あれから数日、毎日のように俺は星野に連れ回されていた。
といってもここ数日は特にこれといった問題もなく、放課後学校が終わってから、夕方日が沈む前まで街を歩いて回り、パトロールするといったものだった。
どうやらこちらが星野の日課のようで、先日の猫狩りのような件は珍しいらしい。というのも、星野が町のあちこちの掲示板に張り付けてあるチラシを見て、ごく稀に星野曰く「町の平和を乱すような輩」に関する相談が入ってくるらしい。
こいつと一緒にいるようになって気づいたことがある。この星野、ヒーローを目指すだけあって、町の平和を守るために一人でいろいろと画策しているようなのだ。どうやらパトロールや平和維持のための依頼の募集も、前々からやっていたらしい。それに、俺が知らないだけでそれ以外にも何かやっているようだった。以前は奇天烈な言動に走る地球外生命体のように認識していたが、俺の星野に対する認識も変わってきていた。そしてそれが顕著になる出来事があった。
「おーっす青井くん!明後日から夏休みだねー。ワクワクが止まらないよ!」
「俺はこのクッソ暑い中何させられんのか、心配が止まらないよ」
「それはちゃんと考えてあるから楽しみにしててね。そんなことより昨日ちゃんと夕飯食べた?ちゃんと寝た?」
 心配そうにのぞき込んでくる。
「お前は俺の母親か。飯は毎日食ってるし、最近はよく眠れてる」
「そっかそっか。なら良いんだけど。いや、この夏君にしてもらうことはなかなか体力がいることでね。ちゃんとご飯食べて睡眠とらないときついだろうから」
「…俺は一体何をさせられるんだ」
 星野の言葉に本気で心配になって来た。
「そうだ青井くん。明日期末テストじゃん?私このままだと補習確定なんだよー。だから今日、教科書見せてくれないかな?」
「いいけど、今日、教科書見るくらいで何か変わるのか?それにお前いつも寝てるから悪いんじゃないのか」
そう。こいつはすべての授業を聞かないのだ。いつも超能力の練習とか言って、ペンや消しゴムを浮かそうとしたり、何やらトランプを広げて透視の練習をしている。ちなみに先生たちももう星野のことは放っといている。もしかしたらこいつが怒られない理由は単に見放されているだけなのかもしれない。
「今日テストに出るとこ教えてくれるかもしれないじゃん。それに私が授業聞かないのはつまらない授業しかしないからだよ」
「今更過ぎる気もするけどな。何の教科書見せればいいんだ?」
「え?全部だよ」
 なんでちょっと驚いたんだよ。こっちのセリフだわ。
「全部ってお前やる気ゼロじゃねーかよ。教科書全部忘れたのか?」
「というより私、教科書購入してないんだよね」
「は⁉いやいや、冗談だろ?」
 一瞬聞き違いかと思った。
「冗談じゃないよ。去年は購入したんだけど、使わない教科書も多かったし、なによりつまんないんだよね」
「何のために勉強してるのか意味わかんないなって思って。将来何の役にも立たないし、ほんの数年で忘れちゃうようなこんな勉強に何の意味があるのかなって思うんだ。気分悪くなっちゃうんだよ。勉強してると。まるで目に見えない大きな力に縛り付けられて、無理矢理させられているような、抑えつけられているような気がしてくるんだ。私たちは、他にもっと勉強すべき大切なことがあると思うんだよね。それが何なのかって言われたらよく分からないんだけど」
同じだ。星野が言うことにはとても強く共感できた。俺も勉強していると似たような感覚になることがよくある。何のためにしているのよく分からない。なんでこんなもので人の優劣が決められないといけないのか。他にもっとやるべきことがあるんじゃないかって。どれも自分がよく思うことだった。
よく分からないやつだと思っていた星野茜の正体が、ほんの少しだけ垣間見えた気がした。当初は輪郭すら分からないくらい遠くぼやけて見えた彼女との距離が、今では形を帯びて見えるくらい近づいた気がした。
「俺もお前の意見には大方賛成だが、お前それじゃあ進級できねえぞ?」
「だから青井くんに頼ってるんじゃん」
「諦めろ」
窓の外を見ると、吸い込まれそうなほど真っ青な空に、白くて高く、大きな入道雲が形を成していた。季節はすっかり夏になっていた。窓の外からうるさいくらい蝉の声が聞こえてくる。
俺が窓の外を眺めていると、再度星野が話しかけてきた。
「え、えっと、それじゃあよろしくね」
