実らないとわかっている片想いは、不毛でしかない。

 それなのに、好きにならなきゃよかったとも、好きになる前に戻りたいとも思わないのだから不思議だ。

 がらんとした教室から、あたしは窓の向こうを眺める。中庭から見上げるその人は、ふわりと柔らかく笑ってあたしに手を振ってくれた。自然と頬が緩んで、あたしも手を振り返す。

 たったそれだけで、この世界が満たされていく。それだけでいい、はずなのに。

 隣の人から会釈をされて、うっかり笑顔が引きつってしまった。好きな人の好きな人のことを、あたしは好きになれない。大事にもできない。だけど、嫌いにもなれなかった。

 一旦落ち着こうと窓から離れて、あたしはどかっと乱暴に椅子に腰を下ろす。窓から入り込んだ風は少しだけ肌寒く感じた。

「あー、もう。ぜんっぜん意味わかんない。何で隣にいるわけ!?」
梨本(なしもと)、顔酷いことになってる」

 苦笑いを浮かべる小山内(おさない)の机に肘を置いて「わかってる」と返した。だけど、口は止められない。

「あれの何がいいんだろうねぇ」

 ベンチに向かって歩きながら語らう男女2人。あたしがこの目に映したいのは1人なのに、残念ながら余計なのが視界に入ってしまう。

 治りかけた傷を引っかかれるような痛み。かさぶたができる前にまた新しい傷が増えていく。

「知らん。俺も逆に聞きたい。相手のどこを好きになったのか」
「聞いたことないの? えー、大親友のくせに?」

 あたしは茶化すように笑って、わざとらしいため息を吐く。

「うるせぇな。お前が言い出したんだろうが」
「お前とか言わないでよ。そんなんだから、ろくに相手にもされないんでしょ」
「よくわかんねぇことで傷をえぐるな。やり返すぞ」
「ひどーい。傷心中なのに!」

 うっと胸をおさえると、小山内がやれやれと呆れたように「うざすぎ」と吐き捨てるように言った。ひどい。うざすぎなのはお互いさまでしょうが。

「わざわざ見るなよ」
「じゃあ何で小山内は残ってんのよ。その眼鏡折ってやろうか」
「折るなよ。別に俺だっていたくて残ってるわけじゃねぇの。一緒に帰ろうって言われたんだよ」

 眼鏡の奥の瞳と視線がぶつからなかった。そりゃ待っちゃうわけか。

「うわー、かわいそう。人のこと待たせて何やってんだか。もしかして、今日もう告白だったりして?」
「今日はないだろ」
「どうかなあ」

 お互いの好きな人があとどれくらいで結ばれるのか、賭けをしている。あたしはあと3日で、小山内はあと1週間と見ているらしい。そんなに長くかかるかな。

 めでたく結ばれたら、晴れてあたしたちは仲良く失恋組だ。

 好きな人を目で追いかけるうちに仲間を見つけて、あたしから話しかけた。小山内は認めなかったものの、勝手にあたしが相談相手になってほしいと頼み込んだ。その後、打ち明けてくれた小山内はほっとしたように微笑んで言った。

 ――『話せたのが梨本で良かった』

 いいやつだと思う。報われてほしいと、きっと誰より、本人よりも、あたしが願っている。それと同時に叶うことはないことも知っていた。

 もうほとんどあの2人が付き合うのは確定のため、こうして傷を見せ合っている。

 癒すことはないし、癒されることもないとわかっているから、見せるだけ。誰かに今思っていることを素直に吐露できるのは、いくらか胸のもやもやが晴れる気がした。それは小山内も同じだといい。

「忘れてそうだし、もう帰るか」
「え、じゃあ、ちょっと下行って約束忘れんなって言ってきてよ。そしたら、あたしは(しのぶ)と一緒に帰りたい」
「やだよ。邪魔したくねぇし」

 まだまだとばかりに茂る葉が邪魔をして、2人の表情が見えなくなってしまった。何であんなところで話してるのかな。

 あたしは手を伸ばしてそっと窓を閉める。何もわざわざ中庭じゃなくたって、校内を探せばいくらだって良さそうな場所はある。

「結局のとこ何話してんだろうね、あれ」
「映画誘うって話は聞いたから、それじゃね?」
「小山内知ってたのね。告白はまだ先かあ」
「だろうな」
「なーんだ。にしても。教室だとあたしたちがいるから誘いづらかった、まではわかるけど図書室行くとか、寄り道するとかあったじゃんね」
「わざとここにいて邪魔したくせによく言うわ」

 てへ、とかわいこぶったところで真っ黒なあたしは隠せない。小山内にはやっぱバレてたか。邪魔したところで進展を止められるわけでもない。

 あたしのしてることは、ただ虚しさを広げるだけの無意味なものだ。ほんと不毛。

 忍をこの気温で外に連れ出すなんて思いやりに欠けている。もうちょっと考えてほしい。なんて、忍は微塵も思わないんだろうなあ。

 あーあ。ため息を吐きながら、机に突っ伏すあたしに「自己嫌悪はよそでやれ」と小山内は頭を叩いてきた。痛くはない。

「付き合わなければいいのに」
「それは無理だな」
「告白できないヘタレでいてほしい」
「それも無理だな」
「何で小山内が答えるのよ。ここはそうだなってとこでしょ」
「俺は好きな人に幸せでいてほしいの」

 穏やかな水面のように落ち着いた声色に震えが混じっているような気がして、じっと見つめる。ほんの少しだけ、瞳が揺れたかと思えばまつ毛を伏せてしまった。

 小山内がそんなんだから、あたしがいつも泣きたくなるんじゃない。鼻の奥がツンとしてあたしは口をつぐむ。小山内は眼鏡の位置を直して、小さく笑った。

「梨本もそれは同じだろ。知ってる」
「じゃあ、付き合わなければいいのに。も同じでしょ。知ってる」
「何回やってんだよ、このやり取り」
「付き合うまではやる。あ、2人で帰るみたいよ。約束は?」

 再び立ち上がって、窓の向こうを見つめたまま訊ねると「今日はごめん、明日一緒に帰ろうだって」と淡々と言葉を並べる小山内。

 明日一緒に帰ろうなんて気軽に言ってくれるものだ。軽く見るなよ、小山内を。大親友はそんな軽くないでしょ。

 届くはずない遠くの相手に向けて、無声で投げかける。あたしも忍と一緒に帰るチャンスを失ってしまった。はあ、とため息を吐いて振り向く。もういいか、あたしも帰ろう。

「今日、これから告白するっぽい」

 え、何で。瞬きを数回繰り返した後、あたしはさっと机の横から自分のリュックを取った。小山内の腕をつかむと、シトラスの香りがふわりと鼻を掠める。

 少しだけ、頭に上りかけた血が元に戻って冷静になれた。

「行かなきゃ」
「追いかけんの? つか、何で移動すんだろ」
「他の人いるとこで言いづらいんでしょ。どこ行くかわかんないけど行くよ」

 失恋しに。そう付け加えると、小山内は眉を下げてうなずいた。

 残念ながら、あたしも小山内も予想は大ハズレ。賭けは失敗だ。