確定すると
面会は月に1回になる。
確定したのが、月の中頃だったので
その月は、もう一度面会することが出来た。
時間も30分になる。
受刑者になると家族しか面会できない。
私は家族ではないが、「内妻」として
元夫が登録していたので
面会することが出来た。
面会の申し込み表に関係を書く欄があり、
今までは友人と書いていたのだが
「内妻」と書く。
それだけでも嬉しかった。
面会に行くと
今までは普段着だった元夫の姿は
作業着に変わっていた…
翌月も面会に行った。
たった30分の面会。
帰りは本当に寂しくなる。
私は、寂しさを埋めるためとお金を稼ぐため
近くのスーパーの中の
靴屋さんでアルバイトを始めた。
その翌月、バイトが休みの時に
面会に行き、いつも通り受付で名前を書いて出すと
少しして受付の人に呼ばれた。
「もう刑務所に移ったらしい」
「何処に行ったんですか」
「それは、教えることは出来ないんだよ」
毎日面会に行っていたから
受付の人とは仲良くなっていたので
頼み込んでみた。
そしたら、「内緒だけど隣の県に行ったよ」
と教えてくれた。
たまたま、その日は田舎から戻っていた親友と
面会に行っていたので
その足で一緒に行くことにした。
電車で隣の県まで行った。
まず、場所が分からない…
本当は知っているんだけど…
親友の手前、知らない振りをした。
スマホがあれば、行きかたなんてすぐわかるのに…
と思ったが、この時代にそんな物はない。
駅を降りて
すぐそばにある派出所に行った。
「〇〇刑務所はどうやったら行けるのですか」
恥ずかしかったけど…
丁寧に教えてくれた。
そして…
辿り着いた2度目の人生、初めての刑務所。
親友には入口の待合室で待って貰い
私だけ中に入った。
受付をして
暫くして名前を呼ばれ
面会室に入ると
そこは小さな部屋に
机と椅子があるだけ
拘置所みたいに真ん中に遮る物がなかった。
そばには、やっぱり刑務官の人がいるけれど
話をしながら手を握ることもできる。
古い刑務所だからだろう。
本来なら、本人が手紙を出して
移ったことを知らせるようになっていたので
元夫は驚いていた。
たった30分の面会なのだが
その日は親友に話を聞いて貰い、ウキウキして帰った。
それから、バイトが休みの日に
月に1回、面会に行く生活が始まった。
手紙もできるだけ書いて出した。
ある日、面会に行って
刑務官の人に「時間だぞ」
と言われて、立った瞬間
元夫がキスして来た。
びっくりしたけど…
嬉しくて
一人でニヤニヤしながら帰った…
その時は、元夫を愛していたから
1度目の人生の時も
すごく嬉しかったのを覚えている。
その日はバレなかったけど
次の面会の時には見つかってしまい
後で、刑務官の人にめちゃくちゃ
怒られたって言ってたな…
もうするなと注意されたと…
普通なら懲罰ものだけど
許して貰ったと言っていたことを思い出した。
その後、級があがると
面会は月2回になり…
真面目につとめていた元夫は
外の養豚場に作業に行くようになったので
平日の面会が出来なくったとして
異例だが、日曜が面会時間となった。
日曜日もバイトがあったので
午前中休みを貰い、面会をした後で
バイトに出るという生活を続け
数か月した頃…
元夫の父から連絡があった。
元夫の父からの連絡
元夫の父が身元引受人になっていたので
出所の日が決まったと通知があったとのことだった。
1か月後に出所してくる…
出会って5か月で離れ離れになって
1年半後、やっと自由の身になって帰ってくる。
満期から1か月前に仮出所となった。
私は元夫の両親と迎えに行った。
本当に本当に嬉しかった…
これも分かっていることなんだけど…
しかも、これからが大変なのも分かっている。
何とも複雑だったけれど…
抗うしかなかった。
私、17歳。元夫24歳。
仮出所で出ると、まず行かなければいけないのが
検察庁…
担当の検察官に会って面談をする。
そして、保護観察官の人に会うのだ。
満期まで保護観察官の人と定期的に会わなければいけない。
それを済ませると
やっと二人きりになった…
その日は二人の時間を過ごし…幸せだった。
元夫は、もともと所属していた某右翼団体に戻った。
その頃、私の家は兄の彼女が一緒に暮らすようになっていて
私は、兄の彼女と仲が悪く
私が家のことをしないと、すぐ兄に言いつけられ
ひどい時は兄に怒られ、気が付くと
まな板等で殴られたこともあった。
だから…家にいるのが嫌だった私は
元夫の家に泊まって、帰らなくなっていた。
