桃花がコーデの説明を一生懸命始めた。
「ああ、そうなんだな。うん、いい感じだ」
とりあえず褒めておく大作戦で、野口は桃花の攻撃をかわした。
「相方はどんな人なんだ?」
「梨美は、例えば一見ただの黒い服ですけど、一点ものの服を着ています。デザインにこだわりがあるんですよ」
「え? いや、服じゃなくてだな。性格とか人間性を聞いているんだが」
 野口はメガネのつるを持ち上げた。
「服は人間性を表しますから。ちなみに梨美の服は、スコーピオンという服屋さんのものが多いです。一点ものしか扱わないところですよ。梨美はわたしの面倒も見てくれる、優しい人で、とてもおしゃれさんですね。いい人なんですよ」
「なるほど。桃花が面倒をかけていると。しかし、今の大学生はすごいな。俺が大学の時は白いTシャツにジーパンだったぞ。それが爽やかさを演出してくれる、モテると信じていた。その前はケミカルジーンズが流行ったときもあったな」
「いつの話をしているんですか。そんな時代は終わりましたよ。いまは、自分を主張するか、しないかのコーデですね。みんなおしゃれに敏感ですからね。目立ちたい人は目立つ服を。目立ちたくない人は目立たないコーデにします。わたしたちは動画を配信しているので、なるべく人に刺さる、つまり興味を持ってもらえそうな服を着ることにしているんです」
「なるほどな。じゃあ、大河原梨美も一見普通そうだが、目立ちたいって気持ちもあって、性格に一癖あるってわけか」
野口はニコリと笑って、メモを閉じた。
「梨美は優しくて、思いやりがあるんですよ。どうして悪口いうんですか」
 桃花は憤慨する。
「桃花、犯人を捜そうとして、無理するなよ。なにかやらかしそうだからな。茉莉さんを巻き込むなよ」
「エービーコミュニケーションズも首になったので、大学で勉強してますよ」
 桃花は口を尖らせた。
「なんだ、エービーコミュニケーションズを首になったのか。岸辺綾音はエービーコミュニケーションズから独立したらしいぞ。知っているか?」
「ええ! 綾音先輩、独立ですか! いつですか」
 桃花はスマホの芸能ニュースを検索する。
ネットニュースでは写真入りトップ見出しで『岸辺綾音、事務所をやめて独立。タレントデビューか』と載っていた。
自分で事務所を作っちゃったんだ。さすが。綾音先輩、尊敬します。
 桃花は目を輝かせた。
「本当にアイドルをやめてタレントになっちゃうなんて、すごいですね」
 桃花がつぶやく。SNSの予想は当たっていた。
「あら、桃花さんはアイドルになりたかったの? それともタレント?」
 茉莉さんがスマホを覗き込んだ。
「小さい頃はアイドルになりたかったんですよ。少し大きくなってからはヨーチューバーです。なので、動画クリエイターになれて嬉しいんです。アイドルではないんですけどね」
「テレビの芸能人とインターネットの動画クリエイターは似てるけど、違うわよね。アイドルは、テレビの中にいる、手の届かない偶像って感じがするけど、動画クリエイターは、一般の人との距離が近い感じがするもの。例えるなら、特別なというより、普段からよく使う、ちょっといいもの的な感じ?」
「あは。茉莉さん、例えが上手いです。クラスで三番目くらいにモテる女子みたいな。ちょっとモテるくらいの」
「そうそう。一番でも二番でもなくて三番なのよね」
 茉莉は肯いた。
「一番も二番も三番もモテるんだから、大して変わりないじゃないか」
 野口は突っ込んだ。
「いえいえ。大きく違いますから。一番は高根の花。二番は実質クラスで一番のモテ子。三番は手が届く好感度の高い女子です」
 桃花が指摘する。
「さっぱりわからん。好きな人から好かれればいいじゃないか」
 野口は首をひねる。
 微妙なところが野口には伝わらないらしい。桃花はスルーする。
「綾音先輩は独立かぁ。わたしたち、どうしようかな。梨美もエービーコミュニケーションズをクビになったんですよ。だからきっと不安なんじゃないかな。わたしが綾音先輩の肩を持ったから」
