「悲しくなかったんだ……」

ちひろが呟く。しがみついていたその手の力は緩んだけれど、顔はまだわたしの胸にうずくまったまま。

わたしはちひろの背中にトントンと触れていた。

「瑞樹が……双子の兄が死んだって聞いた時、僕は悲しくなかったんだ」

またしばらくの間虫達の声だけが辺りに響く。

ちひろはわたしの胸からゆっくりと顔を上げると遠くを見た。

月明かりに照らされた川面がいびつに揺れている。

「双子なのに僕と瑞樹は全然違うの。

瑞樹は楽器が弾けて勉強ができて顔が整っていて背だって僕よりもずっと高いんだよ、それに絵も上手だった。

僕が何年頑張ってもできないことを瑞樹は数ヵ月でやれてしまうんだ。

僕は瑞樹から全部奪われている気持ちになった。

両親の愛も期待も……好きな女の子も……」

わたしは黙ったまま、ただちひろの話にうなずいていた。

「小さい頃からずっとそうなんだ。

僕が好きになる子はみんな瑞樹を好きになっちゃうの。

それまでは僕と仲良しだったのに、瑞樹に会うとみんな瑞樹を好きになるんだ。

でも、瑞樹には好きな子が居たから誰も瑞樹と結ばれることはなかった」

岬さんのことだ……。

ちひろは「真琴、僕はね」と話を続ける。

「もう瑞樹は居ないのに今でも好きな子が瑞樹に行っちゃう気がして不安になったりするんだよ」

 ちひろは線香花火に火を付ける。

無言で渡された花火を手に取るとその光をじっと見つめた。

 またひとつ知らなかったちひろを知った。

瑞樹に対してそんな気持ちがあったことも、好きな子が居ることも。

 何でもできる瑞樹に感じていたちひろの劣等感は、突然の兄弟の死という悲しみさえも奪うほど大きいものだった。

そしてそれは今でも続いているようだった。

まだ瑞樹が生きていると思っているみたいに。