土佐辺くんって去年も実行委員だった?」
あまりにも手際が良いから経験者かと思いきや「いや。今年初めてやる」と返された。僕と同じ初めてのくせに、なんで色々知ってるんだろう。
委員会が終わり、参加者が次々と教室から出て行く姿を眺めていたら、土佐辺くんが急に席を立った。ガタッと大きな音がして、教室内にいた人たちがびっくりして振り返る。
「と、土佐辺くん?」
「……いや、何でもない」
座り直す彼を見て、立ち止まっていた人たちは再び歩き始めた。
「君たち、ここもう閉めるから早く出てね」
「あっ、ハイ。いま出ます!」
実行委員会の顧問の先生から促され、僕たちも席を立ち、廊下に出る。教室に戻ろうとしたけど、何故か土佐辺くんは逆方向に歩いて行こうとする。
「どこ行くの?」
「悪い安麻田。先に帰ってて」
「う、うん」
そう言う彼の目は僕を見ていなくて、廊下の先を睨みつけていた。実行委員会を終えて、出て行く他のクラスの人たちを見送ったあたりから様子がおかしい。誰か知ってる人が居たんだろうか。
しばらく教室で待っていたけど、土佐辺くんは戻ってこなかったので先に帰った。
翌朝、駅のホームには土佐辺くんの姿があった。僕に気付くと軽く手を上げて笑い掛けてくる。偶然じゃない。やはり僕に合わせて早く来ているようだ。
「昨日、結局なんだったの?」
「あー……知った顔が居たから挨拶しに」
「そうだったんだ」
文化祭の実行委員会が終わった後に土佐辺くんがどこかへ行ったのは知り合いに声を掛けるためだったのか。とてもそんな風には見えなかったけど、本人が言うのならそうなのだろう。話題はそのまま明日の文化祭見学へと移った。
「どーやって行くかな」
「そんなに遠くないし、歩いていく?」
「そだな。バスに乗るほどでもないか」
工科高校は僕の家からだと徒歩で十五分くらいの場所にある。迅堂くんは自転車、亜衣は徒歩通学だ。
「土佐辺くんの家と僕んちの中間地点くらいで待ち合わせしようか」
「いや、安麻田んちに迎えに行く」
「僕んち知ってるの?」
「小学校ん時プリント届けたことある」
「えっ、あれ土佐辺くんだったんだ!」
確かに高学年の頃、亜衣と二人で風邪をこじらせて三日くらい休んだことがあり、学校帰りにクラスメイトが宿題のプリントを届けてくれた。名乗らずにすぐ帰ってしまったと母さんから聞いていたが、まさか土佐辺くんだったとは。
「よく覚えてたね」
「オレ記憶力いいから」
小学校三年生の遠足のことも覚えていたし、本当に記憶力が良い。だから成績も良い。いや、きちんと勉強している姿を見たじゃないか。土佐辺くんは表では余裕があるように演じて、裏での努力を周りに悟らせない。物知りなのも頭が良いのも彼の努力の成果。簡単に羨むべきではない。
テストが全部返ってきた。初日に受けた三教科はケアレスミスが多く、いつもより点数が低かった。それ以外はまあ予想通りという感じ。駿河くんと土佐辺くんは幾つか満点があったみたいで先生が誉めていた。やっぱりあの二人には敵わない。
「安麻田ーっ、赤点回避したぞ!」
「おまえのおかげだ、心の友よ!」
スポーツ推薦組が数人、感極まった様子で抱きついてきた。彼らは一日も休まず勉強会に参加している。苦手科目を中心に、分かるまで何度も何度も質問するほど真剣に取り組んでいた。
「君たちが頑張ったからだよ」
「ぁ安麻田ぁああ~ッ!」
「良いやつだなおまえ~!!」
男泣きする彼らを宥めていたら、土佐辺くんが間に割り入っててきた。
「おまえら、オレにゃ礼は無しか」
「うるせー、おまえ怖ぇんだよ!」
「一回で理解できねーと怒るし!」
