ピアノの前に立つと椅子の高さを調節し、一旦座るともう一度調節をする。

座ってもう一度立ち上がり調節をすると納得の行った様子で椅子に浅く座ると膝の上に両手を揃えた。

 目線は真っすぐ前を向いている。

数秒が経過し、ゆっくりと滑らかに細く長い腕が動き出しその両手が鍵盤の上に乗せられた。

じっと見守る中、さらに数秒“来る”そう思ったと同時に指が動き出した。

 優しく穏やかな音色が会場を包み込む。

軽やかで麗らかな演奏は会場に漂い続けていた緊張感を一気に解いていく。

そこには青い空も眩しい陽光も緑の草原もないけれど岬さんの演奏がそんな場所へと連れて行ってくれる。

青い空の下、気持ちのいい風が通り抜ける。

太陽に照らされ鮮やかに輝く緑一色が目の前に広がる。

この会場にいる全員が岬さんの演奏によって目が覚める程鮮やかな緑に光り輝く草原へと到着すると大きく息を吸い込んだ。

 爽やかな空気に包まれる会場。

瑞樹の言う通り岬さんは他の出場者とは違った。

岬さんの演奏には聴衆をひとつにする魔法のような力があった。

わたしは思わず瑞樹に話し掛けた。

「瑞樹の言う通りだった。会場が一体化したっていうか、岬さんだけコンクールじゃなくてコンサートみたいだった」

独り言を言っていても可笑しいと思われない空気が今の会場にはあった。

「そうだね。岬の演奏は弾くことに必至じゃないから心地よく聴けるんだ。

みんなそうしたくてもなかなかできない、つい弾くことに一生懸命になってしまう」

「岬さんの演奏がわたしは一番素敵だったと思う」

「そうだね。審査結果も思った通りになると思うよ」

「岬さんが1位?」

「間違いなく」