「桃花さんはどうして始めたの?」
「大学に入ってから始めたんだけど、サークルに入って遊ぶよりも自分で何か作りたかったのよね。動画も撮って見たかったし。女の子同士のたわいもないおしゃべりとか、じゃれあっているところとか。家でのんびりダラダラしている様子の動画ってなかったじゃない?」
「大食いがテーマとか、アスレチック、ゲーム中継、おもちゃの解説とかならあったけどね。」
 大樹が思い出した。
「そうそう、そういうのが多かったの。女子向けの動画は少なくって、共感できる女子のおしゃべり動画をやってみたいって思ったのよね。それで、梨美と一緒にやってみたらバズって……。今まで続けていたんだけどね」
「僕は高校生のとき、桃花さんの動画を見てたよ。大学生の女子の生態を見てるようで面白かった。勉強になりました」
「ははは。よかったよ。でもそれもおしまいね。解散することになって残念だわ。梨美は就職活動するみたいだし」
「そうか。まあ、仕方ないね」
 大樹は首をすくめた。
「うん。仕方ない。もう大学三年生だもの。インターンに行っているひとたちもいるし。焦ると思う」
「桃花さんは続けるの?」
「うん。そのつもり」
「よかった!」
 大樹は笑顔になる。
「いいことかどうかはわからないけど、まだやっていたくって」
「いいことだよ。ファンも喜ぶ。協賛したいって企業さんも来るだろうし。桃花さんは信頼されてるから、けっこう広告収入あるよね?」
「動画クリエイターの収入は、広告収入だから一本一本丁寧に動画をつくらないといけないからねえ。わたし一人でも今の登録者数を維持できるように頑張らないと。大樹くんは広告収入の条件をクリアできた?」
 桃花は動画を投稿し始めた頃を思い出す。ただ動画を作ってヨーチューブに出せば、広告収入が手に入るというわけではない。
 広告収入を得るには、まず一千人の登録者数と過去の公開動画の総再生時間が四千時間以上という二つの条件がある。これをクリアしないと広告収入が手に入らないのだ。次も見たくなる動画を作らないといけない。
「ようやくクリアしました。このまえ、桃花さんとコラボして、四千時間をクリアです。ほんと感謝です」
 大樹くんが頭をペコっと下げた。
「お役に立ててよかったです」
 桃花は微笑む。
「動画は、テレビとは違って身近なのがメリットだけど、興味がないとすぐに動画を見るのをやめちゃうし、フォロワーさんも離れていってしまうから、きつい部分もあるね」
 大樹くんが渋い顔をする。
「それでもやりたい。伝えたいって熱意がないと、動画投稿を続けるのは無理だと思うよ」
「熱意がないと続けられない。ヨーチューブはやるのは簡単だけど、継続するのは大変だよね。桃花さんはずっと投稿してください」
 大樹が同意した。
「えー。永遠にはやだよ」
 桃花はわざと顔をしかめる。
「桃花さんって、すぐにトラブルに巻き込まれるイメージ。ネタは尽きなさそうだから、永遠に続けられそう」
「大樹くん、それってどういう意味よ。好きで巻き込まれているわけじゃないのよ」
 桃花が口をとがらせて主張すると、大樹のスマホのバイブが鳴った。
 大樹は目を見開いた。
「どうしたの?」
 桃花が大樹のスマホを覗き込む。
大樹はスマホの画面に映し出されているニュースを指さす。
『ヨーチューバーと三角関係? 綾音の秘密の恋人は女子大生が好き!』と大きな見出しが出ていた。
 なんだろう。その女子大生って誰? 秘密の恋人って誰? ああ、嫌な予感しかしない。
 下にスクロールしていくと、隠し撮りされた桃花の写真があった。いつ撮られたのかさっぱりわからない。
 桃花の口は開きっぱなしだ。しばらくして、桃花は我に返り、「こんなのって、信じられない! どうしてなの?」と絶叫した。
 三角関係なんて勃発してないから!