「なんだとこの野郎、表出ろや!」
そう、土佐辺くんの解説は非常に高度で、しかも次から次へと教える問題が変わるスパルタ式。ついていけなくなった人を個別でフォローするのが僕の役割だった。故に、スポーツ推薦組のほとんどは僕が教えたことになる。
あの時は土佐辺くんの教え方が下手なのかもと思ってしまったけど、きっと僕に役割を与えるためにワザと難しく説明していたんだろう。おかげで、同じクラスでありながら今まで疎遠だったスポーツ推薦組と仲良くなれた。
「安麻田ぁ~! 土佐辺が怖いよ~!」
僕の後ろに隠れるスポーツ推薦組。そんな彼らを土佐辺くんは苦々しい表情で睨み付けている。
助け舟を求めて視線を彷徨わせれば、勉強会の発案者である檜葉さんは駿河くんと談笑していて、こちらに全く気付いていない様子だった。
どうしたものかと困っていたら「おまえら安麻田にくっつき過ぎだ!」と土佐辺くんがスポーツ推薦組をひっぺがしに来た。
土曜の朝九時過ぎ、土佐辺くんからの『もうすぐ着く』というメールで飛び起きた。
亜衣たちの高校の文化祭を見に行く約束をしているが、開場は十一時からだ。十時半くらいに僕の家に迎えに来るという約束だったのに一時間も早い。僕まだ着替えてないんだけど。
そうこうしているうちに玄関のチャイムが鳴り、慌てて階下へと降りる。
「悪い。早く来過ぎた」
「ううん、いいよ。上がって待ってて」
申し訳なさそうな土佐辺くんを家の中に招き入れ、リビングに通す。
「家の人は?」
「休みの日は昼まで起きてこないよ」
父さんも母さんもフルタイムで働いている。土日は貴重な休息時間なので、いつも昼近い時間まで寝室から出てこない。亜衣は朝から学校に行っている。今頃は文化祭の準備をしているはずだ。
土佐辺くんがうちのリビングにいるの、なんだか変な感じ。今日の彼はVネックのTシャツに薄手の上着を羽織っている。制服以外の私服姿を見たのは小学生の頃以来かもしれない。
「着替えてくるね。待ってて」
僕はまだパジャマ代わりの部屋着姿だ。部屋に戻ろうとしたら、土佐辺くんがリビングの出入り口に立ち塞がった。
「オレも行っていい?」
「え、なんで?」
「安麻田がいない間に家の人が起きてきたら気まずい」
それは確かに気まずい。僕だって朝起きてリビングに知らない人がいたらびっくりするもん。仕方なく一緒に二階へと向かう。
「お、片付いてるな」
「いつもはもう少し散らかってるよ」
とりあえず勉強机の椅子に座ってもらい、僕はクローゼットを開けて今日着ていく服を選ぶ。夏から秋に移る時期はいつも何を着たらいいか分からなくて迷う。晴れていれば暑いけど、日が陰れば肌寒かったりもする。
土佐辺くんみたいに、半袖に薄手の上着を羽織ればいいかと考えながら服を取り出したところで動きを止める。人前での着替えが恥ずかしいからだ。
男同士だし、教室では体操服に着替えたりも普通にするけど、自分の部屋で誰かがいる時に着替えたことなんかない。でも、下手に恥ずかしがると不審に思われてしまう。全裸になるわけじゃないし、さっさと着替えてしまおう。
土佐辺くんは勉強机に置いてあった文庫本を手に取ってパラパラ捲っている。今のうちだ。彼に背を向けて部屋着代わりのTシャツを脱ぎ、スウェットに手を掛けた時、すぐ後ろから話し掛けられた。
「安麻田、これの前の巻ある?」
いつのまにか土佐辺くんが僕の背後に立っていた。手には先ほどの文庫本がある。何冊か出ているうちの途中の巻だったから気になったらしい。
「あるよ、こっちの本棚に全巻」
「おっ、ホントだ。ちょっと見ていい?」
「うん」
