遥さんの背後には、川の向こう側の景色が広がっている。
 とはいっても、団地の集合体やサッカー場があるだけで背の高いビルなんか何ひとつない。だから空もよく見える。入道雲が風に流されていく。
 遥さん越しにそれらを目で追っていたら、ふっと息を吐いたような笑い声で我に返った。

「おしまい?」
「あ、はい。……終わり、です。すんません、長々と……」

 喉がカラカラになるまで話し尽くしてしまっていた。
 半分以上なくなったペットボトルを引き寄せて、改めて喉を潤す。
 この周囲には時計がなく、そういえばスマホを見ていない。カバンに入れっぱなしだ。
 時間を確認する術がなくとも、俺たちを陽射しから守っている日陰の角度で何となく時間の経過を察した。
 遥さんは「ううん」と言いながら髪をさらさらと揺らすと、額から喉元へ流れる汗をタオルで拭う。
 その時、ふと気づいた。
 こんなに暑いのに、彼女のトップスは七分袖だということに。
(……まあ女の人はオシャレのために色々我慢するっていうから……や、でもさすがに暑そうな)

「暑いよ?」
「ぅえっ?」

 本当に超能力でも使ってるんじゃないかとビビる俺を見て「あははっ」と笑った遥さんは、少し俯いて、初めて見る顔で笑う。

「ごめんねー、見てるだけで暑いよね。これはねぇ、なんて言うの? 周りを不快にさせないためなんだ」

 そして、右手で左肘の袖をすっと上にあげる。
 言葉が出なかった。
 ドラマとか映画でしか見たことのない状態になった腕が、そこにあったから。
 すぐに袖は下ろされて、遥さんはまた笑う。「ごめんね」と、まるでイタズラがバレたガキみたいな顔をして。

「や……でも、なんか、すんません」
「えぇ? なんで? 勝手に見せたんだから、キミが謝ることないよ」
「そうじゃなくて……なんか、俺……自分がすげぇ甘えてんだなって、思わされたっつか……」
「ええ? 何が? どこが?」
「おねーさ……遥さんからしたら、俺の話ってただのガキの甘えっつか……」

 率直に言えば、恥ずかしくなったのだ。
 今思い出した。遥さんの腕、あれは火傷とか、そういうのの痕だ。ケロイドっていうやつ。
 肌が引き攣れて、角度によってはテロテロと光っているように見えた。それを『周りを不快にさせないために』と、七分袖で隠しているのだ。こんなに暑いのに。30℃を超えるのが当たり前の夏に。
 あんなものを身体に残すほどの目に遭ってもこんなに明るく元気に生きているように見えるのに、俺がさっきまで話していたことなんか、狭すぎる世界の中でひとり拗ねているだけでしかない。
 そう思うと、恥ずかしくて仕方なくなった。

「マジですんませんした」

 居た堪れなくなり、思いきり立ち上がる。
 普通に対峙していることが信じられないくらい恥ずかしくて、遥さんの顔が見れない。

「えっちょっと、まだ話は」

 引き止める彼女の声と同時に、ザリザリと俺へ近づいてくる足音が続く。
 俺はそれを背中に受けてチャリに乗りこみ、その場から逃げ出してしまった。