(1)
最後に撮ったのは、もうこの世にいない人。その人の写真が、俺の最後の写真。
そう言った息吹の顔が、頭から離れない。
息吹がうちに来て初めて、朝に顔を合わせることなく家を出た。
一応簡単にメモを残して、朝食もそこそこに、逃げるように。
だって、一体どんな顔をして「おはよう」なんて言えるんだろう。
自分の気持ちを押し付けて、涙まで使って、無理やりあんなことを言わせるなんて。
「あれ。芽吹?」
早すぎる登校時間に気づき、何となく顔を出したグラウンド。そこには水道で無造作に顔を洗う人影が佇んでいた。
「安達先輩……朝練ですか」
「そ。なんか朝から目が冴えてさ。にしても気合入れすぎたなー。すでに汗がやばい」
「はは、天才ピッチャーも、やっぱり陰で努力してるんですね」
「そーゆーこと。んで、お前はどうした? 登校時間にはまだだいぶ早いだろ?」
白い朝日のような笑顔に、胸が透く思いがする。
長い息を吐いてタオルをかぶる姿に瞳を奪われる。その姿は、昨日話した息吹の姿と、知らずのうちに重なっていた。
「――私、写真を撮られるのが苦手なんです」
「え?」
「昔、写真がきっかけでいじめを受けて」
唐突な語りだしに、安達は目を丸くした。
それに気づきながらも、一度紡ぎ出した言葉はまるで急くように吐き出されていく。
「小さい頃でしたけど、お父さんにお母さんにもすごくすごく心配かけました。だから何度も克服しようとして、でも、その度に具合が悪くなったり体が震えてきたりして、結局断念して」
「うん」
「さすがに今は、怖い気持ちもほとんど収まってます。でも、まだ体が覚えてるっていうか……さっと背中が冷えるんです。カメラのレンズが向くのを感じると」
「そっか。もったいねーな」
「え?」
「お前のふとした表情って、めちゃくちゃ色っぽいんだよ。知らなかった?」
予想外のコースから投げられた言葉に、今度は芽吹が目を丸くする番だった。
大型犬のようにぶるぶると水滴を辺りに散らすと、安達は芽吹のすぐ目の前まで歩みを進めてくる。至近距離で凝視される構図に、今さらじわりと顔が熱くなった。
「色っぽいって、また、そんな冗談を」
「だーかーらー冗談じゃねーって。お前だって知ってんだろ? 俺の気持ち」
もはや開き直ったように告げられ、芽吹はぐっと言葉に詰まる。
「前見た写真もそうだけどさ。お前、魅力あるって。何だろなー、わかりやすい魅力じゃねーんだけど……周りの世界から、じわーっと浮き出てるみたいな感じ?」
「ぷ。何ですかその例え」
「うっせ。語彙力が貧困で悪かったな」
「ふふ、そんな子どもみたいな拗ね方しなくても」
「拗ねもするわ。どうせまた、あのシスコン兄貴のことでそんな顔になってんだろ?」
せっかく緩んだ表情が、ぎくりと固くなる。その変化を見た安達は困ったように笑い、芽吹の頭に手を乗せた。
「まったく。お前ら兄妹は、案外似た者同士なのかもなあ」
「? それってどういう……」
「んー。相手のことばかりに気にして、自分をないがしろにして、爆発するタイプ?」
「うっ」
語彙力のない口が、ずばりストレートに言い当ててくる。
でも、今回の私は別に、自分をないがしろにしていない。むしろ逆だ。自分の勝手で、息吹を傷つけてしまって――。
「へえ、逆? それならいい傾向じゃね?」
「いい、って」
「お前ら、2人とも物分かりがよすぎんだよ」
何が楽しいのか、安達はケタケタと大層愉快に笑った。
「よくわからねーけど、確かずっとずっと、離れてた家族なんだろ? そりゃぶつかり合いの10回や20回、するべきだと思うぜ」
そうでなけりゃ、どう家族になるってんだよ?