「ほらね。桃花さんってすぐにトラブルに巻き込まれる」
大樹は苦笑した。
 家に帰ると、茉莉は夕飯の支度をしてくれていた。鶏肉を醤油に漬け込んでいるようだ。きょうは唐揚げかもしれない。
 桃花は茉莉の台所仕事が一息つくまで、ソファでふてくされる。
「どうしたの? 機嫌が悪そうね」
 茉莉がタオルで手を吹きながら、ソファアに座った。
「茉莉さん、聞いてくださいよ。わたし、黒木さんの秘密の恋人にされてるんですよ」
「ネットニュース、みたみた。すごいわね。よかったじゃない」
 茉莉は笑った。
「よくないですよ」
 ほんと、よくない。黒木さんは茉莉さんのことが好きなのに。
 桃花はムッとする。
「茉莉さんだって、野口さんの恋人って言われたらいやでしょ」
「元旦那の恋人って……。いやだわ」
 ないないと茉莉は右手を振る。
「ほら。わたしの気持ちだってわかるでしょ?」
「まあねえ」
「ピンポーン」
 呼び鈴が鳴った。この時間に来るのは、野口さんか、黒木さん。きょうはどっちだろう。
 桃花はいそいそと応答する。
「黒木です」
 ああ、黒木さんがきた。この記事のこと、知ってるかしら。大変申し訳ない。
「どうしたのかしら。最近よく黒木さん来るわよね」
 茉莉さんはのんきだ。黒木さん、がんばれ。
「いらっしゃい」
 茉莉さんがソファに座るよう黒木にすすめた。黒木はにこりと笑い、茉莉のそばにひざまずいた。
「僕が好きなのはあなたなんです! 信じてください」
 黒木は茉莉の両手を握った。
「黒木さん、窓開いているし、大きい声だから、外まで全部聞こえてます」
 桃花が茉莉と黒木に声をかける。茉莉の耳が赤くなっているのが見えた。
「ちょっと待った!」
 この声は野口さん。元旦那の登場だ。
 玄関の扉が開いて、野口さんも入ってきた。
玄関の扉を閉め忘れたようだ。ごめんなさい、茉莉さん。
桃花はあわてて鍵を閉めるようと立ち上がった。
「おまえねえ、ポッと出てきたくせに。茉莉の手を握るな。俺は二十年だ」
 どうやら外で黒木さんの告白が聞こえたみたい。黒木さんと野口さんと茉莉さんの修羅場になる?
「こんにちは。なんか盛り上がってるけど、どういうこと?」
 大樹がリビングに入ってきた。
あ、大樹くんはカギを開けたのか。びっくりした。
桃花は自分の過失でなかったので、ほっとする。
「面白いことになっているね」
大樹はニヤニヤしていた。
「大樹、なんとかして」
 茉莉が助けを求める。
「全然面白くないぞ」
 野口が機嫌が悪そうにつぶやいた。
「本当に、面白くないですよ」
 黒木が肩をすくめた。
「まあまあ。せっかくだからお茶にしませんか」
 桃花がブレイクを提案する。一同が揃ったのでお茶を出すことにした。
 結局、修羅場を中止することに成功。続きをしたいなら、ぜひわたしがいないところでやってもらいたい。ちょっとだけ覗いてみたいけどね。
 桃花はキッチンに立つ。
黒木が桃花に大きな箱を手渡した。
「これ、シュークリーム?」
「きょうのは僕が買ってきましたよ。彗星堂のチョコレートシュークリームです。きのうのシュークリームとは別のものですよ」
 茉莉と桃花は「ははは」と笑う。
「ほんと、シュークリームでとんだ目に遭いました」
「おまえはあっちとくっつけばいいのに」
 野口がつぶやく。
「まさか、勘弁してください。綾音とは何でもありませんから」
 黒木は嫌な顔をした。
「オンライン記事に黒木さんとわたしが恋人って記事が出るとは思わなかったです。すいません」
 桃花はとりあえず謝った。
「僕もです。びっくりしましたね」
 黒木さんと付き合う? いやいや、ないから。これ以上綾音先輩に嫌われたくないのに。推しの恋の邪魔までしちゃったら、ぜったい縁を切られそう。
 桃花は死んだ魚のような目だ。
「綾音が暴走していたら、本当に申し訳ない。小さい頃は素直で可愛い子だったんですけどね」
黒木は苦々しそうな顔をした。
「推しに嫌われる。どうしてこんなことに」
 桃花がつぶやいていると、