そういうと星野は、自分の机を俺の机にぴとっとくっつけると距離を詰め、すぐ隣に座ってきた。
「いや、あの、まだ朝のホームルームも始まってないんだが」
「へっ⁉あ、そ、そっか。ご、ごめんね」
顔を真っ赤にして慌てて机を離す。
「い、いや、いいんだけどよ」
なんでそんなに恥ずかしがってるんだよ。こっちまで照れくさくなってくるだろうが。たかが教科書を見せるくらいで一体何を恥ずかしがるというのだ。
 朝のホームルームが終わると俺はやつを見つけるべく、立ち上がり周囲を見渡した。いた。ようやく見つけた。やつの席のすぐ目の前にいくと向こうもこちらに気が付いたようだ。
「よう、大志。ようやく捕まえたぞ」
「な、何のことか俺にはさっぱり――」
「ほほう、白を切るのか。ここ数日俺を避けて逃げ回っていたくせに」
「いや、これには深い訳がだな」
 などと言って目を泳がせている。
「なんだそれは。じっくり聞こうか。ことと次第によってはお前の黒歴史がクラス中に知れ渡ることも覚悟しておくんだな。俺とお前が運命共同体だということを忘れるなよ」
「うへー!それだけは勘弁してくれ!すまんかった!星野さんがお前の弱みをどうしても教えて欲しいってしつこく頼み込んでくるもんだから俺の方が折れちまったんだ。悪かった。今度ラーメン奢るから許してくれっ」
「はー。お前のせいでな、こっちはあれから毎日星野にこき使われて、いいように振り回されっぱなしだぞ。俺のプライベートを返せ」
「いやー、それは悪かったなまじで。だけどよ、お前毎日お家でダラダラ暗い顔して閉じこもってばっかだろ。目の下のくまも良くなってきてるし、無理やりにでも外出た方がいいんじゃないのか?」
 真面目な顔で正論を返してくる。
「ぐっ。それは確かにそうだが…」
「だろ?それよりもよ、夏休み、楽しみにしとけよ!準備は俺に任せとけ!」
「なんの話だ?」
「あれ?星野さんから聞いてないのか?じゃあまだ秘密なのか。まあとにかく楽しみにしとけ」
さっきも星野に楽しみにしとけと似たようなことを言われたが、二人して何を企んでいるんだ?
「ああ、翼。それとな、星野さんのことだけどな、星野さんはもしかしたら…」
「いや、何でもない。お前ももう分かってるか」
 言いかけてやめる。
「…ああ。流石の慧眼だな」
 だが俺には分かった。きっとみんなが思ってるようなやつじゃないって言いたいのだろう。
「いや、今回はそんなんじゃないんだ」
「?」
「とにかく夏休み楽しみにしとけってことだ!」
 何かを誤魔化すように白い歯を見せてニカッと笑う。
「ああ?」

 「おい星野。一体何を企んでいる?そろそろ夏休み何する気なのか教えろ」
 席に戻ると隣の星野に詰めよる。
「ああそうだね。大山君から何か聞いた?」
「おまえが教えてくれると聞いてるが」
「にっしっしー。じゃあそっちの方はまだ秘密。ではブルー君。君の夏休みの任務は、朝の見回りだ!」
 どう?驚いた?と言いたそうに見つめてくる。
「なんだそれ?朝からパトロールしろってのか?」
「でもただのパトロールじゃないよー。なんとお金ももらえるパトロール。その名も新聞配達だ!」
「はー。何かと思えば新聞配達かよ。ねみいよ。俺朝弱いんだよ。パスの方向で」
 ムリムリと顔の前で手を横に振る。
「君にそんな選択肢があると思っているのかな?どうせ君は放っといたら腐った目をさらに腐らせて、目の下真っ黒のゾンビみたいになっちゃうんだから、新聞配達で生活習慣を整えなさい。それとも牛乳配達しにとく?私はそっちにしようかと思ってたんだけど」
「…お前が配った牛乳を飲みつくしてやる」
「にっしっしー。お腹壊しちゃうぞ。でもその意気だよ」
チャイムが鳴り一時間目の授業五分前を知らせた。
「そ、それじゃあ、今度こそよろしくね」
星野は照れながら机を再びくっつけると距離を詰めてきた。
「お、おう」
その時、星野からいい香りが漂ってきた。お日様の匂いだ。いかにもこいつらしい匂いだなと思った。
 結局星野は、最初のうちは真剣に授業を聞いていたが、次第に頭の位置が下がっていき、二時間目には涎を垂らして爆睡していた。流石にこのままだと本当に留年しかけないので、見かねた俺はゆるみきった顔をした星野のおでこにデコピンをしてやる。
「あいたっ!なにすんのさ青井くん!」
「起きろ星野。涎出てるぞ」
そうこれは優しさなればこそ。愛の鞭なのである。決して私怨からくるものではない。