そう言うと、彼は部屋の隅にある本棚の前に行き、本を探し始めた。その隙に手早く服を着る。
「意外と渋い小説読んでるんだな。『特攻列島』ってベストセラーだけど親世代の作品じゃね?」
「夏休みにドラマの再放送やってて、それで原作が気になって買ったんだ」
「あ、それオレも観た。面白かったよな」
たまたま同じ再放送を観ていたと分かり、話が盛り上がる。その間に着替えも済んだ。
「興味あるなら貸そうか」
「マジで? 貸して貸して!」
「でも今渡したら荷物になっちゃうね」
「じゃ、帰りにまた寄っていい?」
「そうしよっか」
小さな文庫本とはいえ四冊もあり、かさばるし重い。これから出掛けるというのに邪魔になってしまう。
「それにしても……」
そう言いながら土佐辺くんは本棚を上から下まで眺めた。何故かニヤニヤしている。
「エロい本があるかと思ったのに、なんもなくて拍子抜けだったな」
「あるわけないよ!」
やけに部屋に来たがると思ったら、最初からエロ本を探すつもりだったのか?
「普通はあるだろ。健全な男子高校生なら」
「えっ。そ、そうなの?」
運動部は部室にエロ本を置いて共有してるとか前に聞いた気がする。普通はそうなのか。
「土佐辺くんも持ってるの?」
「どうだと思う?」
「今の流れなら持ってるんでしょ」
「興味あるなら貸そうか?」
「い、要らない!」
「あっそ」
……やっぱり持ってるんだ。
工科高校の文化祭に来たのは今日が初めてだ。校門を入った瞬間から屋台の呼び込みがすごくて、土佐辺くんが手を引いてくれなかったら全部買う羽目になっただろう。
「迅堂たちのクラスどこだっけ」
「えーと、視聴覚室でやってるって」
入り口で貰ったパンフレットには簡単な校内マップが載っている。場所を確認してから校舎に入った。
「いらっしゃーい! 寄ってってね~!」
覚えのある声が人垣の向こうから聞こえてくる。廊下を埋め尽くす一般客を掻き分けていくと、そこにはメイド服姿で呼び込みをする亜衣の姿があった。
「瑠衣! 来てくれてありがとー!」
「お化け屋敷なのに、なんでメイド服?」
「客寄せと言えばメイドでしょ!」
そうかなあ。見れば、亜衣以外にも数人の女子が同じようなメイド服を着てチラシを配っている。
「あーっ土佐辺くんだよね、ひさしぶり~! ホントに瑠衣と一緒に来たんだ! 仲良いんだねぇ」
「まあな」
僕の隣にいる土佐辺くんに気付き、亜衣はその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。そんなにジャンプしたらパンツが見えてしまうと思いきや、スカートの下にしっかりスパッツを着用している。これには周りにいた男性客が肩を落としていた。
話をしていると、離れた場所で呼び込みをしていたメイド服女子がこっちにやってきた。僕の顔を見るなり、きゃあきゃあと盛り上がる。
「亜衣ちゃん、この人がそう?」
「うん、あたしの双子のおにーちゃん」
「めっちゃ似てる~! 可愛い~!」
パーティーグッズ売り場で売ってそうな丈の短いメイド服姿の可愛い女の子たちが腕を組んだり抱きついたりしてくる。亜衣と同じ顔だから彼女たちは何の抵抗もないみたい。男性客から羨ましげに見られていることに気付いて腕を振り解こうとしたけど、胸に手が当たりそうで下手に動けなかった。
「おい、さっさと中に案内してくれよ」
「そーだった! ごめんごめん!」
土佐辺くんに促され、亜衣はようやく本来の仕事を思い出した。メイド服の女の子たちも慌てて持ち場へと戻っていく。
