(1)
荷ほどきもほどほどに、芽吹は息吹の首根っこを捕まえてリビングに招集した。
話題はもちろん、帰宅と同時に待ち構えていた「谷浩太郎」という人物についてだ。
顔立ちは日本人ながら長い金髪に、息吹と同じほどの上背。それにやや似つかわしくない幼さを漂わせる大きな瞳が、今でも強烈な印象を残している。
正直、ここ最近の悩みが片付いたところに、新たな火種を抱えたくはなかった。
それでも、このまま見ない振りをしていても、結局考え込むのは目に見えている。芽吹は腹をくくった。
「浩は、俺のカメラマン時代の相棒だよ」
ずず、とココアを啜りながら、息吹は淡々と話した。
「20代前半で初めて海外に仕事に出て、先に現地入りしていたのが浩だった。歳も近かったし、一緒に行動することが増えて、気づいたら一緒くたに依頼を受けるようになった。最後の仕事の時も、現地で一緒に仕事をしてたんだ」
この兄に相棒と言える存在がいたことに驚く。
しかし、先ほど目にしたどこかマイペースな振る舞いを思うに、意外と似たもの同士で馬が合ったのかもしれないとも思った。
「そういえばあの人、さっき息吹の荷物がどうとか言ってたよね」
「うん。俺が荷物のほとんどを、現地にほっぽって日本に帰ってきたから」
「え、そうなの?」
「うん。仕事用の携帯もパソコンも、ハード粉砕して燃やして鉄くずにして、連絡手段も完全に絶って」
「え、そうなの!?」
「残った仕事も、その引き継ぎも、浩への説明も。全部全部ほっぽってきたからね」
「……咄嗟とはいえ、庇い立てするんじゃなかった」
平然と社会人としてあるまじき行動を自供した兄に、芽吹は頭を抱える。
1発の殴打じゃ温い。10発はお見舞いしてもいいほどの暴挙だ。
でも、と芽吹は疑問を浮かべる。
そんな、控えめに言っても最悪な「相棒」に、何故谷は会いに来たのだろう。
数年来の付き合いとは言え、来日して、実家の住所まで調べ上げて、あんな言葉を残して。
「とはいえ、驚いたよねえ。浩ってば、髪が放置された小麦畑みたいだった」
「初めて会った息吹も、似たようなものだったよ」
「はは、そうだったかな」
猶予は1週間、そう谷は言った。
それはまるで、つい昨晩埋まったはずの心の隙間を、死刑宣告のように容易く引き剥がす。
1週間後、息吹は彼の問いにどんな答えを返すのだろう。
「ねえ、息吹」
「うん?」
「今夜、何時に眠るの」
意外な質問だったのか、息吹は首を傾げながら部屋の時計を見上げた。
「寝支度は整ってるし、この説明会が済んだら寝ようと思ってたよ。遠出だったし、明日は仕事もあるしね」
「私も、一緒に眠っていい?」
少しの緊張をはらんだ問いかけに、無意識に膝をぎゅっと握る。
「よろこんで」と息吹は笑った。こちらの意図を汲み取ったかどうかは、測れない笑顔だった。
翌日、部活を終えて制服に着替えた芽吹を、安達が待っていた。
この時間になると夏でも辺りは薄暗く、空には星明かりが微かに浮かんでいる。
校舎前の坂道を下りながら、今日の部活のことなどをとりとめなく話す。
そしてふとした拍子に、安達が何かを噛みしめるように「よかった」と零した。
「先輩、よかったって……?」
「ん-、わかんね。しいて言えばこうやって、芽吹が隣を歩いてることかな?」
照れ隠しなのか、大げさに頷く安達にくすりと笑みが上る。
そんな反応に少し拗ねてみせた後、安達の視線がすっと芽吹の顔色をさらった。
「でも、さすがに疲れは取れてねーか。土日で撮影してとんぼ返りだったんだもんな。当然か」
「ですね。でも、お陰さまですごくいい写真が撮れたみたいです」
写真のデータは、まだ奈津美に見せてもらえていない。
自分の目で選別して、納得いく写真を見て欲しいから。そう言って振り返る奈津美は、子どものように無邪気に笑っていた。
「今回のモデルのことも、断らなくて本当によかったです。今までのままじゃ知らない世界を、見ることができた気がしますから」
「そっか。お前、頑張ってたもんな」
そう言うと、安達の手のひらがそっと芽吹の頭に触れた。
はっと小さく息を飲んだ音がどちらのものだったのかは、互いにわからなかった。
「っ……あの、先輩」
「あー、あれだ。約束したもんな!」
「え?」
「ほら、あの。カメラ恐怖症を克服したら……ってやつ」
それは、モデルを引き受けるか迷っていたときに、2年生の廊下で無茶苦茶を言った時の口約束だった。
まさか、覚えていてくれたなんて。
「よくやったな。やっぱすげーよ、お前」
「……先輩」
「ん?」
「安達先輩」
2度目の呼びかけに、安達の表情が微かに色を変えた。
幸い芽吹たちが下ってきた側の歩道は人もまばらで、暗がりでは人目に付きにくい。ぐ、と芽吹は自分を奮い立たせた。
「まだ、誰にも言っていない話をしてもいいですか」
「……ああ」
「私と息吹は、血の繋がりがありません」