「たぶん、リークしたのは岸辺綾音でしょ。なんとか綾音の方に注目が行くようにしたいのよ。桃花が目立つから利用することにしたんじゃない? 片思いだった男性をヨーチューバーに取られて、失恋しちゃいましたって、どれくらい同情が集まるかわからないけど。面白いもの」
 茉莉が肩をすくめた。
「そうそう、桃花さん、目立つからね」
 大樹が器用に手で持ってかぶりつく。
「このシュークリーム、うまいですね」
大樹はチョコレートクリームをこぼさず、上手に口の中に納めていった。
「えええええ。目立ちますか?」
 桃花は困惑した声をだす。
 自分の格好を見回した。今日着ているのは、背中に刺繍が入ったシャンブレーシャツにロングスカートという出で立ちだ。刺繍は、ポップにデフォルメされている鯉が滝登りをしている、縁起のいい図柄だ。
「桃花が選ぶものはアクが強いしね」
 茉莉さんは肯く。
「だって、気持ちがあがるものを着たほうがいいでしょ。この鯉とか、すごいっておもいません?」
「そういう考えもあるけどね」
 大樹が苦笑いする。
「なんか生きているのがつらくなってきました。着るものだけで目立つとは、気が付かなかった。動画投稿やめようかな。茉莉さんのように暗号資産で儲けるのはどうですかね」
 桃花はうつろな目で茉莉に訴える。
「そうね、どうしてもやりたいなら、余剰金でやればいいと思うけど。株式投資や暗号資産の投資は思っているより大変よ? そんなにやりたいの?」
「言われてみると、自分で株式投資や暗号資産投資に全力は、向いてなさそうな気もします」
 桃花は自己分析する。
「やり方さえ覚えれば、誰でも投資はできるけどね。でも、儲かるとか、損するとかは個人のセンスや運が関係するわね」
 茉莉さんは目を細めた。
「そうですよね、ヨーチューブと同じですね」
 桃花も同意する。
 投資について勉強する時間がないのに、始めるのは危険だろう。いまは動画を配信することに専念すべきだ。
動画を撮影して、編集する。何人フォロワーになってくれたのか、動画は最後まで見てくれたのか。視聴者がどこのタイミングで離脱したのか。記録を確認し、自分のチャンネルの視聴者の癖をみていく。離脱箇所でどの話題が視聴者に受けなかったのか。刺さったのかが推測できる。
また、どんな企画が流行っているのか、流行りそうなのか、他のクリエイターさんの動画もチェックしないといけない。せめて人気トップテンのクリエイターさんの動画くらいはきちんと見ておきたい。
動画クリエイターはけっこう忙しいのである。
「そっちが落ち着いてきたら、投資すればいいわよ。それまでしっかり貯金しておいてね」
 茉莉が笑った。
「やっぱりわたしには動画投稿しかないんでしょうか」
「覚悟を決めるしかないわね。あとは大学での勉強かしら?」
茉莉が指摘する。
とりあえず大学卒業を目指そう。そして動画投稿、がんばろう。
桃花は決意した。

十六
アブラゼミの鳴き声が聞こえた。
桃花は辺りを見回すが、どこで鳴いているかわからなかった。今年初の蝉の声だ。
きょうは一限から授業がある。桃花は急いで校舎へ向かうと、綾音先輩の姿を見つけた。向こうも気が付いたようで桃花のほうへ歩いてくる。
「綾音先輩、朝からどうしたんですか」
「桃花を待っていたのよ」
「先輩はここの学生じゃないですよね」
「わかってるわ」
 岸辺綾音は肩をすくめた。
「でも、一般の人だって学食は使えるはずよ」
「まあ、そうですけど」
 岸辺綾音に気が付いた学生たちがひそひそとささやきながら通り過ぎる。
「あ、撮影はしないで。ごめんね、プライベートだから」
 綾音はウインクすると、男子学生は頬を染めて、スマホをしまった。
「席ですけど、外と中、どっちがいいですか?」
「中かな。涼しそうだし」
「あ、でも、綾音先輩は目立つかも。人目につかないなら、外かな」
芸能人がいると学生が集まりはじめていた。パニックが起きそうだ。
「では、外に行きましょう」
 綾音はにこりと笑った。