「へっ⁉うそっ⁉」
またしても顔を赤らめると恥ずかしそうに急いで口元を拭う。こいつは図太いのか繊細なのかどちらかにして欲しいものだ。それとも女という生き物は皆この矛盾した両方の性質を併せ持つものなのだろうか。いや、違うな。こいつは普通から二歩も三歩もはみ出しているようなやつだ。他の人間と比べるのも違うかもしれない。
そんなこんなで、眠った星野にデコピンをするといった一連の流れを繰り返し、放課後には星野の額は真っ赤になっていた。
「青井くん厳しすぎる。私への愛が重すぎるよ」
 おでこを押さえながら愚痴をこぼす。
「愛とは暴力なのかもしれないな」
「怖いこと言わないでよ。本当はただの私への仕返しでしょ!分かってるからね」
 そう言って軽く睨んでくる。
「なんのことだ。俺はお前の頭の悪さを憂い協力してやっただけだ」
「いつか仕返ししてやる。勉強なんてするかしないかだよ。私はやればできる子なんだから」
「勉強できないやつはみんなそう言うんだよ。まあ俺もそんなにできる方ではないけどな」

 翌日、夏休み前最後の日。一日中試験でみんなピリピリしていたが、これが終われば長い休みが来るということで教室中がソワソワしていた。中でも星野はまるで虫捕りに行く少年のごとく目を輝かせ、テストのことは眼中にないようで、休み時間ごとに「明日から夏休みだね!」と話しかけてきて煩わしかった。どうやらこのテストの結果次第で夏休みがつぶれてしまうことを忘れているらしかった。最近はニワトリではなくバジリスクかもしれないと思っていたがやはりニワトリなのかもしれない。
ようやくテストの日程がすべて終了し、長かった一学期が終了した。みんな夏休みの予定の話でワイワイ盛り上がっている。
みんな夏の予定はいろいろあるようで、バイト三昧になりそうな俺は早くもげんなりしていた。特にどこか出かけたい場所があったわけでもないが、夏休みなのに学校がある日よりも早起きしないといけないということが疎ましかった。
その元凶たる星野をねめつけてやろうと思い、隣に話しかける。
「おい星野。テストどうだった?」
「神のみぞ知るってやつだね。運次第かな」
「結局運なのかよ」
「いいの!私はこの学歴社会の中で、魂の在り方を大事にして生きていくの!人は頭よりも心だよ」
「またわけの分からんことを」
 こいつはときどき本当に理解できないことを言う。
「そういう青井くんはどうだったのさ」
「全教科平均くらいじゃねーか」
「お、さすが私の相棒だね。やるじゃないか」
 なぜか上から偉そうに言ってくる。
「誰が相棒だ。何目線だ補習受講者が」
「ああ、まだ助手くんだったね。ていうかまだ決まってないし!それじゃあワトソン君。皆が浮かれている中、私たちは密かに町の平和を守ろうではないか。地道な努力が大成への一歩なのだよ」
「お前だって浮かれてただろうが」
「私は学校という牢獄から解き放たれるのと、夏という心躍る季節が来たの嬉しいだけだもん。とにかく、ヒーローはこういうみんなの気が高まって危険が高まる時こそ陰ながら頑張るものなんだよ!というわけで、私は明日から牛乳配達を、君は新聞配達を朝四時から行うように」
「はあ。了解。まあお前はかなりの確率で夏休み返上で勉強漬けだろうがな」
 
 そんなわけで俺は夏休みにも関わらず、まだ真っ暗な夏の朝の街を自転車に乗って駆け回っていた。ちょうど牛乳配達もその時間のようで、星野に先を越される度に腹が立ったが、やつの運動神経に俺が敵うわけがなかったので、途中から諦めるようになった。
しかし、星野と配達先で出くわした時の、やつのドヤ顔があまりにむかつくものなので原付きでも買ってやろうかと思ったが、新聞配達代も吹き飛んでしまうので何とか堪えた。ちなみにごく稀に俺が星野より先に配達するときがあり、その時は星野は非常に悔しがった。
そして、これといって怪しい人物を見かけることはなく、たまにヤンキーや酔っ払いを見かけるだけだった。また、星野は朝が弱いため、遅刻してくることや来ないことも多々あった。慣れてくると俺は、朝刊だけでなく夕刊まで配達させられていたが、星野は補習だった。何なのだあいつは。
そんなバイト尽くしの夏休みも終わりに近づいてきたある日、夏休みの宿題をしていると玄関のチャイムが鳴った。珍しい。誰かと思いドアを開けると、そこには白いTシャツに短いジーンズを履き、麦わら帽子を被った星野が立っていた。
