「きっと目立つからよ。大したことないのにムカつくとか思われたんじゃない? だから、気を付けてって言ったじゃない」
 梨美は眉根を寄せた。
「どうしてこんなことになったんだろう。でもさ、わたしやっぱり動画を配信したい。病院に怒られるかな」
「怒られるって。病院から追い出されるよ。動画の配信はやめておいたら? 犯人だって、捕まってないのよ。危険よ。桃花、これって殺人未遂なんだよ? わかっている?」
 梨美が怒った口調になった。
 心配かけちゃった。ごめん。
桃花は目を伏せていたが、顔を上げた。
「だからこそ、配信したいんだよ。暴力では何も解決できないって伝えたいの。刺されたのはやっぱり『アイドル恋愛擁護論』のせいかな。わたしはただ綾音先輩を守りたかっただけなんだけどな」
 桃花は動画を配信したこともテレビ出演したことも後悔していなかった。
現在、岸辺綾音の禊はまだ行われず、あやふやになったままになっている。
 新聞やインターネットは海外の芸能人たちの恋愛や意見を紹介。その甲斐あって、世の中の雰囲気が「アイドルだって人間だよな、恋愛くらいしたっていいよな」という方向になってきたところだった。
 そして桃花は大学で刺され、車にはねられ、入院することになった。
「もう少しおとなしくできない?」
 梨美はあきれ顔だ。
「わたしは負けないもん。屈しない」
 桃花はきっぱりという。
「はいはい、でもどうなっても知らないわよ? エービーコミュニケーションズに言わないで動画をアップするんでしょ? ぜったいトラブルになるわよ。すでにメタモルフォーゼの動画は、桃花が退院するまで、事務所命令で配信を止めることになったのよ」
 梨美は渋い顔をした。
「わかった。梨美、ごめんね。でも、わたしは皆にホットなうちに言いたい」
「そういうと思った。わかったわよ。桃花は止められないものね」
 梨美は苦笑いした。

 高い機材があればそれに越したことはないが、ヨーチューブの動画は、スマホでも簡単に撮影できる。
音声をクリアにするためにスマホ用のマイクがあった方がいいけれど、探したら、バッグの中にあったし、小さな三脚とスマホを固定する雲台も入っていた。許可が下りたら、いつか大学構内でライブ配信しようと考えて、持ち歩いていたんだよね。えらいぞ、わたし。
 桃花はベッドのそばにあるテーブルにスマホをセットし、ライブ配信開始ボタンを押した。
「みなさん。こんにちは。桜宮桃花の桃花の独り言、始まります。きょうは、なんと、病院から中継してます」
 桃花は笑顔を見せる。
「ニュースで見た人もいるかな。実は、わたしは大学で何者かに刺されまして、入院することになりました。でも、わたしは暴力には負けません。大丈夫です。」
 息を整えて、まっすぐスマホのカメラを見る。言いたいことは言わないと。
「どうしてもお話したいことがあって、生配信することにしました。一つは、同じ事務所の岸辺綾音先輩のことです。綾音先輩はアイドルです。でも一人の人間として恋をしました。それは悪いことじゃないと思うのです」
 スマホのバイブが鳴っている。
 おそらくエービーコミュニケーションズからだろう。病室に踏み込まれる前に言わないと。
「綾音先輩、断髪式はやめてください。そんなことしなくてもいいんです。アイドルだって恋愛する権利があるんですから」
 パタパタとドアの前で足音が止まり、ノックの音と同時にドアが開く。
「田中さん、ちょっと病室で撮影は困ります」
 看護師が注意する。
「あ、名前は桜宮桃花でお願いします。すいません。すぐ終わりにします。もう一つは、刺されても元気ですってみんなに言いたかったの。心配かけてごめんね。では、そろそろ終わります。元気になったら、また動画を配信しますね。皆さん応援してくれてありがとう。またお会いしましょう」
「桃花、早く消せ! 配信を止めろ」
 マネージャーも飛び込んできた。
(もう中継しちゃったもんね)
