「俺、今日はノースローって決めてるから。走り込みしてくるね」
 合同自主トレ二日目。アップ最後のメニューであるチューブトレーニングまで終えて、真尋は颯爽と練習場を飛び出していった。女房役の承諾を得るよりも早かったエースの行動に、美澄は戸惑いを隠せない。出入口と要の顔を交互に見ると、「アイツなぁ~」と大して困ってなさそうな声で言う。
「だ、大丈夫なんですか……?」
「去年もあったから大丈夫。相手が俺じゃなかったら怒られてそうだけど」
「ですよね……」
「まあでも、真尋の性格的に、他チームの選手に誘われても合同自主トレはしねーだろうな。チームメイトならまだしも」
 要はどこか得意げだった。まるで、誘ったのが自分だったからついてきたんだとでも言っているように。
「この後のメニュー、どうします?」
「んー……美澄、グローブ持ってきてるよな?」
「あ、はい。一応リュックの中に入ってます」
 フィールディングの練習をする際、ファーストやセカンドに入って捕球係をする必要があるかもしれないと思って持ってきていた。バットケースの隣に置いたリュックの底から取り出したグローブを、右手にはめる。お待たせしました、と振り返れば、要は心の底から嬉しそうに破顔した。
「肩慣らししたら、美澄の球受けたいな。ブルペンあるし、本格的じゃん」
「いいんですか? 俺、選手じゃないのに」
「もちろん。なんなら、たくさん手伝ってもらう予定だったし」
 初めは近距離から、徐々に距離を広げてボールを強く投げる。キャッチボールからいい音を鳴らすのがいつも不思議で、真似をしようとしてもパスッと情けない音しか出なかった。
「っし、そろそろいいか。ブルペン移動しよう」
「はい。傾斜があるのは久しぶりで緊張しますが」
「美澄なら大丈夫だって」
 まっすぐ出口へ向かうかと思いきや、要は「奈良坂さん!」と練習場の隅っこで一眼レフカメラを構えていた男に声をかけた。昨日もここへきて要と真尋の様子を見守っていた、スポーツ雑誌の記者だ。
「どうしたの?」
 スポーツ雑誌の記者の男改め奈良坂は、まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。きょとんとした顔つきで答えた。
 美澄はボールケースを携え、今度こそ出口へ向けて歩き出した要の後ろを追いかける。もちろん、名前を呼ばれた奈良坂もついてきた。
「奈良坂さんに、一つお願いしたいことがあって。スピードガン構えてほしいんですよね」
「いいよ。彼が投げるの?」
「ええ。いい球投げるんですけど、復活してからは計測したことなくて」
「復活?」
「奈良坂さん、俺の高校時代覚えてます?」
「うん。ずっとプロ担当だったから、細かくは観られなかったんだけど」
「彼、夏の甲子園で準優勝した時の、俺の相棒っすよ」
「え、もしかして、あのサウスポーピッチャーかい?」
「おお、すげー。覚えてるもんですねぇ。そうです。あの時のエースピッチャー、雪平美澄です。故障が原因でしばらく野球からは離れてたんですけど、今は専属トレーナーとして支えてもらってて」
 ブルペンへ続く扉を開けると、視界一面に広がった緑色の空間に、切ないくらいの懐かしさが込み上げた。トレーナーとしてブルペンへ出入りするのは久しぶりではなかったが、投手側としては高校以来だ。
 スピードガンを持った奈良坂が美澄の後方に立った。要はホームベースの向こうで既に座って待っている。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ……ああ、僕はもしかして、すごく尊い瞬間に立ち会っているのかもしれないね」
「え?」
「美澄! まずはストレート!」
「あっ、はい! 行きます!」
 ふうー……と息を吐いてから振りかぶる。右足を大きく踏み出し、傾斜を利用して力いっぱい腕を振った。手首を立て、ボールが指を離れる最後の一瞬まで意識を切らさない。
 バックスピンのかかった球は、糸を引くように要のミットに吸い込まれた。パァン、と乾いた高い音が響く。気持ちがよくて、気づいたら口角が上がっていた。
「ナイスボール! 奈良坂さん、何キロ出てますか?」
 座ったまま返球してきた要が問う。奈良坂は驚いたような、狐につままれたような表情でスピードガンを見ている。
「百四十キロ……」
「え……?」
「いやー、すごいなぁ、君」
「そんなに出てたんですか」
 投げられるようになってから計測するのはもちろん初めてだった。最速が百五十一キロなので、全盛期と比べれば全然及ばないが、それでも想像していたよりもずっと速度が出ていた。
「え、君、どこかでプレーしてないの?」
「してないです。俺は要さんの専属トレーナーなので。これからも、要さん一筋でやっていくつもりです」
 胸を張って答えれば、奈良坂は眩しそうに目を細めた。
「じゃあ、変化球も行くか。フォーク、スライダー、カット、シュート、チェンジアップの順な」
「分かりました!」
「あ、間宮くんごめんね。ちょっといいかな?」
 会話を止めた奈良坂に、二人の視線が刺さった。
「なんですか?」
 要はすっくと立ち上がり、ホームベースとマウンドの中間辺りまで近づいてくる。少しだけ怪訝そうな表情を浮かべていた。
「もし良ければ、君たちのことを記事にさせてくれないかい? 高校で青春を共にしたバッテリーが、形を変えて再び日本一を目指す。もちろん、二人が嫌じゃなければの話だけれど。記者タイトルは、そうだな……」
 まだ良いも悪いも言っていないが、アイディアが溢れて仕方ないようだ。奈良坂は目を輝かせながらあごに触れた。
「記事タイトルは、そうだな……『二人三脚。青春をもう一度』なんてどうかな。