「ちゃんとしてるから。出世もしてるし。いつでも復縁できるからね。待ってるから。それにこの事件、俺がちゃんと解決して見せるから、任せておいて」
野口が胸を張った。
 茉莉は聞こえないのか、しゃがみ込んで地面を見ている。
「ちょっと、茉莉さん? いま、口説いていたんですけど。聞いてる?」
 野口ががっかりする。
 全く聞いてなさそうですよ。
桃花はちょっとだけ野口が哀れになった。
茉莉はポケットから虫眼鏡を取り出した。
「茉莉さん? 何を見ているんですか」
「ああ、ツメクサよ」
「つめくさ?」
「うん、アスファルトのひびとかに生えている、この芝っぽいみどりのやつ」
「ツメクサっていうんですか」
「そうなの。花が咲いているのよ」
「ほんとだ」
 桃花に虫眼鏡を渡す。
「あのね、もしもし? 茉莉さん、事件の話がしたいんだけど?」
 野口は遊歩道のベンチに座るように茉莉と桃花にお願いする。
「あのストーカー、やっぱり桃花さんのストーカーだったようだよ」
 野口はカバンからペットボトルを取り出して一口飲んだ。
「SNSのプロバイダに発信者情報開示請求をした。それで彼の個人情報が分かったんだ」
 野口の説明を聞きながら、茉莉がじっとペットボトルを見ている。
意外に外が暑く、少し歩いただけでのどが渇いた。茉莉さんもそうみたい。
「コーンスープじゃなくて悪いけど」
 茉莉の視線に気が付いた野口は、笑いながらカバンから二本ペットボトルをとりだした。
「茉莉さん、どっちがいい? 麦茶と緑茶」
「麦茶がいい」
「桃花さんは緑茶でいい?」
 異論はない。野口さんのご厚意のおこぼれだけど、水分補給できるのはうれしい。
「コーンスープは熱いですからね。冬がいいですよね」
 桃花は突っ込んだ。
「でも、人気だっただろ? あのシーン」
 テレビドラマで当て馬役の優しい男性がヒロインにコーンスープを差し出すシーンがあった。
 茉莉はテレビドラマを見ていなかったらしく、無反応だ。
 野口はコホンと咳をして、メモを読む。
「彼は桃花推しで有名でね。男性名と女性名二つのニックネームをインターネット上で名乗って使い分けていたらしい。男性名はゴン。女性名はサイレスだったかな。彼の本名がゴンザレスという名前だったから、そこからとったのかもしれないね」
 ストーカーさんは、ゴンザレスさんか。外国人? 日本の人?
桃花は眉をぴくりと上げた。
「ゴンザレスは父がメキシコ人で母が日本人だ。日本で生まれ育っている。身長百六十センチ。三十二歳になるんだが、小学生のころからいじめにあい、中学も途中から行かなくなったそうだ。アルバイトをして生計を立てていたが、一つのところで長くは続かなかったようだね」
 ゴンザレスさん、苦労していたんだなあ。
 桃花は肯いた。
「彼の部屋からは化粧道具も多数見つかっている。インターネットの履歴から君のメイクアップ動画を熱心に見て、練習していたようだ」
「そうですか」
 どうりでわたしそっくりの顔になっていたはずだ。あれはびっくりした。ゴンザレスさんが生きていたら直接会ってみたかったな。しかし、どうしてわたしの部屋で死んでいたんだろう?
「死因は絞殺。第一発見者らが見つけたのは、殺された直後だったようだよ」
 第一発見者は、内山マネージャーと綾音先輩だ。ゴンザレスさんが殺された直後に二人はわたしの部屋に飛び込んだってことになる。
なぜゴンザレスさんはわたしの部屋にはいれたの?