桃花は心の中で舌を出す。
 桃花は病院の人からもこっぴどく説教をされ、マネージャーからも怒られたが、ちっとも心に響いてこなかった。
いま、言うべきことを言っただけだ。気分はすがすがしい。
個室とは言え、騒がしくしてしまったのは申し訳ないと思うけど、主にうるさかったのはマネージャーだと思う。ドアを開けっぱなしで怒鳴るから、廊下にも声が響いていた。
その点は入院している方々に迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。
 とりあえずマネージャーの気分が良くなるまで聞いているふりをし、桃花は頷いていた。
 マネージャーは顔を真っ赤にして、帰っていった。
『桃花、かっこいい』、『そうだよな、アイドルだって人間だもん」とコメント欄に好意的な書き込みもあれば、『アイドルって職業なんだから、徹底的に恋人は隠すべき』、『ファンが恋人であるべきだ』という意見もある。インターネット上で白熱した議論となっていた。
「ほら、桃花のせいでまた炎上しちゃった」
 梨美がスマホにSNSのスクショを見せた。
「だって、わたしがやらなかったら、綾音先輩がアイドルやめないといけなくなっちゃうから仕方がないでしょ。髪の毛を切るのをどうしても止めたかったんだもん」
 推しが丸刈りなんてぞっとする。
「トントン」
 病室がノックされた。
「はい。どうぞ」
「元気そうね。なんだかずいぶん大学の前もにぎやかだったわよ」
大光寺茉莉が顔を見せる。大光寺茉莉は六本木のマンションの桃花の隣の部屋に住んでいる中年女性だ。桃花が引っ越ししてきたときからお付き合いしている。なんやかんや言いながら、着替えなど桃花の部屋から持ってきてくれる親切な美人だ。いや、美魔女というのだろう。もうすぐ四十三歳になるとは思えない。桃花とは年齢は離れているが、妙にうまが合うので、時々お茶をしたりランチをする関係だ。
「そうなんですね。茉莉さん、いろいろ頼んでしまってすいません」
「あなたねえ、これ以上面倒を持ち込まないでね。この前だって、あなたのファンの人がマンションの入り口にいたから、警察を呼んだのよ」
大光寺茉莉が呆れながら桃花の荷物を持ってきた。
「えええ! だって刺されちゃったんだもん」
「痛かったねえ。でも生きていてよかった。鉄板仕立ての服でも着なきゃいけない世の中だね」
茉莉の言葉に桃花は笑った。
桃花がこのマンションの一室に住むようになったのは、父と母が亡くなり、相次いで祖父も亡くなって、遺産が転がり込んだからだ。孤独で落ち込んだ時、励ましてくれたのは茉莉だった。
茉莉さんには息子がいて、わたしの一つ下と言っていた。だから、わたしのことをまるで娘のようにかわいがってくれている。ごめんなさい。
桃花は心配をかけてしまったと反省した。
「ところで、桃花、刺されるようなことしたの?」
「してないと思うけど」
「してないなら刺されないでしょ。心当たりないの?」
 茉莉は胡散臭そうに桃花を見た。
 全くない。全然ない。ああ、アイドル恋愛擁護論は展開しているけど、これって刺されるほどのこと? そんなことないよね。
 桃花が首をかしげる。
「荷物はこれで足りる?」
「ありがとう、茉莉さん」
「さっさと治しなさいよ。退院するとき、連絡くれたら迎えに行くわよ?」
「トントン」
 ドアがノックされた。
 茉莉は桃花に「お大事に」といって去っていく。すれ違うように黒木が病室に顔を見せた。
「様子を見に来たんだけど、元気そうだね?」
「はい、その節はお世話になりました」
「綾音に何かされたわけじゃないんだよね?」
 黒木は心配そうに聞く。
「はい。綾音先輩はわたしの推しですから」
「そうか……。あ、さっきの女性は誰?」
「茉莉さんですか? マンションの隣に住んでいる女性で、お見舞いに来てくれたんです」
 黒木さんは茉莉さんのことが気になっている?