そのうち、元夫の家も居づらくなり…
元夫の家を出て、同棲することにした。
某右翼団体では、他の仕事を始めていたので
それを手伝う名目で、一緒に事務所に行き過ごしていた。
それから数か月して
妊娠したことに気が付いた。
けれど、私はそれに気が付かず
風邪薬を飲んでいたのだ。
風邪薬の内容を書いてもらい
産婦人科に持って行って診察してもらった。
「奇形の子どもが生まれる確率はある。奇形の内容にもよるが
指が多い場合は切り取れば良いけれど、少ない場合はどうしようもない。
奇形が出ない場合もある。生まれてみないと分からない。
よく考えて決めて下さい」
と言われた。
元夫と泣きながら話し合って…
産むことにした。
結果は分かっているから私に産まないという選択はない。
長男に会えない人生は考えられない。
絶対に産む。
それから、入籍をした。
長男は、思った通り
五体満足で生まれて来た。
ただ、子どもに黄疸が出ていたので
退院は遅くなったけれど…
無事に退院して、子どもと過ごす日々…
幸せだった。
元夫は、某右翼団体に行かなくなって
暴力団の人と付き合うようになっていた。
いつの間にか、暴力団に入っていて
若い子も家に出入りするようになり
私は、いつの間にか「姉さん」と呼ばれるようになっていた。
元夫は刺青は入れなかったが
刺青の彫士の夫婦が暫く泊まっていることもあり
目の前で刺青を彫るのを見ることもあった。
家の中は、どんどん変な雰囲気になっていった。
長男はすくすくと育っていった。
安い所に引っ越しをて環境が変わると思ったが
変わらなかった。
ある日
元夫が「暴力団のオヤジの元から逃げたい」
と言い出した。
何があったのか分からないが…
私たちは荷物を車に詰め込み
後のことも考えず、家を出た。
私19歳。元夫26歳。長男1歳半。
これから、私たちがどうなるかも
分かっている。
それでも、私は「あの人」に会うまで
耐えるしか道はなかった…
逃げ出した私たちは
元夫の兄がいる四国へ行った。
兄の家に1日だけ泊まらせてもらい
翌日からは、元夫の田舎へ行った。
そこで叔父や叔母に会い
数日、そこで過ごした。
持っていたお金も底をつき
私の父に頼むため電話をすると
後に結婚した、兄嫁が電話に出た。
様子を聞いてみると…
元夫がいた暴力団のオヤジが
何度も訪ねて来たという。
兄嫁は妊娠しており…
後で、怨みつらみを言われたことを思いだしながら
「ごめん」とひたすら謝った。
父に電話を代わってもらい
お金を電子為替で送ってもらうように頼んだ。
父はブツブツ言いながらも送ってくれた。
私の父は、放任主義というか…
私の行動を止めたことがない。
どう思っていたのかは分からないが…
困った時は助けてくれる、そんな人だった。
それから私たちは
車で移動しながら求人誌を見て
住み込みが出来るところを探した。
そして、三重県のパチンコ屋で仕事をすることになった。
長男を見るため交代で働いた。
元夫はホール、私はカウンターで働いた。
しかし、そこも合わず
給料を貰ったあとで逃げだした…
また求人誌を見ながら放浪し…
兵庫県の養鶏場に落ち着いた。
社宅があり、元夫は1日働いて
私は、長男と一緒に玉子を集める仕事をした。
生活も落ち着きつつあり、私は安心していた。
そのうち、元夫の免許の更新が近づいたので
元夫だけ、故郷へ帰ることになった。
その日に戻るはずだった元夫は
戻ってこなかった…
翌日には戻って来て
新幹線に乗り遅れたと言っていたけれど…
怪しかった。
それから、暫くして
ある日、3人で故郷へ帰ることにした。
故郷の駅に着いた元夫は
「行きたいところがある」
といい、繁華街に向かった。
そこで、「人と会うからここで待ってて」
と言われ、私と長男は待っていた。
なかなか戻って来ないので心配していると
そこに現れたのは、知らないおじさん…
「お父ちゃん、また悪いことしてるわ」
「今、逮捕したから」
それは刑事さんだった。
私は頭が真っ白になった…
やっぱり、同じことが起きるんだ…
私が止めたとしても元夫は、同じことをしたのだろう。
分かっていてもショックで…
実家に戻ることも出来ず…
その日は、高校の時の友達に電話をして
迎えに来て貰い泊まった。
朝、目が覚めて…
夢じゃないかと思ったけれど…
やっぱり、現実だった。
元夫、二度目の逮捕。
覚せい剤を買いに行ったところを捕まったらしい。
覚せい剤所持。
私は、実家に連絡をし
実家に帰らせてもらうことにした。
数か月に及ぶ、逃避行は終わった…
私は21歳になっていた。