すとんと落ちてきたその言葉が、胸の奥にそっと沁みていく。
ようやく、朝が来た心地がした。
「そっかー、写真の指南作戦は、失敗だったか」
午前の移動教室。
話の顛末を聞いた奈津美が、静かにそう言った。
「ごめん、芽吹。私、ちょっと楽観的だったかもしれない」
「ううん、奈津美のせいじゃなくて、勝手に自爆した私のせい。写真指南のことは結局話題に出せてないしね」
それに、と芽吹は思う。
結局コンテストのためなんて建前で、本当は自分自身が聞いてみたかっただけだ。息吹が一体何を抱えて、どうしてそんな表情をして、私には何ができるのか。
ずるいな、と芽吹は小さく自嘲する。
でも、ぐちゃぐちゃと馬鹿みたいに考え込んだおかげで、1つ、心に決まった。
「ねえ奈津美。私、モデルを引き受けたいんだけど、いいかな」
「え?」「芽吹」2人の声が、ぴたりと重なった。
「え、え。いいの? 誘っておいてなんだけど、無理してない? てか、やけになってない?」
「奈津美。芽吹、せっかく決心してくれたのに」
「はは。そういう反応になるよね。でも大丈夫。ちゃんと考えて出した結論だから」
息吹が言う、最後の写真がどんなものだったのか。どんな人だったのか。男の人? 女の人? その時一体何があったのか。たくさんの疑問が波のように次々押し寄せてくる。
でもそのおかげで気づいたのだ。
いつの間にか芽吹は、自分が思う以上に息吹を大切に思っていたということ。
息吹の突拍子もない行動やおかしな価値観が、少なからず芽吹に影響を与えているということも。
それなら、今度は私が。
「ただ……前々から言ってる通り、私カメラ苦手なんだ。不意打ちならまだしも、本格的に撮られるとなると、かなり迷惑をかけることになると思う。でも私、精一杯努力するから、少し見守ってくれる……?」
「……」
「……」
「……あの、2人とも?」
次の瞬間、表情を一切変えない奈津美の手が伸び、芽吹の顔を胸の中に素早く抱いた。
見た目よりも着痩せする奈津美のバストを押し付けられ、一瞬息に詰まる。
「何だこの子。今の芽吹、めっちゃ可愛かった」
「うん。可愛かった」
「は、はあ?」
奈津美の抱擁から脱出しようとするも、なかなか力を緩める気配はない。しかし、その温もりにうっかり心が緩まる気がするのも事実だった。
最後に撮ったのは、もうこの世にいない人。その人の写真が、俺の最後の写真。
そう言った息吹の顔が、頭から離れない。
息吹がうちに来て初めて、朝に顔を合わせることなく家を出た。
一応簡単にメモを残して、朝食もそこそこに、逃げるように。
だって、一体どんな顔をして「おはよう」なんて言えるんだろう。
自分の気持ちを押し付けて、涙まで使って、無理やりあんなことを言わせるなんて。
「あれ。芽吹?」
早すぎる登校時間に気づき、何となく顔を出したグラウンド。そこには水道で無造作に顔を洗う人影が佇んでいた。
「安達先輩……朝練ですか」
「そ。なんか朝から目が冴えてさ。にしても気合入れすぎたなー。すでに汗がやばい」
「はは、天才ピッチャーも、やっぱり陰で努力してるんですね」
「そーゆーこと。んで、お前はどうした? 登校時間にはまだだいぶ早いだろ?」
白い朝日のような笑顔に、胸が透く思いがする。
長い息を吐いてタオルをかぶる姿に瞳を奪われる。その姿は、昨日話した息吹の姿と、知らずのうちに重なっていた。
「――私、写真を撮られるのが苦手なんです」
「え?」
「昔、写真がきっかけでいじめを受けて」
唐突な語りだしに、安達は目を丸くした。
それに気づきながらも、一度紡ぎ出した言葉はまるで急くように吐き出されていく。
「小さい頃でしたけど、お父さんにお母さんにもすごくすごく心配かけました。だから何度も克服しようとして、でも、その度に具合が悪くなったり体が震えてきたりして、結局断念して」
「うん」
「さすがに今は、怖い気持ちもほとんど収まってます。でも、まだ体が覚えてるっていうか……さっと背中が冷えるんです。カメラのレンズが向くのを感じると」
「そっか。もったいねーな」
「え?」
「お前のふとした表情って、めちゃくちゃ色っぽいんだよ。知らなかった?」
