アラームの音で目が覚める。とじ続けようとするまぶたと戦いながら身体を起こすと、背中がぱきぱきと音を立てた。ソファで寝たから仕方ない。来客時の為に敷布団を買おうと心に決めた。
 ぐっと伸びをしてから立ち上がる。カーテンを開けると、窓の向こうにはどこまでも高い夏の青空が広がっていた。試合日和だと思える程度には、野球と向き合えるようになったのかもしれない。
 寝室のほうから音はしなかった。身体が資本のプロ野球選手をソファで寝かせるわけにはいかないと、半ば無理やり美澄のベッドに押し込んだはいいが、ゆっくり眠れただろうか。
 朝食は何を作ろう。要が甘党だという好み以外は知らない。苦いのと辛いのが苦手。子どもみたいで、ちょっと可愛い。
 今朝は和食の気分だった。魚の特売日に買っておいた鮭の切り身が冷凍庫に眠っている。常備菜のひじき煮に、卵はだし巻きにして、ほうれん草と油揚げで味噌汁を作れば優雅な休日のブレックファースト。料理が趣味でよかった。ああ、一昨日常連さんからいただいたイチゴも添えよう。
 間もなく鮭が焼きあがるというタイミングで、寝室のドアがゆっくりと開いた。くぁ、とあくびをこぼしながらキッチンへやってきた要の頭には、ぴょこんと寝ぐせがついている。
「おはよ」
「おはようございます。よく眠れました?」
「ん。家で使ってるマットレスと一緒なのかな。全然気になんなかった」
 その言葉に嘘はなさそうだった。昨日よりも顔色がいい。
「もうすぐ朝ご飯ができるので。座って待っててください」
 ボウルの中で卵をチャカチャカと混ぜながら、視線でリビングを指した。
「ん……でも、箸くらいは用意させて」
「じゃあ、そこの引き出しから二膳、お願いします」
「お願いされたー……」
 ぼんやりとしている要は珍しくて、つい目で追ってしまう。テーブルに箸を並べる動きに合わせて寝ぐせがひょこひょこと跳ねて面白い。
 我ながら上手くできただし巻きをカットし、グリルからこんがり焼けた鮭を取り出した。
「すげーいい匂いする」とすっかり覚醒した様子の要が、リビングで嬉しそうに笑っている。


 楽しい時間ほど、早く過ぎるのは何故だろう。
「あの、もし要先輩が良ければ、なんですけど」
「ん?」
 玄関の上がり框に腰かけ、スニーカーの紐を結ぶ背中に声をかけた。わざわざ手を止め、振り返ってくれる。だから美澄もしゃがみ込んで、同じ視線の高さで続けた。
「接骨院に来た日は、そのまま家でご飯食べて行きます? 今回みたいに泊まってもらっていいので」
 提案は、美澄の希望でもあった。求められたら、応えたくなるのがピッチャーの性だ。正しくは、「元」ピッチャーだけれど。要とバッテリーを組んだ過去は消えない。要の存在が、六年間ずっと心の奥底でフタをして閉じ込めていた感情を呼び起こした。
「いいの?」
 まっすぐな目が美澄を見つめる。頷けば、大きな手のひらが頭にのせられた。そのままわしゃわしゃと撫で回されると、オキシトシンが分泌されるのが自分でも分かった。
「ありがと。次も楽しみにしてる。じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張ってくださいね」
「今日、美澄は休みだっけ?」
「そうです。試合、観ますね」
「ん。絶対活躍するから」
 広い背中がドアの向こうに消えても、そこからしばらく動けなかった。