 桃花は首をひねった。
「いったい誰が殺したのかしらね? ゴンザレスさんって、何時くらいに桃花さんの部屋にはいったの? 綾音と内山マネージャーだって、もしかすると殺されてしまう可能性があったってことでしょ? 怖いわね」
 茉莉が渋い顔をした。
「まあね。綾音と内山マネージャーが桃花の部屋に入った時間は午後四時ごろって言っているけど。二人とも正面の入り口から入ってないので、防犯カメラに映っていないんだよ。おまけに通用口の防犯カメラにも映っていない」
「そんなことあり得るんですか?」
 桃花は疑問をぶつけた。
「監視カメラの角度によって死角ができてしまうからね。何者かが事前に監視カメラの角度をいじっていたら、映らないよね」
 野口は「ほんといやになるよ」とつぶやいた。
「内山と岸辺にどうして監視カメラに映ってないのかって聞いたら、『映っていなかったのは運がよかったからだろう』といっていた。まったくふざけているよ。ゴンザレスも内山マネージャーも岸辺綾音も映っていないって、偶然があるのかねえ。まあ、ゴンザレスのほうはマンションの前で立っていた防犯カメラの映像はあったけどな」
 野口は肩をすくめる。
 もし早く退院していたら、犯人と鉢合わせしてわたしが殺されていた可能性だってあった。身代わりにゴンザレスさんが殺されたってこと?
 桃花はぞっとした。
「茉莉さんも桃花さんも何か思い出したら連絡して」
 野口は茉莉の顔を優しく見る。
「桃花さん、君は刺されたばかりなんだから無茶はしないこと。犯人探しとかしないでね」
 野口はほとんど桃花の顔を見なかった。
こんなに明らかに好意の差をみせつける人っているんだね。
桃花は苦笑する。
 野口は「じゃ」と片手をあげて去っていった。途中振り返りながら、茉莉に大きく手を振っていた。
桃花は野口の必死さが面白かった。
大人も恋をするんだなあ。元妻を追いかけているなんて、なんか不毛ではあるけど。ぜひ茉莉さんを口説くのを頑張ってほしい。
「いったいどこから入ったのかしらね。マンションの入り口には防犯カメラがあるから、いつ忍び込んだのかなんて簡単に分かるはずなのに」
 茉莉はマンションの入り口の大きなガラス扉の監視カメラに手を振った。
「ほかに入り口といったら、自転車置き場?」
「ああ、たしかに」
 小さな扉を開けてみる。
 監視カメラの向きは扉と自転車置き場の通路をうつしている。
「あれ、この向きだとカメラの真下は映らないかも」
「もしかしてこの死角から入ったのかしら。もうちょっと角度をずらしたらきっと完璧に映らないわね」
 茉莉が腕を組む。
「そうかもしれないですね。ということは、綾音先輩と内山マネージャーもここから入った?」
「そういうことよね」
「なぜわざわざ通用口から入ったのかしら。やましいことでもあったのかしらね。普通お客様なら正面玄関から入るわよね。自転車に乗ってきたんじゃなければ」
 あの二人はお客としてきたわけじゃない? やましいことを考えていた?
 何かわたしにしようとしていたってこと?
 あり得ない。だってわたしの大好きな綾音先輩だよ。
「警察もゴンザレスさんを殺害した犯人のことはまだ分かってないんですよね?」
「たぶんね。野口は何も言っていなかったし」
「わたし、自分で犯人を捕まえます。犯人はわたしに言いたいことがあるんですよ。直接聞いてみたい」
「危険よ?」
 茉莉が脅す。
「じゃ、茉莉さん、一緒に捕まえましょう」
 桃花は茉莉の手を握る。
「いやよ。わたし、関係ないもの。遠慮しておくわ。その代わり、うちの部屋に桃花さんがずっと住んでくれて構わないから」
「関係大有りじゃないですか。だって第一発見者」
「ええ? 第一発見者じゃなくて、正確には第二発見者よ。それにわたしは犯人じゃないし。仕事もあるし、忙しいんだから、捜査の手伝いはしないわよ。野口に任せればいいじゃない?」
「そんなあ。茉莉さん、乗り掛かった舟でしょ。助けてくださいよぅ」
 茉莉の容赦ない拒絶に桃花は情けない声をだした。



五 
空梅雨っていうんだろうか。もう夏という感じだ。自分の部屋の窓から見る景色と茉莉さんの部屋から見る景色が違うんだなと思うと同時に、殺人事件があったことを思い出した。
「ゆっくりしていらっしゃい」
 茉莉さんは仕事をしに、部屋にこもってしまった。
 なんだかだるい。いろいろなことが起きすぎて、何も考えられなかった。ごろごろしているうちに時間は過ぎ、いつの間にか寝ていたらしい。
 インターフォンの鳴る音で、飛び起きた。
「まだここにいるのか」
 野口警部が開口一番に桃花に言った。
 ひどいやつである。
「いますよ。ここに住んでるんですから。家賃もだしてますよ。だいたい、昨日事件があって、一日しか経ってません。わたしの部屋の調査はおわったんですか?」
桃花は不機嫌そうにする。
「いや、まだだ」
 それで追い出そうと?