警察署で事情聴取を受けたり…
養鶏場に連絡をして、兄と一緒に
荷物を取りに行ったり…
絶望の中でも、ゆっくりはさせてくれなかった…
警察署にいる間は接見禁止
拘置所に移った元夫は
面会に来て欲しいと
手紙を出して来た。
面会に行くと
待って欲しい
もうしない
今度こそ止めると言う。
手紙にも、それを書いてくる。
ここで離婚すれば…
私は、これからも苦労するであろう
人生から解放される。
1回目の人生で、どれほどそれを望んだことか…
長男はまだ2歳で
これから一人で生きられるのだろうか…
しかし、その選択をすれば
未来は変わってしまう…
「あの人」には会えない。
私が過ごしていた未来は
今どうなっているのだろう。
私は死んだのかもしれないな…
「あの人」は、今どうしているのだろうか…
「あの人」は、私より6歳年下…
「あの人」はまだ、15歳か…
その頃、どこに住んでいたのかも分からない。
たとえ会いに行ったとしても…
私と「あの人」が愛し合うのは
今ではない。
考えても答えは1つしかなかった…
私は、待つという選択をした。
長男を連れて面会に行くのは嫌だったので
兄嫁に見て貰い、面会に行った。
裁判で、証人出廷もした。
また「被告人が悪いことをしていたことに
気付かなかったあなたが、再犯しないように
見ることは出来るんですか」
とキツイことを色々言われたけれど…
耐えるしかなかった。
判決は1年。
それから離婚をした。
母子家庭の手当を貰うには
拘禁では、1年過ぎてからしか貰えない。
だから、離婚して内妻で面会に行った。
仕事は、兄嫁と交代で行くことにした。
朝から夕方までは、私が長男と甥っ子を見て
夕方からは兄嫁に長男を見て貰って
居酒屋で働いた。
そこで、私は少しだけ恋をする。
16歳の見習いの男の子に
誘われて、遊びに行ったりしたが
ただ「あの人」を思いだすだけだった…
彼には彼女もいたけど
年上の私に興味をもっていただけなのだろう…
彼女は店の古株のお姉さんの娘だったし…
それ以上、何もおきなかった。
刑務所は隣の県でも、バスで4時間かかる。
めったに行けないが
日帰りで4時間かけて会いに行った。
4時間かけて行っても
会えるのは
たった30分。
そして、また4時間かけて帰る。
手紙は毎日書いた。
書くことがないから
日記のような手紙…
長男の成長の写真を一緒に添えて…
1年後、元夫は出所した。
いきなり、本人から電話があって出所を知った。
今回は、引き受け人なし。
私は実家にいるから
引き受け人にはなれなかったのだ。
そんな人のために
保護会というものがあり
そこに帰ることが出来る。
ただし、仮出所で出ても満期までは
そこで過ごさなければいけない。
1回目の人生は、嬉しかったのだけれど…
今回は複雑だった。
私の気持ちも大人になりつつあった…
元夫は、満期まで保護会にいなければいけない。
その間
元夫は、そこから仕事に行き
休みの前の日に
会いに来た。
会いに来たら
一緒にどこかに行き、安い宿に泊まる。
そして駅で別れる。
長男には、元夫がいない間も
「この人がお父さんよ」
と写真を見せていたので
すぐ、馴染んだ。
だから、帰る時になったら
「お父ちゃん~帰らないで~」
と毎回、泣いていた。
それを見ると…
待っていて良かったと思えた。
満期までお金を貯めて
一緒に暮らしてやり直そうと話し合った。
そして
満期を迎え、家族揃って
生活することになった。
元夫は近くの工場に働きに行った。
出かける時は、ベランダから
「お父ちゃん、行ってらっしゃい」
と声を掛けていた。
幸せな日々…
しかし、長くは続かなかった。
元夫は、腰が痛いなど
体調を理由に
仕事を休み…
ついには行かなくなった。
そして、刑務所で一緒だった人達と
つるむようになっていった。
刑務所で一緒だった人と
どうやって連絡を取るのかと
不思議だったけれど…
小さい紙に連絡先を小さい字で書き
それを、シャーペンの中に
しのばせていたのだ。
私は…
その努力を違うことに使えよ
と思うようになっていた。
そんな生活でも
長男は、元夫が帰って来ると
「お父ちゃん、お帰り~」と
嬉しそうにしている。
そんな長男の気持ちも知らずに
元夫は、毎日コソコソ何かをしていた。
そして、長男の4歳の誕生日会を実家で
開いてくれた日も、来ることはなかった。
これから起きる大きなことを
知りもしないで
元夫は、どんどん悪の道に進む。
私は、これからの事実を
元夫に伝えるかどうか悩んだ。
でも、なんて言う?
