─落花流水─キミの片隅より

 横並びにベッドに座るとわたしは理斗君に瑞樹の話をした。

「絵が完成したと同時に瑞樹は居なくなったんだ」

「そうか…」

「瑞樹のことは本当に大好きだった。

でもそれは理斗君を想う気持ちとは別の種類。

今は凄く寂しいけど、でも瑞樹は風になるって約束してくれたから」

「風?」

「わたしがバナナの皮を踏んで転ばないように」

少し考えた後に理斗君は「それはいい」と言って笑った。

わたしは理斗君の笑顔を見ながら詩のことを思い出していた。

「理斗君、ありがとうね」

「何が?」

「夢の中だけでも傍に居てやってって……瑞樹にお願いしてくれて」

理斗君は鼻で笑うとわたしから目を反らす。

きっとこんなことを言われたら照れ臭い訳で。

それでもわたしは思いを伝えずにはいられなかった。

「わたしはなつきの詩に何度も助けられた」

わたしの顔を見ると「あれは真琴が気の毒で書いた詩」と、よくわからないことを言う理斗君。

「どういうこと?」

理斗君は何か思い浮かべるような表情で話し始めた 

「公園で泣いていた子供に声を掛けたらお前、

その子にうるせぇとかあっち行けとか散々なこと言われて」

ずっと前にそんなことがあったのを思い出す。

「あっ、あった」

「最初は可笑しくて笑いそうになったんだけど、

どんなに酷いことを言われてもそいつを心配し続けるお前を見て、

こんな優しい人間が居たんだなって思った。

俺はあの時から真琴のことが気になり始めてた」

「えっ…」

「けど、学校でのお前は情けなくてポンコツで」

「だからあの時……」

「腹が立って黙っていられなかった」

初めてわたしに声を掛けてきた理斗君の開口一番はかなりきつかった。

『お前さ、見ていて腹立つ』

今、思い出しても胸がぎゅっとなる。

理斗君は「もう少し優しい言い方しろってな」そう言って笑うと話を戻した。

「結局最後、子供から何も出来ない癖にって走って行かれただろ」

「そうだった……」

「お前の優しさが行き場をなくして消えていくのが悲しかったのかもな。

子供には伝わらなかったけど、

誰かに伝わったらって。

それであれを投稿した。

それをまさかお前が見てたとは笑えるな」

 わたしはなつきの詩を思い浮かべた。

【君を救いたいのに
君に代わることも
その苦しみを半分もらうこともできない
だけど教えて、君が抱えているものを
聞かせて欲しいんだ
一緒に考えたいから】

 あの日公園で泣いていた男の子のTシャツは、

背中に引きずられたような茶色の汚れが付いていて、

首回りは酷く伸びていた。

きっといじめられたのだと思う。

彼がそのことを教えてくれたら何か出来ることがあると思った。

いじめた子に、いじめるなと言うことくらいしかできなかったかもしれないけど。

だから泣いている理由を聞いた。

教えてと何度も何度も言った。

でも、あの子に必要だったのはどうしたらそんな目に遭わないかを一緒に考えることだった。

あの時のわたしには気付けなかった。

理斗君はわたしの優しさが誰かに伝わればと言ったけど、

あれはやっぱり理斗君の言葉。

いつもわたしの心を温めてくれたなつきの詩。

そしてわたしは今、そのなつきと一緒に居る。

「理斗君……」

「ん?」

「なつきは理斗君なんだね。

わたしはあのなつきに会えたんだね。

ずっと会いたかったんだよ。

どんな人か知りたかった。

どんな顔をしてどんな声をしてどんなことを話すのか知りたかった。

そしたらなつきは理斗君だった。

わたしが想像していたなつきよりもずっとかっこいい人だった。

見た目も中身も声も全部」

「お前の想像のなつきに勝てて良かったよ」

少しつっけんどんにそう話すとわたしを抱きしめる理斗君。

そして耳に届く切ない声。

「やっと、片想いじゃなくなった……」

弱々しい響きが胸の奥深くまで浸透していく。

 わたしもずっとなつきに片想いをしていて、

でもずっと前からわたし達は両想いだった。

 あの、わたしをときめかせる字を書く夏君も、

いつも心を温めてくれたなつきも、

1人の人だった。 

そしてわたしは今、その人の腕の中でその鼓動を感じている。

「理斗君……大好き」

「その気持ち、間違いなく俺の方が上」

 静かな夜がわたし達の心をゆっくりと満たしていった。
 朝起きるとベッドの上で今日買うものをスマホにメモした。

明日はちひろと瑞樹の誕生日。

ケーキを2つ作って中庭で誕生日会をすることになっている。

 ベッドから出るとテーブルの上のスケッチブックを捲った。

ふわふわとした可愛いクマはいかにもちひろ好みだ。

この絵を描いている瑞樹の姿が頭に浮かぶ。

ちひろに絵を渡せる日が来るのを信じて描き続けていた瑞樹。

きっとちひろが喜ぶ顔を思い浮かべて描いていたのだと思う。

わたしが瑞樹の為にできる最後の役目を今日、果たそうと思う。
 夜、わたしはスケッチブックを持ってカウンターテーブルでスマホを見ているちひろの隣に座った。

「ちひろ、ちょっといい?」

ちひろはスマホをテーブルに置くとスケッチブックに目を向ける。

「あのね、このスケッチブックなんだけど、これはね」

「真琴から僕に絵のプレゼントとか?」

「ううん、わたしからじゃなくて……えっと、驚かないで聞いて欲しいんだけど」

前置きをしても意味がないことはわかっている。

「うん」

「瑞樹からなの」

ちひろの丸い目が大きく見開く。

「えっ…どういうこと?だって真琴は瑞樹のこと知らないんじゃなかったの?」

「そうだったんだけど」

「僕に隠してたってこと?」

「ん~と…」

ちひろの質問は止まらない。

答えを聞く気があるのかないのか質問は次々と飛んでくる。

「どうして知り合いなら知り合いだって言ってくれなかったの?

