川縁に腰を下ろし、なんとなく膝を抱える。
 8月上旬で夏真っ盛りということもあり、チャリから降りてからというもの頭や額から汗が止まらない。一応水辺だというのに一滴たりとも涼やかさを感じさせない昨今の夏という季節に、俺は改めて辟易していた。 
 ブルブルとケツから伝わる振動の元を手に取り、それを軽く耳に当てる。
 いつもならBluetoothイヤホンを繋げているけど、実家に泊まる荷物に入れてくるのを忘れてしまったのだ。

「あい」
『兄ちゃんどこ行ってんの? 母さん怒ってんだけど』
「はあ? ただの散歩だよ」
『オレのチャリ使ったでしょ。母さんそれで買い物行くつもりだったみたい』
「げ」
『めんどいから早く帰ってきてよ。あと勉強教えてって言ったじゃん。起きたらいないの困る」
「はいはい」

 まだ来たばっかりなのにという反論は喉の奥にしまい込んで弟からの通話を切り、立ち上がる。
 あれから何年経っただろうか。
 俺は自他共に大人と呼ばれる年齢になり、あの頃幼かった年の離れた弟が中3になった。
 ……あれから、彼女とは一度も会っていない。
 翌日にここへ来てもいなくて、新学期に入ってから何度か来てみてもいなくて、雪が積もる季節になってもいなかった。
 いないことを確かめるのも怖くなった俺は、しばらくここを避けるようになって──それでも、高3の進路を決める際には自然と来てしまったこともある。
 心が立ち止まりそうになるたび、あの笑顔に会いたくなった。

「……『人からも自分からも離れて見ること』。けっこう、できるようになったんだけどな」

 声を落としてみても、あの笑い声が聞こえることはない。
 彼女の言葉の意味を自分なりに解釈して、少しずつ年月を重ねてきた。
 良い意味で、俺は想像力を止めた。 
 先回りをやめた。
 目の前の人を、自分を、俯瞰から見る機会を意識的に増やしてきた。
 数年後を見れないなら、明日の──1ヶ月後の自分についてちょっと考えてみた。
 ……だいぶ、楽になれたと思う。
 まあ、高校時代は今でも全部クズな青春だったと思うけど。
 そして何より──

「……遥さんに会えたのが、一番の青春だったかも」

 たった2日間、数時間に満たない時間しか過ごしていない。
 それが俺のすべてを変えたと言っても過言ではない。 
 ──ブブブ、ブブブ。
 またケツから振動が伝わってきた。どうせ母からだろうから、無視をしておく。家に帰っている途中だったと言えば何の問題もないだろう。
(ったく、ちょーっと思い出に浸ってだけだっつうのに……)
 ざりざりと川縁の草を踏みしめながらチャリに向かい、それに跨る。
 まさに悩める青春真っ盛りの弟の勉強も見ないといけないし、話も聞かないと──と考えていたら、思わずにやけてしまった。
 今の俺が弟にしてることは、あの頃の彼女と少し似ているかもしれない。
 人生のセンパイの姿を、俺はいつまで経っても彼女の笑顔に見ている。

「なるほどね。今ならわかるよ、……遥さん」

 呟きながら右足をペダルにかけ、大きく踏み込む。
 一瞬だけ後ろを振り返ってみると、あの日の俺と遥さんが見えた気がした。








了.