「遅かれ早かれアイドル恋愛論争は勃発していたわよ。時代の流れよ。気にすることはないわ」
 茉莉は肩をすくめた。
「そうかもしれませんけど。梨美は就職活動にシフトするかもっていうし。わたしがもし事務所をつくったら、梨美も動画クリエイターを続けるかなあ」
「どうかしらねえ。桃花が事務所をつくっても、梨美さんに他にやりたいことがあるかもしれないしね。聞いてみるしかないわね」
 茉莉が桃花を慰める。
「とにかく、二人は一応容疑者なんだから、おとなしくな。ぜったい捜査に首を突っ込むなよ」
野口はしつこく念を押して帰っていた。
「ピンポーン」
 また野口警部? と思ったら、今度は黒木だった。
「あ、黒木さん。きょうはどうして? 茉莉さんに用事ですか?」
 桃花が玄関を開けた。
「当たり。茉莉さんに会いたくて」
 照れる黒木を前に、玄関に出てきた茉莉はめんどくさそうな顔をした。
 あ、黒木さんのシューズって。
 桃花は気が付いた。
「そこは、建前でも桃花に会いに来たって言わないとダメよ。やり直し」
 茉莉はドアを閉めようとする。
「あ、どうして。ちょっと待って。もちろん桃花さんの傷も確認したいから来たに決まっているじゃないですか」
 黒木は上目遣いで微笑む。
 茉莉は仕方なく黒木を部屋へ上げた。
 桃花はリビングで脇腹の傷の様子を見てもらう。
「うん、傷口も綺麗。激しい運動はまだしないでね。めまいとか、他に変わったことはない?」
「大丈夫です。だるいくらいです」
「無理はしないようにね?」
黒木に念を押される。
綾音先輩とはどんな関係なんだろう。茉莉さんのことが好きみたいだけれど。容疑者の一人にカウントされているし。
「黒木さんはその後は何もないですか?」
「え? 僕? 何もないよ」
「だって第一発見者じゃないですか」
 桃花は黒木にお茶を出す。
「まあ、茉莉さんと一緒だったからね。茉莉さんが疑われているなら、僕も疑われるだろうと思っていたけど。僕のアリバイは正面玄関から入って、エレベーターに乗っているから防犯カメラの映像があるんだよ」
 黒木はカップを優雅に持つ。
「なるほど」
「茉莉さんのアリバイは、僕がここに一緒にいたしね」
 黒木は茉莉を甘く見つめた。茉莉は居心地が悪そうに、視線を逸らす。
「あの、黒木さんって、綾音先輩の恋人じゃないんですか?」
「僕が? どうして綾音ちゃんの恋人なの?」
 黒木は目を丸くした。
「週刊誌に撮られたのって、うちの附属病院じゃないですか。大学の庭のあたりだし。黒木さんってシューズ好きですよね? きょうのシューズって、写真を撮られた時のものと同じじゃないですか? ソールに特徴ありますよね」
「靴か。そんなことでわかっちゃうのか。参ったな。そう、あれは僕だよ。でも迷惑なんだよね」
 黒木は小さく息を吐いた。
「綾音先輩とは、どんな関係なんですか?」
「どんな関係もないよ。綾音ちゃんが小さいころ、近所に住んでいただけ」
「いわゆる幼なじみ?」
「そんな甘い響きじゃなくて、近所の人って感じ」
 黒木は苦笑する。
「でも、綾音先輩はそんな感じじゃなさそうですけど」
「そう? 僕は近所の子くらいにしか思ってないよ。近くに来たからって、綾音ちゃんがたまに病院に会いに来てくれるけど」
「え?」
「ふつう、会いに行かないよね」
 桃花と茉莉は頷きあう。
「東京で友達がいないから、寂しくなると会いに来るって言っていたな」
「それって、好きってことなんじゃ?」
 桃花が投げかけると
「いやあ、向こうはアイドルさんだしね。綾音ちゃんをそんなふうには見ることはないね」
 黒木は言い切った。
「でも、向こうはあるんですって」
 桃花が説明する。
「僕は茉莉さんに興味があるから」
 黒木は茉莉の手を握った。
「わたし、バツイチ子持ちの四十二歳ですから」
「僕は三十五歳ですよ。歳は近いよ。茉莉さんは年下はお嫌いですか?」