 桃花が目で訴えると、野口は肩をすくめた。
「事件の捜査のことだが、まだ犯人は捕まってない」
「そんなのわかってるわよ。昨日の今日なんだから。ここに来ないでもいいから、はやくつかまえなさいよ」
 茉莉さんが部屋から出てきた。野口さんは茉莉さんの姿を見て目を輝かせた。わかりやすい人である。
茉莉はリビングの野口を玄関先へ追い払うように追い立てる。
「茉莉さん、そんなこといわないで。ちょっとだけ事件のこと教えるから。ねえ、会話をしようよ。毎日茉莉さんに会わないと、具合が悪くなるんだよ」
 野口は頼み込んだ。
「そんな病気、ありません」
 茉莉さんはつれない。
「えええ。なんですか? 聞きたいです」
 桃花が返事をすると、
「そこは茉莉さんに反応してほしかった」
 野口はつぶやいた。
「茉莉さんのことが好きなのはわかりますけど、わたしは一応被害者ですよ。色々教えてくださいよ。犯人とか、誰が怪しいとか」
「被害者は犯人探しとかしないでおとなしくしてろ」
 野口は忌々し気にいう。
 なんかムカつきますけど。桃花は野口を睨む。
「犯人を捜そうとしていることがなんでバレたんでしょう?」
 桃花は茉莉にこそっと聞く。
「マンションの管理人に頼んで、防犯カメラを見せてもらったからじゃない?」
「なるほど。ここの管理人がおしゃべりなんですね」
「管理人は日本の警察に協力してくれた善良な市民だ。一般市民は探偵の真似事などやめておけ。危険だ」
 野口は眉根を寄せて注意する。
「わたしたちだって善良よね? 知る権利があるわ」
 茉莉さんが桃花に同意を求める。
「茉莉さんは危ないことはしないでね? 心配になる。桃花さんも警察が犯人を捕まえるまでおとなしくしていなさい。ケガだって治っていないだろう?」
「うう。はい」
 桃花は仕方なく頷いた。
「桃花さんの部屋で死んでいた被害者は小島ゴンザレス。三十二歳。現在は無職。ほとんど家から出ない、引きこもりだったが、家族によると、桃花のファンになって外に出るようになったそうだ」
 そっか。やっぱりファンだったか。わたしそっくりの女装していたもんね。
 茉莉と桃花は黙って聞く。
「容疑者は固まったの?」
「まあな。いまのところ、岸辺綾音、内山浩志、桜宮桃花こと田中幸子、黒木煌貴、大光寺茉莉だ」
「なんですって! バカなの? どうしてわたしが入っているのよ」
 茉莉は呆れた。
 綾音先輩も入っている。どうして? あ、わたしも?
「一応だよ、一応」
 野口は慌てた。
「わたし、刺されたのに? なんで?」
「桃花も一応」
 野口は視線を合わせない。
 ひどい。わけわかんない。退院してすぐなのに、殺人なんかできっこないじゃない。
 桃花は野口を軽くにらむ。
「ところで、桃花の相方はずいぶん普通なんだな。桃花は派手なメイクに奇妙な服なのに」
 あ、わたしの『さん』付けが消えてる。
桃花は指摘すると面倒になりそうなのでそのままスルーすることにした。
「梨美はスタイルがいいし、人と少しだけ違うという服が好きなんです。普通じゃないですよ。それにわたしの服が奇妙ってどういうことですか。聞き捨てならないんですけど。この格好、可愛くないですか?」
「まあ、可愛いというか。個性的というか。遠くからも一目見ただけでわかるな」
 野口は苦笑する。
「好きな服、可愛い服、気分が上がる服しかを着ないことにしているんです。きょうは着物と洋服のミックスコーデです。このコルセット、可愛くないですか? ちょっと短いので、おはしょりはなしなんですよ」