 わたしは小首をかしげる。黒木の目が輝いているように見えた。
「茉莉さんっていうんだ。あまり無茶しないでね。お大事に」
 黒木はふらふらと帰っていった。
 茉莉さんに用事があった? 桃花には分からなかった。
「さっきの誰?」
 梨美は不思議そうに聞いた。
「黒木さん? それとも茉莉さんのこと? 茉莉さんはマンションの隣の部屋の人だよ、親切で仲良しなんだ」
 うっかり隣の部屋のおばさんと言おうとして、言い換える。どこで茉莉さんが聞いているからわからない。うっかり余計なことを言って、怒られるのはごめんだ。茉莉さんの名誉のためにもう一度いうが、茉莉さんはスタイルがいいし、知的で整った顔をしている。
「黒木さんは、駐車場で桃花の手当てをしてくれたお医者さんよね。茉莉さんってすごい美人だね。都会で近所づきあいって、わたしには無理だわ」
「茉莉さん、いい人だよ。うちのマンションの人たちは、挨拶くらいはするよ」
 桃花の言葉に梨美は肩をすくめた。
 つけっぱなしになっていたテレビでは、ニュースが始まった。
「『アイドルだって恋愛していいじゃない?』と発言して一躍有名になった、動画クリエイターの桜宮桃花さんが大学で後ろから刺され、重傷を負いました。桜宮さんはアイドル岸辺綾音さんの熱愛報道を受け、加熱するマスコミに対し『アイドルだって人間だ。恋愛してもいいと思う』と発言。アイドルとファンの新しい在り方について論じる動画を配信していました。警察は事件について詳しく調べています」
「ほら、もっと有名人になっちゃった」
 梨美は目を細めた。
「へへへ。ごめん」
 桃花は頭を掻いた。
「あ、電話だわ。帰るわね。おとなしくしているのよ」
 梨美はあわてて病室を去っていく。
「ああ、つまらないな」
 桃花はベッドに横になった。
 スマホをいじって、暇つぶしでもするか。ヨーチューブの徘徊をしていたら、電話が鳴った。
嫌な予感がする。
ホーム画面にはエービーコミュニケーションズと書いてある。
「え? ええ? わたし、クビ? クビですか?」
(あらまあ、クビになっちゃった。どうしよう。)
 桃花は頭の中が白くなった。




「これ以上面倒をみきれないので、事務所をやめてほしい」
 マネージャーの声が冷たく耳に響く。
桃花はエービーコミュニケーションズから最後通牒を突き付けられた。
どうしよう。と、とりあえず、梨美に連絡しないと。
 電話をすると、梨美がすぐに出た。
「ごめん、わたしクビになっちゃった」
 桃花が言うと、
「わたしもよ」
 梨美がため息をついた。
「ごめん、わたしのせいで梨美もクビになったんだね」
「まあ、そうかもしれないけど」
 そこで否定しないんだね。その通りなんだけど。
 梨美の冷静な答えに桃花は悲しい気持ちになる。
「エービーコミュニケーションズにかけあうよ。梨美は関係ないって言うから」
「でも、桃花の暴走を止められなかった責任はわたしにもあるわ。仕方ないよ」
 梨美はくすりと笑った。
「ごめん」
 桃花は申し訳なくなって下唇を噛む。
「ちょうどいい機会かも。先のことを考えなくちゃいけなかったから。桃花は気にしないで」
 梨美が落ち着いた声で言う。
 梨美が怒っていなくてよかった。
 桃花は少し安心する。
「わかった。でも、本当にごめん」
「なんとかなるわ。とりあえず、桃花はケガを治して。それから考えよう?」
 梨美に励まされて、桃花は電話を切った。
 刺されて、引かれて、仕事まで失った。踏んだり蹴ったりだ。梨美にも迷惑をかけてしまった。
 桃花はうなだれるしかなかった。
 十日後。桃花は車にぶつかったところも、刺されたところも順調に回復しているとして、退院することになった。
 まだ少し体勢を変える時、刺されたところがいたかったので、茉莉さんに手伝ってもらおうかと考えたが、やめておいた。茉莉は暗号資産と株の取引を生業としているので、日中は忙しい。お金は大事だ。健康もだけれど。
「エービーコミュニケーションズもクビになったしねえ。マネージャーの迎えもないか。仕方がない、タクシーで帰ろう」