「牛乳なら間に合ってます」
そういって俺はドアを閉めて、鍵を閉めると再度宿題に取り掛かろうとした。
「ちょっとー⁉君だけ夕方もパトロールさせちゃってること怒ってるのー⁉それは本当に申し訳なく思ってるんだよ。私だって一緒に回りたいくらいで。開けてよ青井くん!」
「何で家の住所知ってる?」
俺はドアを開けると尋ねた。
「大山君に聞いたんだ。今日はね、この夏の労いを込めて楽しいところに連れてってあげようかと思って!わたしもようやく補習地獄から解放されたんだ」
「どうせまたろくでもないとこに連れてって労働させる気だろ。俺は宿題と夕刊の配達で忙しい」
「違うって。ほら、夏休み前にも言ったでしょ。楽しみにしといてって。夕刊はさっきお休みもらえるよう電話しといたから。明日の朝刊も。宿題なんてできる分やればいいんだよ!優先順位はこっちでしょ!」
「なんだよ。どこに行くんだ?」
「キャンプだよ!私たち夏らしいこと一切できてないでしょ?だから夏の最後の思い出に、電車でちょっと行ったところに自然公園があるから、そこで遊ぼうよ!」
 ワクワクを隠せないといった感じで笑う。
「えー」
「ちなみに拒否権はないからね」
「はいはい、わかりましたよ」
「急いで支度してね。買い物とかもするから」

 俺たちは電車で十分ほど揺られると二駅隣の町で降りた。
「何を買うんだ?」
「バーベキューの材料だね。あ、あと炭も買うからホームセンタ―も寄らなきゃ」
駅近のスーパーマーケットに入ると、夏休みのせいか大勢の人で混みあっていた。
「さあーお肉買うぞー。おっ肉♪肉♪肉♪」
牛肉、鶏肉、ロース、ヒレ、バラ、ホルモン、ソーセージとどんどん入れていく。
「おい待て、野菜も入れろ。栄養に悪い」
俺は玉ねぎ、にんじん、ピーマン、かぼちゃ、キャベツ、とうもろこしにナスを追加していく。
「あ、この野菜も入れよう!」
そう言うと星野はトマトときゅうりを加えた。
「トマトときゅうりは焼いてもおいしくないんじゃないか?」
「ふふーん。それはついてのお楽しみー♪」
 上機嫌な返事が返ってくる。
「あ、椎茸は入れちゃだめだからね。やつは人類の敵だよ」
「意見が合うな。俺もキノコ類は苦手だ」
 あの臭みと食感が苦手なのだ。
「あ!マシュマロ忘れてた!バーベキューと言えばマシュマロだよ!これがないと終われないよね」
「いやそれより米だろ。日本人ならいついかなる時も米が無ければ食が進まん。そういえば忘れてたがキャンプ道具はあるのか?」
「そこはお楽しみに!しっかり準備してあるよ」
「なんだ?」
ちょっと目を逸らしたすきに買い物かごにお菓子をねじ込もうとする星野をいなしながらレジまで進むと、割り勘で会計を済ませた。
スーパーを出ると、近くのホームセンターで炭とガスバーナーを購入し、自然公園へ向かう。途中の道で星野がインテリアへ寄りたがったので入ることにした。
「時間なかったんじゃなかったのか?」
「この前いいマグカップ見つけたんだ。ほらこれ!いい感じでしょ?」
それはペアのマグカップで一方は赤を基調として向日葵の絵が描かれたもので、もう一方は青を基調として葵が描かれたものだった。
「知ってた青井くん?この二つの花、向日葵と葵はどっちも太陽の方向に向かって咲くんだよ」
「へえ。いいカップだ」
 星野にしてはおしゃれなマグカップを知っているじゃないか。
「でしょ?」
「この赤いマグカップ青井くんに買ってあげるね。今日のキャンプに使うといいよ」
「え。いやいいよ。悪いし。大体俺はどっちかというとこっちの青い方が好きだし」
「だからだよ。代わりに私にこの青い方を買って欲しいの」
星野はなぜか俺から顔を背けていたが耳まで真っ赤になっていた。
「嫌だよ、なんかお揃いで恥ずかしいし。せめて逆にしようぜ」
「だーかーらー、逆だからいいの!分かんないなら分かんなくていいよ!それに何意識しちゃってるのさ青井くん。これは相棒としての絆を確かめるためのものだよ!」
珍しく早口でまくし立てると少し不機嫌そうな顔をしている。
「べ、別に意識してねーよ。わかったよ。めんどくせーし、もうどっちでもいいよ」
星野に欲しくもないマグカップを買わされ、店を出ると、十五時を回っていた。
「そろそろ来ると思うんだけど」
「誰が?」
「プップー」
音のした方を見てみると、道路脇に停車している白い中型車の助手席から大志が顔を覗かせていた。