予想外のコースから投げられた言葉に、今度は芽吹が目を丸くする番だった。
大型犬のようにぶるぶると水滴を辺りに散らすと、安達は芽吹のすぐ目の前まで歩みを進めてくる。至近距離で凝視される構図に、今さらじわりと顔が熱くなった。
「色っぽいって、また、そんな冗談を」
「だーかーらー冗談じゃねーって。お前だって知ってんだろ? 俺の気持ち」
もはや開き直ったように告げられ、芽吹はぐっと言葉に詰まる。
「前見た写真もそうだけどさ。お前、魅力あるって。何だろなー、わかりやすい魅力じゃねーんだけど……周りの世界から、じわーっと浮き出てるみたいな感じ?」
「ぷ。何ですかその例え」
「うっせ。語彙力が貧困で悪かったな」
「ふふ、そんな子どもみたいな拗ね方しなくても」
「拗ねもするわ。どうせまた、あのシスコン兄貴のことでそんな顔になってんだろ?」
せっかく緩んだ表情が、ぎくりと固くなる。その変化を見た安達は困ったように笑い、芽吹の頭に手を乗せた。
「まったく。お前ら兄妹は、案外似た者同士なのかもなあ」
「? それってどういう……」
「んー。相手のことばかりに気にして、自分をないがしろにして、爆発するタイプ?」
「うっ」
語彙力のない口が、ずばりストレートに言い当ててくる。
でも、今回の私は別に、自分をないがしろにしていない。むしろ逆だ。自分の勝手で、息吹を傷つけてしまって――。
「へえ、逆? それならいい傾向じゃね?」
「いい、って」
「お前ら、2人とも物分かりがよすぎんだよ」
何が楽しいのか、安達はケタケタと大層愉快に笑った。
「よくわからねーけど、確かずっとずっと、離れてた家族なんだろ? そりゃぶつかり合いの10回や20回、するべきだと思うぜ」
そうでなけりゃ、どう家族になるってんだよ?
すとんと落ちてきたその言葉が、胸の奥にそっと沁みていく。
ようやく、朝が来た心地がした。
「そっかー、写真の指南作戦は、失敗だったか」
午前の移動教室。
話の顛末を聞いた奈津美が、静かにそう言った。
「ごめん、芽吹。私、ちょっと楽観的だったかもしれない」
「ううん、奈津美のせいじゃなくて、勝手に自爆した私のせい。写真指南のことは結局話題に出せてないしね」
それに、と芽吹は思う。
結局コンテストのためなんて建前で、本当は自分自身が聞いてみたかっただけだ。息吹が一体何を抱えて、どうしてそんな表情をして、私には何ができるのか。
ずるいな、と芽吹は小さく自嘲する。
でも、ぐちゃぐちゃと馬鹿みたいに考え込んだおかげで、1つ、心に決まった。
「ねえ奈津美。私、モデルを引き受けたいんだけど、いいかな」
「え?」「芽吹」2人の声が、ぴたりと重なった。
「え、え。いいの? 誘っておいてなんだけど、無理してない? てか、やけになってない?」
「奈津美。芽吹、せっかく決心してくれたのに」
「はは。そういう反応になるよね。でも大丈夫。ちゃんと考えて出した結論だから」
息吹が言う、最後の写真がどんなものだったのか。どんな人だったのか。男の人? 女の人? その時一体何があったのか。たくさんの疑問が波のように次々押し寄せてくる。
でもそのおかげで気づいたのだ。
いつの間にか芽吹は、自分が思う以上に息吹を大切に思っていたということ。
息吹の突拍子もない行動やおかしな価値観が、少なからず芽吹に影響を与えているということも。
それなら、今度は私が。
「ただ……前々から言ってる通り、私カメラ苦手なんだ。不意打ちならまだしも、本格的に撮られるとなると、かなり迷惑をかけることになると思う。でも私、精一杯努力するから、少し見守ってくれる……?」
「……」
「……」
「……あの、2人とも?」
次の瞬間、表情を一切変えない奈津美の手が伸び、芽吹の顔を胸の中に素早く抱いた。
見た目よりも着痩せする奈津美のバストを押し付けられ、一瞬息に詰まる。
「何だこの子。今の芽吹、めっちゃ可愛かった」
「うん。可愛かった」
「は、はあ?」
奈津美の抱擁から脱出しようとするも、なかなか力を緩める気配はない。しかし、その温もりにうっかり心が緩まる気がするのも事実だった。