視聴覚室前の廊下の窓は一部が塞がれ、他より薄暗くされていた。入り口には電飾で作られた光る案内板があり、炎が風に揺らぐようにLEDの明かりも不規則に点滅している。おどろおどろしいBGMと相まって、凝った演出だと感じた。
「ハイッ、ここがウチのクラスの出し物『絶叫お化け屋敷』でーす!」
「ぜ、絶叫……?」
「そう! 中にある 驚かしポイントでより大きな悲鳴を上げた人には屋台で使えるチケットを差し上げまーす!」
そう言って亜衣が胸元から見本のチケットを出して見せた。食券のようなもので、百円券が三枚綴りになっている。お化け屋敷の参加料が百円だから、もし貰えれば元が取れる。入口の前で説明を聞いている間も中から悲鳴が聞こえてきた。締め切ってるのにこんなに聞こえるなんて、中では一体なにが起こってるんだろう。ちょっと怖い。
「それ、チケット欲しさにワザと悲鳴上げるやつもいるんじゃね?」
それは確かに有り得る。土佐辺くんの指摘に、亜衣はフッと笑った。
「実は『驚かしポイント』は毎回変わるのよ。音の大きさを測る機械は中で待機しているオバケ役が持ってて、それ以外の場所では幾ら叫んでもノーカウント。あと、一度チケット貰った人はもう参加できない決まりなの」
対策はしっかり考えられているようだ。
「あと、チケットが貰えるのは『現時点での最高記録』を塗り替えた人だけだからね~。つまり、時間が経てば経つほど達成しにくくなるってわけ♡」
今はまだ開場から三十分しか経っていない。記録保持者はその都度写真を撮って廊下に掲示されていく。現時点ではまだ二枚しか貼られていないらしい。
説明が終わった頃に入口の扉が開いた。どうやら順番が来たみたいだ。亜衣がカーテンを捲ると、内部は淡い光が足元にあるだけでほぼ真っ暗だった。
「二名様、ごあんなーい!」
亜衣に背中を押され、僕と土佐辺くんはお化け屋敷に足を踏み入れた。
室内は遮光カーテンが引かれ、昼間だというのに真っ暗だった。順路にそって置かれたライトだけが闇の中に浮かび上がっている。パーテーションで細かく区切られ、二人並んで歩くのが精一杯の通路が設けられていた。
「けっこう雰囲気あるね」
「だな」
おどろおどろしいBGMは室内にも流されている。時折仕切りの隙間から白い手が出て手招きしたり生ぬるい風が吹いてきたりと、お化け屋敷らしい演出がされていた。はぐれないよう土佐辺くんの上着の裾を掴んで歩く。
「安麻田、服が伸びる」
「ご、ごめん。でも」
「掴むならこっちにしろ」
そう言って彼は僕の手を服から引き離し、代わりに自分の手を握らせた。つまり、手を繋いで進むということだ。恥ずかしいけど中は暗い。誰かに見られるわけじゃないからいいか。
「おー、すげえ」
正面に映し出されたお化けの映像にびっくりして足を止める。映像に見入っていると、背後から何かが近付いてくる気配を感じた。振り返ったら驚かし役の人が今にも襲い掛かってきそうな体勢で身構えていた。
「ひゃっ!」
僕は土佐辺くんの手を引っ張り、走って逃げた。角を曲がると、さっきの驚かし役はもう追い掛けてこなくなった。
「さっきのすごかったな。正直文化祭のお化け屋敷なんて舐めてたのに」
土佐辺くんは感心したように呟いている。僕が無理やり引っ張らなければ、脅かし役を無視して映像に見入っていたかもしれない。
「マネキンに映像投影してリアリティ出してたとことか、製作者のこだわりを感じる」
「マネキンなんかあった?」
「三体置いてあった」
「そんなとこまで見る余裕ないよ」
立体物を置いての映像投影……プロジェクションマッピングみたいなものか。確かに凝っている。映像も自分たちで作成したもののようだ。