「あんた、もうすぐ捕まるからじっとしていて」
そんなの信じるわけない。
しかも、打ち明けるメリットは私にはない。
そうまでして、助けたって
元夫は…
悩んでいるうちに
その日は、やって来た。
いつかは分からなかったから
日々、過ごすしかなかった。
元夫は、刑務所仲間と出かけて行った。
数時間たってから、家の電話がなった。
これかもしれない
と思いながら電話に出る。
刑務所仲間からだった。
「元夫と質屋に行ったけど戻って来ない。捕まったのかも」
やっぱりね…
元夫は、免許書を偽造していた。
「知ってる」と思いながら
警察からの電話を待つ。
やはり、警察から電話がかかって来た。
公文書偽造同行使
覚せい剤使用
車の窃盗にも関与していた。
またも私は絶望する。
テレビや新聞でも報道される事件となった…
私は、慌てて荷物をまとめて
実家に帰らせて貰った。
分かっていても
辛いものは辛い…
私は、23歳になっていた。
「あの人」に会えるまで
あと、16年…
今回は、共犯者もいたので
警察にいる期間は長かった。
私は実家に戻り
また兄に手伝って貰い
住んでいたアパートをコソコソと
引き払った。
兄には嫌な思いもさせられたけど
お世話になりっぱなしだ…
今回の裁判は、長くかかった。
私は、証人出廷したが
やはり検事に
「なんで一緒にいて全く気付かなかったのですか」
と言われた。
気付かなかったと言ったが
1回目の人生でも薄々気付いていたのだ。
私は、元夫の様子がおかしいと感じると
こっそり鞄の中を見ていた。
鞄の中に注射器を見つけたこともある。
でも、その度に元夫は言い訳をしていた。
元夫は私に覚せい剤を勧めたことはなかった。
だいたいは夫婦ですることが多いらしい。
なぜか、元夫は私には絶対にしなかった。
警察に事情聴取に行くと
たいていの奥さんは、尿検査をしろと言われるらしい。
私は、それを言われたことはない。
警察の人も、私はやっていないと分かるのだろう。
女の人が覚せい剤をすると
持っている男を渡り歩くようになるらしい。
くずな男だったけれど
それだけは救いだった…
元夫は、またも待って欲しいと
泣きながら言う。
私が必要だと…
私は、なんとかこの人を立ち直らせたかった
この人は、私がいなくなったら
どうなるか分からないと思い込んでいた。
しかし、今回は罪状も沢山あり
何年になるか分からない…
1度目の人生の私は
待つ自信がなかったのを覚えている。
私は、実家の近くにアパートを借りた。
長男が入れる保育園を探し
その近くに仕事を見つけた。
当時は、土曜日も面会出来たので
月2回の土曜日の休みに面会に行った。
裁判の日は休ませて貰い
傍聴に行った。
判決は3年6か月
元夫は、長くなる懲役を延期させる目的も兼ねて
控訴したが、結果は棄却
その分、未決拘留の算定は少なくなった。
それから、つまらない毎日が始まった。
長男を保育園に連れて行き
仕事に行く。
仕事が終わると
長男を迎えに行き
一緒に帰る。
長男が寝ると手紙を書く。
そして、翌朝ポストに投函する。
そんな毎日…
唯一、楽しみだったのは
長男が保育園の散歩で
私の会社の前を通る時に
「おかあさーん」と叫ぶ
窓を開けて手を振ると
「おかあさん、仕事頑張ってねー」
と言ってくれた。
会社の人も容認してくれていて
長男が叫ぶと
「来たぞ」と言ってくれていた。
私は、週末になると実家に帰っていた。
でも、兄家族の幸せそうな姿を見るのは
正直、辛かった…
そして、1年が過ぎた頃
私のことが原因で
父と兄が大喧嘩をしてしまった。
兄は怒り、家を出ると言い
私に実家に戻るように言った。
私は、アパートを引き払い
実家に戻り、父と暮らすことになった。
それからの生活は
私の唯一の青春の日々となった。
私は、25歳になっていた…
「あの人」は、まだ19歳。
私の父は、兄たちと暮らしている時も
時々、飲みに連れて行ってくれた。
長男は兄嫁に見てくれるようにと
父から頼んでくれていた。
兄嫁も父から言われると断れなかったようだ。
父と暮らすようになってからは
