(5)
ミーティングの日で部活のないその日、芽吹は息吹よりも先に帰宅した。
何度か小さく息を吐き、大きく弾む胸の鼓動を落ち着ける。郵便受けを確認するも、期待していたものはなく、今度ははっきりと溜め息を零した。
家に入り、自室に上がっていきながら制服のボタンに手をかける。
谷がこの家に送ったという、着払いの荷物。
もしも今日不在通知が入っていたら、息吹が見ていないうちに、中身をちらりと確認することができるかもしれない、なんて。
「確認して、一体どうするつもりなんだろうね、私は」
それでも、何か動かずにはいられない。
少しでも、息吹の欠けらを拾い集めたい衝動に駆られて、止まらないのだ。
鏡に映る自分の姿を見つめる。湧き上がる不安定な感情を対話するように、にこっと笑みを浮かべる。すぐ背中から、誰かの「何かあったの」と問いかける声が聞こえてきそうな出来だった。だめだこりゃ、と自嘲する。
その時だった。家のチャイムが耳に届く。
気づいたときには階段を駆け下りていた。ドアを開ける直前に制服が半端な状態だったことに気づき、慌ててボタンをつけ直す。
着払いの荷物に慌てて財布を取りに戻る。ようやく扉が閉じ、まるで短距離走を終えたように詰まった息を吐き出した。
「すご、重い」
届いた巨大なリュックは、谷が持っていたものとよく似ていた。
ひとまず玄関からリビングに移動させる。大きくて、歪な形をして、砂の匂いがした。
躊躇いをほとんど抱かずに、リュックを開いていく。
洗ったのかよくわからない煤けた服、服、服。洗濯しなければとまとめて抱き上げたのと同時に、中心部に眠る固い感触に気づいた。
1枚1枚剥ぎ取っていき姿を見せたそれに、熱いものがこみ上げてくる。
「……携帯もパソコンも、鉄くずにするくせにね」
服の山は緩衝材だったんだと、芽吹は淡く微笑んだ。
息吹を呼び出したのは、グラウンド裏の吹きさらしの空き地だった。
部活もなく授業もとうに終えた校舎周辺は、見事に人の気配は消え失せている。
職場から帰った矢先に職場近くに呼び出しを受けたにもかかわらず、息吹は律儀に姿を見せた。リビングに置いておいた手紙を手にして。
「息吹」
こちらに気づいているはずの兄を呼び寄せる。
時折吹き付ける風に、体が煽られそうになるのを芽吹は根性で耐えていた。
「どうしたの、それ」
純白のドレスが、夜の草原にふわりとたなびく。
月明かりを反射して、舞台のスポットを浴びるように眩しく浮かび上がる様に、息吹はただ瞳を奪われた。
「すごいよね。コルセットを着けたのもこんなヒールを履いたのも、これが初めてだよ」
「そうじゃなくて。そのドレス、どうしたの。それもこんな場所で」
「浩さんに頼み込んだの。息吹を大切に思う者同士のよしみとして」
再度疑問を挟まれる前に、芽吹は息吹の胸にあるものを押しつけた。
その感触だけで気づいたらしい息吹が、小さく息を飲んだのがわかった。
なかなか手に取ろうとしない兄に痺れを切らし、芽吹が無理矢理その手に抱かせる。
「落とすなんて、しないよね? たくさんの思い出が詰まった、大切なカメラなんだから」
「……どうして」
「浩さんが送った荷物、勝手に開けたの。ごめんなさい」
たくさんの服に守られるようにして、そのカメラは入っていた。
かろうじてそれを両手に乗せたままの息吹は、ぴくりとも動かない。
「私のことを、撮って。芽吹」
その顔を覗き込むようにして、芽吹は静かに告げた。
見開かれた瞳の奥に、弱々しくも凶暴な絶望が渦巻いているのが見える。
「浩に、聞いたんだね。全部」
「うん」
「だったらわかるでしょ。芽吹のことを、撮れるはずがない」
「私は死なないよ」
随分と無責任な宣言だと、自分でもわかっていた。それでも、もう決めたから。
息吹の手を離さず掴んで、温めて、引き上げたい。
「私は、絶対に死んだりしない。私が生きて、それを証明する」
「なにを言ってるの」
「私が守ってあげる、そう、言ったでしょう!?」
もし息吹に何かあったら、私が守ってあげる──あの言葉は、気休めで口にしたわけではない。
「だから、私で試してみせてよ。息吹の写真を待っている人が、この世界にたくさんいるんだってこと。それを、私に証明させて」
「……芽吹」
「……ね。いいでしょう、息吹……」
泣かないと決めていたはずなのに。
ぽろぽろと零れていく涙が、頬を掠めてドレスにそっと染みていく。
「……はは。まるで、私を抱いてって、言われてるみたい」
涙を親指で掬った息吹は、苦しそうに笑った。目尻に、微かな光を滲ませて。
「……いいの?」
「うん」
「でも」
「待ってるから。息吹が帰ってくるのを」
2人の涙を乾かすような夜風が通り過ぎ、山の向こうへと消えていく。
どんなに離れても、待ってる。息吹のことも、息吹が撮った写真も。
シャッター音が響く。
別れを意味するその音色が、静かな草原に何度も奏でられた。
純白のドレスの裾が、いつの間にか土と草露に色づけられるまで。
