その日、親父はなんかの興が乗ったらしくて「帰宅が遅れます」との電話が、親父の付き人から連絡があった。
 敬一さんは夕方には帰ってしまっていたし、もうちょっと早くに連絡があればきっと敬一さんの事だから「桃くん一人では味気ないだろう」とか言って夕食まで付き合ってくれただろうに、全くタイミングが最悪だ。
 仕方が無く一人で食事をしていると、不意にモノスゴイ音が外から聞こえてきて、ビックリして窓の外を見るとカミナリと一緒に夕立が降り出していた。
 駅まで徒歩の敬一さんは、降り出す前に駅に着いていればいいけれど。
 でも今日もまた昼間はずいぶん暑かったから、この雨で少し涼しくなるのは嬉しい。
 僕は部屋に戻って、今日敬一さんに教わったところをちょっとだけ復習していた。
 しばらくして雨がやや小振りになった時、急に机の端に置いてあった携帯が鳴る。
 この着信音はバカ親父だ。

「どうしたの? 今日は帰ってこないんじゃなかったの?」
「うん、パパも今日は帰れないかなぁって思ってたんだけどね。カミナリ落っこったら機械動かなくなっちゃったの」
「じゃあ、さっさと帰ってきなよ」
「うん、そうしようと思ったんだけどね。今、乗り換えの途中で電車の中に傘忘れて来ちゃった」
「はぁ? 車じゃないの?」
「だってカミナリ怖いジャン」
「カミナリ怖いなら、携帯で電話すんな!」
「大丈夫、ホームとか出口とかじゃなくて、乗り換え途中の室内から掛けてるから」
「用件は?」
「だから、電車の中に傘忘れちゃったからさぁ、迎えにきてよ」
「ええ〜? めんどっちぃなぁ! 駅からタクシー乗ってきなよ」
「桃ちゃんに迎えにきて欲しいんだもん」

 全く!
 敬一さんや親父のお取り巻き連中は、親父が僕の事をモノスゴク大事に考えているなんて言うけど。
 誘拐だのカツアゲだのを心配している大人が、傘持たせて駅まで向かえにこさせるかフツー?
 しかし、親父がこの手の駄々をこね始めると、後はもう手の付けようがないコトを僕はよく知っている。

「んもう、めんどっちいなぁ! 何時頃着くの?」
「ん〜、電話してたら乗り換える電車が行っちゃったんで、次が10分後ぐらいでしょ。で、こっから乗って15分ぐらいだから、後30分弱ぐらいかな?」
「分かったよ。…も〜、あんまり世話焼かせないでよね!」
「駅前のスタバでコーヒー奢ってあげるから。早めに着いたら先に入って待ってなよ」

 なにかというと食い物で釣れると思われているような気がしなくもないけど。
 駅までの時間を考慮して、僕は出掛ける用意をした。

 僕が駅前に着いた時、カミナリはかなりスゴイ音をさせていたけれど、雨は全くと言っていいぐらい降っていなかった。
 こんなんなら、傘なんて全然いらないじゃないか! と思ったけど、来ちゃったのに帰るのも面倒だし、第一僕が帰った後に降り出したらバカ親父がクソうるさくまとわりついてくる事は容易に想像が付くので、諦めて親父に指定された通り駅前のスターバックスに入る。
 雨が降っていたらきっと満席だっただろうスタバは、カミナリがモノスゴイ音を出している分、みんなが早々に切り上げでもしたらしくて閑散としていた。
 ショートのラテを注文して、駅の出口付近が見渡せる窓際席に陣取る。
 カミナリが鳴っている時の外の様子と言うのは、見ていると面白い。
 特にこんな夕暮れ時から夜になろうって時間だと、世間の暗さが微妙な感じで、空が光った瞬間に薄暗い街中がパッと明るくなる。
 カミナリの閃光で照らし出された街並みは、なんだかいつもと全然違って見えたりして面白い。
 駅前のロータリーは、夕方って時間の所為か、なんとなく慌ただしく浮き足立ってるように見える。
 バス停には人が一杯並んでいるけど、スタバのあるロータリーのこっち側は自家用車の乗降所になっているので人影はほとんど無い。
 これまた雨が降っていたら大変な大盛況だったのかもしれないけど、雨が降ってないからタクシーもヒマそうだ。
 どうせ親父の事だから僕が探す必要もないぐらい、あっちが勝手に僕を見つけて飛びついてくるに決まっているから、僕はなんとなく目の前のロータリーを眺めていた。
 と、僕のほぼ正面になる位置に、派手なイタリア車が横付けされる。
 運転席のシルエットは後ろから車が来ない事を確認するように用心して扉を開けると、車の外に出てきた。
 そこで歩道に上がってきた男はやたら上背があって、一瞬橘イオリかと思ったけど。
 でも、ほとんど無表情みたいな橘イオリと違って、その男はムダにニコニコしている伊達男だった。
 というか僕はその男の顔にも、見覚えがあった。
 橘イオリ同様、敬一さんのところに度々現れる「後輩」の一人で、名前は確かゼンイン涼介とか言ったっけ。
 イヤだな、なんでこんな所でこんなヤツを見かけなきゃいけないんだろう?
 と思っていると、不意にゼンイン涼介が右手を挙げた。
 ゼンイン涼介の視線を追うと、スタバの隣にあるミスドを見ているっぽい。
 さほどの時間を置かずに、そっちから人影が現れた。
 駆け寄ってきた敬一さんを車の方にエスコートして、ゼンイン涼介は助手席の扉を開ける。
 次の瞬間、僕は目の前で起こった出来事が信じられなくて、思わず凍り付いてしまった。

「敬ちゃん、道ばたで派手なコトやってんなぁ!」

 僕が窓の外を見たまま凍り付いている時、僕の真後ろから声がする。
 振り返ると、親父がそこに立っていた。
 親父は、手に持っていたカップをテーブルに置いて、僕の隣にストンと腰を降ろす。
 僕が目線を窓の外に移すと、助手席の扉を閉めたゼンイン涼介が車を回り込んで、運転席に乗り込むところだった。
 敬一さんは僕に全く気付く事もなく、ゼンイン涼介が車のエンジンを掛けると伊達男の車はスウッとロータリーの流れに乗って僕の目の前からいなくなる。

「だから言ったじゃん、敬ちゃんは男と付き合ってるって。桃ちゃんは大きくなったと思ったけど、やっぱりまだまだ子供だなぁ」

 アイスのキャラメルマキアートは中身をまんべんなくグルグルにかき回されて、全体が均一なブラウンになる。
 親父はストローをくわえて、うちゅちゅ〜などと吸った後に僕の顔を見た。

「タクシー拾って、帰ろうか?」

 モノスゴク悔しいけど、どうにも涙が止まらなくなってしまった僕は、俯いたまま「うん」と頷くより他にどうしようもなかった。