「もう子供は産めませんよ」
「僕は茉莉さんがいいんです。一目見て、この人が運命の人だと思いました。子どもは茉莉さんが望むならやぶさかではありません。がんばりますよ」
 盛大な告白が始まった。
 いたたまれなくなり、桃花はそっと離脱を試みる。
「桃花さん! ちょっと」
 茉莉に呼ばれ、ビクンと桃花は止まった。
「あのね、黒木さん。隣の桃花さんの部屋で殺人事件があったし、桃花さんを刺した犯人も見つからないし。恋愛なんてしてる暇はないんです」
「じゃあ、解決したら、付き合ってくれますか?」
 グイグイきますね、黒木さん。本当に綾音先輩とは何でもないらしい。週刊誌で撮られていた写真、綾音先輩が黒木さんにまとわりついているようにも見えなくもない。
「え?」
 茉莉は目を丸くした。
「わかりました。僕が事件を解決してみせます」
 黒木はにこりと笑う。
「時間の無駄だから、僕もこのマンションに引っ越ししようかな」
 黒木はつぶやいたが、茉莉たちは聞こえないふりをした。


きょうも青空が広がっている。何もする気にならないので、ソファーで二度寝、三度寝をしていたところだ。そろそろ茉莉さんも仕事が終わる時間。五限の授業があるので大学に行かないといけない。とりあえずお昼でも準備しようかと桃花はのそりと起き上がると、インターフォンの鳴る音がした。
「また来たんですか。茉莉さんはまだ仕事ですよ。もうすぐわたしも出かけるんです」
 桃花は呆れた声をだす。
「まあな。事件の調査だし。元妻のところに様子を見に来て何が悪い?」
 野口は開き直った。
「そうですよね。野口さんも心配ですよね。茉莉さん、モテてますし」
「はあ? 茉莉がモテてる? 誰に?」
「ええ? それをわたしに聞きます?」
「うるさいわよ。仕事に集中できないじゃない」
 茉莉さんの声がドア越しに聞こえた。
「すいませーん。静かにします」
 桃花が茉莉に謝罪する。
「ほら、野口警部のせいで怒られちゃったじゃないですか。もうすぐ午前の取引がおわりますから、静かにしてください」
「桃花がうるさいんだろう?」
「野口さんがうちに来るからですよ」
「まあ、そういうなよ。心配なんだ」
「そうですか。でも茉莉さんが付き合うなら若い方がいいと思うんですよ」
 桃花の返答に野口の顔が引きつる。お洒落が大好きな人に悪い人はいない。むしろしっかり自分を持っていると思うのだ。黒木さんは靴が好きだから、黒木さんはいい人なんだと思う。野口さんは元旦那さんなわけで。何かがダメだったから別れたんだろう。復縁は難しいんじゃないかな。
「桃花、それはどういうことかな?」
「わたしは口が堅いですから。言いませんよ」
「そんなこと言わずに? ね?」
「だって、容疑者のわたしにメリットはないですから。何か面白い話とか、捜査状況とか聞かせてくれるなら別ですけど。離婚に至った話でもいいですよ」
 桃花はつんと顎を出して見せた。
 野口の拳が震える。
「じゃ、どうして俺たちが離婚したのか話す」
 野口は真剣な眼差しで桃花を見る。
「そこは犯人は誰とかじゃないんですね。でも、そんなプライベートのこと、話していいんですか?」
「仕方ない。話す代わりに、黒木の話を教えろ。スパイになってくれ」
「まあ、内容次第ですね」
「聞くも悲惨な話だ」
「わかりました」
 桃花は目を輝かせる。
 野口は顔を顰めて、語りだした。

 茉莉が大学に入ってきてすぐのことだ。俺と茉莉は出会った。俺は大学院生で、ゼミの手伝いをしていた。
 最初は茉莉の方からアプローチがあったんだ。茉莉は今も可愛いだろ? 昔はもっと素直で可愛かった。すぐに頬を染めてさ。
「そんな回想どうでもいいんですけど」
「まあ、聞け」
 野口は続けた。
 俺と茉莉は付き合うことになって、茉莉が大学を卒業してすぐに結婚した。俺たちは仲が良かったから、すぐに子どもができた。
「ところが、若かった俺はモテたんだ。モテたことが悲劇だった」