「おーいお二人さん。こっちこっち!」
朗らかな笑顔でこちらに手を振ってくる。
「あ!いた!行こう青井くん」
俺たちは後部座席に乗り込むと、腰かけた。車内はクーラーが効いていて涼しかった。大志はタンクトップに半ズボンという格好で筋肉質な体格のせいか様になっている。
「何でお前がいるんだ大志。それにお兄さんも」
「お前には秘密にしてたけど、俺と星野さんと二人で計画立ててたんだよ。で、キャンプ道具はうちの兄貴が一式持ってるからこうしてここまで乗っけてきてもらったってわけよ。準備は俺に任せとけって言っただろ?」
そういえばそんなこと言っていた。すべてがつながった。こいつらぐるだったってわけか。
「にしてもお前、俺が誘っても来なかったくせに、星野さんが誘ったらうかうか付いてきやがって。このムッツリスケベめ」
「そうだぞムッツリスケベめ」
さっき渋ったことを根に持っているのか星野まで言ってきた。
「どの口が言ってんだ。お前らのせいで俺には基本的人権が保障されていないんだよ」
「あっはっは。みんな楽しそうでいいね。キャンプ楽しんできてね」
 大志のお兄さんが楽しそうに言う。
「楽しんできます!」
 星野がわくわくした顔で返す。
「晴れてよかったねー」
車で二十分ほど走ると、目的地の自然公園に着いた。大志のお兄さんはそこで荷物を降ろすと帰っていった。
俺たちはそこから、キャンプ道具を持って川の方へ向かっていく。自然公園は自然という名前がつくだけあって、たくさんの木々や植物に覆われていて、虫や動物もたくさんいた。まるで森の中に入り込んだようだった。
 小道を進んで数分ほど行くと水が流れる音が聞こえてきた。川だ。
「わあー!すごくきれい!大自然って感じー!」
緑の木々からこぼれる木漏れ日に、穏やかに、でも力強く流れる清流と、その流れにぶつかる岩石。右も左も緑一色で、辺り一面木々に囲まれていて、まるで山の中に入り込んだようだった。
「おおー!きれいな川だな。透き通ってるぜ。空気もうまい。なんといってもこの解放感!」
河原に運んできた荷物を降ろすと、テントを張る。
 俺が一人で黙々と男用のテントと、星野用のテントを設営していると、二人はいつの間に着替えたのか、星野は部着を、大志は海パンで川に入って遊んでいた。
 楽しそうで何よりだ。
 水着も着替えも持ってきていない俺は、テントを張り終わると、折り畳み式の机と椅子を出して、星野が買ってきたお菓子を食べてくつろいでいた。
マイナスイオンで溢れているせいだろうか。緑で囲まれ空気もおいしいこの場所にいるだけで、とても心が落ち着く。川の流れる音が、木々の風で靡く音が、鳥のさえずりが心を安らげてくれる。キャンプというのも案外悪くないかもしれない。
 俺が自然の恩恵に与っていると、いきなり顔面に水が噴射された。
「ぶへっ」
「レーザー光線!どうだ!参ったか!」
 星野が楽しそうに水鉄砲を構える。
「きさまっ。星野」
「にっしっしー。そんな怖い顔しないでよ。青井くんも一人でくつろいでないで一緒に川遊びしようよ。超涼しいよ。そうだ。魚もいっぱいいるんだよ!今晩のおかず捕まえようよ。大山君が君の水着も持ってきてくれてるみたいだよ」
「そうなのか。せっかくだが俺はいいや。こうやって一人でのんびりしている方が好きなんぶへっ」
 しゃべっている途中に星野がまた水をかけてきた。
「おじいちゃんみたいなこと言ってるのはこの口かな?」
「おいお前いい加減にぶはっ」
「…」
「やーい、逃げろー!」
 にっくき星野を倒すべく、俺は急いで海パンに着替えると、上着を脱ぎ、川に特攻し、水鉄砲戦争に参戦した。
「まてこら星野!」
「きゃー!青井くん怒りすぎだよ!」
「今晩のおかずは魚じゃなくてお前だ!」
「お!翼も参戦か?いいぞ三つ巴だ!」
 俺たちは馬鹿みたいに水鉄砲を持って川を走り回った。川の水は冷たく透き通っていて、まるで天然の冷蔵庫のようだった。川の水面に反射する光が世界を照らし、飛び散る水しぶきがキラキラ輝いていた。夏の日差しが優しくこの場所を包み込んでくれているようだった。
 しばらく遊んだ後、俺と大志が魚を捕まえていると、星野はなにやら足を上げては下ろしを繰り返し、一人でバシャバシャ遊んでいた。
「何してんだお前?」
「超能力の練習!水に浮くかなって思って」
 純粋な子供のような笑顔ではしゃぎながら言う。