荷ほどきもほどほどに、芽吹は息吹の首根っこを捕まえてリビングに招集した。
話題はもちろん、帰宅と同時に待ち構えていた「谷浩太郎」という人物についてだ。
顔立ちは日本人ながら長い金髪に、息吹と同じほどの上背。それにやや似つかわしくない幼さを漂わせる大きな瞳が、今でも強烈な印象を残している。
正直、ここ最近の悩みが片付いたところに、新たな火種を抱えたくはなかった。
それでも、このまま見ない振りをしていても、結局考え込むのは目に見えている。芽吹は腹をくくった。
「浩は、俺のカメラマン時代の相棒だよ」
ずず、とココアを啜りながら、息吹は淡々と話した。
「20代前半で初めて海外に仕事に出て、先に現地入りしていたのが浩だった。歳も近かったし、一緒に行動することが増えて、気づいたら一緒くたに依頼を受けるようになった。最後の仕事の時も、現地で一緒に仕事をしてたんだ」
この兄に相棒と言える存在がいたことに驚く。
しかし、先ほど目にしたどこかマイペースな振る舞いを思うに、意外と似たもの同士で馬が合ったのかもしれないとも思った。
「そういえばあの人、さっき息吹の荷物がどうとか言ってたよね」
「うん。俺が荷物のほとんどを、現地にほっぽって日本に帰ってきたから」
「え、そうなの?」
「うん。仕事用の携帯もパソコンも、ハード粉砕して燃やして鉄くずにして、連絡手段も完全に絶って」
「え、そうなの!?」
「残った仕事も、その引き継ぎも、浩への説明も。全部全部ほっぽってきたからね」
「……咄嗟とはいえ、庇い立てするんじゃなかった」
平然と社会人としてあるまじき行動を自供した兄に、芽吹は頭を抱える。
1発の殴打じゃ温い。10発はお見舞いしてもいいほどの暴挙だ。
でも、と芽吹は疑問を浮かべる。
そんな、控えめに言っても最悪な「相棒」に、何故谷は会いに来たのだろう。
数年来の付き合いとは言え、来日して、実家の住所まで調べ上げて、あんな言葉を残して。
「とはいえ、驚いたよねえ。浩ってば、髪が放置された小麦畑みたいだった」
「初めて会った息吹も、似たようなものだったよ」
「はは、そうだったかな」
猶予は1週間、そう谷は言った。
それはまるで、つい昨晩埋まったはずの心の隙間を、死刑宣告のように容易く引き剥がす。
1週間後、息吹は彼の問いにどんな答えを返すのだろう。
「ねえ、息吹」
「うん?」
「今夜、何時に眠るの」
意外な質問だったのか、息吹は首を傾げながら部屋の時計を見上げた。
「寝支度は整ってるし、この説明会が済んだら寝ようと思ってたよ。遠出だったし、明日は仕事もあるしね」
「私も、一緒に眠っていい?」
少しの緊張をはらんだ問いかけに、無意識に膝をぎゅっと握る。
「よろこんで」と息吹は笑った。こちらの意図を汲み取ったかどうかは、測れない笑顔だった。
翌日、部活を終えて制服に着替えた芽吹を、安達が待っていた。
この時間になると夏でも辺りは薄暗く、空には星明かりが微かに浮かんでいる。
校舎前の坂道を下りながら、今日の部活のことなどをとりとめなく話す。
そしてふとした拍子に、安達が何かを噛みしめるように「よかった」と零した。
「先輩、よかったって……?」
「ん-、わかんね。しいて言えばこうやって、芽吹が隣を歩いてることかな?」
照れ隠しなのか、大げさに頷く安達にくすりと笑みが上る。
そんな反応に少し拗ねてみせた後、安達の視線がすっと芽吹の顔色をさらった。
「でも、さすがに疲れは取れてねーか。土日で撮影してとんぼ返りだったんだもんな。当然か」
「ですね。でも、お陰さまですごくいい写真が撮れたみたいです」
写真のデータは、まだ奈津美に見せてもらえていない。
自分の目で選別して、納得いく写真を見て欲しいから。そう言って振り返る奈津美は、子どものように無邪気に笑っていた。
「今回のモデルのことも、断らなくて本当によかったです。今までのままじゃ知らない世界を、見ることができた気がしますから」
「そっか。お前、頑張ってたもんな」
そう言うと、安達の手のひらがそっと芽吹の頭に触れた。
はっと小さく息を飲んだ音がどちらのものだったのかは、互いにわからなかった。
「っ……あの、先輩」
「あー、あれだ。約束したもんな!」
「え?」
「ほら、あの。カメラ恐怖症を克服したら……ってやつ」
それは、モデルを引き受けるか迷っていたときに、2年生の廊下で無茶苦茶を言った時の口約束だった。
まさか、覚えていてくれたなんて。
「よくやったな。やっぱすげーよ、お前」
「……先輩」
「ん?」
「安達先輩」
2度目の呼びかけに、安達の表情が微かに色を変えた。
幸い芽吹たちが下ってきた側の歩道は人もまばらで、暗がりでは人目に付きにくい。ぐ、と芽吹は自分を奮い立たせた。
「まだ、誰にも言っていない話をしてもいいですか」
「……ああ」
「私と息吹は、血の繋がりがありません」