……遥さんが、何をしていたか?
 そんなの「俺と見つめ合っていた」としか答えようがない。でもそれがバカみたいなというか恥ずかしい答えに思えて、また勝手に顔が熱くなっていく。
 言おうか言わまいか迷っているうちに、彼女の唇の端がニィッとあがった。

「ブブー。時間切れー」
「えっ待っ」
「じゃあなーに?」
「ッ……え、っと…………俺を……見てました……」

 言葉にすると本当にバカみたいに恥ずかしくて、彼女の目を見ないまま答える。
 2秒、もしくは3秒、いやそれ以上に感じた沈黙のあと、悪戯っぽく「ごめんね」と聞こえた。その言葉に視線を彼女へ戻すと、少し困ったような笑顔で重ねる。

「ごめんね。恥ずかしがらせちゃった」
「だっ……」
「しかもハズレ。ブブー」
「がっ……」

 もはや呻きしか出ない。
 いっそのこと殺してくれと膝を抱えて顔を突っ伏した俺に、「ごめんね」ともう一度言う。

「正解はね、少年の参考書を受け取ってた」
「いやあの謝られると余計……つか、え?」

 顔を上げる。

「ちなみに正解はね、少年の参考書を受け取ってた」
「へ?」
 
 さんかく座りを崩して両手を広げる。
 言われた通り、確かに持っていたはずの参考書が彼女の手に渡っていた。気づかなかった。
 というかそもそも膝を抱えた時点で手元がカラだったことに気づいてすらなかった。その姿勢は、参考書を持ったままだとできるはずがなかったのに。

「あっ、スリとか窃盗なんてしたことないからね」
「んなこと思ってはないすけど……」

 謎の方向性から自己弁護に走る彼女に小さく笑いながらも、今の流れの意味を反芻する。
 遥さんは一体どうしてこんなことを──

「今の少年はこういう状態なんだよって、わかりやすくしたくてさ」
「え?」
「目の前しか見てない。というか見えてない。細かいところまで見えるのはいいことだけど、近すぎると見えないことっていっぱいあるじゃん?」
「それは……」

 なんとなく自覚はあった。
 周りの皆が勉強や部活や恋愛に励めるのは、「先」を見ているからだ。
 希望の進学先に進みたい。全国大会に出たい。結果を出して進学に有利になりたい。彼女ともっとイチャイチャしたい。キス以上のことをしたい。真剣さは皆違ったかたちだろうが、全部全部、「先」を考えてる。
 でも俺には、それがない。
 将来に希望を持ったとして、それが絶たれたら? 好きな人ができてもうまくいかなかったら? 部活だって、どんだけ真剣になったところで、何も残らなかったらそれまでの時間が全部無駄になるし。
 なのに、皆どうしてそんなに夢中になれるんだろう?
 疑問だったし、眩しかった。
 自分がなれないくせにどっかで羨ましがって、それなのに自分の青春はクズとか言い切る。つまりそれは、

「……俺は自分で青春をクズにしてるってことっすよね」
「え。違うけど」
「は? や、今の流れ的にそういう……」
「少年はさ、もうちょっと離れたところから自分のこと見たらいいよ。さっきみたいにね」
「え……意味わかんないんすけど」
「わかんなくてもいいよ。答えを教えたいわけじゃないから。ていうか答えとかないし」
「えぇー……」
「そもそも『青春』ってさ、青年時代のことを指したりもするわけ。わかる? 青年時代。調べてみなよ」
「え、学生時代じゃないんすか」
「違うんだなーこれが」

 立ち上がり、腰元からケツについた草を手で払った遥さんは、「お説教おしまい」と笑う。
 この場がお開きになりそうな気配を感じた俺は慌てて立ち上がり、思わず伸ばしかけた手を──引っ込めた。さく、さく、というあ軽やかな足音に続いてまもなく、彼女は俺のチャリの前で歩みを止める。
 そして俺へ振り返ると、にっこり笑いかけてきた。
(……え、帰れってこと……?)

「うん」
「いやマジで超能力じゃないすか」
「少年がわかりやすいだけだよ。これ、素直って褒めてるからね。生きるのに大事なことだよ」
「…………」
「はい、じゃあおうちにお帰り」
「……ガキじゃないんすけど……」
「って思ってるうちはガキだよ」

 初対面から気づいてたけど、この人は笑顔のまま刺してくる。
 ぶっちゃけ、正論をぶつけてくる人は苦手だ。世の中正論じゃ済まないのにって、ムカついてくる。
 それなのになんでだろう。遥さんに言われると、あぁその通りだなと思ってしまう。
 俺は黙ってチャリに乗り、右足をペダルにかけた。

「じゃあね少年。わざわざ謝ってくれてありがとう」
「や、それは別に……」
「キミはあとほんの少し、『人からも自分からも離れて見ること』を覚えるといいね」
「……うす」
「あははっ、ホントに説教になっちゃった。ごめんね。でもなんかね、キミみたいな子見ると放っておけないんだ」
「……そうなんすか」
「うん。少年もきっと、何年後かにわかるよ」
「……はい」

 うんうんと頷いた遥さんは、それ以上何も言わなくなった。
 元々間をもたせるのが苦手な俺は、誤魔化すようにもう一度軽く頭を下げてペダルを漕ぎ始める。ちらりと後ろを見遣ってみると、俺を見送ってくれているらしい彼女と目が合った。小さく手を振られて、顔をぱっと戻してしまう。
 一瞬のことだったのに、すぐそばにある川に反射した陽の光のせいなのか、遥さんが妙にきらきらして見えた。