「長男を見てやるから遊びに行ってこい」
と言ってくれて…
それからは、月に何度か
友達と飲みに行ったりした。
私は、みんなが車の免許を取って
遊んでいる頃、長男が生まれていたので
一緒に遊ぶことが出来なかった。
だからか…
その頃はそれが楽しくて仕方なかった。
父は、毎朝私と長男を保育園まで送ってくれて
帰りも、私が長男を迎えに行った後で
近くの駅まで迎えに来てくれていた。
土曜日は、父が長男を迎えに行ってくれて
昼で終わる私の仕事場に迎えに来てくれて
温泉に行ったり
冬には、一緒にスキーにも行った。
この頃が人生で一番父と過ごした日々だった。
そんなある日
元夫の兄から元夫の父が亡くなったと
連絡が入った。
元夫にはすぐ手紙で知らせたが…
服役中に父親が亡くなるって
どんな気持ちなんだろう…
葬式にも行けず…辛いんだろうな
そう思いつつも、その頃から私は
元夫が帰って来る日が近づくたびに
不安に襲われていた。
また戻って来たら、また私は
毎日、元夫を疑い
鞄の中を見たりするのか…
そんな自分もすごく嫌に思えた。
手紙も、どんどん書けなくなっていた。
「あの人」はどうしているのだろう?
今なら、結婚する前に住んでいた家にいるかもしれない
そう思って、家の近くまで行ってみた。
家も分かっていても
ピンポンなんて押せるわけがない。
今、会ったって過去が変わるだけだし
私たちが出会うのは今ではない…
そう分かっていたけれど
一目会いたいと思い暫く近くにいたが
会えなかった…
それから、私は会社で一人の
青年と出会った。
彼は仕入先の配達の人で
その受け取りをしていた私は
倉庫でよく話をした。
彼はまだ19歳だった…
「あの人」と同じ19歳。
彼とは誕生日が1日違いで
すぐ26歳と20歳になった。
友達カップルと長男と彼と私で
遊びに行ってからは
もっと距離が近くなっていて
気付いたら好きになっていた。
彼に彼女がいると聞いた時には
もう遅かった…
分かっているはずなのに…
気持ちは止められないんだな。
それから、週末の夜になると
彼が迎えに来て
遊びに行く。
長男は父に頼んで…
毎日が楽しかった。
彼は、彼女と別れると言った。
私も、籍は入ってないとはいえ
元夫がいる身だったので
彼女と別れることは強要していなかったけれど…
私も元夫と別れる決意をした。
まず、父と兄に言った。
そうすれば、気持ちが揺るがないと思ったからだ…
父と兄は、すごく喜んでくれた。
私は、元夫に
「別れて欲しい」
と手紙を書いて出した。
手紙を書きながら
分かっていてもなぜか、涙が溢れた…
元夫に手紙を出してから
数日して元夫から返事が来た。
「面接があった。だからもう少しで帰れる。
考え直して欲しい」
という内容だった。
私は身元引受人になっていたから
別れることになると
身元引受人がいなくなる。
面接があったということは
私を身元引受人として
帰ってからの調査が行われたということ。
だから近いうちに仮出所は
間違いないだろう。
でも、走り出した私の気持ちは
止まることはなかった…
だから、好きな人が出来たと
返事を出した。
また数日して返事が来た。
「わかった。荷物は置かせて欲しい。
帰ったら荷物を取りにいかせて欲しい」
と書いてあった。
納得して貰えた。良かった…
それから、私は安心して
年下の彼との関係を続けて行った。
彼も、彼女と別れると言っていたが…
ある日、彼から話があると言って来た。
「彼女と別れて来た」
心の中で、「良かった」と
思っていたら…
「別れたけど、付き合うことはできない。別れて欲しい」
そう彼は言った。
私は
「え? 私は明日からどうすればいいの?」
「彼女にも同じことを言われた。
別れてから彼女が大事だということに気付いた」
私は、それ以上は何も言えなかった。
だまって車から降りて
家に帰った。
ま、知ってたけど…
1度目の人生では
元夫と別れることが出来たから良かった。
勇気をくれてありがとう
と思っていたけれど…
今は、くず男だとしか思えない。
若いし…仕方ないか…
明日からも、会社で会うことになる。