じゃあ瑞樹が死んじゃったことも知っていたってこと?」

「その時はまだって言うか…」

「まだって何?じゃあ瑞樹とはいつ知り合いになったの?」

わたしはちひろの手首を掴んだ。

「ちょっと待ってちひろ、話を聞いてくれる?」

ちひろはハッとしたように目を見開くと、肩の力を抜いた。




「ごめん真琴、今からちゃんと話聞くね」

わたしはちひろから手を離した。

「わたしが瑞樹と出会ったのは……」

おとなしくなったちひろの目は不安に揺れている。

「うん……」

「瑞樹が死んだ後なの。信じられないかもしれないけど、本当のこと」

ちひろは瞼を上げ息を呑むと「真琴は嘘を言わないよ」そう言って話を続きを待った。

 テーブルの上に乗せられたちひろの小さな2つの手は固く握り込まれている。

緊張している。

落ち着いた声で話すことを意識した。

「このスケッチブックは瑞樹からちひろへのプレゼントで、中にはクマの絵がたくさん描いてある」

「ずっと前に僕が瑞樹にお願いしたんだ。

クマの絵を描いてって。

瑞樹は本当に描いてくれてたんだ……」

「だけど、完成する頃には渡せるような関係じゃなくなってしまって、

でも瑞樹は暇があればクマの絵を描いていたの」

「いつか僕にプレゼントする為に……」

「うん」

ちひろはスケッチブックをゆっくり捲るとパッと目を見開く。

捲る度に輝きが増す目からはやがて涙が流れ、何度も何度も手で拭きながらスケッチブックを捲る。

最後のページ、ちひろはみんなで雪だるまを作るクマの絵を見てにこっと笑うとスケッチブックを閉じてうつむいた。

「もう瑞樹は居ないんだね、わかるよ僕」

小さな虫のように背中を震わせ消え入りそうな声で話すちひろ。

そして不思議なことを言う。

「僕達は生まれてくる前お腹の中でずっと一緒だったんだ。

僕は瑞樹が居るから暗くでも怖くなかったし寂しくなかった。

でも、生まれる時瑞樹と引き離されて怖くて寂しくて僕は大声で泣いたんだ。

今は、その時と同じ気持ち」

ちひろの話は神秘的な事実だった。

 わたしはこれまでのことをゆっくりと時間を掛けてちひろに話した。

瑞樹と初めて会った日のこと、岬さんへの思い、

みんなで中庭でご飯を食べた夜に瑞樹もそこに居たこと、

わたしにしか瑞樹の姿は見えないこと。

ちひろの言葉を気にしていないこと、

ちひろを大切に思っていること。

思い出せることは全部話した。

話が終わるとずっと黙って聞いていたちひろが呟く。

「どうして真琴……僕もっと瑞樹に話したいことあったよ、

何で瑞樹が居る時に教えてくれなかったの?」

「ごめん……瑞樹が言わないで欲しいって……」

 あの日わたしもちひろに瑞樹が居ることを言いたかった。

でも、瑞樹がそれを止めた。

わたしは瑞樹の気持ちを優先した。

けど……どっちが正しかったんだろう。

わたしは間違ってしまったのかもしれない。

両手で何度も何度も目を擦るちひろ。

目の前のちひろがこんなに悲しんでいるのだからやっぱりわたしは間違っていたんだ……。
「それでも僕は瑞樹が居ること教えて欲しかった!!」

突然大きな声を上げるちひろをどうなだめていいかわからない。

「ごめんちひろ……」

「ずるいよ真琴ばっかり!!」

大粒の涙を流すちひろを見て何とかしなきゃと焦っていると理斗君の声が聞こえてきた。

「そんなに真琴を責めんなよちひろ」

いつの間にかリビングのソファーに座っていた理斗君。

ちひろは涙を拭き取るとくるりと椅子を回転させ怒りの矛先を理斗君に向けた。

「僕の方が年上なんだよ、命令しないで」

「あぁ、それは悪かったな」

「理斗も瑞樹のこと知ってたんだね。そこで話聞いてたのに全然驚いてないもん。

ひどいよ真琴、理斗には教えて僕には教えないなんて」

何も言えないでいると理斗君が話をしてくれた。

「俺はたまたま気付いてしまっただけ」

「僕が鈍いみたいに!」

「お前は瑞樹が居るのを感じてただろ」

ほんの少しの間沈黙となり、理斗君が静かに話し始めた。

「中庭で夕食を食べた日、あの場に瑞樹も居たんだからちひろの気持ちは十分伝わってるよ」

「でも僕は瑞樹が居るって知ってたらもっと話したいことがあったよ。

いっぱいあった。瑞樹の話も聞きたかった。

晴と葵だってそうだよ、瑞樹が居るって知ってたら話したかった筈だよ」

「だから瑞樹は真琴に口止めしたんだよ。そんなことをしたら……お前らと別れるのが辛くなるから」

 理斗君の言葉にはっとした。

別れが辛くなるから、だから瑞樹は……。

自分が居ることを知ったらみんなが怖がると瑞樹は話していたけど、

本当の理由はきっと理斗君が今、言ったこと。

ちひろは理斗君に背中を向けると「やっぱり僕は理斗のことが嫌いだよ……」

そう言ってカウンターに突っ伏すと「だって僕のことお前って呼ぶから」と言って甲羅に入った亀のように動かなくなる。

理斗君は口をへの字にすると立ち上がり“何とかしてやれ”と言うようにわたしに向かって顎を突き上げると部屋を出て行った。