「まったくお前は。ここに来ても超能力か」
「水面を走れたら楽しそうだと思わない?」
「それより暇なら夕飯の準備してくれ。そろそろ日も沈んできた」
「そーだね。あ、そろそろ頃合いかも」
 星野は何か思い出したように川の浅瀬の、流れの緩やかな方へ行くと、水中から何やら持ち上げた。
「じゃじゃーん。天然の冷蔵庫で冷やしたトマトときゅうりだよ!夏野菜だしぷりっぷり!塩かけて食べよう」
 先ほど言っていたのこのことか。どうやらクーラーボックスに入れたトマトときゅうりを、冷たい川の水で冷やしていたようだ。
 俺たちは川から上がると、大志が持ってきてくれたクーラーボックスに入った麦茶やコーラを飲むと、夕食の準備を始めることにした。
まずはなんといっても米だ。買ってきたコシヒカリを事前に研いで水に漬けておいたメスティンをガスバーナーであぶる。炊けた合図はぱちぱちという音なので、その音を聞き逃さないことがポイントだ。
隣を見ると、大志はバーベキューコンロの炭皿の上に炭を設置しガスバーナーで炙り火の準備をしていた。星野は例の曲の鼻歌を歌いながらクーラーボックスから次々と肉を出していく。
米が炊けるまでの間やることのない俺は、ぱちぱちという音を聞き逃さないように気を付けながら野菜を切っていく。野菜も肉も大量に買ってあるが余る心配はいらない。なぜなら大志がいるからだ。あいつの口の中はブラックホールが詰まっているんじゃないかと提唱する学者もいるくらいだ。
「おっしゃ、いつでも焼けるぜ。どんどん持ってこい」
「待って大山君。火の扱いは私に任せて!私の中の正義の炎が熱くたぎってきたよ!よっしゃー!火だー!燃やし尽くすぞー!」
 などと言って両手を空に掲げている。
「あほたれ。燃やし尽くしたら食えねえだろうが。暑苦しいんだお前は。大志に任せとけ」
「何おう。私は火にはうるさいよ。それに今のは言葉の綾だから安心して」
「おいおい甘く見てもらっちゃ困るぜ。俺は焼き肉屋でバイトしてたこともあるんだぜ。おいしい肉は火入れ次第!俺に任せな!」
 大志が自信満々に腕の袖をまくる。
「ふっ。そんなに言うなら勝負と行こうか大山君。火の扱いにおいて私の右に出るものはいないよ。私は火のスペシャリストだからね」
「上等!その勝負受けて立つ!」
「「うおりゃあー‼」」
 なにやらバカ二人が暑苦しい勝負を始めだしたせいか、ただでさえ熱い温度が上昇したように感じる。
「おい肉だけじゃなくて野菜も焼けよ」
 俺は少し離れた所から二人に話しかける。
「うるさいぞ翼。今は男の真剣勝負中だ。外野が口を挟むんじゃねえ!」
「そうだよ青井くん!野菜なんかで火の何たるかは分からないんだよ!時代は肉だよ!」
「そうかやはりお前は男だったか。あ、そうだあと魚も捕まえたじゃねーか。あれは――」
「青井くんうるさいよ。焼肉はね、音一つ聞き逃すだけで命取りなんだよ!魚も君に任せるよ!」
完全に肉に心を奪われた二人には、どうやら何を言っても無駄なようだ。
「分かってねーな。日本人はいつの時代も米なんだよ。米こそがすべての食べ物の頂点に立つことになぜ気づけない。米ありきの肉だろうが。なあ、お前もそう思うだろ?」
誰も聞いてくれないので、河原の隅っこの森と隣接したところで一人野菜を切りながら、そばまでやってきていたウサギに話しかける。
「お前も人参ばっかりじゃなくて米も食わないと大きくなれないぞ?」
ウサギは俺の与えた人参を頬張りながら不思議そうな顔をしている。
「よっしゃ。それじゃあ魚と野菜はこっちで焼くか」
俺は七輪を持ってくると炭を設置し火をつける。
「結局七輪が一番美味いんだよなー」
団扇で扇ぎ火を起こす。空気窓を開けると火力の調整をする。
と、その時ぱちぱちという音が聞こえた。クッカーのふたを開けてみると、いい感じにふっくらとしたつやのある白米が炊きあがっていた。クッカーの中から溢れ出すほかほかの蒸気ときらきらの白米が食欲を刺激する。火を止め蓋をすると仕上げに蒸す。これでしばらくすると完成だ。
 七輪の方も準備ができたようなので魚に串を通すと塩を振り丸焼きにする。
「どうやら実力は本物のようだね。その火入れ恐れいったよ」
「そっちこそ。独学でそれとはやるじゃねえか。流石の俺も焦ったぜ」
 星野と大志の会話が聞こえてくる。どうやら実力は拮抗しているようだ。星野の実力は焼き肉屋でバイト経験のある大志が認めるほど大したものらしい。