しかし、私は知っていた。
彼は、内勤の仕事に変更させてもらうから
会うことはなくなる。
私から逃げたのだ…
会社には、彼の友達が来るようになった。
私は、友達と飲みに行ったり
紹介してもらったり
友達とお見合いパーティーに行ったりして
遊んだけど
これという人は
現れなかった…
休みに長男と街へ遊びに行っていたら
お見合いパーティーの司会の人に
ばったり会ってしまったことがある。
子どもがいることは言ってなかったので
驚かれた。
その司会の人とは
友達になって
遊びにも行った。
その人と友達とサッカーの試合を見に行った帰り
彼の彼女の働いている店の前を通った。
すると、彼がいたのだ。
彼が彼女を迎えに来ていたのは明確だった。
もう何ともないと思っていたけど…
そうでもなかったらしい。
頭の中は真っ白で
その後、どうやって歩いて行ったのかも
分からなかった…
1度目の人生の時に
どれくらいで彼を忘れたのかなんて
覚えてない…
私はどうやって彼を忘れたの…
忘れたいと思えば思うほど
忘れられないものだ…
それから数か月後…
元夫から出所したと電話があった。
元夫は、身元引受人もなかったので
出所して保護会にいた。
「荷物を取りにいきたい。話がしたい」
と言われた。
保護会は、ここからバスで4時間かかる。
元夫は、4時間かけて会いに来た。
荷物を渡すと
「年下の男とはどうなった?」
と聞いて来たので
「別れた」
と言った。
すると「もう一度、やり直さないか」
と言われた。
私は「すぐ返事はできない。考えさせてほしい」
と伝えた。
本当なら、やり直す気はない
と言いたかったのはやまやまだったが…
その頃、私の叔母が兄に
「ゆうこに家をとられるぞ」
と言ったらしく…
兄は急に、父に
「家に帰らせてほしい。狭いから家を増築する」
と言って来ていた。
その話をしに来た日、兄嫁は私に
「一緒に住んでも、仕事の時は子どもの面倒見るけど
遊びに行く時は絶対に見ないから」
と言った。
私は、絶対に一緒に住みたくないと思った。
それで、元夫のやり直さないかという言葉に
乗ってしまったのだ…
今回の人生も、同じ道をいくしかないよな…
考えたって、結論は同じだ…
これからまだ辛い人生が待っていても
私は「あの人」に会うために
我慢すると誓ったのだから…
私は、元夫とやり直すと決めた。
元夫は、4時間かけて会いに来た。
そしてまた4時間かけて保護会に戻る。
私は、実家の近くに家を借りて
長男と一緒に暮らし始めた。
そして、それからしばらくして
満期を迎えた元夫と
また、一緒に暮らし始めた。
私は、仕事を続け
元夫も友達の所で仕事を始めた。
元夫は、最初はいつも真面目に頑張る。
だけど、いつも少しずつ崩れていく。
それでも1年くらいは頑張った…
元夫は、やはり仕事を休みがちになっていった。
そして、結局仕事に行かなくなった。
いつものことだ。
私は、結局疑い、鞄の中を見たりしていた。
覚せい剤は、放っておかない…
強い意志がないと止めることは出来ないのだろう。
そのうち、家に帰らない日も出てきた。
元夫は、女遊びはしなかった。
でもいつからか、私も知っている
元夫の友達の奥さんに何かを頼まれた
と言いながら、そこに行っていたようだ。
ある日、夜中に大喧嘩をして離婚すると言った。
翌日、目が覚めると
元夫が、すごい大きないびきをかいている。
そばには、睡眠薬が空になった袋が大量にある。
焦った私は、救急車を呼んだ。
すると、かかりつけの医師にも連絡して欲しい
と言われた。
私は、かかりつけの医師に連絡した。先生が
「救急車で病院に寄って欲しい、看護師を一緒に行かせる」
と言ってくれた。
処置をしてもらい落ち着いた後
長男は実家にお願いして救急病院に泊まった。
元夫は目を覚まさなかったが
ベッドで暴れまわるので、縛られた。
翌日、元夫が目を覚ました時は
安心したが…
それと同時に
元夫を放っておけない…
離婚すると言ったら本当に何をするか分からない…
と思った。
それからも
元夫の行動は
どんどん酷くなっていく…