(6)
「それじゃ、俺も風呂に入ってくるね」
「あ、うん。わかった」
ひらひらと手を振ってリビングから息吹の姿がなくなると、芽吹はふーっと長い息を吐いた。
帰宅後も、夕食時も、皿洗いの時に至るまで、芽吹はあらゆる隙を狙っていた。ただ、その隙と芽吹の思いきりのタイミングがことごとくずれ込み、時間だけが空しく過ぎていく。
踏ん切りのつかない自分に脱力しながら、芽吹はリビングのソファーに倒れ込むように腰を落とした。
「ただ、友達がカメラ指南してほしいらしい、って話すだけなのに」
授業をサボってまで話を聞いてくれた2人の姿が脳裏に過る。
今思えば、奈津美の「カメラ指南」発言も、私を後押しするために言いだした気がしていた。私が、息吹にカメラの話題を出しやすいようにと。
そう考えると、あまり日を伸ばしたくはない。モデルの返答の件もある。
でも、と芽吹は思う。
息吹は、昼休みの保健室のことについては何も問いただそうとはなかった。芽吹が、あんなふうに逃げ戻ったにも関わらず。
小笠原に話をすでに聞いているのか、芽吹の様子をおもんばかっているのか――もしも後者だとしたら、そんな息吹の古傷をえぐるような質問をしてもいいのだろうか?
「……写真、綺麗だな」
無意識にリビングに飾られた大きなフレームに視線を馳せる。ソファーから立ち上がり、フレームの前まで歩みを寄せた。
物心ついたときからこれは壁にかけられていた。
時折写真のことが話題にのぼったが、両親とも息吹の話につなげることはしなかった。
もしかしたら、息吹に口止めでもされてたのかもしれない。現に、前職がカメラマンだったことすら、聞かされていなかった。何度目かわからない「どうして」が頭に過る。
「こんなに、素敵な写真が撮れるのに」
「素敵、ね」
「っ!」
気づくと濡れた頭にタオルをかけた息吹が、寝間着姿で扉に寄り掛かっていた。その顔に浮かぶ表情は、どこか寂しげだった。
「そっか。昼に葵と話してたのって、この写真のことか」
「えっと……」
「まあ、それならいいや。いくら葵に聞いても、昼休みのこと口割らないんだもん。安心した」
あ、ふたを閉じられる。
「ねえ、どうしてカメラが嫌いなんて言うの」
勢いのままだった。
でも、このままだと話題ごとさらりと流される気がしたのだ。それだけは、どうしても避けたかった。
「こんなに素敵な写真を撮ることができる人が、どうしてカメラが嫌いなんて言うの」
「芽吹」
「どうして、カメラマンだったこと、話してくれなかったの」
「めぶ」
「っ、どう、して」
どうして、そんなふうに、見えない壁を作ったままなの。
ぼろりと零れ落ちた本音に、息吹は目を見開いた。
ほんの一瞬中で止まった後、息吹の手がそっと差し出される。息吹の指先が芽吹の頬を撫でると、冷たく湿る心地がした。
「ごめんね。でも芽吹のせいじゃない。俺が、俺の事情で話さなかっただけ」
「っ、いぶ」
「だから、泣かないで」
言われてようやく、自分が泣いていることに気づいた。
見上げるとそこには、初めて目にする兄の姿がある。こんな、弱り切った表情、するのか。
「確かに、カメラも写真もずっと好きだった。でも、もう撮らないって決めた」
「どうして」
「人が死ぬから」
その言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
「最後に撮ったのは、もうこの世にいない人。その人の写真が、俺の最後の写真」
そう告げる息吹は、風に揺れる花のように、儚い幻のようだった。
「それじゃ、俺も風呂に入ってくるね」
「あ、うん。わかった」
ひらひらと手を振ってリビングから息吹の姿がなくなると、芽吹はふーっと長い息を吐いた。
帰宅後も、夕食時も、皿洗いの時に至るまで、芽吹はあらゆる隙を狙っていた。ただ、その隙と芽吹の思いきりのタイミングがことごとくずれ込み、時間だけが空しく過ぎていく。
踏ん切りのつかない自分に脱力しながら、芽吹はリビングのソファーに倒れ込むように腰を落とした。
「ただ、友達がカメラ指南してほしいらしい、って話すだけなのに」
授業をサボってまで話を聞いてくれた2人の姿が脳裏に過る。
今思えば、奈津美の「カメラ指南」発言も、私を後押しするために言いだした気がしていた。私が、息吹にカメラの話題を出しやすいようにと。
そう考えると、あまり日を伸ばしたくはない。モデルの返答の件もある。
でも、と芽吹は思う。
息吹は、昼休みの保健室のことについては何も問いただそうとはなかった。芽吹が、あんなふうに逃げ戻ったにも関わらず。
小笠原に話をすでに聞いているのか、芽吹の様子をおもんばかっているのか――もしも後者だとしたら、そんな息吹の古傷をえぐるような質問をしてもいいのだろうか?
「……写真、綺麗だな」
無意識にリビングに飾られた大きなフレームに視線を馳せる。ソファーから立ち上がり、フレームの前まで歩みを寄せた。
物心ついたときからこれは壁にかけられていた。
時折写真のことが話題にのぼったが、両親とも息吹の話につなげることはしなかった。
もしかしたら、息吹に口止めでもされてたのかもしれない。現に、前職がカメラマンだったことすら、聞かされていなかった。何度目かわからない「どうして」が頭に過る。
「こんなに、素敵な写真が撮れるのに」
「素敵、ね」
「っ!」
気づくと濡れた頭にタオルをかけた息吹が、寝間着姿で扉に寄り掛かっていた。その顔に浮かぶ表情は、どこか寂しげだった。
「そっか。昼に葵と話してたのって、この写真のことか」
「えっと……」
「まあ、それならいいや。いくら葵に聞いても、昼休みのこと口割らないんだもん。安心した」
あ、ふたを閉じられる。
「ねえ、どうしてカメラが嫌いなんて言うの」
勢いのままだった。
でも、このままだと話題ごとさらりと流される気がしたのだ。それだけは、どうしても避けたかった。
「こんなに素敵な写真を撮ることができる人が、どうしてカメラが嫌いなんて言うの」
「芽吹」
「どうして、カメラマンだったこと、話してくれなかったの」
「めぶ」
「っ、どう、して」
どうして、そんなふうに、見えない壁を作ったままなの。
ぼろりと零れ落ちた本音に、息吹は目を見開いた。
ほんの一瞬中で止まった後、息吹の手がそっと差し出される。息吹の指先が芽吹の頬を撫でると、冷たく湿る心地がした。
「ごめんね。でも芽吹のせいじゃない。俺が、俺の事情で話さなかっただけ」
「っ、いぶ」
「だから、泣かないで」
言われてようやく、自分が泣いていることに気づいた。
見上げるとそこには、初めて目にする兄の姿がある。こんな、弱り切った表情、するのか。
「確かに、カメラも写真もずっと好きだった。でも、もう撮らないって決めた」
「どうして」
「人が死ぬから」
その言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
「最後に撮ったのは、もうこの世にいない人。その人の写真が、俺の最後の写真」
そう告げる息吹は、風に揺れる花のように、儚い幻のようだった。