 俺は玉ねぎ、ピーマン、鶏もも肉を串で刺すと七輪で炙る。と、目線を少し右にやると、先ほどのウサギが呼んできたのか、三匹のウサギがおすわりしながらきらきらした目でこちらを見ていた。
「しょうがねーな。人参と、キャベツも食べな。偏食は良くないぜ。俺はお前たちの、野生に身を置きながらもベジタリアンを貫くところをリスペクトしてるんだ。そのまま強く生きてくれ。でもたまには米も食っていいんだぞ」
 その後、続けて切った野菜を焼くと、仕上げに米を三角形にむすび、みりんと醤油をかけ、軽くこげつくまで焼き、焼きおにぎりを作った。そのタイミングであちらもすべての肉を焼き上げたようで、夕食にすることにした。
「さあ翼!どっちがうまい?まずは牛ヒレからいくか⁉」
「青井くん、大山君に肩入れしちゃダメだからね?公平に審査お願いね!」
 皿に盛って食事の準備をする前から二人とも鼻息荒く迫ってきた。
「わかったわかった。二人とも落ち着け」
 俺はまず大志の焼いた肉を食べる。
「ふむ」
 次に星野の焼いた方を食べる。
「なるほど」
「この勝負、俺の勝ちだな」
 俺の言葉に二人が固まる。
「「…」」
「青井くんバカなの?青井くんは隅っこで野菜焼いてただけでしょ?」
「それと魚だったか?お前野菜と魚が肉に勝てるとでも思っているのか?」
「お前らは何も分かっていない。いいからこの焼き串を食べてみろ」
「こんな小さな網で一体何が焼けるのさ?食べなくても分かるよ絶対わたむぐっ⁉」
 俺は口うるさい星野の口に、俺の焼いた玉ねぎ、ピーマン、鶏もも肉の焼き鳥を押し込んだ。
「なっ⁉こ、これは⁉」
「わかったか?」
「私の焼いた牛ヒレよりもおいしい!」
「そうだ。なぜだか分かるか?答えは単純だ。野菜が肉のアクセントになるからだ!野菜は王様なんだ。肉を食べるために野菜がおまけにあると思っていないか?違う。野菜を食べるために肉があるんだ。そして最後にこれを食え」
俺は炊きあがったお米を箸でつまむと、星野の口に押し込んだ。
「むぐっ!これは!」
「そう。結局米なんだ。野菜が王様であれば米は将軍。この日本国において実権を握ってきたのは将軍だ。つまり俺たちは今日肉を食いに来たんじゃない。米を食いに来たんだ!」
「そして極めつけはこれ。七輪だ。小さいと思って敬遠することなかれ。今日一番の立役者はこいつだ。七輪は江戸時代から使われてきた歴史ある料理道具の一つ。こいつはバーベキューコンロよりも焼ける面積が小さくバーベキューコンロに負けがちだが、焼き肉屋でも多用され、バーベキューコンロよりも若干温度が高く旨味を閉じ込めやすい優れものなんだ。だからお前らがバーベキューコンロで焼いた牛ヒレ肉より、俺が七輪でじっくり焼いた串焼きの方がおいしいのさ!」
「「…」」
 また二人が変な顔で黙ってこちらを見てくる。
「なんか青井くん珍しく超しゃべるしテンション高くてうざいんだけど。それにバーベキューで肉が主役じゃないって意味わかんないもん。ていうか結局すごいの青井くんの腕じゃなくてご飯と野菜と七輪じゃん」
「それな。だがそう言うな。あいつはご飯のこととなると口うるさくなるんだ。特にお米のこととなるとな。だがここまでテンションが上がってよくしゃべる翼は初めて見たな。普段家に引きこもってるから、久しぶりの外でのキャンプにテンション上がってるんだろ」
「う、うるせーよ。結局、お米と野菜を蔑ろにして、俺に押し付けたお前らの負けだってことだよ!さっさと食べるぞ」
 
 俺たちは紙皿にご飯とお肉、野菜、魚をよそうと、紙コップに(星野は俺に買わせたマグカップを使っていたが、俺は恥ずかしいので使わなかった)飲み物を入れ椅子に座った。  
 辺りはすっかり暗くなっていて、月の光とランタンの光が周囲を照らしていた。
「「いただきます!」」 「いただきます」
 三人で挨拶をすると肉に食らいつく。
「んー!おいしー!やっぱり肉だよ!バーベキュー最高‼この解放感がたまんないね!」
 星野が頬を押さえながらとろけた顔をする。
「おい星野。俺が焼いた野菜も食え。あと米もな」
「でも本当に野菜うめえな。特にこのとうもろこしとかぼちゃなんか最高に甘くて香ばしくておいしいぜ。あとこのピーマンもほどよい苦さが肉のいいアクセントになる。旬だからか?これは確かに翼の言うことも一理あるぜ」
「だろ?」
「このきゅうりとトマトもすごくおいしいよ!確かに野菜も肉に負けてないかも」