ミーティングの日で部活のないその日、芽吹は息吹よりも先に帰宅した。
何度か小さく息を吐き、大きく弾む胸の鼓動を落ち着ける。郵便受けを確認するも、期待していたものはなく、今度ははっきりと溜め息を零した。
家に入り、自室に上がっていきながら制服のボタンに手をかける。
谷がこの家に送ったという、着払いの荷物。
もしも今日不在通知が入っていたら、息吹が見ていないうちに、中身をちらりと確認することができるかもしれない、なんて。
「確認して、一体どうするつもりなんだろうね、私は」
それでも、何か動かずにはいられない。
少しでも、息吹の欠けらを拾い集めたい衝動に駆られて、止まらないのだ。
鏡に映る自分の姿を見つめる。湧き上がる不安定な感情を対話するように、にこっと笑みを浮かべる。すぐ背中から、誰かの「何かあったの」と問いかける声が聞こえてきそうな出来だった。だめだこりゃ、と自嘲する。
その時だった。家のチャイムが耳に届く。
気づいたときには階段を駆け下りていた。ドアを開ける直前に制服が半端な状態だったことに気づき、慌ててボタンをつけ直す。
着払いの荷物に慌てて財布を取りに戻る。ようやく扉が閉じ、まるで短距離走を終えたように詰まった息を吐き出した。
「すご、重い」
届いた巨大なリュックは、谷が持っていたものとよく似ていた。
ひとまず玄関からリビングに移動させる。大きくて、歪な形をして、砂の匂いがした。
躊躇いをほとんど抱かずに、リュックを開いていく。
洗ったのかよくわからない煤けた服、服、服。洗濯しなければとまとめて抱き上げたのと同時に、中心部に眠る固い感触に気づいた。
1枚1枚剥ぎ取っていき姿を見せたそれに、熱いものがこみ上げてくる。
「……携帯もパソコンも、鉄くずにするくせにね」
服の山は緩衝材だったんだと、芽吹は淡く微笑んだ。
息吹を呼び出したのは、グラウンド裏の吹きさらしの空き地だった。
部活もなく授業もとうに終えた校舎周辺は、見事に人の気配は消え失せている。
職場から帰った矢先に職場近くに呼び出しを受けたにもかかわらず、息吹は律儀に姿を見せた。リビングに置いておいた手紙を手にして。
「息吹」
こちらに気づいているはずの兄を呼び寄せる。
時折吹き付ける風に、体が煽られそうになるのを芽吹は根性で耐えていた。
「どうしたの、それ」
純白のドレスが、夜の草原にふわりとたなびく。
月明かりを反射して、舞台のスポットを浴びるように眩しく浮かび上がる様に、息吹はただ瞳を奪われた。
「すごいよね。コルセットを着けたのもこんなヒールを履いたのも、これが初めてだよ」
「そうじゃなくて。そのドレス、どうしたの。それもこんな場所で」
「浩さんに頼み込んだの。息吹を大切に思う者同士のよしみとして」
再度疑問を挟まれる前に、芽吹は息吹の胸にあるものを押しつけた。
その感触だけで気づいたらしい息吹が、小さく息を飲んだのがわかった。
なかなか手に取ろうとしない兄に痺れを切らし、芽吹が無理矢理その手に抱かせる。
「落とすなんて、しないよね? たくさんの思い出が詰まった、大切なカメラなんだから」
「……どうして」
「浩さんが送った荷物、勝手に開けたの。ごめんなさい」
たくさんの服に守られるようにして、そのカメラは入っていた。
かろうじてそれを両手に乗せたままの息吹は、ぴくりとも動かない。
「私のことを、撮って。芽吹」
その顔を覗き込むようにして、芽吹は静かに告げた。
見開かれた瞳の奥に、弱々しくも凶暴な絶望が渦巻いているのが見える。
「浩に、聞いたんだね。全部」
「うん」
「だったらわかるでしょ。芽吹のことを、撮れるはずがない」
「私は死なないよ」
随分と無責任な宣言だと、自分でもわかっていた。それでも、もう決めたから。
息吹の手を離さず掴んで、温めて、引き上げたい。
「私は、絶対に死んだりしない。私が生きて、それを証明する」
「なにを言ってるの」
「私が守ってあげる、そう、言ったでしょう!?」
もし息吹に何かあったら、私が守ってあげる──あの言葉は、気休めで口にしたわけではない。
「だから、私で試してみせてよ。息吹の写真を待っている人が、この世界にたくさんいるんだってこと。それを、私に証明させて」
「……芽吹」
「……ね。いいでしょう、息吹……」
泣かないと決めていたはずなのに。
ぽろぽろと零れていく涙が、頬を掠めてドレスにそっと染みていく。
「……はは。まるで、私を抱いてって、言われてるみたい」
涙を親指で掬った息吹は、苦しそうに笑った。目尻に、微かな光を滲ませて。
「……いいの?」
「うん」
「でも」
「待ってるから。息吹が帰ってくるのを」
2人の涙を乾かすような夜風が通り過ぎ、山の向こうへと消えていく。
どんなに離れても、待ってる。息吹のことも、息吹が撮った写真も。
シャッター音が響く。
別れを意味するその音色が、静かな草原に何度も奏でられた。
純白のドレスの裾が、いつの間にか土と草露に色づけられるまで。