「分かってくれたか」
 お米の良さまでは伝わらなかったようだが、野菜の良さは伝わったようなので良しとするか。
 ふと川の方を見ると、きれいな黄緑色の淡い光が浮いているのが見えた。蛍だ。俺が二人に知らせようとすると、その時、たくさんの淡い黄緑色の蛍光色が辺りに点き始めた。
「わー!きれい!すごいよ青井くん見て!蛍だ!私初めて見た!」
「ああ。俺もだ」
 まるでそれは自然のイルミネーションで、虫の鳴き声や川の流れる音が余計に風情を醸し出していた。
 この場所は、命で、生で満ち溢れている。森が、川が、虫が、動物が、俺を囲むすべてがまるで俺の存在を肯定してくれているようだった。
「ここにいてもいいんだよ」
 そう言ってくれているような気がした。この場所だけじゃない。二人の明るさが、星野の能天気さが、俺の心を照らしてくれていた。
 こんなに心落ち着く夜は、こんなに楽しいと思えたのは一体いつぶりだろうか。俺の鉛のように鈍重な心を、この場所と二人の生が和らげ、癒してくれているような気がした。
 しばらく自然の神秘さに浸っていると、星野が思い出したように大声を出した。
「あー!お肉焼くのに夢中でマシュマロ焼くの忘れてたー!これじゃバーベキュー終われないよ!最悪だー!」
 そう言って頭を抱える。
「安心しろ俺がしっかり作っておいた」
「うそ⁉さすが青井くん。抜け目ないね。ちょうだい!」
 嬉しそうに手を差し出してくる。
「ああ、やっぱりこれを食べないとバーベキューは終われない。ほら、締めの焼きおにぎりだ」
「私マシュマロって言ったよね⁉私の期待返して!」
「やっぱり米こそ至高だよなー。こうやっておやつにもなれるオールマイティーさは無類だ」
「どうしよう大山君。今日の青井くん本当にむかつくんだけど」
「なんだかな。翼がこんなに生き生きしてるのは初めて見るな。珍しい」
 星野は不服そうな顔で焼きおにぎりを食べると案外おいしかったようで、「あ、おいし」と言い二つも平らげていた。
焼きおにぎりを最後に満腹になった俺たちは一息つくと、蛍のいない少し離れたところで花火をすることにした。
「やっぱり夏の締めと言ったらこれだよねー」
星野が花火に火をつけ、蛍とはまた違う、きれいな鮮やかな火が派手な音を立てると暗闇を照らし出す。俺と大志は星野の花火から火を分けてもらい、花火に点火する。
三人で囲むように立つと、中央に花火を向け、きれいな光を楽しむ。赤、青、緑、紫、いろんな色があって見ていて飽きない。
「知ってるか星野。この青い花火とかも全部炎色反応で、別に温度が高いわけじゃないんだぞ」
「うるさいよ青井くん。せっかくの風情が台無しだよ。そんなことより青井くん。今から私がこの花火で青井くんの背中に文字を書くからなんて書いたか当ててね」
「サイコパスかお前は。鉛筆じゃねえんだぞ」
「にっしっし冗談だよー」
 
すべての花火を燃やし終わるとテントに戻り、しばらくトランプやUNOをして遊んだ。
気づくと時間はあっという間に過ぎ去り、時刻は夜中の0時を回っていた。
「もう寝るか。星野さんのテントはそっちで、俺たちのテントはあっちだ」
「やったー。私一人貸し切りだ。おやすみ二人とも。あ、青井くん、夜中にこっそり私のテントに忍び込もうとしても無駄だからね。私の体術の餌食になりたくなかったらおとなしく諦めなさい。このムッツリスケベくんめ」
「ちぇっ。こっそり蛇か蜘蛛あたりけしかてやろうと思ったのによ。いつになったらお前を闇に葬りされるのやら」
 残念だ。
「あ、でも、トイレに行きたくなったら我慢しないで起こしに来てもいいからね?優しい私は一緒に付いて行ってあげるから」
「おい星野。そろそろやかましい口にチャックをしないと、明日の朝、土の中で目覚めることになるぞ」
「ははは。お前ら楽しそうだな」
「どこがだよ。」
「やっぱり教えて正解だったかな」
 蓮がボソッと何かを言った。
「何か言ったか?」
「ああ、いや何にも。俺たちももう寝ようぜ」
「そうだな」
 俺はランタンの火を消すとテントの中に入った。
 明かりのない夜の河原は真っ暗で、気づくと俺は熟睡していた。

 次の日の朝。目を覚ました俺たちは、昨日の残り物を朝ご飯とし、軽く片づけを済ませると、大志のお兄さんの車に乗せてもらい、家へと帰った。長かった夏休みはあっという間に過ぎ去り、秋が来ようとしていた。